上 下
41 / 41

41、太陽の騎士

しおりを挟む
 爽やかな夏の日。その日イリスは、朝から忙しかった。普段は昼近くまで寝ている母のマリエットも起きて執事やメイドたちにあれこれ指示を出していた。

 今日はシェファール家で茶会が開かれるのだ。
 参加するのは――

「イリス」
「ラファエル。いらっしゃい」

 彼は花束を抱えており、イリスに渡してくれた。

「何か手伝うことはあるか」
「あなたは招待された側なんだから、始まるまでゆっくりしていて」
「だが……」
「イリス。ラファエルと一緒にお客様を出迎えてあげたら」

 マリエットがそう言うと、ラファエルが行こうというように手を差し出した。

「いいの、お母さま?」
「いいのよ。今回の茶会はあなたが考えて、当日までの準備をしてくれたんですからね」
「まだ全然だわ」

 上手くいかないことも多く、結局母に手伝ってもらった。

「あら、私だって最初からすべて完璧にできたわけじゃないわ」
「そうなの?」
「そうよ。でも大切な人を精いっぱいもてなしたくて頑張ったの」

 大切な人、と口にする時、母は執事と何か話し込んでいた父の方をちらりと見た。視線に気づいた父が軽く手を挙げると、愛おしげな微笑をその口元に浮かべた。

「だからいいのよ、イリス」
「……ええ、わかったわ。お母さま」

 イリスはラファエルと一緒に玄関まで行くと、訪問者を出迎えた。

「イリスさん。今回はお招きして頂いてありがとう」

 アナベルが淡いグリーンのドレスに身を包んで挨拶した。他にもベルティーユの茶会の時に知り合ったご令嬢が訪れた。両親と仲の良い貴族の夫婦も何人か参加している。そして――

「コリンヌ嬢。ようこそいらっしゃい」

 コルディエ公爵夫人の姪にあたるコリンヌ・ルーセルが、今回イリスが最も呼びたかった人物だ。彼女は今回、コルディエ公爵夫人ではない別の女性と共に出席していた。

「イリス様。前回は叔母がとんだご無礼を致しまして……」

 コリンヌは恐縮した様子で謝ると、ラファエルにも同じことを述べた。彼は気にしなくていいと述べ、コリンