わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

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ディートハルト

28、獣の愛*

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 ユリウスはもう以前のように幸せにしてほしいなどとは託さなかった。今のディートハルトなら、イレーネを任せられると思ったから? ――いいや、そんな殊勝な理由ではないだろう。

 ディートハルトはイレーネのいる、マルガレーテの寝室へと急いだ。彼女はそこでお茶でも飲みそうな雰囲気で長椅子に腰かけていた。

 拍子抜けする思いだったが、先ほどの妙に落ち着いたユリウスの態度が気になり、いつかと同じようにイレーネの身体をくまなく調べようと押し倒していた。彼女はここでは嫌だと言うので抱きあげて、王女の寝室へ向かう。イレーネはさらに嫌だと暴れたが、もしかするとユリウスと抱き合った証拠があるかもしれないと、彼は強引に連れて行く。

 マルガレーテを初めて抱いた夜。ディートハルトは胸を躍らせていた。喜びと幸福で満たされていた。――少なくとも、抱くまでは。いや、抱いたあとも、たぶん幸せだった。イレーネとユリウスの逢瀬を見るまで。

 最愛だった妻の寝室にいるのに、あの夜の、イレーネたちが夢中で口づけしあう姿が瞼の裏にちらつく。もう何年も前のことなのに昨日のことのように覚えている。あの後ディートハルトはイレーネの部屋に行き、彼女を迎え入れた。驚き、嫌がる彼女を組み敷いて、無理矢理、何度も――

「んっ、ふぅ、うぅ……はぁ、ぁっ、あっ……」

 あの時と違うのは、今のイレーネは、もう逃げないことだった。抵抗しても無駄だとわかって、ディートハルトの好きにさせている。唇を重ねれば、招き入れるように口を開いて小さな舌を絡ませてくる。白く柔らかな双丘に顔を埋めれば身を捩り、吸いつくような肌に唇を押し当てて赤い花を咲かせていけば、甘い声で啼いてディートハルトの髪をくしゃくしゃにかき混ぜる。

「こんなに濡らして……」

 花びらからはいつの間にか蜜を溢して、十分に濡れそぼった状態を晒し、敏感な突起を舐めてやればさらに潤いを増す。もう欲しくてたまらないというように潤んだ目でディートハルトを見つめ、繋がって奥へと挿入してくる雄茎を痛いほど締めつけて、縋るように細い手足を自分の身体に巻きつけて、もっと奥へ導くように腰を持ち上げたり、尻を健気に揺らしたりする。

「あっ、あぁ……そんなに奥、突かないでっ……んっ、大きくて、いっぱいになっちゃう……」

 すすり泣くような、我慢した声もいつしか抑えきれない、悲鳴のような甘い声に変わって、意味のない、ディートハルトを興奮させる言葉しか言えなくなる。

 もう十分、自分のものにできているはずだ。それなのにどうして、焦燥感のようなもどかしい気持ちを抱いているのだろう。何度抱いても――抱けば抱くほど、その気持ちは強くなる。手に入れなければ、と思う。そうしなければ、逃げてしまう、とも。

「ディートハルトさま……」

 ありふれたグレイの瞳にディートハルトの理性は溶かされ、自分の方がおかしくなっていく気分だった。

(イレーネ……俺はきみが……)

 彼女は確かに自分の腕の中にいるはずなのに。逃げる場所など、もうどこにもないはずなのに。まだイレーネの心を手に入れられていない。彼女は今も、変わらずハインツのことを想い続けている。

 だからユリウスも拒絶された。だから彼はディートハルトに嫉妬する必要はないと悟った。だからあんなにあっさりと立ち去ったのだ。

『おまえは必ず後悔するぞ』
『おまえには一生手に入らない』

 裏切って、切り捨ててきた人間の言葉が蘇る。きっと彼らの言う通りなのだろう。引き返す道は、あったのかもしれない。

(――いいや、そんなの関係ない)

 マルガレーテが幻想だと気づかなければ、一生自分は馬鹿みたいに道化を演じ続けていただろう。愛など知らないくせに、誰かを愛せる振りをして。悪人のくせに善人になれると思い込んで。

「あっ、だめ……もう、はいらない……」

 イレーネの声に呼び戻され、吸い寄せられるように唇を重ね、ぴちゃぴちゃと淫らな水音を立てていく。追い詰められていく理性に、彼女を離さず、一緒に堕ちていく。

 彼女が逃げるなら、一生追い続けるだけ。

 死んだ人間は生きている頃よりも美化され、いつまでも記憶に残り続けるだろうが、しょせんは幻想にすぎない。手に入れることはできない、夢みたいなもの。

 あるいは戦場で危機に陥った時、神に祈ることと同じかもしれない。仲間がばたばたと殺されていき、砦を攻め落とそうとしてじわじわ食糧が尽きていき、死んだ仲間の肉を食わねばならないほど追いつめられた地獄を味わわされても、まだほんの幼い子どもが無抵抗に嬲られて、何度助けを願っても――神は奇蹟を起こしてくれない。

 死人も神も、この世にいない存在にすぎない。

 今、イレーネと共に生きているのは自分だ。

(きみは誰にも、渡さない――)

「あっ、ぁあ……」

 愛がどういうものかは知らない。

 だがイレーネを手放したくないと思うこの感情こそ、自分の愛なのだろうとディートハルトは思った。

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