95 / 116
ディートハルト
18、報復
しおりを挟む
「この裏切り者め」
怒りのあまり感情の抜け落ちた顔でそう吐き捨てたのはヴィルヘルムではない。彼は黒の騎士団が降伏したと知ると、実に呆気なく白旗を上げた。むしろそんな息子の意志薄弱な姿勢に激怒したのは隠居したはずの前王だった。息子がだめとなれば代わりに自分が――そう息巻いた彼だったが、味方はもはやどこにもおらず、呆気なく捕縛された。
そして今、王女――女王の座を勝ち取った娘の前に引きずりだされた父親は、まず誰よりもディートハルトをそう罵った。
「よりにもよってグリゼルダなどに寝返りおって。マルガレーテのことで何か弱味でも握られたか」
ディートハルトが答える前に、グリゼルダがくすくすと笑みを零した。
「残念だったわね、お父様。ディートハルトはどうしても欲しいものがあるんですってよ」
「欲しいものだと?」
「ええ。あなたが誰よりも愛した女性の、目に入れても痛くないほどの可愛い娘を捨ててもいいと思うほどのね」
前王は目を見開いた。驚愕した様子でディートハルトに目をやり、再度憤怒の顔を浮かべ、あらん限りの言葉で婿の仕打ちを非難しようとするが――あまりにも衝撃が大きすぎたためか、口をパクパクと魚のように開いて閉じることしかできない。
そんな前王の姿に、グリゼルダが声を立てて笑う。父親の姿が面白くてたまらないというように。彼女の無邪気な笑い声が部屋いっぱいに響き渡る。
「――おまえの仕業か、グリゼルダ」
「だったらもっと満足が得られたんでしょうけれどね。違うのよ、お父様。彼は勝手にマルガレーテを選んでおきながら、自分が求めていたものではないとわかって捨てるつもりみたい。酷いわよねぇ」
でも、と彼女は前王のすぐそばまで歩いてくると、腰を折って、慈愛すら感じさせる眼差しで父親に語りかけた。
「お父様なら、理解できるのではなくて? 真実の愛を見つけたと言って、私のお母様や、他の女たちを何の躊躇いもなく捨て去ったお父様なら」
おまえが大事にしていた娘は捨てられる側だったのだと、彼女は甘い声で残酷な事実を告げた。
「この魔女め……!」
「ふふっ。いいわぁ。そのお顔。その顔がずっと見たかったのよ」
娘に食ってかかろうとする父親は当然兵たちに押さえつけられ、ぎりぎりと歯切りしながら憎悪のこもった目で実の娘を睨み上げる。そんな父を、うっとりとした目で見つめる娘のグリゼルダ。
実に歪で醜悪な親子の姿であったが、ディートハルトは特に何も感じなかった。ただあまりにもグリゼルダが幸福そうな顔をしているので、ああ、自分も彼女のようにすればよかったなとぼんやり思った。
正妻が病気で呆気なく死ぬ前に、異母弟の心を壊してやればよかった。犬に噛ませて死なせるより、可愛がっている父親の前で惨たらしく殺してやればよかった。
ひどく惜しいことをしてしまったと後悔に駆られている間、グリゼルダは満足したようだ。父親を連れて行くよう命じた。
「ああ、そうだ。壊してから処分するから、まだそのままにしておいてね」
グリゼルダに骨の髄まで心酔している騎士たちは顔色一つ変えず命令に従う。前王は威厳も忘れみっともなく喚き散らす。彼は娘が微笑むばかりで手応えがないと思ってか、最後にもう一度ディートハルトに向かって叫んだ。
「この悪魔め!」
ぱたんと扉が閉められ、静寂が戻った。
先ほどまで実に生き生きとした表情を晒していたグリゼルダはもういつもの澄まし顔に戻って、ああ、いたの、というようにディートハルトに目を留めた。もう用も済んだのだから帰れという雰囲気がひしひしと伝わってくるが、ディートハルトはまだ肝心の対価をもらっていない。
「報酬はまだお預けよ」
マルガレーテとは離婚して自分に差し出すこと、他にも女王に忠誠を誓わない人間はあぶり出すよう条件を課した。
「妹君をどうなさるおつもりですか」
「さぁ、どうしようかしら。お兄様はマルガレーテを気に入っていたし、父親の前で犯させるのもいいわね。あるいは三人でも愉しめそう。薬を飲ませて最愛の女性と思わせて……我に返った瞬間自分が抱いていた人間が誰か思い知る、っていうのもすごく捨て難いわ」
舞踏会へ着ていくドレスを考えるようにグリゼルダの口調は楽しげだった。
黙り込んだディートハルトに気づくと、目を細める。
「なぁに? 今さら可哀想になったの? やっぱりやめる? マルガレーテをお飾りの妻に仕立てて、イレーネを愛人に据えるつもり? それはそれで愉快な光景が見られそうだけど、 あの子が可哀想だからやっぱり認められないわ」
「――いいえ、そのつもりはありません」
ディートハルトはもっと有効な活用が――グリゼルダがずっと長く愉しめる使い先があると提案した。彼女はしばし考え込むように指先を口元に当てていたが、やがて艶やかに微笑んだ。
「そうね。実は熟した方が美味しいものね」
一人くらい残して最後にどんな結末を迎えるか見届けてもいいはずだ。
グリゼルダはディートハルトの提案に乗った。
怒りのあまり感情の抜け落ちた顔でそう吐き捨てたのはヴィルヘルムではない。彼は黒の騎士団が降伏したと知ると、実に呆気なく白旗を上げた。むしろそんな息子の意志薄弱な姿勢に激怒したのは隠居したはずの前王だった。息子がだめとなれば代わりに自分が――そう息巻いた彼だったが、味方はもはやどこにもおらず、呆気なく捕縛された。
そして今、王女――女王の座を勝ち取った娘の前に引きずりだされた父親は、まず誰よりもディートハルトをそう罵った。
「よりにもよってグリゼルダなどに寝返りおって。マルガレーテのことで何か弱味でも握られたか」
ディートハルトが答える前に、グリゼルダがくすくすと笑みを零した。
「残念だったわね、お父様。ディートハルトはどうしても欲しいものがあるんですってよ」
「欲しいものだと?」
「ええ。あなたが誰よりも愛した女性の、目に入れても痛くないほどの可愛い娘を捨ててもいいと思うほどのね」
前王は目を見開いた。驚愕した様子でディートハルトに目をやり、再度憤怒の顔を浮かべ、あらん限りの言葉で婿の仕打ちを非難しようとするが――あまりにも衝撃が大きすぎたためか、口をパクパクと魚のように開いて閉じることしかできない。
そんな前王の姿に、グリゼルダが声を立てて笑う。父親の姿が面白くてたまらないというように。彼女の無邪気な笑い声が部屋いっぱいに響き渡る。
「――おまえの仕業か、グリゼルダ」
「だったらもっと満足が得られたんでしょうけれどね。違うのよ、お父様。彼は勝手にマルガレーテを選んでおきながら、自分が求めていたものではないとわかって捨てるつもりみたい。酷いわよねぇ」
でも、と彼女は前王のすぐそばまで歩いてくると、腰を折って、慈愛すら感じさせる眼差しで父親に語りかけた。
「お父様なら、理解できるのではなくて? 真実の愛を見つけたと言って、私のお母様や、他の女たちを何の躊躇いもなく捨て去ったお父様なら」
おまえが大事にしていた娘は捨てられる側だったのだと、彼女は甘い声で残酷な事実を告げた。
「この魔女め……!」
「ふふっ。いいわぁ。そのお顔。その顔がずっと見たかったのよ」
娘に食ってかかろうとする父親は当然兵たちに押さえつけられ、ぎりぎりと歯切りしながら憎悪のこもった目で実の娘を睨み上げる。そんな父を、うっとりとした目で見つめる娘のグリゼルダ。
実に歪で醜悪な親子の姿であったが、ディートハルトは特に何も感じなかった。ただあまりにもグリゼルダが幸福そうな顔をしているので、ああ、自分も彼女のようにすればよかったなとぼんやり思った。
正妻が病気で呆気なく死ぬ前に、異母弟の心を壊してやればよかった。犬に噛ませて死なせるより、可愛がっている父親の前で惨たらしく殺してやればよかった。
ひどく惜しいことをしてしまったと後悔に駆られている間、グリゼルダは満足したようだ。父親を連れて行くよう命じた。
「ああ、そうだ。壊してから処分するから、まだそのままにしておいてね」
グリゼルダに骨の髄まで心酔している騎士たちは顔色一つ変えず命令に従う。前王は威厳も忘れみっともなく喚き散らす。彼は娘が微笑むばかりで手応えがないと思ってか、最後にもう一度ディートハルトに向かって叫んだ。
「この悪魔め!」
ぱたんと扉が閉められ、静寂が戻った。
