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生まれた意味

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「おまえが生まれてくれて、嬉しいわ」

 とても子どもを生んだとは思えない、若々しくもどこか妖艶な雰囲気を纏った女性が微笑みながらそう言ったのをよく覚えている。普通なら、息子を愛する感情から告げられた言葉だと考えるだろう。

 でも、レイモンドは違うとわかっていた。理解させられたのだ。

 昔から蝶よ花よと育てられてきたイングリス王国の王女、マデリーン。

 可憐な容姿は成長すると共に美しく磨かれ、多くの男性を虜にした。基本的に気紛れで我儘な性格なのに、時に優しさと微笑を与える性格が余計に拍車をかけた。

 本当は母に結婚する気などさらさらなかった。子どもを作り、家庭を築くことも自分には向いていないと早々に気づいていた。一生遊んで暮らしていたいと考えていたはずだ。

 しかし彼女は王女であり、また多くの男性が彼女に求婚してきたので、独身であり続けることは許されなかった。両親は数多の候補者の中からレディング公爵を選び、娘を降嫁させた。

 彼が選ばれた理由は、高位貴族であり、金も豊富にあったから。何より娘を想う気持ちが誰よりも強かったからである。

 娘も彼と結婚すれば、多少は落ち着き、やがては愛するようになるだろう。

 そんな両親の期待に、母も最初は上手く応えていた。だが夫の束縛が強まると、とたんに嫌気が差し、母は結婚生活から逃げ出すことを決めた。

 新婚旅行で隣国へ出向き、国王夫妻の夜会に招待されると、夫の目を盗んで彼女は一夜限りの相手を探す。夫以外の男の子を身籠れば――身籠らずとも、関係がばれてしまえば、父も愛想を尽かすと考えたのだ。実に浅はかで、身勝手な考えだった。

 けれどそんな母の企みは成功してしまう。

 いつもは離宮で怠惰な生活を送っている王子がその日たまたま夜会に出席しており、美しく着飾った母の姿に一目惚れした。
 王子は離宮へ母を連れ出し、激しく愛し合った。

 二人の情交は夫である公爵にもしっかりと見られてしまう。もともと母からすれば、見せつけるつもりで事に及んだのだ。

 公爵はその場で二人を――王子を殺してしまうのではないかと思うほどの怒りを見せたが、王子の両親が仲裁に入ったことと、公爵が一刻も早く母を連れ帰りたいという意向から、一夜の過ちとして水に流すことにした。

 帰国した母は屋敷に監禁され、一歩も部屋から出されなかった。そして母の体調は悪くなり、妊娠が発覚した。
 時期からして、王子の子どもかもしれない。

 公爵は怒りや不安で狂ってしまいそうだったが、母はひどく落ち着いていた。

 母にはわかっていたのだろうか。腹の子が夫ではない男の……王子の子であることを。

 生まれた子の瞳は、緑や青に見える不思議な色をしており、髪の色は黒髪の公爵や銀髪の母とも違う、濃い金色をしていた。

 それは間違いなく王子を彷彿とさせる特徴だったが、公爵は自分の子だと言い放った。

「いいか。おまえは私の子だ。私とマデリーンの子どもなのだ」

 少しでも自分の子だと思わせるために、公爵はまだ幼かったレイモンドの髪を黒に染めさせた。

 レイモンドの存在が母を繋ぎとめると信じて、自分と母の子だと何度も言い聞かせた。

「馬鹿な人」

 そんな父を、母は嘲笑し、人目を盗んでレイモンドと共に王宮へ向かった。

 自分は罪を犯した。もう公爵の妻には相応しくないから、離婚を認めてほしいと。

 自分のもとから逃げ出したことに気づいた公爵はすぐに追いかけ、妻子を連れて帰ろうとした。産後で少々気がおかしくなっており、馬鹿なことを言ってしまっただけだ。この子は間違いなく私とマデリーンの子だと言って。

「いいえ。違います。その子はあなたの子ではありません。私と同じ王族の血を引いた方が本当の父親よ。魔力を調べてごらんなさい。すぐにわかるわ」

 父親が王族とあれば、両親も見過ごすことはできず、またこのまま放っておけば、さらに娘が暴走すると思い、とりあえず公爵との別居を認め、監視の意味も込めて離宮で彼女に暮らすよう命じた。

「まったく。面倒なものを持ちこみよって」

 レイモンドにそう吐き捨てたのは、マデリーンの兄であった。王太子である彼は近々即位を控えており、問題事を生じさせた妹を忌々しく思っていた。当然、その子どもであるレイモンドのことも。

「いいか。これ以上問題を起こさないよう、おまえがマデリーンを見張っていろ。おまえ自身も静かに、決して荒事を起こさぬよう、息を殺すようにして過ごしてくれ。いいな?」

