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7、手当
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試合が終わり、王侯貴族は帰り、後片付けを下の者たちが行う。イレーネも声をかけられるままに手伝い、あとはもう自分にできることはないとわかると、部屋へ戻ろうとした。
だがその前に、物陰に隠れるようにして座り込む、青年の姿が目に留まった。
「大丈夫ですか」
後ろからそっと声をかければ、青年はびくっと肩を震わせる。驚いた表情でさっと振り返り、あっ、というような顔をした。
「きみは、あの時の」
「はい。以前はありがとうございました」
青年は甲冑を脱いでおり、包帯を手にしていた。
「どこかお怪我を?」
「ああ。少し、腕を切ってしまって……」
若い娘に血を見せてはいけないと思ったのか、彼は負傷していると思われる方の腕を隠すように背を向けた。
「わたしが代わりに巻きましょうか」
「いや、しかし、」
「名誉の負傷ですわ」
気にしないでほしいと言えば、彼も自分ではやりにくいと思ったのか、頼むと言って包帯を渡してきた。イレーネは彼の隣に腰掛け、怪我した二の腕を向けてもらう。白いシャツを半分脱いでもらうと、まだ新鮮な赤い血が滲んでいた。
そばには器に汲んできた水があり、まずは傷口を洗い、手渡された軟膏を塗って包帯を巻いていく。
(ディートハルト様との試合で怪我したのかしら……)
見ている分は怪我など負ったようには見えなかったが、それとも前の試合でだろうか。怪我をしたまま戦うなど、相当負担となっただろう。
「こんな怪我をしてしまうなんて、騎士とは本当に日々命懸けなのですね」
実戦ではもっと過酷なのだろう、とイレーネが漏らすと、彼はなぜかばつの悪そうな表情を浮かべた。
「いや、その、実は、これは試合で作った傷ではないんだ」
「え?」
「その、先ほど片付けをしている時に、人が持っている刃の先が偶然腕に当たってしまい、それで切ってしまったんだ」
「まぁ……」
てっきり白熱した戦いによるものだと思っていたのに……ただの偶然の事故によるものらしい。だから傷を隠そうとしたのだと合点もいった。
「情けない話だろう? 最後まで気を抜くなという教訓を、すっかり忘れていた罰だ」
そこまで深刻に反省しなくてもいいと思うが、真面目な性格なのだろう。
「でも、試合で怪我されたのではないとわかって、少し安心しました」
「怪我したことには変わりないのに?」
「ええ……見ているこちらも、ひやひやしてしまって」
「……きみの知り合いの、ディートハルト殿。強かったよ」
包帯を巻いていた手を止め、ちらりと顔を上げる。彼はじっとイレーネの顔を見ていた。
「騎士様も、お強かったですわ」
「見ていたのか?」
「はい。その、最後の試合だけ」
「負けてしまったところじゃないか!」
慌てて言葉を重ねる。
「ディートハルト様に果敢に向かっていくところが、立派でした。他の方はわざと負けるよう手を抜いて、初めから棄権なされたりするのに、逃げずに堂々と戦って……最後まで、素敵でしたわ」
イレーネの言葉に、なぜか青年は頬を熱くした。なのでイレーネも我に返り、何を自分は言っているのだろうと同じように顔を赤くして俯いた。
「……ありがとう」
顔を上げる。くすぐったそうに彼は微笑んでいた。
「きみの言葉は、なんだかいつも俺を救ってくれる」
「そんなこと、ありませんわ」
彼はいつも大げさだ。
「包帯も、ありがとう」
巻き終わった箇所をそっと反対の手で撫で、シャツを素早く羽織ると、彼はさっと立ち上がった。
「実は少し落ち込んでいたんだ。でもきみと話して元気になった」
「お役に立てたのなら、よかったです」
イレーネも立ち上がり、微笑んだ。
彼も同じように笑みを浮かべた。
二人は見つめって、イレーネは怪我の手当ても済ませたのだからそろそろ立ち去るべきだと思ったが、自分から言っていいものか迷った。
「その、一つ教えてもらってもいいだろうか」
「はい」
「きみの名前は、何と言うのだろうか」
彼は真剣な表情で尋ねた。
「……イレーネ、と申します」
「イレーネ」
確認するように呟かれたので、はいと返事をする。
「イレーネ、ありがとう」
名前を呼ばれたこと。その時の笑顔が、イレーネはこれから先もずっと忘れられないだろうな、と何となく思った。
だがその前に、物陰に隠れるようにして座り込む、青年の姿が目に留まった。
「大丈夫ですか」
後ろからそっと声をかければ、青年はびくっと肩を震わせる。驚いた表情でさっと振り返り、あっ、というような顔をした。
「きみは、あの時の」
「はい。以前はありがとうございました」
青年は甲冑を脱いでおり、包帯を手にしていた。
「どこかお怪我を?」
「ああ。少し、腕を切ってしまって……」
若い娘に血を見せてはいけないと思ったのか、彼は負傷していると思われる方の腕を隠すように背を向けた。
「わたしが代わりに巻きましょうか」
「いや、しかし、」
「名誉の負傷ですわ」
気にしないでほしいと言えば、彼も自分ではやりにくいと思ったのか、頼むと言って包帯を渡してきた。イレーネは彼の隣に腰掛け、怪我した二の腕を向けてもらう。白いシャツを半分脱いでもらうと、まだ新鮮な赤い血が滲んでいた。
そばには器に汲んできた水があり、まずは傷口を洗い、手渡された軟膏を塗って包帯を巻いていく。
(ディートハルト様との試合で怪我したのかしら……)
見ている分は怪我など負ったようには見えなかったが、それとも前の試合でだろうか。怪我をしたまま戦うなど、相当負担となっただろう。
「こんな怪我をしてしまうなんて、騎士とは本当に日々命懸けなのですね」
実戦ではもっと過酷なのだろう、とイレーネが漏らすと、彼はなぜかばつの悪そうな表情を浮かべた。
「いや、その、実は、これは試合で作った傷ではないんだ」
「え?」
「その、先ほど片付けをしている時に、人が持っている刃の先が偶然腕に当たってしまい、それで切ってしまったんだ」
「まぁ……」
てっきり白熱した戦いによるものだと思っていたのに……ただの偶然の事故によるものらしい。だから傷を隠そうとしたのだと合点もいった。
「情けない話だろう? 最後まで気を抜くなという教訓を、すっかり忘れていた罰だ」
そこまで深刻に反省しなくてもいいと思うが、真面目な性格なのだろう。
「でも、試合で怪我されたのではないとわかって、少し安心しました」
「怪我したことには変わりないのに?」
「ええ……見ているこちらも、ひやひやしてしまって」
「……きみの知り合いの、ディートハルト殿。強かったよ」
包帯を巻いていた手を止め、ちらりと顔を上げる。彼はじっとイレーネの顔を見ていた。
「騎士様も、お強かったですわ」
「見ていたのか?」
「はい。その、最後の試合だけ」
「負けてしまったところじゃないか!」
慌てて言葉を重ねる。
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イレーネの言葉に、なぜか青年は頬を熱くした。なのでイレーネも我に返り、何を自分は言っているのだろうと同じように顔を赤くして俯いた。
「……ありがとう」
顔を上げる。くすぐったそうに彼は微笑んでいた。
「きみの言葉は、なんだかいつも俺を救ってくれる」
「そんなこと、ありませんわ」
彼はいつも大げさだ。
「包帯も、ありがとう」
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確認するように呟かれたので、はいと返事をする。
「イレーネ、ありがとう」
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