先ほどまで実に生き生きとした表情を晒していたグリゼルダはもういつもの澄まし顔に戻って、ああ、いたの、というようにディートハルトに目を留めた。もう用も済んだのだから帰れという雰囲気がひしひしと伝わってくるが、ディートハルトはまだ肝心の対価をもらっていない。
「報酬はまだお預けよ」
マルガレーテとは離婚して自分に差し出すこと、他にも女王に忠誠を誓わない人間はあぶり出すよう条件を課した。
「妹君をどうなさるおつもりですか」
「さぁ、どうしようかしら。お兄様はマルガレーテを気に入っていたし、父親の前で犯させるのもいいわね。あるいは三人でも愉しめそう。薬を飲ませて最愛の女性と思わせて……我に返った瞬間自分が抱いていた人間が誰か思い知る、っていうのもすごく捨て難いわ」
舞踏会へ着ていくドレスを考えるようにグリゼルダの口調は楽しげだった。
黙り込んだディートハルトに気づくと、目を細める。
「なぁに? 今さら可哀想になったの? やっぱりやめる? マルガレーテをお飾りの妻に仕立てて、イレーネを愛人に据えるつもり? それはそれで愉快な光景が見られそうだけど、 あの子が可哀想だからやっぱり認められないわ」
「――いいえ、そのつもりはありません」
ディートハルトはもっと有効な活用が――グリゼルダがずっと長く愉しめる使い先があると提案した。彼女はしばし考え込むように指先を口元に当てていたが、やがて艶やかに微笑んだ。
「そうね。実は熟した方が美味しいものね」
一人くらい残して最後にどんな結末を迎えるか見届けてもいいはずだ。
グリゼルダはディートハルトの提案に乗った。
340
お気に入りに追加
4,937
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

姉の婚約者であるはずの第一王子に「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」と言われました。
ふまさ
恋愛
「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」
ある日の休日。家族に疎まれ、蔑まれながら育ったマイラに、第一王子であり、姉の婚約者であるはずのヘイデンがそう告げた。その隣で、姉のパメラが偉そうにふんぞりかえる。
「ぞんぶんに感謝してよ、マイラ。あたしがヘイデン殿下に口添えしたんだから!」
一方的に条件を押し付けられ、望まぬまま、第一王子の婚約者となったマイラは、それでもつかの間の安らぎを手に入れ、歓喜する。
だって。
──これ以上の幸せがあるなんて、知らなかったから。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
婚約者を想うのをやめました
かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。
「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」
最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。
*書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷
※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?
ルイス
恋愛
「アーチェ、君は明るいのは良いんだけれど、お淑やかさが足りないと思うんだ。貴族令嬢であれば、もっと気品を持ってだね。例えば、ニーナのような……」
「はあ……なるほどね」
伯爵令嬢のアーチェと伯爵令息のウォーレスは幼馴染であり婚約関係でもあった。
彼らにはもう一人、ニーナという幼馴染が居た。
アーチェはウォーレスが性格面でニーナと比べ過ぎることに辟易し、婚約解消を申し出る。
ウォーレスも納得し、婚約解消は無事に成立したはずだったが……。
ウォーレスはニーナのことを大切にしながらも、アーチェのことも忘れられないと言って来る始末だった……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる