わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

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2、ディートハルト

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 ディートハルト・フォン・ローゼンベルク。

 少し癖のあるプラチナブロンドの髪に、全体的に彫の深い、冷たい印象を与える整った顔立ちだが、神秘的な色をした紫の瞳にじっと見つめられると不思議と心を奪われてしまう。何もかも、男に捧げてしまいたくなる。

 ディートハルトに恋した女性は、みなそんなふうに彼のことを言う。

 容姿だけでなく、王立騎士団で王族の護衛を任されている彼は優秀な騎士だと評されており、実家も建国当初から名を残すローゼンベルク公爵の嫡男で、まさに女性からすれば王太子の地位に匹敵するほどの人物。

 彼に選ばれることは何よりも名誉なことであり、幸福なことであった。

 だから婚約者であるイレーネは本来ならば泣いて喜ぶべきなのだろう。毛織物業などの商売により莫大な利益を得た金で、爵位を手に入れたと評される男爵家の娘が歴史ある公爵家と縁を結ぶことができた幸運をもっと噛みしめるべきなのかもしれない。

 しかしイレーネは、ディートハルトの存在が恐ろしかった。

 たしかに彼はとても美しい容姿をしている。立ち振る舞いだって理想の騎士であろう。だがその本性は、目的のためならば手段を選ばない残酷なものだ。

 彼がイレーネという婚約者がいながら、誘われればどんな女性であろうと一夜を共にする。

 そしてそんな女性たちも、彼にとっては離宮で監禁されるように暮らしている王女、マルガレーテに近づくための手段でしかなかった。

 マルガレーテはもともと辺境伯の娘であった。しかし王妃が亡くなると同時に王都へ呼び戻され、王女と発表とされた。実は国王が寵愛していた女性の娘であったが、王妃の嫉妬を恐れ、一時的に辺境伯の養女として預けられていたらしい。

 周辺諸国と同じように、この国の宗教も、一夫一妻が基本だ。愛人を持つことなど、神の教えに背くことであった。

 だが政略結婚が基本である王侯貴族にとって必ずしも互いを好きになるとは限らず、夫は妻に隠れて女性を囲うことが多々見受けられる。

 国王もその一人で、王妃の目から逃れさせるように、愛しい女、お気に入りの女たちを離宮に住まわせていた。マルガレーテの母親は特に大事に囲われていたらしい。

 マルガレーテは王妃の血を引いていないが、国王の正式な娘とみなされるために王妃が産んだことにされて、この国の第八王女となった。彼女の他にもそうした王子や王女はいたが、彼女の妖精のような美しさや育った経緯から、特に注目を浴びた。

 ディートハルトは幼い頃身体が弱く、王都から離れた土地で療養していたという。そこでまだ辺境伯の娘として少女時代を過ごしていたマルガレーテと出会い、恋に落ちた。

 成長した彼は彼女に求婚しようとしたが、彼女は王女であったことがわかり、国王も大事な娘をできることならば然るべき相手――隣国の王子などに嫁がせようと考えていた。

 だがディートハルトは諦めきれず、戦で勲章を立て、その褒賞に姫を望むことを企んだ。戦争には莫大な金が必要だ。彼がその資金を用意してやれば、国王に恩を売れる。

 ちょうど、爵位をもらったはいいが、社交界からはつま弾きにされ、強力な高位貴族との繋がりを欲している家があった。――イレーネの父親、メルツ男爵だ。

 ディートハルトは父の浅ましい欲を見抜き、娘との婚約に乗ってやることにした。しょせんは婚約者。結婚しているわけではない。後でいくらでも破棄することはできると思って……。

 だが父もディートハルトの思惑には気づいていたのか、娘がいずれは捨てられると危惧したのだろう。その前に既成事実を作らせようとして――ディートハルトを宴の席に招き、そこで薬を盛って、イレーネの処女を散らせた。それで子どもが孕めば、さすがのディートハルトも責任を取るしかない。

 しかしディートハルトの方が一枚上手だった。あるいは似たような経験をすでに経ていたのかもしれない。正気に返った彼は常備していた薬――避妊薬をイレーネに手際よく飲ませたのだから。

「このことは決して男爵に言わないように」

 もし告げ口したらおまえの命はない。

 ディートハルトの目はそう告げており、イレーネは震えながら頷いた。彼女とて、こんなかたちで子どもを産みたくはなかった。

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