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あの日の約束
しおりを挟む帰宅後。グレイスがレイモンドの居場所を家令に尋ねれば、温室にいると教えてくれた。
外からは見たことがあったが、まだ中へ入ったことがなかった。彼が見せたいと言っていたが、他に二人で楽しむことがたくさんあって幸せだったから……。
レイモンドも、そうだったのだろうか。
(眩しい…)
中は広く、天井は高かった。
そしてガラスのおかげでふんだんに陽光が差し込み、緑の木々と花々を美しく輝かせていた。どの花も金粉をまぶしたようにキラキラ光って見える。
どの花も、同じだと思っていた。
孤児院から届いた花も、婚約中に届けられた花も、すべて――
レイモンドは温室の一番奥の部屋にいた。背を向けて、花瓶に花を飾っていた。
その背中にゆっくりと近づいていき、グレイスは後ろからそっと抱き着く。彼を抱きしめたかった。
「王宮には行ってきたか?」
気配は感じていたのか、レイモンドは驚かず、静かに口を開く。
「はい。――お話も、すべて聞きました」
そうか、と呟いた。
「どうしようもない人たちだろう?」
前へ回ったグレイスの手の甲に、レイモンドの手が重なる。
「他人に散々迷惑をかけておきながら呆気なくこの世を去るなんて、どこまで勝手な人たちなんだろうと俺は思ったよ」
「……レイモンド様は、ご両親についていつ知りましたの?」
「いつだったかな……。物心ついた時には、父が……レディング公爵が俺を汚らわしいような、ゾッとする目で見ていてね、母に相談したら、『それはおまえがあの人の子どもではないからよ』ってあっけらかんと教えてくれた時かな」
マデリーンは不貞を犯したことに何ら罪悪感を抱いていなかった。むしろ――
「母は父と別れられる理由ができて、嬉しがっていた。田舎の広い領地に縛り付けられるのが嫌で、わざわざ俺を連れて王宮へ行き、魔力検査をしてもらった。別の男の魔力が混じっていると言われ、それを証拠に父に離縁を申し出たんだ」
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「でも母は別に、浮気相手の男を愛しているわけでもなかった。あの人はただ自由になりたかったんだ。そんな母に男たちはみんな執着した。愚かだろう? 実父から母宛てに手紙がしょっちゅう届いていたさ。きみに会いたい。今度こそ本当の結婚をしようって。それを母はサッと目を通しただけで暖炉の火にくべていた。本当に愛していたわけじゃないんだ。それで不摂生な生活を送って、ある日呆気なくあの世へ逝った。浮気した男は毒を仰いで、公爵もその後病に罹って母の後を追いかけた。本当に――」
馬鹿みたいだ、と彼は乾いた声で笑った。
「なんであんな女に惚れたんだろうって、今でも理解できないんだ」
グレイスは何か言いたかったが、どんな言葉でも彼を慰めることはできない気がして、代わりにぎゅっとさらに身体を密着させた。彼が大丈夫だと言うように手を撫でてくる。
「グレイス。ティルダ王妃は罪悪感を抱いていらっしゃっただろう? だが俺からすれば、それは間違いだ。こちらの方が迷惑をかけて申し訳ないとずっと思っていた。エルズワースの王族が起こした他の不祥事なんて、俺の両親たちの出来事と比べれば、ちっぽけなことだよ。王家やバートラムの役に立てるなら、喜んでこの身を捧げようと思った」
それが彼なりの恩返しだったのだろう。
「……あなたには、何の責任もないわ」
グレイスが絞り出すような声で言えば、レイモンドが身じろぎする。振り向くかと思ったが、彼女の手を解き、自分との違いを確かめるようになぞった。
「貴女はやっぱり強くて、優しいな……」
「あなただって、強くて優しいわ」
その言葉にレイモンドが身体の向きを変え、こちらを見た。グレイスの顔を見て、彼は困ったように微笑む。
「じゃあ、すべて貴女のおかげだ」
「……どうして?」
「貴女の優しさと強さが、俺を変えてくれたから」
目尻に溜まっていた涙を、愛おしげにレイモンドが拭ってくれる。
「グレイス。以前、ジェイクと重ねた少年の話をしてくれただろう?」
『あの子の泣いている姿が、昔、会った少年の記憶と重なったのです』
駆け落ちする途中、列車に乗っている時に話した会話が蘇る。
「その少年は今、とても幸せなんだ」
レイモンドは断言した。どうして彼にわかるのか。そもそもどうして今彼のことを話すのだろう。
いつも寂しそうな表情をして、いつかまた必ず会うと約束したレイのことを……。
『なんだか孤児院からもらっていた花を思い出してしまって』
『ああ。姉様宛てに、しょっちゅう届いていたものね』
『俺にもまったくわからないが……たまたま同じ花を選んでいるから、そう見えるだけじゃないか?』
『十二歳とは思えないくらい痩せ細っていたんだ』
『レイモンドが、ずっと好きだった理由がわかる』
『レイモンドにとって貴女はとても大切な人で、希望だったと思うの』
