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公爵の求婚

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「すまない。少し、気持ちが先走り過ぎたみたいだ」

 レイモンドと出会うのは初対面だ。それなのに出会ってすぐ、玄関先で求婚され、グレイスだけでなく、使用人や様子を見に来た家族もみな、固まった。

「……あの、わたしを驚かせようとして、嘘をついた、とかそういうのではありませんよね?」

 ひとまず客間に案内し、レイモンドと二人で話すことにしたグレイスが未だ混乱する頭でそう尋ねれば、彼はいささかムッとした様子で口を曲げた。

「俺は嘘や冗談の類は好きではない。そもそも冗談で求婚するなんて最低な行いだ」
「そ、そうですわよね……」

 グレイスもそれはわかっているのだが、どうしても突拍子すぎて、信じられない。

「その、どうしてわたしに結婚を申し込んだのでしょうか?」

 グレイスの疑問はもっともであろう。
 レイモンドはじっとグレイスの顔を見つめてくる。とても真剣な表情なのだが……何を考えているのか、今日初めて会ったばかりのグレイスには読み取ることができなかった。

「あの、閣下……」
「以前、貴女を王宮でお見かけした。その時に、結婚できればと思っていた」

 レイモンドの言葉にグレイスは目を丸くする。

「それは一体いつのことでしょうか?」
「まだ俺が隣国、エルズワース王国へ留学する前の時だから……けっこう昔になるな」

(確か閣下が留学なさったのは……十二歳の頃、だったかしら……)

 彼はグレイスより二歳年上で、現在二十四歳だそうだ。彼女には一切面識の記憶がないが、アンドリューの婚約者として、王宮にちょくちょく出かけていたのは覚えている。その時、遠目からでも見たということか。

(でも、まだわたし、ほんの子どもだったわ……)

「信じていない様子だな」
「決して閣下の言葉を疑っているわけではございません。……ですが、わたしは特に秀でた才能や美貌も、持ち合わせない、どこにでもいる普通の子どもでしたから……」
「そんなことない」

 レイモンドがきっぱりと否定する。

「貴女は優しくて、とても素敵な女性だ。俺にとって、女神や天使と同じ存在だ」
「め、女神や天使と同じ……」

『グレイス。きみは本当に天使のように慈悲深い女性だ』

(閣下は、やはりアンドリュー殿下の従兄なのね……。表現の仕方が似ているわ)

「…………過分に褒めていただいて、光栄ですわ」
「世辞ではない。本気だ」

 真摯で、熱のこもった眼差しに、グレイスは反応に困ってしまう。
 どうも彼は幼い頃からグレイスのことを一方的に知っているみたいだが、彼女からすれば今までずっと知らなかった相手なので、好きだと言われても素直に信じられない気持ちが強かった。

 レイモンドもそんなグレイスの心情を察したのか、長い脚を組んで、小さくため息をつく。そうした仕草も、一々様になっていた。

「貴女の様子では、俺との結婚は受け入れてもらえないようだ。では、言い方を変えよう。――貴女は今、窮地に立たされているはずだ」

 何が、と改めて聞く必要はなさそうな鋭い双眼で見つめられる。
 どうやらレイモンドは、すでにアンドリューのことを知っているようだった。

(もう隣国にまで話が広がっているのかしら……)

 キャンベル公爵はそこまで手を回していたのか……あるいは、リアナが保護されたという施設の人間が、育っていくジェイクの容貌に何かを見抜いたのか……。
 グレイスは迷ったものの、レイモンドの言葉を認め、小さく頷いた。

「……ええ。おっしゃる通りです。わたしは今、難しい立場に立たされております」
「そうか……。アンドリューは俺の従弟だが……貴女に散々無礼な振る舞いをしてきた。本当にひどいやつだ……。大変申し訳なかった」

 まるで我が事のように頭を下げるレイモンドにグレイスはぎょっとする。

「そんな! 閣下に謝っていただくことではございません! どうか頭をお上げください!」
「いや、あいつの代わりに謝らせてくれ」
「そんな……」

(本当に、困ってしまうわ……)

 レイモンドはグレイスより年上である。
 しかも王族の親類である彼にグレイスを敬うような、恐縮した態度を取られ、大変調子が狂ってしまう。

「……まさか閣下は、アンドリュー殿下の責任を取るために、代わりにご自身でわたしと結婚しようと考えたのですか?」

 だとしたら、とんでもない話だ。絶対に止めなければならない。

「いや、それは関係ない。俺はどちらかと言えば、今回の出来事をきっかけに、傷心している貴女の心に付け入ろうとしている、最低な男だ」
「まぁ……」

 レイモンドは自分で「最低な男」と述べて、実に潔く胸の内を明かす。ますますよくわからない人だ。

「俺は貴女と結婚したい。恐らく王室は、まだ貴女とアンドリューとの結婚を諦めないだろう。貴女も、このまま結婚することに乗り気ではないはずだ。だから俺を利用して結婚することが一番の策になると思う。あぁ、安心してくれ。結婚したからといって、貴女を縛りつけるつもりはない。白い結婚のままがいいと言うなら、もちろんそれでも構わないし、俺の財産も好きなように使って構わない。他に欲しいものやして欲しいことがあるなら、俺が絶対に叶えて――」
「お待ちください」

 放っておけば、永遠に自分と結婚するメリットを語り続けると思われるレイモンドの話を、グレイスは一度中断させた。そしてどうしたものかと思案するように、一瞬膝の上に置かれた手を眺め、再びレイモンドを見る。彼は不安と緊張の入り混じった顔をしていた。

「閣下がわたしと結婚したいというお気持ちはよくわかりました。ですが……正直、まだ結婚する気にはなれません」
「アンドリューに未練があるのか?」

 グレイスは困ったような、寂しげな笑みを浮かべた。

「いいえ……。こうなったからには、もうアンドリュー殿下と結婚する道は歩めないと、わたしもわかっております。彼も、そのことは理解なさっているでしょう」
「……どうだかな。俺はやつがそう簡単に貴女を手放すとは思えない。それほど貴女は、素晴らしい女性だから。それに、貴女のお父上はどうなのだ。国王陛下にも頼りにされている彼は、娘を未来の王妃にすることをそう簡単に諦めきれるお人か?」

 グレイスの曇った表情に、レイモンドはやはりそうだろうなとため息をついた。

 それで何だか見放されたような気持ちになったグレイスは、堪えきれず顔を俯かせてしまう。レイモンドに一つ一つ指摘されて、急に現実を――一番選びたくない未来に拘束されてしまうかもしれないと思って、怖くなったのだ。

(わたしはお父様や陛下、殿下たちに逆らえないままなのかしら……)

 重たい沈黙が流れる。お客様を困らせてはいけないから、早く何か言わなくてはと思うものの、いつになく言葉が出てこない。

(どうしよう……)

「――グレイス」

 足元に、革靴が見えたかと思えば、優しい声と共に、レイモンドの顔が目に映り込んだ。
 彼は跪いて、グレイスに伝えた。

「グレイス。今日初めて会ったばかりの貴女が俺を信じられないのは無理もない。――だが、俺が貴女を好きで、これから共に歩んでいきたいという気持ちに嘘偽りは一切ない。だからどうか、俺を選んでほしい」

 どこか恋い焦がれるような、ただひたむきに想いを伝える表情に、グレイスは言葉を失う。どれくらい時間が過ぎたか。暖炉の上に置いてある置時計の秒針の音さえ聞こえる程の静寂が場を満たして――

「……少し、考えさせてください」

 ようやくグレイスは何とかそう答えたのだった。

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