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魔女とは
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「ね、ディオン様。魔女って、どういう出自の者でしたの?」
夕食後、食堂から部屋へ戻り、たわいない話をして寛いでいたのだが、今日のこともあって、ミランダは思いきってディオンに尋ねてみた。
「急にどうしたんだ」
「いえ……実は、ずっと今日の視線は誰かと考えていて、普通に考えれば、フォンテーヌ夫人の親類か、彼女の取り巻きのうちの誰かかな……と思ったのですが、ふとなぜか魔女のことが頭をよぎりまして」
ずっと「魔女」という単語で話をしていたが、本当に魔術などが使えるわけではあるまい。媚薬や麻薬などは悪用したそうだが、自分たちと同じ人間のはずである。
「身分の低い人間でしたの?」
「男爵家の夫人だったそうだ。夫と共によく登城し、王妃の話相手をしている時に国王の目に留まった。最初は周りの目を忍んで逢っていたそうだが、次第に周囲にも露見し、やがて公然の秘密となった」
ミランダは自分も同じ立場であるから、王妃に同情した。
「夫人の夫である男爵は何も言わなかった……言えなかったのですか?」
「爵位が低いから、逆に国王に付け入る隙が出たと、見てみぬ振りをしていたらしい。……恐らく、初めから狙って妻を差し出したのではないかと思う」
もしや魔女は、夫に逆らえず、渋々国王を愛していた、という可能性もあるのだろうか。
「男爵の思惑通り、国王は夫人を寵愛した。周りが諫めても、聞かなかった」
夫人の方も、最初は王妃様がいるから……と拒絶していたそうだが、その反応がかえって国王の欲望に火をつけたのか、ますます束縛と執着心を強める結果となった。次第に夫人も、そんな国王を受け入れるようになった。
「拒絶していた……そう聞くと、国王の権力に逆らえなかった不憫な女性のようにも思えますね。……もし目的を果たすためにわざとそう振る舞っていたのならば、大した手練手管ですが」
「そうだな……。もしかすると、そんな国王を……自分を差し出した夫や家族も恨んで、逆に懐柔しようと腹を決めたのかもしれない」
悪の道に目覚めてしまったわけか。
「……でもやっぱり、悪い薬を使ったり、国王を操ってこの国を滅茶苦茶にしようとしたことは許せない」
そのせいで、ディオンの祖父は実の兄に手をかけることになってしまったのだから。
ミランダがそう言うと、なぜかディオンは眩しいものを見たように目を細めた。
「ディオン様?」
「あなたはやはり真っ直ぐな人だな」
「えっ……そうでしょうか。わたし、そんなに根が良い人間ではありませんよ?」
しょせん人間は自分が一番大切だから、時には常識を自分の都合のよい方に解釈して、現実から目を逸らしてしまうこともある。
自分には関係なく、過去の出来事であるからこそ、魔女はやっぱり悪いと言える面もあると思う。
「俺も、男爵夫人のことは許せない。だが、それ以上に国王も許せないんだ。すでに結婚した身でありながら、他の女性に心を奪われて、家庭を壊した。今まで支えてきてくれた臣下を裏切り、国を乱した。……国王さえ、しっかりしていれば」
ミランダはこの時ようやくディオンの苦悩に触れた気がした。
身内に起こった出来事だからこそ男爵家のやり方に憤り、やすやすと罠にはまった国王自身に対しても怒りを抱いている。怒りだけではなく、憐れみも……。
(もう過去のことだから、とは言えないわよね……)
「ミラ。俺は時々怖くなる。自分もその時の国王のように道を踏み外すのではないかと……」
「ディオン様も、怖いのですか?」
「ああ、怖いよ」
素直に本音を吐露するディオンにミランダは弱い部分を見せてくれたようで愛おしさが募った。気づけば彼を抱きしめていた。
「ミラ?」
「もし、ディオン様が道を踏み外すことをなさろうとしたら、わたしが全力で止めます」
「あなたが?」
「はい。わたしは手強いですわよ? ロジェも味方になってくれるでしょうし、クラレンス卿もあのしつこさ全開であなたを説得なさるはずです」
「それは……確かに手強いな」
勝てる見込みがない、と言われ、ミランダは笑って、彼を見つめた。
「あなたには心強い臣下や仲間がいる。だから大丈夫です。逆にもし、わたしが本当の悪女になったら、ディオン様が成敗してください」
「わかった。だが、あなたは道を踏み外すような真似はしないと思うが」
「あら。それはわかりませんわ。ディオン様を誑かして、この国をいいようにするかもしれません」
「俺を誑かすことに関してはそれでもいいと思う自分がいるから、俺はもうあなた以外愛することはできないだろうな」
「え?」
一体何を言っているのだと聞き返そうとミランダの視界は突如ぐるりと上を向き、気づけばディオンの顔がすぐそばで自分を見下ろしていた。
(な、なぜいきなりこんな体勢に……)
「ミラ……」
「ディ、ディオン様、あの……」
顔を赤くしてあたふたする妻の様子にディオンはふっと微笑んで、手の甲で頬をそっと撫でた。
「あなたのことだから、この国をいいように、と言っても、きっと民のためになるようなことをするんだろうな」
「先ほどから買いかぶりすぎですよ」
ディオンの目にはまるでミランダが聖女のように映っているのか。
(疑われずに済んだのならば、それでいいけれど……居心地が悪いわ)
こうなったら話を変えようと思ったところで、そもそもの本題を思い出す。
「あの、それでですね。魔女……男爵家の一族の中には、生き延びた者もいるのですよね?」
男性は処刑されたが、女性は北の果てにある修道院行きになったと聞く。
「ああ。だが監視付きであったし、修道院の近くは荒い海しかない。それこそ逃げるなら、海に身を投げるくらいだろう」
「そうですか……。では、きっと無理ですわね」
ミランダはそう言ったものの、心のどこかでは否定しきれなかった。
この世に絶対などない。
ディオンが自分のことを愛してくれたように、時に驚くべきことが起こるのだ。
夕食後、食堂から部屋へ戻り、たわいない話をして寛いでいたのだが、今日のこともあって、ミランダは思いきってディオンに尋ねてみた。
「急にどうしたんだ」
「いえ……実は、ずっと今日の視線は誰かと考えていて、普通に考えれば、フォンテーヌ夫人の親類か、彼女の取り巻きのうちの誰かかな……と思ったのですが、ふとなぜか魔女のことが頭をよぎりまして」
ずっと「魔女」という単語で話をしていたが、本当に魔術などが使えるわけではあるまい。媚薬や麻薬などは悪用したそうだが、自分たちと同じ人間のはずである。
「身分の低い人間でしたの?」
「男爵家の夫人だったそうだ。夫と共によく登城し、王妃の話相手をしている時に国王の目に留まった。最初は周りの目を忍んで逢っていたそうだが、次第に周囲にも露見し、やがて公然の秘密となった」
ミランダは自分も同じ立場であるから、王妃に同情した。
「夫人の夫である男爵は何も言わなかった……言えなかったのですか?」
「爵位が低いから、逆に国王に付け入る隙が出たと、見てみぬ振りをしていたらしい。……恐らく、初めから狙って妻を差し出したのではないかと思う」
もしや魔女は、夫に逆らえず、渋々国王を愛していた、という可能性もあるのだろうか。
「男爵の思惑通り、国王は夫人を寵愛した。周りが諫めても、聞かなかった」
夫人の方も、最初は王妃様がいるから……と拒絶していたそうだが、その反応がかえって国王の欲望に火をつけたのか、ますます束縛と執着心を強める結果となった。次第に夫人も、そんな国王を受け入れるようになった。
「拒絶していた……そう聞くと、国王の権力に逆らえなかった不憫な女性のようにも思えますね。……もし目的を果たすためにわざとそう振る舞っていたのならば、大した手練手管ですが」
「そうだな……。もしかすると、そんな国王を……自分を差し出した夫や家族も恨んで、逆に懐柔しようと腹を決めたのかもしれない」
