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求婚者は遊び人

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 レイモンドは大人しく帰って行った。

 彼はまずグレイスにだけ話をするつもりで訪れたようで、父には突然の訪問に対する詫びと簡単な世間話に留めて、求婚の話はしなかったらしい。

(まぁ、ばれてしまっているのだけれど……)

 玄関先であんな大っぴらにしたのだ。知らない方がおかしい。
 それでも父があえて知らない体で何も訊かず、レイモンドをあっさりと帰させたのは、さすがと言うべきか。

(いいえ、結婚させる気がないから、単に話に乗らなかっただけね……)

「――それで、姉様。どうするの?」
「そもそもグレイスは、レディング公爵と知り合いだったのかい?」

 沈黙を貫く父と違い、兄妹は興味津々に尋ねてくる。……普通はこちらの反応が正しいのだと思う。

「どうしようかしらね。いきなりすぎて、わたしも驚いてしまって……。レディング公爵とは、一度もお会いしたことがないのよ?」
「本当に一度もお会いしたことがないの?」
「ええ……。閣下の方はわたしのことを知っているご様子だったから……王宮にいる時に、どこかで見たんじゃないかしら? お兄様は何かご存知?」

 マーティンは記憶を辿るように眉間に皺を寄せた。

「どうだろう……。僕はおまえと違って、あんまり参内する用事もなかったからね……。しかし、閣下は本当におまえを見たんだろうか」
「どういうこと?」
「噂では……閣下は半ば監禁されるように離宮で過ごされていたと聞く」

 「監禁」という物騒な言葉にグレイスとパトリシアは小さく息を呑んだ。

「これもあまり表では語られない内容だけれど、亡くなられた王女殿下――マデリーン様が王都へ戻ってきたのも、夫である公爵以外の男性を身籠ったからと噂されていたんだ」
「まぁ……」
「王族ってみんな節操がないの?」

 うんざりした様子で零すパトリシアに、「あくまでも噂だけどね」と兄は肩を竦めた。

「何だか他にもいろいろと事情がありそうな方ね……。これまでずっと隣国で暮らしていたのでしょう? そちらでの私生活をきちんと調べた上でお返事した方がいいと思うわ」

 パトリシアがそう言えば、兄もそうだねと同意する。

「勝手に調べてもいいのかしら……」
「お姉様の一生に関わることだわ。必要なことよ。それに姉様だって、私や兄様が逆の立場だったら、そうするでしょう?」
「……そうね」

 大事な家族を見知らぬ相手に任せることはできない。
 パトリシアたちも同じ気持ちで調べようとしているとわかり、グレイスは反対することをやめた。

(でも……)

『俺が貴女を好きで、これから共に歩んでいきたいという気持ちに嘘偽りは一切ない』

 あの時のレイモンドの表情は決して、嘘ではない気がした。

「とにかく、もう少しだけ時間を置いて考えてみよう」

 兄がそうまとめ、数日が過ぎた。
 レイモンドの向こうでの生活がいろいろわかったので、客間にまた兄妹で集まって、報告を聞くことにしたのだが……。

「とっかえひっかえ女性と派手に遊んでいた、ねぇ……」
「まぁ……男性とも?」
「彼に泣かされた相手は後を絶たない、か……」

 予想以上の報告に、三人は口を噤み、重い沈黙が落ちた。

「あのクソ王子と同類じゃない」

 怒りを通り越して、呆れた口調でパトリシアが呟いた。

「というより、多くの女性を相手にしている分、アンドリュー殿下よりなお性質が悪い、のか?」
「婚約者のいる身で他の女を身籠らせた男も十分クズよ」

 つまり種類は違えど、クズであることに変わりはなかった。しかもどちらも女性関係。

(血は争えないのね……)

 いやしかし、とグレイスは思い直す。

「まだ、そうと決まったわけではないわ」

 あくまでもこれは、聞き込みで手に入れた情報に過ぎない。実際に己の目で見たわけではない以上、鵜呑みにするのはよくない。
 冷静にそう考えたグレイスだが、パトリシアには呆れたようにため息をつかれた。

「もう。お姉様ったら、どうしてそうお人好しなの? こうまでとんでもない噂が出回っているのだから、白か黒で言えば、黒だと思うのが普通でしょう?」
「パトリシア。それがグレイスのいいところでもあるんだよ。だから最初は頑なだったアンドリュー殿下も徐々に絆され……グレイスに心を開いてくれたんじゃないか」
「だからってそれまでの失礼すぎる振る舞いがチャラになるわけじゃないでしょ。謝ればすべて許してくれると思っている掌返しの溺愛が腹立つのよ。……まぁ、確かに姉様以外の女性だったら早々に音を上げただろうし、あそこまで殿下が変わることはなかった、ってのは事実だろうけれど……」

 でも! とパトリシアは眦をキッと吊り上げた。

「姉様にはあんな男と縁切りして、こんな遊び人の相手でもなく、真面目で誠実な、今度こそ姉様を幸せにしてくれるような完璧な殿方と結婚してほしいの! だから公爵閣下との結婚は認められないわ!」

 グレイスがパトリシアの毅然とした態度に圧倒されて何も言えなくなっていると、兄がやれやれといった様子でため息をついた。

「パトリシアはいつも直球だな。そういう所はもっと直していかないと、貴族世界ではやっていけないと父上にいつも言われているだろう?」
「こんな大事な時にはっきり言わないで、いつ言うっていうの?」
「まったく……。しかし、今回ばかりは否定できないな。――グレイス」

 いつも弱々しい表情を浮かべがちな兄が、今はきりりとした、実に頼もしい表情で言った。

「僕もパトリシアと同じ意見だ。おまえは今までずっと……それこそ小さい頃から、大人の事情に振り回されてきた。いい加減見限って、今度こそおまえ自身の幸せを求めても、文句を言う資格は誰にもないはずさ」
「お兄様……」

 兄と妹が自分の幸せを願っていることに、グレイスは胸が熱くなった。
 パトリシアがまだ物心つく前に母が亡くなり、それからずっと、三人は互いを慰めて、共に励まし合いながら生きてきた。大事な兄妹。大切な家族。その絆を強く噛みしめていた三人だったが……。

「――グレイス。ここにいたのか」

 部屋へ入ってきた父は、グレイスを見ると、すぐに出かける準備をするよう命じた。

「王宮へ、行くのですか?」
「ああ。あの庶子についての話し合い、そして、おまえとアンドリュー殿下のことを話しに行く」

 嫌な予感がした。

「ねぇ、お父様。まさかまだお姉様をあの王子と結婚させるつもりなんて、ないわよね?」

 パトリシアが恐る恐る尋ねれば、父は冷めた眼差しで、注意した。

「口の利き方には気をつけろといつも言っているだろう。アンドリュー殿下はいずれおまえの義兄になるお方なのだから」

 パトリシアは目を瞠った。兄も同様だ。グレイスだけは心のどこかで(やっぱり……)と思った。

「父上。それはあんまりではないのですか」
「そうよ! 何を考えているの!?」

 数日前と同じやり取りが繰り返されることを見越した父は、背を向けて、部屋を出て行こうとする。

「とにかく、共に王宮へ来なさい。おまえは当事者なのだから」

 グレイスが逆らうことは許されなかった。

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