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6、馬上槍試合
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修道士たちの騎士団を白の騎士団と呼ぶのに対して、ディートハルトたちが所属する国王が設立した騎士団を黒の騎士団という。白と黒。両者は良い意味でライバル関係にあり、またそうなるよう周りが焚きつけている節があった。
今回の馬上試合もその一つだ。
「ディートハルト様が今年も勝利するに決まっているわ」
「あら。わからないわよ。団体戦となれば、白の騎士様たちの方が強いんですもの」
侍女たちのそうした総評を耳にしながら、イレーネは観客席からそっと離れた。後から自分の存在に気づかれると、面倒なことになってしまう。
そういえば以前も、この娘はあの方の婚約者だったのだと目をつけられ、あれこれ聞かれ、嫉妬の眼差しや嫌味を口にされ、ディートハルトの婚約者として相応しくないと結論づけられた。
ある程度は仕方がないと思いつつ、男爵家のことまで口に出されるのは正直勘弁してほしかった。彼女たちにとっては何気ない一言でも、イレーネにとっては触れてほしくない話で、後々までずっと引きずってしまうから。
(今回は辞退させてもらおう……)
見物人へ出す料理を作っている裏方の手伝いでもしようと思って、王城の裏口へと回った。どうせディートハルトはイレーネが見ていなくても気にしない。今まで優勝の祝いの言葉を述べても、そっけない反応しか返ってこなかったのだからいいだろう。
(あら……誰かいる)
二階の裏口に繋がる階段の踊り場、手すりに掴まって一心に彼方を見つめる人影が目に入った。小柄なので女性だろう。目立たぬ色のマントを頭からすっぽりとかぶり、じっと試合会場の方向を見つめている。どうせならば直接出向いて見ればいいのにと思ったが、下働きの子なのだろうか。
(あ、)
風が吹いて、フードがはぐれる。露わになった顔にイレーネは息を呑んだ。
(マルガレーテ様……)
緩やかにウェーブのかかったストロベリーブロンド。瞳は空の青を溶かし込んだような水色。遠目からでも目端立ちのはっきりとした、一度見たら忘れられない美しい少女だった。
(妖精のような方、というのは本当だったんだ……)
ディートハルトが幼い頃に出会い、恋に落ちた人。そして今、どんな手を使ってでも手に入れようとしている女性。
彼女は離宮から出ることを禁じられている。だが恋人の晴れ舞台を一目見たいとこっそり抜け出してきたのだろう。
イレーネは少女が佇む姿にひどく打ちのめされた気がして、逃げるようにその場を去った。ディートハルトが毎年のように勝利を挙げていたのは、きっと王族の席に参加できないマルガレーテのためだ。
決してイレーネのためではない。
厨房へ足を運ぶと、案の定大忙しで、最初邪魔をしに来たのかと苛立った態度をとられたが、食器洗いや簡単な盛り付けなどを手伝うと、ひどく感謝された。そして意地悪な先輩侍女から命じられて嫌々やってきたのだと勘違いされ、最後の試合だけでも見ておいでと、断る間もなく送り出されてしまった。
仕方なく再度イレーネは外へ出る。今度は二階を見ると、王女の姿はなかった。もう試合に決着がついたのか、それとも長時間留まっておくのは無理だと判断したのか。
イレーネが会場へ足を運ぶと、二人の騎士が馬に乗って戦っている最中であった。
観客たちがディートハルトの名を大きく連呼していたので、甲冑に黒いマントをたなびかせているのは彼らしい。どうやら今は決勝戦のようで、一番の見せ場で戻ってきたみたいだ。
(相手の方はどなたかしら)
あくまでもパフォーマンスの試合だが、二人は激しく互いの剣をぶつけ合い、白いマントを纏った騎士が落馬した。それで終わりではなく、ディートハルトも馬から下りて、どちらかが降参するまで戦い続ける。
白と黒の両騎士団がそれぞれ自分たちの騎士の名を連呼し、勝利を掴めと檄を飛ばす。
(あ、)
兜を脱ぎ捨て、白の騎士の顔が露わになる。イレーネは見知った顔に驚いた。彼は先日、廊下でぶつかって、本を運ぶのを手伝ってくれたあの青年であった。決勝まで勝ち進んできたとは、そうとう腕の強い騎士らしい。
しかしさすがの彼でも相手がディートハルトでは勝てないのではないか。イレーネや、おそらく会場の誰もがそう思ったことだろう。
ディートハルトの叩きつけるような剣技に、勝敗が決まる瞬間だと歓声が上がった。
――だが、青年はそれを受け止め、渾身の力で薙ぎ払った。瞬間、ディートハルトの体勢が崩れる。すかさず青年は踏み込み、ディートハルトの胸に飛び込もうとする。
だがやはり、ディートハルトが素早く体勢を立て直し、振りかかってくる剣を受け止め、先ほどの青年よりもより強い力で振り払った。そして、そのままもつれ合う形で青年を追いつめ、剣を喉元寸前まで突き刺した。これが実戦であったならばもはや命は尽きている。青年が剣を手放し、両手を挙げた。
ディートハルトの勝利だ。会場が熱気に包まれた。
青年は姿勢を正し、ディートハルトに何か言葉をかけると、右手を差し出した。ディートハルトは兜を脱ぎ、彼の手を取った。二人の握手に、割れんばかりの拍手と歓声が送られた。
