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王女の一人息子
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それまで子どもたちの会話に加わらず、一人酒を飲み続けていた父が、断言する。
兄が困惑した表情で確認する。
「父上……正気ですか。グレイスをこのまま殿下と結婚させるなんて」
「ああ、もちろんだ」
「だけど子どもがいるんですよ? この国の世継ぎが……。宮廷魔術師に、血筋も確かに認められた。キャンベル公爵が噂を流したのも、その証拠があったからこそ、確実に王家を納得させられると思ったからでしょう」
「ふん。それがどうした。結婚もしてない女が産んだ子など、しょせん庶子としか認められん」
いいか、と父は酒でうっすらと赤らんだ顔をしながらも、冷徹な目で告げた。
「子どもを身籠っておきながら、結局戦うこともせず逃げる道を選んだ女に、妃が――国母が務まるはずがない。確かに王族の尊い血は引いているだろう。だが生まれた瞬間を、この国の人間の誰が見届けた。誰が祝福した。血筋だけではない。国の世継ぎというのは、周囲の期待と祝福があってこそ、正統性を得られるのだ。あの坊やは一生、見る者に後ろ暗い感情を抱かせ、下手すれば猜疑心を抱かせ続けるだろう。それでまともな王太子になれると思うか?」
「それは、周囲の大人の対応次第でしょう」
黙り込んだ兄妹に代わって、グレイスが静かに答えた。
「こうなった以上、わたしはもう殿下と結婚するつもりはございません。婚約は破棄なさってください」
「だめだ。おまえは王妃になるのだ。あんな女、愛人の地位に置いておけば、勝手に自滅する。世継ぎはおまえが産めばいい」
「お父様……」
父はどうあっても、グレイスを王妃にしたいようだ。
「何なの、お父様。さっきからその言い分は。お姉様のこと、ちっとも考えていない。自分の浅ましい欲ばかり優先して、それでも父親なの!?」
「パトリシア。おまえは黙っていなさい」
「嫌よ! お姉様が不幸になるってわかっているのに、どうしてそんな道を選ばせようとするわけ!? 最低! 天国にいるお母様だって、悲しむに決まっているわ!」
「ヘレンの名前は出すな!」
父に怒鳴られても、パトリシアは一歩も引かない。このままでは殴り合いも辞さない雰囲気に、兄が間に入って止めようとするが、両者ともまるで聞く耳を持たない。
どうしたものか……とグレイスが途方に暮れていると、ちょうど扉を開けて家令が入ってくるのが目についた。祖父の代から勤めている彼はさすが、こんな状況でも冷静さを失わずにいる。
「グレイス様。旦那様。お客様でございます」
「わたし?」
(まさか殿下?)
「まさかクソ王子が現れたんじゃないでしょうね!?」
「パトリシア。仮にも王太子なんだからクソはやばいよ」
「ほらみろ。殿下はやはりあの女ではなく、グレイスを妃に選ぶつもりなのだ」
「お父様たちは少し静かにして。……それで、誰なの? 本当に殿下なの?」
どこか冷めたようにも見える眼鏡の向こうの細長い目が、グレイスに向けられる。
「いいえ、アンドリュー殿下ではございません。ですが、高貴な方であることは間違いございません」
家令はグレイスを見ながら、隣国で暮らしていた貴公子の名前を告げた。
◇
「初めまして、グレイス嬢。突然訪ねてきてしまって、大変申し訳ない」
その男は階段から降りてくるグレイスを眩しそうに見上げ、トップハットを手にしていた手を前へ持ってきて、優雅にお辞儀した。
レイモンド・レディング。
イングリス国王陛下の妹――マデリーン王女の一人息子であった。
この王女は、大勢の男が跪いて愛を乞うほどの大変美しい容姿をしていたという。王女はそんな男たちの愛に気紛れに応えてやりながらも、最終的にはレディング公爵のもとへ降嫁した。
しかし数年後、夫婦生活が上手くいかなかったのか、王女は公爵と縁を切るために、まだ幼かったレイモンドと共に王都へ帰ってきた。離婚はしなかったが、別居状態が続いていた。醜聞を恐れてか、王女は以前よりも人前には姿を現さず、ひっそりと暮らしていたそうだが……裏で隠れて派手に暮らしていたとも聞く。
(その後病で早くに亡くなられて、ご子息であるレイモンド様は外国へ留学していたはず…)
めったに帰国することもなかった。
母親のことで、王宮に居づらかったのかもしれない。
(それなのに、どうして今ここに……?)
