上 下
5 / 45

王女の一人息子

しおりを挟む
 それまで子どもたちの会話に加わらず、一人酒を飲み続けていた父が、断言する。
 兄が困惑した表情で確認する。

「父上……正気ですか。グレイスをこのまま殿下と結婚させるなんて」
「ああ、もちろんだ」
「だけど子どもがいるんですよ? この国の世継ぎが……。宮廷魔術師に、血筋も確かに認められた。キャンベル公爵が噂を流したのも、その証拠があったからこそ、確実に王家を納得させられると思ったからでしょう」
「ふん。それがどうした。結婚もしてない女が産んだ子など、しょせん庶子としか認められん」

 いいか、と父は酒でうっすらと赤らんだ顔をしながらも、冷徹な目で告げた。

「子どもを身籠っておきながら、結局戦うこともせず逃げる道を選んだ女に、妃が――国母が務まるはずがない。確かに王族の尊い血は引いているだろう。だが生まれた瞬間を、この国の人間の誰が見届けた。誰が祝福した。血筋だけではない。国の世継ぎというのは、周囲の期待と祝福があってこそ、正統性を得られるのだ。あの坊やは一生、見る者に後ろ暗い感情を抱かせ、下手すれば猜疑心を抱かせ続けるだろう。それでまともな王太子になれると思うか?」
「それは、周囲の大人の対応次第でしょう」

 黙り込んだ兄妹に代わって、グレイスが静かに答えた。

「こうなった以上、わたしはもう殿下と結婚するつもりはございません。婚約は破棄なさってください」
「だめだ。おまえは王妃になるのだ。あんな女、愛人の地位に置いておけば、勝手に自滅する。世継ぎはおまえが産めばいい」
「お父様……」

 父はどうあっても、グレイスを王妃にしたいようだ。

「何なの、お父様。さっきからその言い分は。お姉様のこと、ちっとも考えていない。自分の浅ましい欲ばかり優先して、それでも父親なの!?」
「パトリシア。おまえは黙っていなさい」
「嫌よ! お姉様が不幸になるってわかっているのに、どうしてそんな道を選ばせようとするわけ!? 最低! 天国にいるお母様だって、悲しむに決まっているわ!」
「ヘレンの名前は出すな!」

 父に怒鳴られても、パトリシアは一歩も引かない。このままでは殴り合いも辞さない雰囲気に、兄が間に入って止めようとするが、両者ともまるで聞く耳を持たない。

 どうしたものか……とグレイスが途方に暮れていると、ちょうど扉を開けて家令が入ってくるのが目についた。祖父の代から勤めている彼はさすが、こんな状況でも冷静さを失わずにいる。

「グレイス様。旦那様。お客様でございます」
「わたし?」

(まさか殿下?)

「まさかクソ王子が現れたんじゃないでしょうね!?」
「パトリシア。仮にも王太子なんだからクソはやばいよ」
「ほらみろ。殿下はやはりあの女ではなく、グレイスを妃に選ぶつもりなのだ」
「お父様たちは少し静かにして。……それで、誰なの? 本当に殿下なの?」

 どこか冷めたようにも見える眼鏡の向こうの細長い目が、グレイスに向けられる。
「いいえ、アンドリュー殿下ではございません。ですが、高貴な方であることは間違いございません」
 家令はグレイスを見ながら、隣国で暮らしていた貴公子の名前を告げた。

     ◇

「初めまして、グレイス嬢。突然訪ねてきてしまって、大変申し訳ない」

 その男は階段から降りてくるグレイスを眩しそうに見上げ、トップハットを手にしていた手を前へ持ってきて、優雅にお辞儀した。

 レイモンド・レディング。

 イングリス国王陛下の妹――マデリーン王女の一人息子であった。

 この王女は、大勢の男が跪いて愛を乞うほどの大変美しい容姿をしていたという。王女はそんな男たちの愛に気紛れに応えてやりながらも、最終的にはレディング公爵のもとへ降嫁した。

 しかし数年後、夫婦生活が上手くいかなかったのか、王女は公爵と縁を切るために、まだ幼かったレイモンドと共に王都へ帰ってきた。離婚はしなかったが、別居状態が続いていた。醜聞を恐れてか、王女は以前よりも人前には姿を現さず、ひっそりと暮らしていたそうだが……裏で隠れて派手に暮らしていたとも聞く。

(その後病で早くに亡くなられて、ご子息であるレイモンド様は外国へ留学していたはず…)

 めったに帰国することもなかった。
 母親のことで、王宮に居づらかったのかもしれない。

(それなのに、どうして今ここに……?)

「ああ、貴女はやはり可憐な人だ……」

 うっとりとした表情でレイモンドはグレイスの手を取ると、恭しく口づけを落とした。

「失礼。こんなに急に来てしまって、驚かせてしまった」
「いえ、そんな……」

 初対面であり王族でもある男性に間近で見つめられ、さすがのグレイスも緊張してしまう。

(この方、とてもお顔がいいわ……)

 まず目が引くのが切れ長の瞳だ。光のさじ加減で緑にも青色にも見える、美しい色をしている。

 やや面長の顔に、きりりとした形のよい眉や、高くてスッとした鼻、自信に満ちた笑みを浮かべる唇が完璧な位置で収まっている。顎のラインもシャープで、首は太く長く、襟足の長い蜂蜜色の金髪が片耳を露わにして見える黒のイヤーカフを際立たせていた。

 それほど美醜にこだわりはないが、美しいものを前にすると、やはりその魅力には抗えない。

「そんなに見つめられると、さすがの俺でも照れてしまうのだが……」
「あ、失礼いたしました!」

 初対面相手に無礼であったとグレイスは慌てて謝る。

「あの、とりあえず中へ入ってください」
「その前に、この花を受け取ってほしい」
「まぁ……素敵な薔薇」

 両手で抱えるのがやっとな、大輪の赤い薔薇の花束を渡され、グレイスは顔を綻ばせた。手土産の一つなのだろうが、異性からこうして花を渡されるのは初めてであり、ときめいてしまう。

「グレイス嬢」

 感激するグレイスの前に、なぜかレイモンドが跪く。

「レディング公爵閣下? 御膝が汚れてしまいますわ」
「俺と、結婚してほしい」

 レイモンドは胸元のポケットから取り出した黒い小さな箱をぱかりと開く。箱の中からカットを施されたダイヤモンドが眩しい輝きを放ち、装飾品に加工されていない宝石の美しさと圧倒的存在感を見せつけた。

(……ゆ、指輪ではないのね)

 突然の求婚に驚き過ぎて、グレイスはそんなことを思ってしまった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

処理中です...