わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

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5、白と黒

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「ここまでで、けっこうですわ」

 さすがに王女の生活する部屋の前まで見知らぬ男性を案内するのは気が引けた。青年もそれはわかっているだろうが、「大丈夫か?」と心配した。

「衛兵に頼んで、運んでもらうか」
「いえ、もうすぐそこですから」

 大丈夫です、と言いかけ、イレーネの名前が遠くから呼ばれた。見れば、ディートハルトだった。彼はすぐに状況を理解したようで、近づいてくるなり、ひょいと青年の本を奪い取った。

「あとは私が代わりに運ぼう」
「貴殿はこの先へ行くのか?」

 不躾な振る舞いがやや癪に障ったのか、それとも堂々と王女殿下の私室へ行くのを非難しているからか、青年の声はどこか硬かった。

「王女とは知り合いだ。用事を済ませば、すぐに引き返す。貴殿が行くより、問題にはなるまい」

 白い服装に目をやりながらディートハルトは言った。青年もディートハルトの黒い騎士団服に目をやりながら、「そうだな」と答える。

「では、私はこれで失礼する。――レディ。先ほどは有益な言葉、どうもありがとう」
「いいえ、こちらこそ。手を貸して下さって助かりましたわ」

 イレーネの言葉に彼は目を細め、白いマントを翻して去っていった。

「本を運ぶのを手伝ってもらっていたのか」

 残されたディートハルトに問われ、イレーネは簡単に経緯を説明しながら王女の自室へ向かった。

「きみのことだから、絡まれているのかと思った」

 そういえばいつも異性に声をかけられると身構えてしまうが、あの男性には嫌悪感を抱くことはなかった。やはり、珍しい人間だ。

 しかし、自分を心配してわざわざ戻ってきてくれたのかとイレーネはディートハルトの端正な横顔を見上げた。

「あの、先ほどの女性は大丈夫ですの」
「ああ。婚約者のもとへ向かうと言って別れることができたから、ちょうどよかった」

 悪びれもなく言ったディートハルトにイレーネはそうですかとそれ以外の返答が見つからず言った。自分はただの、ちょうどいい口実だったらしい。

「それより、有益な言葉、というのはどういう意味だ?」
「騎士団のことで悩んでいるようでしたので、あなたのような方がいれば下の者たちは安心できると言ったんです」

 ふうんと彼はさして興味のなさそうに相槌を打った。

「初対面相手に自身の悩みを打ち明けるなんて、よほど悩んでいるんだろうな」

 ディートハルトは独り言のように述べると、扉の前で待機している衛兵に本を渡した。中まで入るのはさすがに控えるらしい。

「俺はこれで失礼する」
「はい。ありがとうございました」

 イレーネが軽く頭を下げると、ディートハルトは去っていった。彼はこの後、あの夫人のもとへ機嫌を取りに戻るのだろうか。それとも別の女性だろうか。イレーネにはわからなかった。

「――あら。あなたが持ってきたの」

 長椅子に寝そべっていたイレーネの主――グリゼルダが閉じかけた扉の向こうに視線を向けながら起き上がった。結っていない金色の髪がさらさらと肩から零れ、ため息がつくほど美しかった。

「誰かに運んでもらったの?」
「ええ。白の騎士団の方と……ディートハルト様に」
「ふうん? 二人の騎士様に運んでもらえるなんて、イレーネも隅に置けないのね」
「いえ、騎士団の方は途中でぶつかってしまって、そのお詫びに。ディートハルト様も、偶然通りかかったので手を貸してもらっただけです」

 口にして、別に律儀に説明する必要はなかったかもしれないと思った。グリゼルダも別にどちらでもいいというように本を捲り始めていたから。

「それにしても、白の騎士団が王城に滞在しているということは、そろそろ戦も近いのね」

 不意に窓の外を王女が見たので、つられてイレーネも見る。青い空にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。血生臭い戦争とは無縁の天気だ。

「聖地を取り戻したいなんて言っておきながら、結局は暴れたいだけなのよね」

 イレーネたちが信仰する神が生まれたとされる土地。そこは今、蛮族――異国の人間、異教徒たちによって支配されている。

 神域が蹂躙され、穢されてしまえば、貧困や争いなどの恐ろしい災いが次々と我が国に降りかかる。ゆえに蛮族たちを土地から追い出し、奪還しなければ平和は訪れない。

 国王や聖職者、政に関わる貴族たちはそう考えた。

 今回白の騎士団へ応援を要請したのも、そのためであった。修道士でもある彼らにとって、この戦いは聖戦ともいえた。

「他の目的を持つ人間も、いるようだけれど」

 ちらりと姫がイレーネの顔を見る。彼女は目を伏せて、気づかない振りをした。

 ディートハルトは戦から無事に帰還したら、マルガレーテを望むつもりだ。

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