わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

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28、お出かけ

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 父はあまりよくない顔をしなかったが、反対することもなく、イレーネの外出を許可した。ただ付き添いの人間と護衛は想像よりも多くつき、暗くなる前に帰ってくることが絶対であった。それでも迎えにきたハインツは嬉しそうにイレーネの手を取り、伯爵家の馬車へと乗せた。

 そして今日行こうと考えてる場所をあれこれと話しては、イレーネにそれでいいかと確認をとった。

「昼飯は、露店に出ているやつでいいか?」
「ええ。構いませんわ」
「本当? そんなもん食べさせるな、って怒られたりしねぇ?」
「しませんよ。父も、昔は平民で、同じような生活をしていましたから」

 今でこそ繁盛した商いをやっているが、昔何度か苦しい状況に陥って辛酸をなめる羽目になったそうだ。

「へぇ。あの親父さんがねぇ……」

 有名な話であると思うが、ハインツは意外だという顔をした。不思議に思っていると、顔に出ていたのか、「だってさ」と彼は頬杖をつきながら答えた。

「今あんなに豪華な暮らししてるじゃん。正直、家よりよっぽど上手いもん食ってると思う。そんな人が昔は貧乏人だった、って言われても、いまいち信じられねぇ」
「そうですか? ……わたしは、昔苦しい思いをしたからこそ、今とても裕福な生活をして、かつての飢えを満たそうとしているんだと思います」

 家の中をかえって悪趣味だと思われるくらい高価な家具や骨董品で飾り立てるのも、その裏返しなのだと思う。

「ふぅん……。得られなかった反動で、かえってそれ以上の行動を追い求めるか……」

 真剣な表情でそうまとめたハインツに、イレーネはこっそり微笑んだ。だがすぐにばれて「あ、何笑ってるんだよ」と言われてしまう。

「いえ……ハインツ様なら、また違うんだろうなって」
「そんなことは……あるな」

 うん、とハインツは頷いた。

「俺、絶対見返してやる~とか、そういう復讐心とか向上心? 持てねぇし。見限られて期待されなくなったら、これからは気楽に生活できて逆にラッキーじゃん、って思うタイプだわ」

 それはおそらく、彼の弟と比較されて思ったことだろう。

「わたしも、諦めて今の状況を受け入れる性質だと思います」

 ハインツはイレーネの言葉にニッと笑った。

「なら俺たち、似た者同士ってことだな」

 彼と同じだと言われるのは何だか素直に認める気にはなれなかったが、彼の笑顔にイレーネはそうかもしれませんねと答えた。

「――イレーネ。これ、おまえに似合いそうじゃね?」

 細長い紐に、じゃらじゃらと貝やビーズを通したネックレスやブレスレットを手にして、ハインツがイレーネの首や手首に当てて似合うか確かめてくる。

「んー……やっぱもっと派手なのがいいかぁ。でも、ここじゃ宝石類とかはさすがにないしなぁ」

 棚に戻されたアクセサリーを見ながら、イレーネはこうして誰かと買い物に来るのも初めてかもしれないと思った。

(こういうの、売っているんだ……)

 ビー玉みたいな、雫型をしたガラスの中に綺麗な青色が浮かんでいた。

 何人かの客が買っていくのを見ると、そう高い値段でもないのだろう。少なくとも宝石などと比べればずっと安価だ。

(わたしと同じくらいの子たちも、見ている……)

 今までイレーネにとって、アクセサリーや宝石の類は、すべて商人が屋敷まで持ってくるものだった。値段など気にせず、好きなものを好きなだけ父に買うよう言われていた。選べなかったら、イレーネの世話をするメイドや、あるいは父が見栄えするものを代わりに選んだ。だから購入している、という感覚もなかった。

「イレーネ。これ欲しいのか」

 店を見て回っていたハインツがイレーネのもとへ戻ってきた。

「いえ、なんだか珍しくて」
「まぁ、おまえはお嬢様だしな。こんなの、足元にも及ばないだろ」

 ひょいとイレーネが見ていた雫型のペンダントを手に取り、ハインツがしげしげと眺めた。

「こういうシンプルなやつが好きなのか?」
「そうですね……形が可愛いなと思いました」
「ふーん。小ぶりなやつが好きなのか。イレーネは綺麗な顔してるし、大きくて派手なやつも似合うと思うぞ」

 さらりと綺麗、という言葉を使われて彼女は戸惑った。その様子を見て、ハインツが笑う。

「なんだよ。本当のことだろ。清楚とか清純。おまえはそういうタイプだよ」

 でも、とこっそりと耳元に唇を寄せてこうも付け加えた。

「閨の時だけは、すげえエロくなるけど」
「ハインツ様!」
「ははっ、じゃあそろそろ次行こうぜ」

 ハインツはいろんな店を案内して、イレーネを驚かせ、関心を引き出そうとした。

 たださすがに少々疲れてしまい、昼時でもあったので最初に予定していた露店で、塩漬けされた肉を串に刺して焼いたものや、果物やナッツがつまったパイ、濃厚な味がするチーズとそこまで癖のないチーズを二つ、菓子屋ではウエハースを買った。

 あちこち歩き回っていたせいでお腹は空いていて、イレーネはとても美味しいと思いながら食べ終えた。

「ハインツ様は、いろいろとよくご存知なのですね」
「あー……まぁ、家にいるよりここで遊ぶ方が楽だったからなぁ」

 どうもハインツの話から推察するに、あまり家族との関係は良好ではないらしい。アドリアンという出来の良い弟と比べられて、いろいろ辛い目に遭ったようにも見えた。

「あの、ご家族はわたしのこと、どう思っていらっしゃるんでしょうか」

 以前から気になっていたことを思いきって尋ねれば、彼は「んー……」と難しい顔をした。

「正直言うと、たぶん、あんまりよくは思っていないと思う」

 なんとなくそうだろうとは思っていたが、いざ彼の口から知らされると落ち込んだ。

「でもそれはおまえの親父さんの印象で、娘もそういう人間だって思い込んでいるだけだから、挽回の余地は十分あるぜ」

 それでもマイナスからのスタートであることに変わりはない。

「そう落ち込むなよ。最初からどん底な印象なら、もう下がりようもないし、あとは昇っていくだけだ。あっ、実はそんな悪いやつじゃないんだ、って加点されていくんだぜ?」
「はぁ……」
「それに、今まで付き合ってきた女たちの中ではおまえが一番落ち着いているから、父さんたちも納得するだろ」

 彼の歴代の彼女たちと比較され、イレーネはなんだかモヤっとした。どうしてそういう言い方しかできないのだろう、と。

「お。もう行くのか」
「ええ。もうけっこうです」

 イレーネがそう言えば、わかったとハインツは何もわかっていない様子で席を立ったのだった。

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