わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

文字の大きさ
上 下
27 / 116

27、お誘い

しおりを挟む
 避妊薬でどこか気まずい別れをしたので、次第に足が遠のくかもしれないと思ったが、まったくの杞憂であった。ハインツのしつこさは変わらなかった。というか、彼は以前にも増してイレーネのもとへ足を運ぶようになった。

「なぁ、イレーネ。たまには外でやろうぜ」

 やることも、言う内容も、相変わらず下品であったが。

 だがイレーネは、前ほど苦痛ではなくなっていた。ディートハルトと違い、ハインツは品がなかったが、表裏がなく、馬鹿で、素直だった。

 何かを企んでいるとか、逆らえば恐ろしいことになるとか――抱かれて散々いじめられることはあるが、命の危機を感じることはなかった。同じ人間と接していると思った。

「外に出る時は見張りの者がついてきますから、たぶん無理ですわ」
「えー」
「それにわたしも、あんまりやりたくないです」

 だからイレーネも、少しずつではあるが自分の本音を言えるようになってきた。ハインツもそれを望んでいるし、気持ちを抑え込んで黙り込む方が逆に機嫌が悪くなった。

「えーなんで? ずっと同じ場所だと飽きるじゃん」

 だからといって素直にイレーネの意見に従うとも限らなかったけれど。

「なぁーたまにはいいだろう? お目付け役には金を渡して、ちょっとの間席を外してもらえばさ」

 ハインツは行儀よく寝台の縁に腰かけているイレーネの背中に後ろから抱きついてきた。ちなみに今日もきちんとやることはやったのでイレーネは裸で、今はちょうど絹のストッキングをはめようとしている最中であった。

「それか具合が悪くなったとかで宿で休憩している間さ、一日中とかじゃなくてさ。数時間……三十分でもいいんだよ。な、それくらいなら、いいだろう?」

 どれだけやりたいんだろう……と内心引きながらも、イレーネは困った顔をした。

「でも……やっぱり難しいと思います。父にばれたら、その使用人はくびになるでしょうし……以前も、同じようなことがあったんです」

 イレーネも自分たちの咎で使用人の仕事を奪いたくはなかった。

「だから、ごめんなさい」

 振り返って謝れば、ハインツは拗ねたような表情をしながらも、ため息をつきながら「わかったよ」と答えた。

「おまえの親父さん、俺のこと嫌ってるもんな」

 両手を後頭部にやりながらハインツは乱れたシーツの上で仰向けになった。振動で寝台が揺れる。

「決して、あなたのことを嫌っているわけではないと思います」
「いやー……あれは嫌ってるでしょ。会う度にすげえ顔顰められるもん。この前もまた来たのか、って言われてさ。俺、婚約者なのに。同族嫌悪ってやつ?」

 それはよくわからないが……たぶん、また裏切られることを恐れているようにも思う。父にとって、機嫌をとっていたディートハルトに裏切られたことがよほど堪えたのだろう。

「ほんとは帰るのも面倒だから、おまえの家に泊まりたいけど、絶対いろいろ難癖つけて帰れって言われるもんな。やってる最中までメイドに止めさせようとするからほんとやめてほしいよ」

 それはイレーネもやめてほしかった。だが本来婚約者ならば、まだ身体の関係は持たず、清い交際が正しいのだから、父の対応はある意味当然だともいえた。

(むしろ今までがおかしかったのよね……)

 今回はディートハルトの時のように早く子を孕めとも言われなくなった。結婚するまでは慎重になっているのかもしれない。

(でも結局こうしてやっているのだから、同じだと思うけれど……)

「なぁ、イレーネ。おまえが俺の家に泊まりにくるっていうのはどうよ?」
「わたしがですか?」
「そう。でもやっぱだめかなー……俺の親父も、おまえの親父さんのこと嫌ってるし、必然的におまえのことも認めていなさそうだし……あ、アドリアンのやつも、何か嫌味言いそう……やっぱ家はないわ」

 一人でべらべらと話して結論づけると、ハインツは今一度深くため息をついた。

「なぁ、イレーネ。俺たち恋人同士なのに、なんでこんな周りに気を遣わないといけないわけ?」
「恋人ではなく、婚約者です」
「おんなじだろー」

 違うと思う。だがハインツはイレーネの正論が気に入らなかったようで、じとっとした目で睨んでくる。

「あーあ。イレーネは別に俺ともっといろんな所行きたいって思わないんだな」
「そんな……でも、ハインツ様はわたしとやりたいだけでしょう?」

 なら別に今まで通りでもいい気がする。

「別に、そればっかじゃねえけど……」
「そうなんですか?」

 なら、と思う。

「街を散策するだけでも、いいじゃありませんか」

 ハインツはイレーネの言葉に目を丸くして、「いいの?」と思わずといった口調で聞いた。

「? 出かけることがですか? はい。お目付け役がいるなら、父も許してくれると思います」

 ハインツが嫌でなければ、と付け加えれば、彼はがばりと勢いよく起き上がった。びっくりするイレーネの両手をとり、「別に嫌じゃない、行く」と早口で答えたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

筆頭婚約者候補は「一抜け」を叫んでさっさと逃げ出した

基本二度寝
恋愛
王太子には婚約者候補が二十名ほどいた。 その中でも筆頭にいたのは、顔よし頭良し、すべての条件を持っていた公爵家の令嬢。 王太子を立てることも忘れない彼女に、ひとつだけ不満があった。

姉の婚約者であるはずの第一王子に「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」と言われました。

ふまさ
恋愛
「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」  ある日の休日。家族に疎まれ、蔑まれながら育ったマイラに、第一王子であり、姉の婚約者であるはずのヘイデンがそう告げた。その隣で、姉のパメラが偉そうにふんぞりかえる。 「ぞんぶんに感謝してよ、マイラ。あたしがヘイデン殿下に口添えしたんだから!」  一方的に条件を押し付けられ、望まぬまま、第一王子の婚約者となったマイラは、それでもつかの間の安らぎを手に入れ、歓喜する。  だって。  ──これ以上の幸せがあるなんて、知らなかったから。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

処理中です...