上 下
9 / 50

9、犬

しおりを挟む
 オズワルドはマティルダの過ちを許してはくれたが、しばらく図書室へ行くことは控えるよう遠回しに命じた。ひどく残念に思ったが、出入り禁止にされるよりはましだと、しばらくの間家の中に閉じこもることにした。

 別にシェイラのいる屋敷に近づかなければいいだけなので、外出しても咎められることはない。

 しかし知人と出会えば今の自分の状況を聞かれてしまう可能性があり、同情されたり、嘘をついて誤魔化すのが煩わしかったので、それならば家から出ない方がいいと結論づけた。少しの間の辛抱だ。

 だが数日も経てば次第に退屈となり、また想像以上に苦痛に感じた。気分転換に庭先を少し散歩しようかと考えたが、ちょうどシェイラが犬たちと戯れている光景が目に入り、慌てて家の中へ戻った。と同時に、なぜ自分がこそこそと隠れるような真似をしているのだろうかとふと我に返った。

 もともとは、あの二人が悪いのに。

 義姉への嫌悪感と、収まったはずの夫への怒りがまた胸に湧いてくる。

(どうしてわたしがこんな目に遭わないといけないの……)

 一日中ただ家の中でじっとしているだけだから、夜になっても当然眠気などやってこず、マティルダは寝台にうつ伏せになって、悶々としていた。

 今夜も、オズワルドはこちらの屋敷に帰ってきていない。そろそろ謹慎を解いてくれるかどうか聞きたいのに、このところずっと顔を合わせていない。

(わたしには会わないで、お義姉様には会っているんじゃないかしら)

 苛立ちが身体のあちこちで燻っており、発散できないものかと手足をばたつかせる。だがそれも疲れてしまい、目を閉じてデイヴィッドの日記に思いを馳せる。

『彼女の抑えようとして抑えきれない声が私の体を熱くさせる。普段囁くような小さく、可憐な声が高く乱れる時、私は頭の芯が焼き切れるような興奮を覚える』
『ぁっ……だめっ……オズワルドっ……』

 あの夜の、シェイラの声が蘇る。彼女の声をデイヴィッドも聴いた。彼が上げさせた。そしてその事実はマティルダをおかしな気分にさせた。夫に抱かれて嫉妬するべき女性なのに、マティルダは苛立ちとは別の感情を持て余していた。

(あんなふうにお義兄様の前でも乱れたのかしら……)

 苦しそうで、オズワルドに甚振られているように見えたのに――なぜか気持ちよさそうにも見えた。

『白い肌を薄桃色に染めて、目をとろんとさせて、ひっきりなしに声を上げてしまうから口を閉ざすことができず、口の端から涎を零している』

 何だろう。デイヴィッドの書かれた文字を思い返していると、初夜に見たシェイラの乱れた姿と嬌声が重なって、身体がむずむずしてくる。もどかしいような、切ないような……

『もうそこはぐっしょりと濡れて、私のものを痛いほど締めつける』
「ん……」

 シーツを乱しながら、マティルダは太股を擦り合わせた。

(ここ、もどかしい……)

 排泄する、汚らわしい場所がなぜか疼いてしまう。どうすればいいかわからない。閨事はすべて夫に任せるよう教えられていた。だからマティルダが今この焦燥感を解消する唯一の手掛かりはデイヴィッドの日記にしかなかった。

(デイヴィッド様は、お義姉様のここに何かを入れたのよね……)

『最初は指一本咥えるのにも泣いて痛がっていたのに、今では物足りないというように私の腰にすらりとした脚を絡ませてくる』

(ゆび……)

 マティルダは浅く息をしながら、恐る恐る、夜着の裾を捲る。もう後は寝るだけであったので、ドロワーズなどは履いていなかった。難なく目的の場所まで辿り着いたが、直前になって躊躇する。

(やっぱりこんなこと……)

『だめだと思う度に、彼女をもっと乱れさせて狂わせたくなる。彼女もまた、もうだめだと口にしながら、真逆の反応を身体は示していた』

 今まで一度も触れたことのない場所へ、マティルダは指先で触れてしまった。

(冷たい……)

 ほんの少し触れて、すぐに離してしまった。

(本当にここを触れば気持ちよくなるのかしら……)

 デイヴィッドはどうやってシェイラを気持ちよくしたのだろうか。

(わたしも知りたい……)

 あの日記の続きを読みたい。デイヴィッドに教えてほしい。そして自分もシェイラのように気持ちよくなりたい。そうすれば、今のこの鬱屈とした気持ちも少しはましになってくれる気がするから……。

 その夜マティルダは自分の覚えている限りで必死にデイヴィッドの言葉を思い出し、シェイラの痴態を頭の中で思い描きながら、身体を悶えさせた。彼女は今までこんな苦しみを味わったことがなかった。

 何かが欲しくて、与えられない苦しみを……。

 身体が疼いても、それを慰める術がわからない。じっとしているとそのことばかり考えてしまい、とうとうマティルダはシェイラが犬たちと散歩しているのを見計らって外へと出た。

(まだ、帰ってこないわよね?)