もしかして、といつからか思い始めていた真実が、いくつもの欠片を手がかりに、一つに収束していく。
『俺はずっと前から貴女のことが好きだ。ずっと貴女だけを――』
「あなたがレイなのね」
グレイスの答えにレイモンドは正解だと告げるように微笑んだ。
「あぁ、俺がレイだ」
グレイスはレイモンドを食い入るように見つめ続けた。
自分で答えを出したものの、まだどこか信じられない気持ちがあった。だが彼は否定しない。真実がゆっくりと心に馴染んでくると、胸に湧いたのは罪悪感だった。
「ごめんなさい。わたし、ちっとも気づかなくて……」
レイモンドは笑って、無理もないと言った。
「当時の俺はチビで、痩せていた。髪の色も違っていたしな」
「そう。あの子、黒髪をしていたから……」
「レディング公爵に髪を染められていたんだ。金色から黒にすれば、自分の子だと証明できるかもしれないって……。結局魔力の有無で、血の繋がりはないってあっさり証明されてしまったから意味はなかったんだが」
父親――たとえ血は繋がっていなくても保護する立場の大人から、無理矢理髪の色を変えられたと知り、グレイスは言葉を失う。その時のレイモンドは一体何を思ったのだろう…。
「目を合わせるのが苦手で、下を向いたり、前髪で隠れるようにしていたから、それも気づかなかった要因だろう。背も貴女より低くて、年下に見えただろうな」
レイモンドの言うとおりだった。グレイスは彼を――レイを自分よりも年下の、守るべき対象として見ていた。
(それでも……)
「あなたと約束したのに……あなたはずっとわたしのことを覚えていてくれたのに……」
「グレイスだって、忘れていなかったじゃないか」
また目を潤ませ、涙を流すグレイスを慰めるようにレイモンドは優しく告げた。
「なぁ、グレイス。俺は貴女が、ジェイクと俺の小さい時と重ねたと聞いて、ああ、やっぱり貴女は変わらないんだなって思った。自分のことよりも他人のことを心配して、幸せを願える、強くて優しい女性。俺が好きになった女の子は昔から何も変わらないままだって知って、とても嬉しかったんだ」
「レイモンド様……」
彼はグレイスの両頬を優しく挟んで、額を合わせる。
彼女は背伸びして、レイモンドを力いっぱい抱きしめた。彼もまた、グレイスを離さないよう背中に腕を回す。
「グレイス。あの時から俺はずっと貴女の存在に救われていた。ずっと貴女が好きで、愛しているんだ」
レイはとっくにグレイスとの約束を果たしていた。そして今とても幸せだと教えてくれた。安堵と嬉しさでグレイスは胸がいっぱいになり、泣きながらレイモンドの言葉に何度も頷き返した。
「……でも、どうしてすぐに教えてくれなかったの?」
ようやく涙が止まって気持ちが落ち着くと、グレイスは改めて湧いた疑問を口にする。
「理由はいろいろある。言っても信じてもらえないかもしれないことや……両親のことを話すのが怖くなった。本当の俺は貴女と釣り合うような人間じゃないから」
「そんなことないわ」
レイモンドはアンドリューのことで困っていたグレイスのもとへ颯爽と現れ、危機を救う立派な王子様になっていた。
「……ありがとう。そんな貴女だから、もっと似合う人間になりたかった。貴女の記憶の中だけでも、俺は立派な男に成長していたかったんだ」
レイモンドはそこでばつの悪そうな表情で白状する。
「バートラムから聞いたと思うが、俺は一時期荒れていたんだ」
(そういえば……)
『当時のレイモンドは少し……いや、だいぶ荒れていたな……。苛立ちとか人生に対する絶望とか、もうどうでもいいような雰囲気を身体中にぷんぷん纏って、一人ちびちびと酒を飲んでいた』
「実は一度、貴女に求婚しに行こうと思ってイングリスへ帰ったんだ。アンドリューの噂も聞いていたから、俺にもチャンスがあるんじゃないかって。でも、貴女はアンドリューと笑っていた。それを見て……グレイスは俺の力がなくてもアンドリューとやっていけるんだって悟った」
それでひどく打ちのめされてしまったそうだ。
まさか自分が原因だったと知り、グレイスは呆然とする。
「それでも貴女のことが気になって、孤児院の名前を借りて花を届けたり、アンドリューと上手くいっているかどうか調べさせていた。はは。こうしてみると、俺も公爵や実の父親と同じだな……。貴女が好きで、諦めなければならないのに諦めきれなかった」
(レイモンド様の中で、わたしはそんなに大きな存在だったんだ……)
気づかなかったことにまた罪悪感が湧く。でも謝るのは違う気がして、グレイスはレイモンドの手を両手で包み込む。
「レイモンド様……レイ。わたしをずっと想っていてくれてありがとう。あなたのおかげで、わたし、今とても幸せなの」
「グレイス……」
レイモンドはくしゃりと顔を歪め、積年の思いが溢れ出たように肩を震わせて泣き始めた。そんな彼を今度はグレイスが抱きしめ、慰めた。ありがとう、と何度伝えても言い足りない言葉を贈りながら。
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