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結ばれた恋人たち

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「真実だと?」
「はい。わたしはアンドリュー殿下とリアナ様の関係を以前から知っておりました。彼女がこっそりと逃げて、子どもを身籠ったことも。殿下も彼女のご懐妊を知った上で、リアナ様を逃したことも、すべて」
「なんだと?」
「お二人の間には身分の差があったのです。ですから子どもができたと知られれば、リアナ様とお腹の子の存在は危うくなる。それでひとまず王宮から離れた場所で産んでもらい、子どもが十分に育つまで、わたしに繋ぎの婚約者を演じてほしいとアンドリュー殿下や国王夫妻に頼まれたのです。それでわたしは、アンドリュー殿下の仮初めの婚約者となりました。父の目を誤魔化しながらその役をこなすのはとても大変でしたが、アンドリュー殿下はずっとリアナ様のことを想い続けていたので、わたしもいつしかお二人が結ばれることを願いながら、自分の役目を全うし続けると心に誓ったのです」

 よくもまぁ、こうもすらすらと言葉が出てくるものだ。
 グレイスは我ながらすごいと自画自賛する。

「子どもが育ち、リアナ様と成長した世継ぎが現れれば、身分の差など、もはや些末な問題。いえ、それは言い過ぎかもしれませんが、反対なさっていた人たちも認めざるをえないでしょう。遠回りしてしまいましたが、お二人は無事に結ばれるのです」

 グレイスはぽかんと呆けた面をしているアンドリューやリアナに心からの笑みを送った。

「おめでとうございます。アンドリュー殿下。リアナ様。お二人が結ばれたこと、心から祝福しますわ」
「おかげで、俺たちもようやく幸せになれる」

 後を引き継ぐようにレイモンドが笑顔で告げた。

「ど、どういうことだ」

 キャンベル公爵が思わずそう言ってくれたのは、レイモンドにとって好都合だったろう。

「アンドリュー殿下が身分違いの恋で苦しんでいたように、私もずっとグレイスのことが好きで――婚約者のいる彼女のことを愛してしまった。一生報われない想いだと思っていたが……彼女から事情を聴いて、希望が湧いた。リアナ様とご子息がこちらへ戻り、殿下と無事に結ばれると知り、私もようやく、グレイスに想いを伝えることができた。彼女も私の想いに応えてくれて、気が急いでしまった私は彼女を連れて、すぐに隣国で式を挙げた。十二の時にエルズワースへ留学した私には、もうあちらが故国のようなものだったから、親代わりでもある国王夫妻やバートラム殿下に証人になってもらい、祝福してもらいたかったのだ」

 レイモンドの後半の言葉に、壇上にいる国王夫妻の顔が気まずそうに変わるのを、グレイスは見逃さなかった。

「長々と話してしまって申し訳ないが、とにかく私とグレイスは、二人が結ばれるのをずっと待っていたというわけだ」
「ええ。わたしの夫の言うとおりです。わたしとレイモンド様、殿下とリアナ様。結ばれる過程において、誰も悪者はいなかったということです。それぞれが辛い時期を乗り越え、無事にハッピーエンドを迎えたことが、真実ですの」

 口を挟む隙を与えず、レイモンドと交互に話を終えたグレイスは、実に爽快な気分であった。

 自分たちは、何も嘘は言っていない。

 結果から過去を振り返れば、そう思えなくもなかったと全員に教えているだけだ。

「皆様も、どうぞアンドリュー殿下たちでなく、わたしとレイモンド様のことも祝福してくださると嬉しいですわ」

 グレイスが会場へ向けて微笑んだのを合図に、まず兄のマーティンが拍手する。それにグレイスの友人たちが乗り、他の人々も手を合わせ、最終的には会場にいたほぼ全員が割れんばかりの拍手で祝福の意を示したのだった。

「グレイス。私はおまえたちの仲を認めないぞ!」

 父の精いっぱいの否定も、見事かき消されてしまう。アンドリューが無表情でこちらへ歩み寄ってこようとするが、その前にレイモンドが声を張り上げた。

「さぁ、陛下! 長い前置きは終わりにして、宴を楽しみましょう」

 今まで見捨てるように隣国へ留学させた甥の言葉に、国王はキャンベル公爵やアンドリュー、グレイスの父を見渡し、軽くため息をつくと、何かを決意したように一同に告げた。

「我が甥の言うとおりだ。みな、今宵は二組の夫婦の門出を祝い、存分に楽しんでくれ」

 陛下! と呼んだのは隣に座る王妃であり、父でもあったが、国王は仕方がないと言うように首を横に振った。とうとう彼は諦め、グレイスたちの話で先を進めていくことにしたのだ。

 音楽が流れ始め、レイモンドがグレイスに手を差し出す。

「グレイス。踊ろう」
「ええ」

 二人はまだ事実を受け入れることができていない父やその他大勢の人間を放って、一緒に踊り始めた。他人にどう思われようが、二人は気にしなかった。

(……ああ、でも、わたしがレイモンド様を深く愛しているとは知ってほしいわ)

 恐らくレイモンドも同じだろう。だから今、グレイスはレイモンドだけを見つめ、彼に身を委ねている。アンドリューではなく、レイモンドと結婚できてとても幸せなのだと眼差しや表情で惜しみなく伝える。

