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衝撃の真実

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 ここへ来ることはもうできない。
 今にも泣きだしそうな顔を俯かせて、絞り出すような声で少年はグレイスに打ち明けた。

 どうして? と彼女が優しく、気遣うような声で問えば、理由は言えないというように少年が頭を振った。
 きっと言えない事情があるのだろうと思い、グレイスはそれ以上尋ねることをやめた。

 代わりに、亡くなった母親が言っていたことを口にする。
 人の縁は不思議だ。会えなくなっても、またいつか、きっと会える日が来ると。

 そこまで言うと、少年は顔を上げた。何かに急き立てられるような強い感情を長い前髪に隠れている瞳に宿し、グレイスの目をひしと見つめてくる。

「僕が強くなったら、必ず貴女に会いに行く。だからどうか……」

 僕のことを忘れないで、と少年は泣きそうな顔でお願いした。

 自分よりも幼い少年のお願いにグレイスは憐憫にも似た気持ちを覚え、小指を差し出し、約束した。

 ええ、もちろん。あなたのことは決して忘れない。また会いましょう、と。

     ◇

「グレイス。どうか今までの僕の振る舞いを許してほしい。これからはきみと手を取り合って、この国を支えていきたいんだ」

 腰まで真っすぐと伸びた茶色の髪に毛先だけくるんとカールしている令嬢の両手を取り、ひどく緊張した面持ちで青年は告げた。

「はい、殿下。お供させてください」

 実年齢より大人っぽい顔立ちに見えるグレイスは、微笑むと幼く、柔らかい印象を与える。
 その微笑に魅入られたように青年――この国の王太子、アンドリューはぼうっとし、だがすぐに感激したように唇を震わせ、両手にますます力を込めた。

「グレイス。きみは本当に天使のように慈悲深い女性だ。辛く当たった僕を見捨てず、妻として一緒に歩んでくれるのだから」

 グレイスは過去を思い出すように遠い目をして微笑んだ。

(本当に、いろいろあったわね)

 かつてグレイスは婚約者であるアンドリューにそれはもうひどく嫌われていた。

『僕には心に誓った女性がいる。彼女以外の女性と――きみも含めて、結婚することは絶対にない』
(わたしと結婚するくらいならいっそ死んだ方がましだ、までおっしゃっていたのに……)
「僕の運命の相手は、きみだったんだ」

 神さまもびっくりの変わりようである。

(でもこれでお兄様たちも安心してくれるはず……)

 王太子との結婚を是が非でも成し遂げようとしていた父と違い、兄や妹は、この結婚にどちらかといえば反対で、グレイスが苦労することを心配していた。

 だが今のアンドリューの様子なら、なんとか納得してくれるだろう。たとえ兄妹が認めたくなくても、父や国王夫妻、貴族の大半はすでにこの結婚を押し通そうとしているだから、認めるしかないのだが……。

「あぁ、グレイス。愛している……」
「殿下……」

 アンドリューがグレイスの肩をそっと抱き寄せ、やや童顔の甘い顔立ちを近づけてくる。
 正直結婚式まではまだ待っていてほしかったが、ここで顔を逸らすのも雰囲気を壊してしまうだろう。そう思ってグレイスが大人しく身を委ね、二人の唇が重なろうとした時――

「大変でございます、殿下!」

 バンッと大きな音を立てて侍従長が飛び込んできた。
 無粋な登場にアンドリューは不快そうに眉根を寄せる。

「一体何事だ。僕は今、愛しい人との時間を楽しんでいるんだが」
「はっ、誠に申し訳ございません。しかし、火急の用事で、オルコット侯爵家――グレイス様にも関わる重要案件でございまして……」

 ちらちらとグレイスを見る侍従長の表情はしどろもどろで、非常にまずい話のようだ。

「一体何だ」
「はい。その……殿下が長らく探しておりましたリアナ・アトリーが見つかりまして……」
「何!?」

 リアナ・アトリー。アンドリューの初恋の相手であり、三年近く探し求めていた女性である。

「本当に本人なのか?」
「は、はい。本人がそう申しておりますし、彼女を連れてきたのはキャンベル公爵でございます」

(キャンベル公爵……)

 父のオルコット侯爵とは政治的に何かと対立していた。公爵の娘をアンドリューの結婚相手に宛てがおうとしていたが、グレイスが選ばれて、ひどく悔しい思いをしているとも噂で聞いた。

(まさか……)

 自分とアンドリューとの結婚を潰すために、王太子の本当の想い人を見つけてきたというのか。
 グレイスの顔に不安の色が浮かぶ。

 アンドリューの本当の想い人が見つかったということは、自分は用無しとなり、捨てられるのではないかと思って。

 しかしアンドリューはそんなグレイスの考えを否定するように手を握りしめた。
 そしてはっきりと侍従長へ言い放った。

「今さらのこのこ現れたところで、僕の気持ちはもうグレイスにしかない。会うつもりもないし、帰ってくれるよう命じてくれ」
「し、しかしですね……」
「くどい! 何度言われても、僕は絶対に――」
「殿下のお子がいるのです!」

 叫ぶように侍従長が言った。

「……は? 子ども?」
「はい。殿下との間にできた子どもだそうです」

 真ん丸と目を見開いたアンドリューの横顔を見ながら、グレイスは思った。

(子どもはさすがにまずいのではなくて?)

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