「ああ、貴女はやはり可憐な人だ……」
うっとりとした表情でレイモンドはグレイスの手を取ると、恭しく口づけを落とした。
「失礼。こんなに急に来てしまって、驚かせてしまった」
「いえ、そんな……」
初対面であり王族でもある男性に間近で見つめられ、さすがのグレイスも緊張してしまう。
(この方、とてもお顔がいいわ……)
まず目が引くのが切れ長の瞳だ。光のさじ加減で緑にも青色にも見える、美しい色をしている。
やや面長の顔に、きりりとした形のよい眉や、高くてスッとした鼻、自信に満ちた笑みを浮かべる唇が完璧な位置で収まっている。顎のラインもシャープで、首は太く長く、襟足の長い蜂蜜色の金髪が片耳を露わにして見える黒のイヤーカフを際立たせていた。
それほど美醜にこだわりはないが、美しいものを前にすると、やはりその魅力には抗えない。
「そんなに見つめられると、さすがの俺でも照れてしまうのだが……」
「あ、失礼いたしました!」
初対面相手に無礼であったとグレイスは慌てて謝る。
「あの、とりあえず中へ入ってください」
「その前に、この花を受け取ってほしい」
「まぁ……素敵な薔薇」
両手で抱えるのがやっとな、大輪の赤い薔薇の花束を渡され、グレイスは顔を綻ばせた。手土産の一つなのだろうが、異性からこうして花を渡されるのは初めてであり、ときめいてしまう。
「グレイス嬢」
感激するグレイスの前に、なぜかレイモンドが跪く。
「レディング公爵閣下? 御膝が汚れてしまいますわ」
「俺と、結婚してほしい」
レイモンドは胸元のポケットから取り出した黒い小さな箱をぱかりと開く。箱の中からカットを施されたダイヤモンドが眩しい輝きを放ち、装飾品に加工されていない宝石の美しさと圧倒的存在感を見せつけた。
(……ゆ、指輪ではないのね)
突然の求婚に驚き過ぎて、グレイスはそんなことを思ってしまった。
兄が困惑した表情で確認する。
「父上……正気ですか。グレイスをこのまま殿下と結婚させるなんて」
「ああ、もちろんだ」
「だけど子どもがいるんですよ? この国の世継ぎが……。宮廷魔術師に、血筋も確かに認められた。キャンベル公爵が噂を流したのも、その証拠があったからこそ、確実に王家を納得させられると思ったからでしょう」
「ふん。それがどうした。結婚もしてない女が産んだ子など、しょせん庶子としか認められん」
いいか、と父は酒でうっすらと赤らんだ顔をしながらも、冷徹な目で告げた。
「子どもを身籠っておきながら、結局戦うこともせず逃げる道を選んだ女に、妃が――国母が務まるはずがない。確かに王族の尊い血は引いているだろう。だが生まれた瞬間を、この国の人間の誰が見届けた。誰が祝福した。血筋だけではない。国の世継ぎというのは、周囲の期待と祝福があってこそ、正統性を得られるのだ。あの坊やは一生、見る者に後ろ暗い感情を抱かせ、下手すれば猜疑心を抱かせ続けるだろう。それでまともな王太子になれると思うか?」
「それは、周囲の大人の対応次第でしょう」
黙り込んだ兄妹に代わって、グレイスが静かに答えた。
「こうなった以上、わたしはもう殿下と結婚するつもりはございません。婚約は破棄なさってください」
「だめだ。おまえは王妃になるのだ。あんな女、愛人の地位に置いておけば、勝手に自滅する。世継ぎはおまえが産めばいい」
「お父様……」
父はどうあっても、グレイスを王妃にしたいようだ。
「何なの、お父様。さっきからその言い分は。お姉様のこと、ちっとも考えていない。自分の浅ましい欲ばかり優先して、それでも父親なの!?」
「パトリシア。おまえは黙っていなさい」
「嫌よ! お姉様が不幸になるってわかっているのに、どうしてそんな道を選ばせようとするわけ!? 最低! 天国にいるお母様だって、悲しむに決まっているわ!」
「ヘレンの名前は出すな!」
父に怒鳴られても、パトリシアは一歩も引かない。このままでは殴り合いも辞さない雰囲気に、兄が間に入って止めようとするが、両者ともまるで聞く耳を持たない。
どうしたものか……とグレイスが途方に暮れていると、ちょうど扉を開けて家令が入ってくるのが目についた。祖父の代から勤めている彼はさすが、こんな状況でも冷静さを失わずにいる。
「グレイス様。旦那様。お客様でございます」
「わたし?」
(まさか殿下?)