悪の道に目覚めてしまったわけか。
「……でもやっぱり、悪い薬を使ったり、国王を操ってこの国を滅茶苦茶にしようとしたことは許せない」
そのせいで、ディオンの祖父は実の兄に手をかけることになってしまったのだから。
ミランダがそう言うと、なぜかディオンは眩しいものを見たように目を細めた。
「ディオン様?」
「あなたはやはり真っ直ぐな人だな」
「えっ……そうでしょうか。わたし、そんなに根が良い人間ではありませんよ?」
しょせん人間は自分が一番大切だから、時には常識を自分の都合のよい方に解釈して、現実から目を逸らしてしまうこともある。
自分には関係なく、過去の出来事であるからこそ、魔女はやっぱり悪いと言える面もあると思う。
「俺も、男爵夫人のことは許せない。だが、それ以上に国王も許せないんだ。すでに結婚した身でありながら、他の女性に心を奪われて、家庭を壊した。今まで支えてきてくれた臣下を裏切り、国を乱した。……国王さえ、しっかりしていれば」
ミランダはこの時ようやくディオンの苦悩に触れた気がした。
身内に起こった出来事だからこそ男爵家のやり方に憤り、やすやすと罠にはまった国王自身に対しても怒りを抱いている。怒りだけではなく、憐れみも……。
(もう過去のことだから、とは言えないわよね……)
「ミラ。俺は時々怖くなる。自分もその時の国王のように道を踏み外すのではないかと……」
「ディオン様も、怖いのですか?」
「ああ、怖いよ」
素直に本音を吐露するディオンにミランダは弱い部分を見せてくれたようで愛おしさが募った。気づけば彼を抱きしめていた。
「ミラ?」
「もし、ディオン様が道を踏み外すことをなさろうとしたら、わたしが全力で止めます」
「あなたが?」
「はい。わたしは手強いですわよ? ロジェも味方になってくれるでしょうし、クラレンス卿もあのしつこさ全開であなたを説得なさるはずです」
「それは……確かに手強いな」
勝てる見込みがない、と言われ、ミランダは笑って、彼を見つめた。
「あなたには心強い臣下や仲間がいる。だから大丈夫です。逆にもし、わたしが本当の悪女になったら、ディオン様が成敗してください」
「わかった。だが、あなたは道を踏み外すような真似はしないと思うが」
「あら。それはわかりませんわ。ディオン様を誑かして、この国をいいようにするかもしれません」
「俺を誑かすことに関してはそれでもいいと思う自分がいるから、俺はもうあなた以外愛することはできないだろうな」
「え?」
一体何を言っているのだと聞き返そうとミランダの視界は突如ぐるりと上を向き、気づけばディオンの顔がすぐそばで自分を見下ろしていた。
(な、なぜいきなりこんな体勢に……)
「ミラ……」
「ディ、ディオン様、あの……」
顔を赤くしてあたふたする妻の様子にディオンはふっと微笑んで、手の甲で頬をそっと撫でた。
「あなたのことだから、この国をいいように、と言っても、きっと民のためになるようなことをするんだろうな」
「先ほどから買いかぶりすぎですよ」
ディオンの目にはまるでミランダが聖女のように映っているのか。
(疑われずに済んだのならば、それでいいけれど……居心地が悪いわ)
こうなったら話を変えようと思ったところで、そもそもの本題を思い出す。
「あの、それでですね。魔女……男爵家の一族の中には、生き延びた者もいるのですよね?」
男性は処刑されたが、女性は北の果てにある修道院行きになったと聞く。
「ああ。だが監視付きであったし、修道院の近くは荒い海しかない。それこそ逃げるなら、海に身を投げるくらいだろう」
「そうですか……。では、きっと無理ですわね」
ミランダはそう言ったものの、心のどこかでは否定しきれなかった。
この世に絶対などない。
ディオンが自分のことを愛してくれたように、時に驚くべきことが起こるのだ。
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