 シェイラが……というより、侯爵家が飼っていた犬たちはオズワルドが主に世話をしており、嫁いできたシェイラにもよく懐いたらしい。

 そのことを、デイヴィッドは日記で嫉妬交じりに嘆いていた。

『犬たちは私よりもオズワルドに懐き、そしてシェイラに懐いている。犬を通して二人の絆を見せつけられているようで、たかがこんなことでと思う一方で、疎外感を覚えてしまう』

 今ではシェイラ一人でも犬を散歩できるくらいだから、飼い主と同じくらいに懐いたと言えよう。――いや、飼い主の大切な人だとわかるからこそ、犬たちもシェイラに従っているのだ。

『大きい犬なので一人で散歩するのは大変だろうと、二人は一緒に散歩することがある。その光景を窓から見てしまった私は、彼らこそ、本当の夫婦のように見えた。街中ですれ違う人間も、みなそう思うことだろう』

 マティルダも犬たちに嫌われているので彼の気持ちがよくわかった。惨めで、やるせない。些細なことで劣等感を覚えて、嫉妬へと変えてしまう。そんなデイヴィッドの気持ちが。

(屋敷を出たくても、いろんな枷があって逃げることはできなかったでしょうし……)

 その点ではオズワルドと反対だ。彼は嫡男でなかったから、家に縛られることなく、外国でもどこでも自由に行くことができた。結局、シェイラを想う気持ちから帰ってきてしまったみたいだが……。

(あら……?)

 考え事をしながらいつの間にか門の近くまで来てしまっていたマティルダは、生い茂った草に隠れて、木箱が置いてあることに気づいた。そこから聴こえる微かな声。

「まぁ……」

 中身は生まれたばかりだと思われる子犬だった。毛布に包まれてはいるが、寒いのか身体を震わせ、くぅんとか弱い声で鳴いている。

「誰か捨てたのね……」

 もしかすると飼い主はシェイラが犬たちを散歩させる姿を見て、この屋敷ならば育ててくれると思ったのかもしれない。マティルダは恐る恐る子犬を腕の中に抱き上げた。まだ目も開いていない。とても小さな身体で、母親の温もりを求めるように身体を押し付けてくる。

 マティルダはしばし子犬を見つめた後、来た道を戻り始めた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様、どうやら御子がお出来になられたようですのね ~アラフォー妻はヤンデレ夫から逃げられない⁉

Hinaki
ファンタジー
「初めまして、私あなたの旦那様の子供を身籠りました」  華奢で可憐な若い女性が共もつけずに一人で訪れた。  彼女の名はサブリーナ。  エアルドレッド帝国四公の一角でもある由緒正しいプレイステッド公爵夫人ヴィヴィアンは余りの事に瞠目してしまうのと同時に彼女の心の奥底で何時かは……と覚悟をしていたのだ。  そうヴィヴィアンの愛する夫は艶やかな漆黒の髪に皇族だけが持つ緋色の瞳をした帝国内でも上位に入るイケメンである。  然もである。  公爵は28歳で青年と大人の色香を併せ持つ何とも微妙なお年頃。    一方妻のヴィヴィアンは取り立てて美人でもなく寧ろ家庭的でぽっちゃりさんな12歳年上の姉さん女房。  趣味は社交ではなく高位貴族にはあるまじき的なお料理だったりする。  そして十人が十人共に声を大にして言うだろう。 「まだまだ若き公爵に相応しいのは結婚をして早五年ともなるのに子も授からぬ年増な妻よりも、若くて可憐で華奢な、何より公爵の子を身籠っているサブリーナこそが相応しい」と。  ある夜遅くに帰ってきた夫の――――と言うよりも最近の夫婦だからこそわかる彼を纏う空気の変化と首筋にある赤の刻印に気づいた妻は、暫くして決意の上行動を起こすのだった。  拗らせ妻と+ヤンデレストーカー気質の夫とのあるお話です。    

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

王太子さま、側室さまがご懐妊です

家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。 愛する彼女を妃としたい王太子。 本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。 そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。 あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

【完結】愛に裏切られた私と、愛を諦めなかった元夫

紫崎 藍華
恋愛
政略結婚だったにも関わらず、スティーヴンはイルマに浮気し、妻のミシェルを捨てた。 スティーヴンは政略結婚の重要性を理解できていなかった。 そのような男の愛が許されるはずないのだが、彼は愛を貫いた。 捨てられたミシェルも貴族という立場に翻弄されつつも、一つの答えを見出した。

最近様子のおかしい夫と女の密会現場をおさえてやった

家紋武範
恋愛
 最近夫の行動が怪しく見える。ひょっとしたら浮気ではないかと、出掛ける後をつけてみると、そこには女がいた──。

君と僕の一周年記念日に君がラブホテルで寝取らていた件について~ドロドロの日々~

ねんごろ
恋愛
一周年記念は地獄へと変わった。 僕はどうしていけばいいんだろう。 どうやってこの日々を生きていけばいいんだろう。

処理中です...