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ディートハルト
14、思い描けない
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「ディートハルト。あなたに伝えたいことがあるの」
ある日家へ帰ると、そわそわと落ち着かない様子のマルガレーテに呼びとめられた。何だいと優しい声で尋ねれば、彼女ははにかみながら、あのねと耳元で囁いた。
「赤ちゃんができたの」
ディートハルトは一瞬言葉を失って、だがすぐに本当か? と驚いたような、けれど喜びに満ちあふれた顔をした。それからありがとうとか、楽しみだとか、どうか身体を大事にしてくれと伝えれば、マルガレーテは嬉しそうにええと頷いた。
「きっとあなたに似て、強くてかっこいい子が生まれると思うわ」
「きみに似て、可愛い子が生まれるかもしれない。そうしたら、将来が心配だな」
「もう。気が早いわよ」
夫婦らしい会話だった。まだ膨れてもいない腹を愛おしげに撫でるマルガレーテに寄り添う自分の姿は、理想の夫婦そのものだろう。近い将来、生まれてくる子どももここに加わる。そうしたら、幸せな家族の完成だ。
――ずっと、自分が求めていたもののはずだった。
しかし今のディートハルトは、それが幸せだとは思えなかった。父親になった自分を想像できなかった。家族を持つ自分に強烈な違和感を抱いた。子どもを愛せる父親になれる自信が、そんな自分が欠片も思い描けなかった。彼自身が経験していないのだから、当然だ。愛されてきたことなどないくせに、一体どうやって愛するというのか。
それとも子どもが生まれれば、自然と父性に目覚めるものだろうか。可愛いとか愛しいとか、守ってやりなどという気持ちが自然と湧いてくるものなのか。
そんな奇跡はきっと起きないだろう。ディートハルトはマルガレーテのつむじを見ながら思った。
「楽しみね、ディートハルト」
「ああ」
でも、父親が異母弟を愛している姿は見てきたから。それを真似ればどうにかなるだろう。とにかく傷つけなければ、愛していると言えるはずだ。
ディートハルトはそう思いながら、妊娠中、悪阻で苦しむマルガレーテを支えた。真実を知ってしまったからといって、急に冷たくして態度を変えることはしなかった。そんなことしても、面倒なことになるだけだからだ。
「ねぇ、ディートハルト。お医者様がね、無理をしないなら、そろそろいいんですって」
ただ、身体を繋げる気にはあまりなれなかった。
「そうか。だがきみの身体やお腹の子が心配なんだ」
だからそう言って、やんわりと断った。マルガレーテはどこか不服そうな顔をしたが、これまでの自分に対する過保護ぶりを知っているので、夫の内面には気づかず、彼が心から身重の妻を気遣っているのだと素直に受け入れた。
ディートハルトは微笑みながら、ふとイレーネにも子どもができたのだろうかと思った。彼女の足取りは未だ掴めていない。逃げる途中でハインツに捨てられて修道院に匿われているかもしれないかと思い使いを送ってみたが、だめだった。ならば娼館の方に売られたかもしれないと探している途中だが、これも空振りに終わっている。
最初はすぐに見つかるだろうと思っていただけに、もうとっくにどこかで野垂れ死んでいるのではないかと最悪な結末も思い浮かんだが、不思議とそれは違うと冷静に否定する自分がいた。
イレーネが死んでいるとは思えなかった。なぜそう思うのか、明確な理由があるわけではない。ただなんとなく……勘や直感、そういう類のものだった。ディートハルトは自分のこの勘を信じている。敵に命を狙われた時も妙に嫌な予感がして……
(ああ、そうか)
あの時の直感は、当たっていたのだ。
ある日家へ帰ると、そわそわと落ち着かない様子のマルガレーテに呼びとめられた。何だいと優しい声で尋ねれば、彼女ははにかみながら、あのねと耳元で囁いた。
「赤ちゃんができたの」
ディートハルトは一瞬言葉を失って、だがすぐに本当か? と驚いたような、けれど喜びに満ちあふれた顔をした。それからありがとうとか、楽しみだとか、どうか身体を大事にしてくれと伝えれば、マルガレーテは嬉しそうにええと頷いた。
「きっとあなたに似て、強くてかっこいい子が生まれると思うわ」
「きみに似て、可愛い子が生まれるかもしれない。そうしたら、将来が心配だな」
「もう。気が早いわよ」
夫婦らしい会話だった。まだ膨れてもいない腹を愛おしげに撫でるマルガレーテに寄り添う自分の姿は、理想の夫婦そのものだろう。近い将来、生まれてくる子どももここに加わる。そうしたら、幸せな家族の完成だ。
――ずっと、自分が求めていたもののはずだった。
しかし今のディートハルトは、それが幸せだとは思えなかった。父親になった自分を想像できなかった。家族を持つ自分に強烈な違和感を抱いた。子どもを愛せる父親になれる自信が、そんな自分が欠片も思い描けなかった。彼自身が経験していないのだから、当然だ。愛されてきたことなどないくせに、一体どうやって愛するというのか。
それとも子どもが生まれれば、自然と父性に目覚めるものだろうか。可愛いとか愛しいとか、守ってやりなどという気持ちが自然と湧いてくるものなのか。
そんな奇跡はきっと起きないだろう。ディートハルトはマルガレーテのつむじを見ながら思った。
「楽しみね、ディートハルト」
「ああ」
でも、父親が異母弟を愛している姿は見てきたから。それを真似ればどうにかなるだろう。とにかく傷つけなければ、愛していると言えるはずだ。
ディートハルトはそう思いながら、妊娠中、悪阻で苦しむマルガレーテを支えた。真実を知ってしまったからといって、急に冷たくして態度を変えることはしなかった。そんなことしても、面倒なことになるだけだからだ。
「ねぇ、ディートハルト。お医者様がね、無理をしないなら、そろそろいいんですって」
ただ、身体を繋げる気にはあまりなれなかった。
「そうか。だがきみの身体やお腹の子が心配なんだ」
だからそう言って、やんわりと断った。マルガレーテはどこか不服そうな顔をしたが、これまでの自分に対する過保護ぶりを知っているので、夫の内面には気づかず、彼が心から身重の妻を気遣っているのだと素直に受け入れた。
ディートハルトは微笑みながら、ふとイレーネにも子どもができたのだろうかと思った。彼女の足取りは未だ掴めていない。逃げる途中でハインツに捨てられて修道院に匿われているかもしれないかと思い使いを送ってみたが、だめだった。ならば娼館の方に売られたかもしれないと探している途中だが、これも空振りに終わっている。
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(ああ、そうか)
あの時の直感は、当たっていたのだ。
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