わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

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17、グリゼルダの胸の内

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「姫様。長い間お暇を頂いてしまい、申し訳ありませんでした」

 イレーネの体調は良くなり、無事に城へと戻った。本を読んでいたグリゼルダはゆっくりと顔を上げ、あら、と言った。

「もういいの?」
「はい」
「そう。婚約者のお見舞いはいかがだった?」

 イレーネが動揺すると、グリゼルダはどこか面白がるように微笑んだ。

「あの男がわざわざあなたのことを人に聞いていたそうだから、呼び出して言伝を預けてやったの。そうすれば、あなたに会いに行く口実にもなるでしょう?」

 どうだろう、とイレーネは思った。

 グリゼルダが仕向けなくても、父の方から娘を見舞ってほしいと頼んだかもしれない。

「お気遣いいただきありがとうございます」
「お礼はよくてよ。私はただ、マルガレーテの恋を邪魔したいだけだから」

 グリゼルダは母親の一件から並々ならぬ憎悪を異母妹に抱いているようだった。

「私のこと、恐ろしいと思う?」

 黙り込んだイレーネに、グリゼルダはそう問いかけたが、イレーネの答えなど気にしていないように窓の外へ視線を向けた。

「高貴な人間は、薄汚れた色でも覆い隠して、美しい色だと周囲の人間に錯覚させなければならない。でも本性を隠すのはひどく窮屈なことであるし、おのずと限界は訪れるわ」

 内から外へ色が滲み出て、見るに堪えなくなると彼女は言った。

「でも一人くらい、そうした醜い己の本性を受け止めてもらいたいとも思うの。別に優しくしてほしいというんじゃないわ。ただこの人はそういう人なんだと、淡々と事実を知ってほしいだけ」
「……姫様は、わたしにそれを知ってほしいということですか」
「そうね……ええ、そうかもしれない。迷惑?」

 イレーネは戸惑ったものの、いいえと答えていた。

「わたしは気の利いたことも言えませんし、あなたが望むことを与えられることはできないでしょう。でも、姫様が何を考えているか、どう思っているか……そういうことを聞くだけはできますから。それでお役に立てるのならば、これからもどうかお使いください」

 グリゼルダはじっとイレーネを見つめ、やがてふっと微笑んだ。憐れむような、可愛がる目だ。

「おまえはとてもいい子ね、イレーネ」

 イレーネはなんと答えていいかわからず、困った顔をした。

「おまえが私にそんなふうに言ってくれるのは、マルガレーテが嫌いだから?」
「それは……正直よくわかりません。マルガレーテ様とは、お話したこともないので」
「でもおまえの婚約者が愛している相手でしょう」

 そうだ。それでも、イレーネは別に憎らしいとまでは思わなかった。たとえいずれディートハルトを奪われたとしても、諦観の方が強く、最初からわかっていたことだと納得できる気がした。

「人の気持ちは唯一誰にも侵されることのできないものだと思います。だからわたしが嫌だと言ったところで、何も変わりません。……それならば、受け入れた方がいいと思っております」
「まさに聖女のような考え方ね」

 グリゼルダは理解できないとため息をついた。

「おまえはそれでよくても、父親の方は納得しないのではなくて? 此度の戦争にかかる費用を、ずいぶんと負担してくれたじゃない。それで裏切りに遭うなど、あまりにも可哀想だわ」

 口ではそう言いながらも、グリゼルダの口調は実に淡々としていた。本心では別にイレーネがディートハルトから破談されようが、どうでもいいのだ。

「父は公爵家との縁談がなくなっても、他の相手を見繕うだけだと思います」
「ふうん。その相手が自分の父親よりも離れている相手でも、あなたは喜んで嫁ぐというの?」
「それが父の意向ならば、娘であるわたしは従うだけです」

 グリゼルダは肩を竦めた。呆れられたかもしれない。

「女というのは、本当にままならないわね……」

 王族も平民も変わらない。だからこそグリゼルダはマルガレーテのような、大事に庇護されて、自分の願いを何でも叶えてもらえる境遇を憎まざるを得ないのかもしれない。

「イレーネ。私はね、男に許されているものを、どうして女には許されていないのか、ひどく理不尽に思うの。だから……」

 その続きは言わず、グリゼルダは艶やかに微笑んだ。イレーネはなんだかひどく胸がざわついたが、それ以上尋ねることはしなかった。

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