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ディートハルト
8、切り捨てて、選ぶ
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ディートハルトは帰国した。国王は聖戦の結果に実に落胆した様子であったが、先に使者が定期的に報告していたので仕方がないと事実を受け入れているようでもあった。最悪な事態にならずに済んだディートハルトの功績も労ってくれた。半ば崩壊している黒の騎士団を立て直すことも任され、期待していることを述べられた。
「褒賞に、マルガレーテとの婚姻を許そう」
いつ言い出そうかと思っていたことを国王の方から口にされ、ディートハルトは驚いた。いくら活躍したといっても、結果は惨敗であったのだから彼女を望むことは許されないと思っていた。それなのに国王はマルガレーテとの結婚を認めてくれるという。
「儂ももう長くはない。可愛いあの子を余所へ嫁がせるのはやはりやめておこうと思ってな……此度の戦を生き抜いたそなたになら、儂の大事な娘を預けられる」
ディートハルトは喜びで顔を綻ばせた。――しかし、同時にイレーネの顔も思い浮かぶ。国王もそれが気がかりであったのか、婚約者のことはどうするのだと聞いてきた。
「婚約は解消します」
迷いなく、彼は答えた。
「だが、男爵が素直に承諾するとは思わん」
「男爵は過去、違法な手口で商品を我が国に輸入しています。おそらく今も……我が公爵家には相応しくないでしょう」
見逃すから大人しく従うよう交渉すればいい。それでも反対するようならば爵位を返上させ、ついでに罰金と称して金を巻き上げると脅せばいいだけだ。
「そなたも悪いやつだな……しかし、それくらいの方がマルガレーテのことも守りきれるだろうな」
国王は彼女の母親の末路を思い出したのだろう。辛そうに目を伏せてため息をついた。
「儂の娘と結婚するからには、男爵の娘とは縁を切るように。他の女も同様だ」
言われなくても、そうするつもりだ。
ようやく、彼女が手に入るのだ。他の女などもう必要ない。
『あなたは優しい人よ、ディートハルト』
あの言葉をかけてくれたマルガレーテこそ、自分を救ってくれる者だと信じていた。
男爵は案の定怒り、本性を露わにしてディートハルトを口汚く罵った。だがやはり今の地位を脅かされると要求を呑まざるを得なかった。
「この悪魔めっ……貴様はいつか必ず後悔するぞ」
それは男爵自身の経験からだろうか。自身の妻をみすみす使用人如きに奪われ、監禁することでしか安心を得られない男爵をディートハルトは内心嘲笑していた。自分はそんな愚かな過ちはしない。本当に愛する人は決して傷つけず大事にし続ける。
「娘に謝罪すら、しようと思わないのか」
「貴殿が会わせたいのならば会うが」
ただし会っても婚約を解消するのは変わらない。わざわざ自分の口からもうおまえは用済みだと伝えてほしいならば構わないと言えば、男爵は顔を歪めた。そして二度と来るなと吐き捨てて、ディートハルトを家から追い出した。
ディートハルトは屋敷を離れるまで、イレーネの部屋に宛がわれている二階の窓を見ないよう意識していた。会ってしまえば、顔を見てしまえば、罪悪感を抱くからだろうか。それとも――
ディートハルトはそれ以上考えるのをやめた。マルガレーテに早く会いたかった。そうすれば今胸に抱いている説明のつかない気持ちも消えてくれるだろうから。
イレーネとの婚約を解消して、晴れてディートハルトはマルガレーテの婚約者となった。もうこそこそと彼女に会いに行く必要もない。これからは堂々と愛する人のもとへと行ける。
二年ぶりに再会したマルガレーテは、それはもう美しい女性に成長していた。本当に妖精のように可憐で、ディートハルトは自分の選択は間違いではなかったのだと改めて実感する。
「ディートハルト……」
彼女は目に涙を浮かべて自分の無事を噛みしめている。言葉にできない気持ちが、一筋の涙で痛いほど伝わってくる。