 妹とその息子の存在で日常がかき乱されることを彼はひどく嫌った。彼の妻も、レイモンドを汚らわしいものを見る目で見ていた。

 レイモンドは言いつけ通り、存在を殺すようにして毎日を過ごす。それは屋敷にいた頃とほぼ変わらなかった。

「出戻り王女の世話なんて嫌ねぇ。しかもこぶ付き」
「あの子、本当に王女の子なのかしら。全く似ていないわよね」
「わかる。マデリーン様、顔だけはいいのに、あの子は暗くて、可愛げもないのよね。実の父親も、きっとぶさいくだったんだわ」

 陰口を叩かれて傷つくも、どうしようもなかった。

「めそめそしないでよ。男の子でしょう?」

 侍女に爪を磨かせ、鏡で己の美しさを確認しながら、母が気休めの言葉をかけてくる。何も言わないレイモンドをちらりと見て呟く。

「でも本当に、あの人に似ていないのね」

 顔だけはよかったのに、と評された王子――本当の父親がある日会いに来た。レイモンドにではなく、母に求婚するために。

「きみのことがどうしようもなく好きなんだ。あの男とは離婚したのだろう? なら、今度こそ幸せになろう。僕と一緒に暮らそう」

 母は男の求婚を、冗談ではないと一蹴した。

「私があの日あなたと愛を交わしたのは、夫と別れて、自由を得るためよ。結婚なんて人生の墓場よ。私は一度死んで、また蘇ったの。せっかく生き返ったのに、どうしてまた死なないといけないの?」
「不自由はさせない。自由に暮らしていい。束縛は僕だって嫌いさ。僕ときみは似ているんだ。きっと上手くやっていけるさ」
「お断りよ」

 母の意志は固く、王子はがっくりと項垂れてまた来ることを伝えた。

「あの」

 帰り際、レイモンドは勇気を出して王子に話しかけてみた。彼は実父で、一緒に暮らそうと母に提案した人だ。子どもである自分にも、好意的な反応を示してくれると期待した。だが――

「どいてくれ」

 まるで自分の子どもだと気づいていないような、欠片も興味のない様子で王子は背を向けた。レイモンドは言葉にならない程のショックを受け、呆然と突っ立っていた。

「レイモンド。いつまでそこにいるつもり? 着替えがしたいからどこかへ行ってちょうだい」

 母を振り返る。今の父の言動に対して慰める言葉が欲しかった。慰めてくれなくても、自分を見てほしかった。だが母はこちらを見ず、代わりに侍女が部屋を出るよう促してくる。その憐憫の眼差しに、レイモンドは頬がカッとなり、弾かれたように部屋を飛び出した。

 がむしゃらに走りながら涙が滲んでくる。

(母上も、本当の父上も、僕なんかどうでもいいんだ――!)

 レディング公爵だってそうだ。

「私は絶対に認めない! あの子は私の子だ。マデリーンは私のものだ!」

 マデリーンの両親から離婚と再婚を勧められても頑なに跳ね除け、妻と息子を返すよう定期的に面会を申し出る公爵の目には、マデリーンしか映っていない。

「いいか。絶対に髪の色は変えるな。おまえは私の息子でなければならないのだから」

 幼いレイモンドを見つけ出し、そう脅した父は、決して自分を息子だと思っていない。

 怖くて髪を染め続けるレイモンドを見ても、母は無関心だ。自分を美しく着飾ることしか頭にない。

 誰も彼も、レイモンドを見ていない。自分の存在など、どうでもいいのだ。

 ずっと気づかない振りをしていたのに、とうとう残酷な事実から目を背けることができず、レイモンドは悔しくて、涙が溢れて止まらなかった。

(消えてしまいたい――)

 当てもなく走り続け、大きな柱の陰にしゃがみ込んで嗚咽を噛み殺す。

 消えたところで、どうせ誰も悲しまない。消えてしまったことすら、気づかないかもしれない。

「大丈夫?」

 優しくも心配した声が頭上から聞こえ、ハッと彼は顔を上げた。
 髪の色より薄い茶色の瞳をした、見たこともない女の子が眉尻を下げて見ていた。

「どこか痛いの?」

 幼くも、自分を気遣う態度を示され、レイモンドは動揺した。泣いているところを見られてしまって、居心地の悪さと羞恥に襲われる。ぐいっと乱暴に涙を拭い、「何でもない」とくぐもった声で答えれば、少女はハンカチを差し出した。

「よかったら使って?」

 ふわりと微笑んでくれた少女の笑みに目を奪われて、レイモンドはハンカチを受け取っていた。でもすぐに我に返って、惨めでどうしようもなく恥ずかしくて、顔を背けて逃げ出してしまった。心臓がまた痛くなる。でも今度は悲しみのせいではなかった。

 初めてだった。あんなふうに声をかけられて、優しい笑みを見せてくれたのも。自分の痛みに気づいてくれたのも。

 彼女と出会ったその日から、レイモンドは恋に落ちていた。その感情が、どんなものかも知らずに。

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