わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

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73、再会

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「ヨルク。こっちよ」

 舞踏会当日。ヨルクは公爵家の従者に付き添われ、登城した。イレーネの顔を見ると、ほっとした様子を見せたので緊張しているのかもしれない。

「よく似合っているわ」

 いつもより洒落た礼装に身を包んだヨルクは、ディートハルトの小さい頃を彷彿とさせた。しかし瞳の色はマルガレーテのもので、彼が二人の子どもだということを改めて実感させられる。

「お母様に会えること……どう思ってる?」
「正直、何を話せばいいんだろうって思ってる」

 マルガレーテが隣国へ嫁ぎ直したのはヨルクが五歳の時だという。突然大人の事情で母親に出て行かれ、彼は裏切られたように感じたことだろう。

「……無理はしていない?」
「無理、はしていないかな。会いたくない、っていうわけじゃないし。会いたい、って思う気持ちもあるし……でも、複雑かもしれない」

 素直に自分の心情を吐露したヨルクは、ふとイレーネを気遣うように見上げた。

「イレーネさんこそ、大丈夫なの。その……父上が母上と再会しても」

 イレーネは目を丸くして、苦笑いした。

「ええ、大丈夫よ」
「本当? 無理していない?」
「本当。ちっとも無理なんてしていないわ」
「……そっか。なら、いいや」

 従者がそろそろお時間です、と知らせてきたので、イレーネとヨルクはまた別れることになった。彼はイレーネに背を向ける寸前、怒ったような顔でこう言った。

「イレーネさんも、そのドレス、よく似合っている。すごく、綺麗だよ」

 それじゃ、と足早に去っていく少年の後ろ姿をイレーネはしばらく目を丸くしたまま見ていたが、やがてくすりと堪えきれず笑ったのだった。

 ***

 イレーネは普段付き合いのある夫人――ディートハルトからも信頼されている人間と一緒に参加して、隅の方でお喋りに興じていた。

 しかしディートハルトの妻であり、おまけに彼の前妻が今回の舞踏会に参加しているとなれば、数人の女性が好奇心から話しかけてきて、またその中にはかつてディートハルトと肉体関係を持っていた女性もおり、嫉妬や嫌味を遠回しに、または直接ぶつけられた。

「今頃、マルガレーテ様はご主人と何をなさっているのでしょうね」

 行為を彷彿とさせる言葉に、親しい友人たちは怒ってくれたが、イレーネ本人は微笑んで息子と夕食をとっていることを告げた。

「あら。本当にそう思っていらっしゃるの?」

 何を返しても、疑わしさと、わざと不安を煽るようなことしか言わないので、イレーネはもう曖昧に微笑んでやり過ごすしかなかった。

 イレーネの友人たちはますます必死に言い返してくれたが、このままでは場の空気を乱してしまうと思い、体調を理由に失礼させてもらうことにした。一緒に戻ろうかと数人が声をかけてきたが、せっかくだから自分のことは気にせず楽しんでほしいと断った。付き添ってくれた夫人にも、同じように返した。

 どうせあとは部屋へ戻るだけだからと思っていると、その途中で侍女の一人に呼びとめられた。

「女王陛下が話があるようなので、部屋で待つようにとおっしゃいました」

(話?)

「では、いつもの場所で、」
「いえ、今夜は別の部屋を用意してあるそうです」

 どこだろうと思いつつ、舞踏会が開かれている宮殿から外れた――かつてマルガレーテと彼女の母親が生活していた白亜の宮殿へと連れて行かれる。

 もしやディートハルトたちがここで食事をしているので、それに引き合わせるつもりかと思ったが、彼らはたしか別の宮殿で会っているはずだと思い直す。

 それにここはマルガレーテという主を失くして以来、放っておかれたままになっており、人気もなく、幽霊でも出そうな暗い雰囲気を漂わせていた。以前の華やかな雰囲気とはまるで違う。

 こんなところに呼び出して、グリゼルダは一体何の話をするつもりなのだろうと不安に駆られながらとある一室へと案内される。それまで寒々しい印象だったのが、その部屋だけはきれいに整えられており、家具も女性が好んで使いそうな可愛らしいものが多くて……ひょとするとマルガレーテの部屋ではないかと思った。いいや、きっとそうだ。

「あの、」
「しばらくこちらでお待ちください」
「ねぇ、でもここは、」
「もし疲れて横になりたい時は、そちらの部屋で休まれて構わないそうです」

 イレーネの戸惑いに気づいていながらも、侍女は無視して奥の部屋へと続く扉を指し示した。そうしてもう自分の役目は終わったとばかりに部屋を出て行ったのでイレーネはしばし呆気にとられ、やがて諦めたように椅子に腰を下ろした。

(疲れたわ……)

 人付き合いも大事だと思って参加したが、無理せずに自室に引きこもるか、屋敷へ帰ればよかった。ディートハルトは気に入らないだろうが……

(今頃、家族団らんを楽しんでいるのかしら)

 しかし、正直三人のそういった姿はあまり上手く思い描けなかった。ヨルクに対する日頃のディートハルトの態度を見ていると、余計に想像し難い。

(でも、マルガレーテ様がいるとやっぱり違うのかしら)

 ヨルクはもう遅いからと途中で部屋へ帰されるかもしれない。ディートハルトとマルガレーテは二人きりなって、昔のことを話しているうちに――扉が控え目に叩かれ、イレーネははっと我に返った。グリゼルダだと思った。立ち上がって、ドアノブに手をかける。

「姫様。今、開けますわ――え」

 外にいたのはグリゼルダではなかった。眼帯をつけた、背の高い男だった。

 てっきりグリゼルダだと思っていただけに、イレーネはびっくりしてしまう。相手もまた、イレーネの姿にとても驚いた顔をしている。

「あの、」
「……イレーネ?」

 自分の名前を呼ばれ、男性はイレーネのことを知っているようだった。でも、彼女はわからなかった。黒髪に、緑の瞳をした――

(まさか――)

「ユリウス様?」

 彼はくしゃりと泣きそうな顔で笑った。

「ああ、そうだ。ユリウスだ」

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