お姉さまは最愛の人と結ばれない。

りつ

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クロエの賭け

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「クロエ。とってもきれいね」

 エリーヌがうっとりとした表情でクロエの花嫁姿を褒めた。エリーヌが嫁ぎ損ねた花嫁衣装だが、クロエには十分だとわざわざ新調することはなかった。一緒にいるラコスト夫人も満足した様子で、今日ばかりは柔和な表情を浮かべている。

 やっと憎い娘を厄介払いできるからだろう。

「よかったわね、クロエ。お前のような娘をぜひ娶りたいという殿方が現れてくれて」
「ええ……本当に、そう思います」

 そう言いながらも、膝の上で固く握りしめられたクロエの手は小刻みに震えていた。気づいた姉が落ち着かせるようにそっと手を重ねてくる。

「クロエ。大丈夫よ。ガルニエ男爵はお優しい方だと聞くわ」

 妻を三人も亡くして、毎日色事に耽っている、成り上がりの貴族。それがガルニエ男爵。どこからクロエの噂を聞きつけたのか、ぜひとも結婚して欲しいという話が舞い込んできたのだ。

 エリーヌの縁談がなかなかまとまらず、クロエのことが後回しになっていた兄は一も二もなく承諾した。今度はラコスト夫人も反対しなかった。姉のエリーヌでさえ。

「あなたなら、きっと幸せになれるわ」

(本当に? ねぇ、お姉さま……)

 頬を撫でる姉の掌が冷たかった。

「私たちは式には行けないけれど、とても素敵なものになるよう、願っているわ」

 式など挙げる予定はなかった。ただ着飾った花嫁が一人、この屋敷を後にするだけだ。

「さようなら、クロエ」

 クロエはラコスト家の紋章が入った馬車に乗り込む直前、一度だけ振り返って、姉に目をやった。もう会うことのないだろうエリーヌの姿をこの目に焼き付ける。クロエの愛していた人。愛されたかった人。

(さようなら、お姉さま)

 ガルニエ男爵の屋敷はラコストの領地から離れている。到着するのは日が暮れる頃か、夜だろう。そのままクロエは男爵に純潔を捧げる流れとなるはずだ。好きでも何でもない男に抱かれるのは地獄のような苦しみだろう。けれど覚悟はできていた。

(これで本当に終わりだわ)

 突然ガタンと馬車が大きく揺れて、止まった。御者が何か喚いている。ガタガタと小さく揺れ、扉が外から開けられた。クロエは狼狽えることなく、ただ一心に窓の外を見つめていた。

「クロエ」

 そしてその声に、諦めたように――やっぱり、と思いながら振り返ったのだった。

「アルベリク様」

 アルベリクはどういうことだと怒気を孕んだ眼差しでクロエを射貫いた。急いで駆けつけてきたせいか、額には玉のような汗を浮かべ、癖のないきれいにまとまっていた髪も乱れ、呼吸もひどく忙しなかった。

「クロエ。今すぐここを出てくれ」
「どうして」

 アルベリクの眼差しがさらに冷たいものに変わる。いつもは触れるのに躊躇いがあるくせに、今は決して離すまいと白い手袋をはめたクロエの手を握りしめている。彼の怒りが熱となって、そのまま指先から伝わってくるようであった。

「どうしてだと? そんなの決まっている。このままあなたが居座っていれば、あなたはガルニエ男爵の花嫁になるからだ……!」

 そんなの絶対認められない、と握る手に力がこもった。

「こんな真似はしたくなかった。けれどあなたが他の男のもとへ行くことは絶対に認められない。だから、」

 このまま俺が攫う。

 アルベリクが攫うと言ったら、その通りにするだろう。非力なクロエには太刀打ちできない。

「あなたって本当に乱暴ね」
「わかっている。でも、嫌なんだ」

 子どものような我儘を貫き通す彼がクロエにはいつも眩しかった。自分の気持ちを臆面もなく伝えられるのがずっと羨ましかった。

「クロエ、悪いがあきらめ――」

 アルベリクの息を呑む気配が伝わってくる。彼はやっぱり急いでいた。汗と彼自身のにおいが混じっている。シャツ一枚だけを着た胸板が大きく上下している。クロエの名前を、戸惑ったように呼ぶ声に彼女は密着していたアルベリクの身体から離れ、顔を見上げた。

「あなたのもとへ嫁ぐわ。そのつもりであなたを待っていたの」

 諦めの中に、わずかに芽生えた感情。アルベリクの執念に、クロエは負けを認めた。

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