「マルガレーテ。貴女との約束がようやく叶う」
彼は彼女の前で跪くと、小さな手に接吻して、愛の告白をした。
「貴女を生涯愛することを誓います」
「ディートハルト……うれしいわ……」
でも、というように彼女は美しい顔を曇らせた。
「あなたには婚約者の方がいて……」
「彼女の家は、悪事に手を染めて、公爵家と王家に害をなそうとしていたのです。そんな家と、縁を結ぶことはできません」
貴女が気に病む必要は一切ない。
ディートハルトがそう力を込めて告げると、眉根を下げていたマルガレーテはほっとした様子で胸をなで下ろした。
悪い人間ならば、別れることになっても仕方がない。これまで自分たちが犯してきてしまったことは罪にはならない。神はすべて許してくれたのだと彼女は思ったようだった。
「褒賞に、マルガレーテとの婚姻を許そう」
いつ言い出そうかと思っていたことを国王の方から口にされ、ディートハルトは驚いた。いくら活躍したといっても、結果は惨敗であったのだから彼女を望むことは許されないと思っていた。それなのに国王はマルガレーテとの結婚を認めてくれるという。
「儂ももう長くはない。可愛いあの子を余所へ嫁がせるのはやはりやめておこうと思ってな……此度の戦を生き抜いたそなたになら、儂の大事な娘を預けられる」
ディートハルトは喜びで顔を綻ばせた。――しかし、同時にイレーネの顔も思い浮かぶ。国王もそれが気がかりであったのか、婚約者のことはどうするのだと聞いてきた。
「婚約は解消します」
迷いなく、彼は答えた。
「だが、男爵が素直に承諾するとは思わん」
「男爵は過去、違法な手口で商品を我が国に輸入しています。おそらく今も……我が公爵家には相応しくないでしょう」
見逃すから大人しく従うよう交渉すればいい。それでも反対するようならば爵位を返上させ、ついでに罰金と称して金を巻き上げると脅せばいいだけだ。
「そなたも悪いやつだな……しかし、それくらいの方がマルガレーテのことも守りきれるだろうな」
国王は彼女の母親の末路を思い出したのだろう。辛そうに目を伏せてため息をついた。
「儂の娘と結婚するからには、男爵の娘とは縁を切るように。他の女も同様だ」
言われなくても、そうするつもりだ。
ようやく、彼女が手に入るのだ。他の女などもう必要ない。
『あなたは優しい人よ、ディートハルト』
あの言葉をかけてくれたマルガレーテこそ、自分を救ってくれる者だと信じていた。
男爵は案の定怒り、本性を露わにしてディートハルトを口汚く罵った。だがやはり今の地位を脅かされると要求を呑まざるを得なかった。
「この悪魔めっ……貴様はいつか必ず後悔するぞ」
それは男爵自身の経験からだろうか。自身の妻をみすみす使用人如きに奪われ、監禁することでしか安心を得られない男爵をディートハルトは内心嘲笑していた。自分はそんな愚かな過ちはしない。本当に愛する人は決して傷つけず大事にし続ける。
「娘に謝罪すら、しようと思わないのか」
「貴殿が会わせたいのならば会うが」
ただし会っても婚約を解消するのは変わらない。わざわざ自分の口からもうおまえは用済みだと伝えてほしいならば構わないと言えば、男爵は顔を歪めた。そして二度と来るなと吐き捨てて、ディートハルトを家から追い出した。
ディートハルトは屋敷を離れるまで、イレーネの部屋に宛がわれている二階の窓を見ないよう意識していた。会ってしまえば、顔を見てしまえば、罪悪感を抱くからだろうか。それとも――
ディートハルトはそれ以上考えるのをやめた。マルガレーテに早く会いたかった。そうすれば今胸に抱いている説明のつかない気持ちも消えてくれるだろうから。
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「ディートハルト……」
彼女は目に涙を浮かべて自分の無事を噛みしめている。言葉にできない気持ちが、一筋の涙で痛いほど伝わってくる。
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