ディートハルトが振り返って見上げる。何人かは観客の方――どこかにいる婚約者を見たのだと思ったかもしれない。だがイレーネにはそれは間違いだと断言できる。
彼は王城の方を見たのだ。ここにはいない、鳥籠に閉じ込められた可憐な姫君を想って。
今回の馬上試合もその一つだ。
「ディートハルト様が今年も勝利するに決まっているわ」
「あら。わからないわよ。団体戦となれば、白の騎士様たちの方が強いんですもの」
侍女たちのそうした総評を耳にしながら、イレーネは観客席からそっと離れた。後から自分の存在に気づかれると、面倒なことになってしまう。
そういえば以前も、この娘はあの方の婚約者だったのだと目をつけられ、あれこれ聞かれ、嫉妬の眼差しや嫌味を口にされ、ディートハルトの婚約者として相応しくないと結論づけられた。
ある程度は仕方がないと思いつつ、男爵家のことまで口に出されるのは正直勘弁してほしかった。彼女たちにとっては何気ない一言でも、イレーネにとっては触れてほしくない話で、後々までずっと引きずってしまうから。
(今回は辞退させてもらおう……)
見物人へ出す料理を作っている裏方の手伝いでもしようと思って、王城の裏口へと回った。どうせディートハルトはイレーネが見ていなくても気にしない。今まで優勝の祝いの言葉を述べても、そっけない反応しか返ってこなかったのだからいいだろう。
(あら……誰かいる)
二階の裏口に繋がる階段の踊り場、手すりに掴まって一心に彼方を見つめる人影が目に入った。小柄なので女性だろう。目立たぬ色のマントを頭からすっぽりとかぶり、じっと試合会場の方向を見つめている。どうせならば直接出向いて見ればいいのにと思ったが、下働きの子なのだろうか。
(あ、)
風が吹いて、フードがはぐれる。露わになった顔にイレーネは息を呑んだ。
(マルガレーテ様……)
緩やかにウェーブのかかったストロベリーブロンド。瞳は空の青を溶かし込んだような水色。遠目からでも目端立ちのはっきりとした、一度見たら忘れられない美しい少女だった。
(妖精のような方、というのは本当だったんだ……)
ディートハルトが幼い頃に出会い、恋に落ちた人。そして今、どんな手を使ってでも手に入れようとしている女性。
彼女は離宮から出ることを禁じられている。だが恋人の晴れ舞台を一目見たいとこっそり抜け出してきたのだろう。
イレーネは少女が佇む姿にひどく打ちのめされた気がして、逃げるようにその場を去った。ディートハルトが毎年のように勝利を挙げていたのは、きっと王族の席に参加できないマルガレーテのためだ。
決してイレーネのためではない。
厨房へ足を運ぶと、案の定大忙しで、最初邪魔をしに来たのかと苛立った態度をとられたが、食器洗いや簡単な盛り付けなどを手伝うと、ひどく感謝された。そして意地悪な先輩侍女から命じられて嫌々やってきたのだと勘違いされ、最後の試合だけでも見ておいでと、断る間もなく送り出されてしまった。
仕方なく再度イレーネは外へ出る。今度は二階を見ると、王女の姿はなかった。もう試合に決着がついたのか、それとも長時間留まっておくのは無理だと判断したのか。
イレーネが会場へ足を運ぶと、二人の騎士が馬に乗って戦っている最中であった。
観客たちがディートハルトの名を大きく連呼していたので、甲冑に黒いマントをたなびかせているのは彼らしい。どうやら今は決勝戦のようで、一番の見せ場で戻ってきたみたいだ。
(相手の方はどなたかしら)
あくまでもパフォーマンスの試合だが、二人は激しく互いの剣をぶつけ合い、白いマントを纏った騎士が落馬した。それで終わりではなく、ディートハルトも馬から下りて、どちらかが降参するまで戦い続ける。
白と黒の両騎士団がそれぞれ自分たちの騎士の名を連呼し、勝利を掴めと檄を飛ばす。
(あ、)
兜を脱ぎ捨て、白の騎士の顔が露わになる。イレーネは見知った顔に驚いた。彼は先日、廊下でぶつかって、本を運ぶのを手伝ってくれたあの青年であった。決勝まで勝ち進んできたとは、そうとう腕の強い騎士らしい。
しかしさすがの彼でも相手がディートハルトでは勝てないのではないか。イレーネや、おそらく会場の誰もがそう思ったことだろう。
ディートハルトの叩きつけるような剣技に、勝敗が決まる瞬間だと歓声が上がった。
――だが、青年はそれを受け止め、渾身の力で薙ぎ払った。瞬間、ディートハルトの体勢が崩れる。すかさず青年は踏み込み、ディートハルトの胸に飛び込もうとする。
だがやはり、ディートハルトが素早く体勢を立て直し、振りかかってくる剣を受け止め、先ほどの青年よりもより強い力で振り払った。そして、そのままもつれ合う形で青年を追いつめ、剣を喉元寸前まで突き刺した。これが実戦であったならばもはや命は尽きている。青年が剣を手放し、両手を挙げた。
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彼は王城の方を見たのだ。ここにはいない、鳥籠に閉じ込められた可憐な姫君を想って。
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