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ヨルク
1、少年たちの会話
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「ヨルク!」
剣術の稽古が終わり、庭で休憩していたヨルクに向かって元気よく手を振る少年がいた。ふわふわとしたブルネットの髪に、青い色の目は、目尻がほんのりと垂れている。全体的に柔和な顔立ちが示す通り、内面も穏やかな性格をしているエミールは、目の前までくると息を弾ませながら言った。
「稽古終わった?」
「うん。そっちは?」
「終わったよ! だから遊ぼうと思って」
その前に腹ごしらえがしたいと言えば、エミールはふふんと誇らしげな顔をして、包みを取り出した。
「これ、一緒に食べなさいって」
「イレーネさんからもらったの?」
「ううん。キッチンに言って、昨日の料理とっても美味しかったです、って料理長にお礼を言ったら、もたせてくれたんだ」
「……そうか」
エミールは人の懐に入るのが上手い。それは彼と初めて会った時から感じたことだ。物怖じせず、自分みたいな気難しいやつとも付き合っていけるすごいやつ、とヨルクは内心一目置いていた。
(これを計算でやってたらすごいけど……別にそういうわけじゃなさそうだし……)
天然、っていうのだろうか。
「あっ!」
「な、なんだよ急に……」
ピクニックのごとく芝生の上で並んでクッキーをつまんでいると、突然エミールが大声を出したのでヨルクは驚いた。エミールは悲しげな表情をして自分を見る。
「ギーゼラのぶんも、残してあげればよかった……」
腹が空いていたこともあり、二人はあっという間に食べ終え、包みにはもはや欠片しか残っていなかった。しばし沈黙した後、ヨルクは大丈夫だというように言った。
「ギーゼラは、イレーネさんからのをもらうだろう」
「そうかな?」
「そうだよ」
乳母よりもお母様がいいと泣き喚いていた妹は、今頃イレーネの膝の上に抱かれて甘いクッキーを頬張っているはずだ。この頃しょっちゅうそういった姿を見ているので、エミールも納得したようにそうだねと表情を緩ませた。そして「あーあ」と地面に寝っ転がった。
「僕だけのお母さんだったのになぁ。すっかりとられちゃった」
「やきもちか?」
「うん。そう」
エミールは照れもせず、あっさりと認めた。ヨルクは彼のこういったところを尊敬している。この年頃の少年なら、普通は恥ずかしくて一生懸命否定するだろうに……ちょっと母親への愛が重い気がする。
「あ、いまちょっと引いたでしょ」
「人の心を読むな」
「読んでない! 顔に出てる!」
よく何を考えているかわからないと言われるが、エミールには昔からいろいろと見抜かれてしまう。それとも、彼とイレーネに出会ったから、表情豊かになったのだろうか。
「仕方ないじゃん。僕にとって、お母さんはたった一人の肉親なんだから」
肉親、と普段のエミールにはあまり似つかわしくない言葉が口から出たのは、日頃の勉強の成果だろうか。素直な彼は呑み込みも早く、家庭教師たちに褒められれば、さらに努力を惜しまなかった。
「でも、ギーゼラの泣くところは見たくないからなぁ……ここは僕が兄として譲ってやるしかないよね」
うん、と一人で勝手に納得して自分を励ましたエミールは今度は何かを思い出したようにくすっと笑った。
「ギーゼラってば本当ディートハルトさんそっくりだよね」
「父上に?」
「うん。お母さんが大好きなところとか」
「……たしかに俺たちがイレーネさんと話していると、どっちもすごく不機嫌になるな」
父の方は、表面上そうは見えないが、一緒に話しているとそれとなく部屋へ戻るよう促されることが多いので、早くイレーネと二人きりになりたいのがばればれだった。
ギーゼラの方はまだ幼いから、自分の感情を素直に母親にぶつけている。そんな娘に困った顔をしつつ、イレーネは可愛くてたまらない様子だった。むろん、ヨルクもエミールも。
「でしょう? あれ、絶対ディートハルトさんの遺伝子が受け継がれているんだよ」
自信満々にエミールは断言した。ちなみに二人は、自分たちだけの時は血の繋がっていない相手のことをそれぞれ名前で呼んでいる。幼い頃、再婚した両親の前ではきちんと家族でいよう、でも二人きりの時は無理をしない……そう、二人で決めたのだ。
ヨルクは最初イレーネのことを母親と思えなかったから、正直助かった、という思いだったが、今は逆にこの約束のおかげで母さん、と呼べることに感謝していた。
いつの頃からか照れ臭さを感じるようになったのは、それでも母さんと呼びたいと思うようになったのは、本当の母親に近い感情を抱くようになったからだろうか。
ヨルクがそんなことを考えていると、ふとエミールが顔を曇らせ、不安そうに言った。
「どっちもすごくお母さんのことが好きだからさ、大きくなったら喧嘩とかしそうだよね……そうなったらどうしよう」
「俺たちが全力で止めてやるしかないだろう」
そもそも、と思う。
「あの人のことだから、ギーゼラの感情を刺激しないよう、上手いことやると思う」
それこそ、気づいたらもう手遅れだった、みたいに。
(たぶん、あの時の母上みたいに……)
剣術の稽古が終わり、庭で休憩していたヨルクに向かって元気よく手を振る少年がいた。ふわふわとしたブルネットの髪に、青い色の目は、目尻がほんのりと垂れている。全体的に柔和な顔立ちが示す通り、内面も穏やかな性格をしているエミールは、目の前までくると息を弾ませながら言った。
「稽古終わった?」
「うん。そっちは?」
「終わったよ! だから遊ぼうと思って」
その前に腹ごしらえがしたいと言えば、エミールはふふんと誇らしげな顔をして、包みを取り出した。
「これ、一緒に食べなさいって」
「イレーネさんからもらったの?」
「ううん。キッチンに言って、昨日の料理とっても美味しかったです、って料理長にお礼を言ったら、もたせてくれたんだ」
「……そうか」
エミールは人の懐に入るのが上手い。それは彼と初めて会った時から感じたことだ。物怖じせず、自分みたいな気難しいやつとも付き合っていけるすごいやつ、とヨルクは内心一目置いていた。
(これを計算でやってたらすごいけど……別にそういうわけじゃなさそうだし……)
天然、っていうのだろうか。
「あっ!」
「な、なんだよ急に……」
ピクニックのごとく芝生の上で並んでクッキーをつまんでいると、突然エミールが大声を出したのでヨルクは驚いた。エミールは悲しげな表情をして自分を見る。
「ギーゼラのぶんも、残してあげればよかった……」
腹が空いていたこともあり、二人はあっという間に食べ終え、包みにはもはや欠片しか残っていなかった。しばし沈黙した後、ヨルクは大丈夫だというように言った。
「ギーゼラは、イレーネさんからのをもらうだろう」
「そうかな?」
「そうだよ」
乳母よりもお母様がいいと泣き喚いていた妹は、今頃イレーネの膝の上に抱かれて甘いクッキーを頬張っているはずだ。この頃しょっちゅうそういった姿を見ているので、エミールも納得したようにそうだねと表情を緩ませた。そして「あーあ」と地面に寝っ転がった。
「僕だけのお母さんだったのになぁ。すっかりとられちゃった」
「やきもちか?」
「うん。そう」
エミールは照れもせず、あっさりと認めた。ヨルクは彼のこういったところを尊敬している。この年頃の少年なら、普通は恥ずかしくて一生懸命否定するだろうに……ちょっと母親への愛が重い気がする。
「あ、いまちょっと引いたでしょ」
「人の心を読むな」
「読んでない! 顔に出てる!」
よく何を考えているかわからないと言われるが、エミールには昔からいろいろと見抜かれてしまう。それとも、彼とイレーネに出会ったから、表情豊かになったのだろうか。
「仕方ないじゃん。僕にとって、お母さんはたった一人の肉親なんだから」
肉親、と普段のエミールにはあまり似つかわしくない言葉が口から出たのは、日頃の勉強の成果だろうか。素直な彼は呑み込みも早く、家庭教師たちに褒められれば、さらに努力を惜しまなかった。
「でも、ギーゼラの泣くところは見たくないからなぁ……ここは僕が兄として譲ってやるしかないよね」
うん、と一人で勝手に納得して自分を励ましたエミールは今度は何かを思い出したようにくすっと笑った。
「ギーゼラってば本当ディートハルトさんそっくりだよね」
「父上に?」
「うん。お母さんが大好きなところとか」
「……たしかに俺たちがイレーネさんと話していると、どっちもすごく不機嫌になるな」
父の方は、表面上そうは見えないが、一緒に話しているとそれとなく部屋へ戻るよう促されることが多いので、早くイレーネと二人きりになりたいのがばればれだった。
ギーゼラの方はまだ幼いから、自分の感情を素直に母親にぶつけている。そんな娘に困った顔をしつつ、イレーネは可愛くてたまらない様子だった。むろん、ヨルクもエミールも。
「でしょう? あれ、絶対ディートハルトさんの遺伝子が受け継がれているんだよ」
自信満々にエミールは断言した。ちなみに二人は、自分たちだけの時は血の繋がっていない相手のことをそれぞれ名前で呼んでいる。幼い頃、再婚した両親の前ではきちんと家族でいよう、でも二人きりの時は無理をしない……そう、二人で決めたのだ。
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そもそも、と思う。
「あの人のことだから、ギーゼラの感情を刺激しないよう、上手いことやると思う」
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