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59、エミールの許し
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ディートハルトは約束通り、次の日にはイレーネとエミールを男爵家へと帰した。エミールは最後まで名残惜しそうにしていた。
「ねぇ、また遊びにきてもいい?」
男爵家へ帰る途中、エミールは沈んだ口調でディートハルトに尋ねた。
「ああ、もちろんだ。いつでも来てくれてかまわない」
ディートハルトの言葉にエミールはようやくいつもの明るさを取り戻した。
「じゃあさ、今度はおじいさまの家にヨルクも連れてきて。ね、お母さん、いいでしょう?」
「そうね……まだおじいさまに相談してみないとわからないけれど……」
「ぼく、説得するよ」
だから必ず連れて来て、とエミールはディートハルトに約束させた。彼もイレーネも、エミールがここまでヨルクを気に入ったことが意外でもあった。一見正反対の性格に見えるが、そこが互いに興味を持つきっかになったのかもしれない。
「きみがヨルクと仲良くしてくれるなら、私も嬉しい」
ディートハルトは父親としてそう言って微笑んだのだろうが、イレーネは自分が追いつめられている感じしかしなかった。
父はディートハルトがまた来ることに関しては問題ないようだったが、その息子のヨルク――マルガレーテの血を引いた子どもが家へ来ることはあまりいい顔をしなかった。
イレーネの婚約が破談になる原因にもなった女の息子を歓迎する気にはなれなかったみたいだ。だが結局エミールの必死の説得に折れて、許可した。
「ありがとう! おじいさま!」
ぱぁっと顔を輝かせて抱き着けば、父も拒めないのだった。
こうして互いの家を行き来することが始まった。ヨルクは最初遠慮して、とても居心地の悪そうな顔をしていたが、エミールにあちこち引っ張り回されて遊んでいるうちに、少しずつ慣れていったのか、彼の前では笑顔も浮かべるようになったのでイレーネは正直ほっとした。
「エミール。あんまりヨルクを振り回しちゃだめよ」
「うん。わかってる!」
「ほんとう? ……ヨルク。嫌なことは嫌、って断っていいですからね」
イレーネにはまだどこか警戒があるのか、そんなことないですと以前と同じ大人びた口調で答えられた。
「そう? ならいいんだけれど……いつもエミールと遊んでくれてありがとう」
なるべく怖がらせないよう同じ目線になってそう伝えれば、ヨルクは動揺したように身体を揺らし、目元を微かに赤らめた。
「あっ、ヨルク。照れてる!」
「ち、違う!」
エミールが横から揶揄い、ヨルクがむきになって言い返す。二人の姿にイレーネも頬を緩ますのだった。
二人は兄弟のように仲良く過ごし、喧嘩してもたいていすぐにどちらかが謝って仲直りする。一見ヨルクの方が兄代わりを務めているようで、エミールがわざと面白いことを言ってヨルクの機嫌を取っているようにも見えた。
「お母さん。明日も泊まっていっちゃだめ?」
イレーネとエミールが男爵家へ帰る時、ヨルクが寂しそうな顔をしていることをエミールは気にしていた。イレーネも、なんだかひどく後ろ髪を引かれる思いがしたので、息子のそう言いたくなる気持ちは理解できたので、続けて泊まらせてもらったり、また男爵家に泊めることも多くなった。
しかしそうすると、もっと別れる時に寂しさが募り、エミールがふと「ヨルクと一緒に暮らせたらいいのに」と零すようになった。息子の願いを叶えるように、ディートハルトがイレーネのもとへ訪れ、親しげな様子で接する姿を見せるようになった。
最初は母親がとられるのではないかと嫉妬を見せたエミールも、もともと争うことを好まない優しい性格でもあり、ディートハルトもエミールにはとりわけ親切に接してきたので、次第にそうした感情も薄れていった。そして――
「ねぇ、お母さんはディートハルトさまのこと、どう思ってる?」
一緒の寝台に寝そべって、本を読んでやっている途中でふとエミールがそう口にした。
いつか聞かれるだろうなと思っていたが、いざ聞かれると身構える自分がいた。
「そうね……とても、強い人だと思うわ」
「お母さんのこと、守れるくらい?」
「ええ。お母さんなんて、簡単に守れるでしょうね」
「ほんとう?」
本当よ、と伝える。守ることは、敵からの攻撃を防ぐことであり、相手にとってはディートハルトが敵になるということだ。彼に勝つことは、なかなか骨の折れることだろう。
「じゃあ……いいよ」
小さな声で、エミールは言った。イレーネは少し沈黙して、何がいいのとそっと尋ねた。
「ディートハルトさまが……新しいお父さんになっても」
「エミール……」
エミールはぎゅっと母親に抱き着いて、顔を隠すように身体を押し付けてきた。
「いいの?」
「うん……きっと、お父さんもいいって言うと思う」
ハインツの名前に、イレーネは胸が苦しくなった。きっと彼は、ディートハルトだけはだめだと言っただろう。でも、イレーネには彼を拒むだけの力はなかった。
「エミール……ディートハルト様が新しいお父様になっても、エミールのお父さんは、お父さんだけよ」
「うん……お母さんも?」
「ええ。お母さんにとって、お父さんはいつまでも大切な人……」
誓うように、イレーネは呟いた。
「ねぇ、また遊びにきてもいい?」
男爵家へ帰る途中、エミールは沈んだ口調でディートハルトに尋ねた。
「ああ、もちろんだ。いつでも来てくれてかまわない」
ディートハルトの言葉にエミールはようやくいつもの明るさを取り戻した。
「じゃあさ、今度はおじいさまの家にヨルクも連れてきて。ね、お母さん、いいでしょう?」
「そうね……まだおじいさまに相談してみないとわからないけれど……」
「ぼく、説得するよ」
だから必ず連れて来て、とエミールはディートハルトに約束させた。彼もイレーネも、エミールがここまでヨルクを気に入ったことが意外でもあった。一見正反対の性格に見えるが、そこが互いに興味を持つきっかになったのかもしれない。
「きみがヨルクと仲良くしてくれるなら、私も嬉しい」
ディートハルトは父親としてそう言って微笑んだのだろうが、イレーネは自分が追いつめられている感じしかしなかった。
父はディートハルトがまた来ることに関しては問題ないようだったが、その息子のヨルク――マルガレーテの血を引いた子どもが家へ来ることはあまりいい顔をしなかった。
イレーネの婚約が破談になる原因にもなった女の息子を歓迎する気にはなれなかったみたいだ。だが結局エミールの必死の説得に折れて、許可した。
「ありがとう! おじいさま!」
ぱぁっと顔を輝かせて抱き着けば、父も拒めないのだった。
こうして互いの家を行き来することが始まった。ヨルクは最初遠慮して、とても居心地の悪そうな顔をしていたが、エミールにあちこち引っ張り回されて遊んでいるうちに、少しずつ慣れていったのか、彼の前では笑顔も浮かべるようになったのでイレーネは正直ほっとした。
「エミール。あんまりヨルクを振り回しちゃだめよ」
「うん。わかってる!」
「ほんとう? ……ヨルク。嫌なことは嫌、って断っていいですからね」
イレーネにはまだどこか警戒があるのか、そんなことないですと以前と同じ大人びた口調で答えられた。
「そう? ならいいんだけれど……いつもエミールと遊んでくれてありがとう」
なるべく怖がらせないよう同じ目線になってそう伝えれば、ヨルクは動揺したように身体を揺らし、目元を微かに赤らめた。
「あっ、ヨルク。照れてる!」
「ち、違う!」
エミールが横から揶揄い、ヨルクがむきになって言い返す。二人の姿にイレーネも頬を緩ますのだった。
二人は兄弟のように仲良く過ごし、喧嘩してもたいていすぐにどちらかが謝って仲直りする。一見ヨルクの方が兄代わりを務めているようで、エミールがわざと面白いことを言ってヨルクの機嫌を取っているようにも見えた。
「お母さん。明日も泊まっていっちゃだめ?」
イレーネとエミールが男爵家へ帰る時、ヨルクが寂しそうな顔をしていることをエミールは気にしていた。イレーネも、なんだかひどく後ろ髪を引かれる思いがしたので、息子のそう言いたくなる気持ちは理解できたので、続けて泊まらせてもらったり、また男爵家に泊めることも多くなった。
しかしそうすると、もっと別れる時に寂しさが募り、エミールがふと「ヨルクと一緒に暮らせたらいいのに」と零すようになった。息子の願いを叶えるように、ディートハルトがイレーネのもとへ訪れ、親しげな様子で接する姿を見せるようになった。
最初は母親がとられるのではないかと嫉妬を見せたエミールも、もともと争うことを好まない優しい性格でもあり、ディートハルトもエミールにはとりわけ親切に接してきたので、次第にそうした感情も薄れていった。そして――
「ねぇ、お母さんはディートハルトさまのこと、どう思ってる?」
一緒の寝台に寝そべって、本を読んでやっている途中でふとエミールがそう口にした。
いつか聞かれるだろうなと思っていたが、いざ聞かれると身構える自分がいた。
「そうね……とても、強い人だと思うわ」
「お母さんのこと、守れるくらい?」
「ええ。お母さんなんて、簡単に守れるでしょうね」
「ほんとう?」
本当よ、と伝える。守ることは、敵からの攻撃を防ぐことであり、相手にとってはディートハルトが敵になるということだ。彼に勝つことは、なかなか骨の折れることだろう。
「じゃあ……いいよ」
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誓うように、イレーネは呟いた。
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