 リアナが勇気を出した様子でアンドリューに何かを話しかけていた。けれど彼の視線はレイモンドに微笑みかけるグレイスのみに注がれており、リアナの言葉は全く耳に入っていなかった。顔からは一切の感情が抜け落ち、今までのグレイスが知るアンドリューとは全く違う雰囲気である。

 しかし、こういった外野のやり取りを、グレイス本人は全く気づかなかった。

 彼女はレイモンドにそっと耳打ちされ、微笑んで頷くと、喧騒を離れていく。少しだけ駆けてゆく後ろ姿はまさに駆け落ちする男女のようで、覚えたての恋を楽しむ無邪気さに溢れていた。

     ◇

「ふふっ。みんな、とても驚いていましたわね」

 グレイスはレイモンドと手を繋ぎ、足元を街灯で照らす中庭までやってきた。

「わたし、あんなふうに礼儀を欠いて抜け出したの、生まれて初めて」

 手を離さぬままレイモンドを追い抜き、振り返ってグレイスは少女のように笑った。少し興奮しているせいか、口調も砕けてしまう。

「お父様にあんなふうに反抗したのも、本当に初めてなの。悪いことしたのに、ちっとも後悔していなくて、胸がスッとしている。わたしって案外悪い女だったのね」

 くねくねと蛇のように曲がった道を、グレイスは雲の上でも歩くような軽快な足取りで進んでいく。

「貴女が悪女なら、俺は大悪党だな」
「夫婦そろって? それも何だかすてき」

 子どものようにはしゃぐ彼女がレイモンドは愛おしくてたまらないのか、されるがまま引っ張られ、唐突に自分の方へ抱き寄せた。

 そして誰にも捕られまいとするようにしっかりと自分の腕の中に閉じ込めてしまう。

 グレイスに逃げるつもりは微塵もなく、レイモンドに体重を預け、大きな背中に腕を回した。愉快な気持ちが落ち着き、今はひどく穏やかな、満ち足りた気持ちに包まれる。

「今の貴女は、妖精みたいに可憐だ」
「だから閉じ込めたの?」
「そう。俺だけのものにするために」

 顎を掬い、レイモンドの唇が重なる。
 グレイスは目を閉じて、うっとりとその心地よさに酔いしれる。

(レイ……)

 小さな少年が今や立派な男性となって自分の夫となった。

 彼は孤独で辛い幼少期にグレイスと出会い、その後もずっとグレイスだけを想い続けて生きてきた。そんな彼がひどく愛おしい。痛々しいほど真っ直ぐで、一途な想いをぶつけられて、どうして愛さずにいられようか。

「レイ。愛しているわ」

 グレイスの告白にレイモンドは微かに目を瞠り、次いで力いっぱい抱きしめ、振り絞るような声で「俺もだ」と答えた。

「貴女に会えて、俺は救われた。色褪せた毎日に色がついて、牢獄で過ごすような生活の中で、生きる希望が湧いたんだ」

 正直、グレイスはレイモンドにそこまで想われるようなことをした覚えはない。ただ話相手として短い期間一緒にいただけ……。そのお返しがこんなにも大きな愛で返ってきて、自分はそれに見合うものを与えられているか不安になった。

「……わたし、あなたに何かしてあげたいの。何か欲しいものとか、してほしいこと、ある?」

 顔を上げてグレイスが真摯に問いかければ、レイモンドはふっと笑った。

「そんなこと言われると、とんでもないことをお願いするぞ?」
「わたしにできることなら、何でもするわ」

 グレイスの返答にレイモンドは悩ましげな顔をして、こめかみに口づけを落とした。

「それじゃあ、グレイスに強欲になってほしい」
「強欲?」

 グレイスにはあまり聞きなれない言葉で、不思議そうにレイモンドを見つめ返した。

「そう。他の者に対しては、今までどおりの清らかな貴女でいい。でも俺に対してだけは貪欲な……非常に欲深い貴女でいてほしい。優しさだけで俺を愛さないで、むき出しの欲望で俺を求めて、俺だけを愛してほしいんだ」
「むき出しの欲望……」

 まさかそんなことを願われるとは思わず、グレイスはレイモンドの言葉を何度も頭の中で反芻する。

 グレイスにとって人を愛するということは、相手を思いやり、どんな時でも大事にすることで、自分の欲望を優先するのは愛ではないと思っていた。

「わたしがそうなると、レイモンド様は嫌ではないのですか?」
「いいや、ちっとも。むしろ嬉しい」
「そ、そうですか……」

 レイモンドならば、悪女になったグレイスでも愛しそうだ。

(どんなわたしでも受け止めてくれるのは、嬉しい)

 グレイスも本当にレイモンドが悪党になったとしても、愛するだろう。

 しかしいざ自分が悪女のようになれと言われても、困ってしまう。

(難しいわ……。悪女ってどんな感じかしら? レイモンド様が他の女性と親しくしている時に嫉妬する? ……あぁ、でも、わたしが見ていたことに気づいたら、きっとレイモンド様はこちらへ笑いかけて、わたしの方へ来るか、手招きして呼び寄せるはずだわ……)

 嫉妬する必要がないとレイモンドは事前に教えてくれる。貪欲さが育つ暇などない気がした。

 うんうん悩み始めるグレイスに、くすりとレイモンドは笑う。

「すまない。今すぐにそうなってほしいわけじゃない。ゆっくりとでいいんだ。そのためには俺自身、貴女が想い続けてくれるような立派な男にならないといけないしな」

 頑張るよ、とレイモンドは屈託ない表情で笑って宣言した。

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