わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

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9、気まずい事後

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 あれからディートハルトの気の済むまで抱かれ、イレーネは気づいたら長椅子の上に寝かされていた。慌てて飛び起きると、室内は暗く、蝋燭の灯りがなければ真っ暗な状態だった。夕方から耽って、今は夜らしい。

(薬は……)

 身体はきれいに拭いてもらったらしい。しかし避妊薬を飲んだかどうかはわからない。どうしよう、と泣きそうな心地になったイレーネは、かたりとした物音に大げさに肩を震わせた。

「あ、」
「起きたか」

 ディートハルトだった。彼は上半身裸で、イレーネはついと目を逸らす。

「喉が渇いただろう。飲むといい」

 言われて喉の渇きに気づく。激しく動いて喘ぎっぱなしだったから……。ほら、と手渡され、ディートハルトの目を気にしながらも、イレーネはごくごくと水を飲み干した。

「あの、薬は……」
「飲ませた。きみは半ば夢うつつの状態だったが」
「そうですか」

 それならば、よかった。安堵するイレーネに、ディートハルトが隣に腰を下ろしてくる。

 戻らないのだろうか、と彼女は居心地悪く思った。

(服、彼が着せてくれたのよね)

 そして膝にかけられていた彼の上着が騎士の隊服であることに気がついた。今日彼がいつになく性急にイレーネを抱いたのは騎士との決闘で血が昂ったからだろう。戦場に娼婦を連れて行くのもそういう時のためだ。

「今日の試合、見ていたか」

 顔をそっと上げれば、彼はイレーネの方は見ていなかった。やるだけやって立ち去るのはさすがに悪いと思ったからか、珍しく話を振られ、イレーネは一瞬戸惑う。

「……はい。優勝、おめでとうございます」
「見ていたんだな。観客席にきみの姿が見えなかったから、見ていないと思っていた」
「裏方の手伝いをしていたので……でも、最後の試合は見たんです」

 見たということよりも、イレーネが下働きのような仕事をしていたのが気になったらしく、彼が顔をこちらに向けた。

「職場で、上手くやれていないのか」
「いいえ。みなさん、親切で優しい人ばかりですわ。大変だったようなので、手伝おうと思っただけです」

 心配ないと伝えても、彼はまだ探るようにじっと目を見つめてくる。

「何かあったら、我慢しないで言うんだ」
「はい。お気遣いいただきありがとうございます」
「いちおう、きみの婚約者だからな」

 そう言ってディートハルトはまた前を向いた。

(いちおう、か……)

 いつかは別れもある、という意味だろう。たぶん、そう遠くない未来に。

「あの騎士」
「えっ?」

 ぽつりとディートハルトがまた話を始める。

「最後に戦った騎士、強かった」

 包帯を巻いてあげた騎士のことだ。つい数時間前のことなのに、すごく前のことに思えた。

「お強かったのですか」
「ああ。踏み込まれた時は、一瞬冷やりとした」

 ディートハルトがそんなことを言うなんて珍しい。

(この人も、そう思ったりするんだ)

 イレーネがじっと見ていることに気づいた彼は、気まずそうに目を逸らし、次いで立ち上がった。

「そろそろ。部屋に戻ろう」
「あ。ではこれを」

 イレーネは慌てて隊服をディートハルトに着せようとするが、その腕を掴まれた。

「部屋まで送る」

 え、とイレーネは思った。

「わたしはディートハルト様が出て行かれてから戻りますわ」

 その方が人に見つかっても面倒なことにならない。これまでもずっとそうしてきた。だがディートハルトは一緒に戻ることを提案した。

「もう遅い。一人で戻るのは危険だ」
「でも……」
「婚約者なのだから、別に見つかっても構わないだろう」

 マルガレーテ王女にはどう説明するのだ。

 イレーネはそう言いたかったが、彼女のことを口にすれば彼の怒りを買いそうで、言えなかった。どちらにせよこれ以上ディートハルトに逆らう気にもなれず、大人しく従った。外は真っ暗で、誰もいない廊下を二人きりで歩くのはひどく居心地が悪かった。

「きみはもう少し、危機感を持った方がいい」
「十分、持っていますわ」
「どうだかな」

 ディートハルトには逆らえないから、そう思うだけだ。

「騎士であろうと、男はみな獣だ」

 あなたもでしょう。

 イレーネは心の中でそっと答えた。

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