「まさかクソ王子が現れたんじゃないでしょうね!?」
「パトリシア。仮にも王太子なんだからクソはやばいよ」
「ほらみろ。殿下はやはりあの女ではなく、グレイスを妃に選ぶつもりなのだ」
「お父様たちは少し静かにして。……それで、誰なの? 本当に殿下なの?」
どこか冷めたようにも見える眼鏡の向こうの細長い目が、グレイスに向けられる。
「いいえ、アンドリュー殿下ではございません。ですが、高貴な方であることは間違いございません」
家令はグレイスを見ながら、隣国で暮らしていた貴公子の名前を告げた。
◇
「初めまして、グレイス嬢。突然訪ねてきてしまって、大変申し訳ない」
その男は階段から降りてくるグレイスを眩しそうに見上げ、トップハットを手にしていた手を前へ持ってきて、優雅にお辞儀した。
レイモンド・レディング。
イングリス国王陛下の妹――マデリーン王女の一人息子であった。
この王女は、大勢の男が跪いて愛を乞うほどの大変美しい容姿をしていたという。王女はそんな男たちの愛に気紛れに応えてやりながらも、最終的にはレディング公爵のもとへ降嫁した。
しかし数年後、夫婦生活が上手くいかなかったのか、王女は公爵と縁を切るために、まだ幼かったレイモンドと共に王都へ帰ってきた。離婚はしなかったが、別居状態が続いていた。醜聞を恐れてか、王女は以前よりも人前には姿を現さず、ひっそりと暮らしていたそうだが……裏で隠れて派手に暮らしていたとも聞く。
(その後病で早くに亡くなられて、ご子息であるレイモンド様は外国へ留学していたはず…)
めったに帰国することもなかった。
母親のことで、王宮に居づらかったのかもしれない。
(それなのに、どうして今ここに……?)
「ああ、貴女はやはり可憐な人だ……」
うっとりとした表情でレイモンドはグレイスの手を取ると、恭しく口づけを落とした。
「失礼。こんなに急に来てしまって、驚かせてしまった」
「いえ、そんな……」
初対面であり王族でもある男性に間近で見つめられ、さすがのグレイスも緊張してしまう。
(この方、とてもお顔がいいわ……)
まず目が引くのが切れ長の瞳だ。光のさじ加減で緑にも青色にも見える、美しい色をしている。
やや面長の顔に、きりりとした形のよい眉や、高くてスッとした鼻、自信に満ちた笑みを浮かべる唇が完璧な位置で収まっている。顎のラインもシャープで、首は太く長く、襟足の長い蜂蜜色の金髪が片耳を露わにして見える黒のイヤーカフを際立たせていた。
それほど美醜にこだわりはないが、美しいものを前にすると、やはりその魅力には抗えない。
「そんなに見つめられると、さすがの俺でも照れてしまうのだが……」
「あ、失礼いたしました!」
初対面相手に無礼であったとグレイスは慌てて謝る。
「あの、とりあえず中へ入ってください」
「その前に、この花を受け取ってほしい」
「まぁ……素敵な薔薇」
両手で抱えるのがやっとな、大輪の赤い薔薇の花束を渡され、グレイスは顔を綻ばせた。手土産の一つなのだろうが、異性からこうして花を渡されるのは初めてであり、ときめいてしまう。
「グレイス嬢」
感激するグレイスの前に、なぜかレイモンドが跪く。
「レディング公爵閣下? 御膝が汚れてしまいますわ」
「俺と、結婚してほしい」
レイモンドは胸元のポケットから取り出した黒い小さな箱をぱかりと開く。箱の中からカットを施されたダイヤモンドが眩しい輝きを放ち、装飾品に加工されていない宝石の美しさと圧倒的存在感を見せつけた。
(……ゆ、指輪ではないのね)
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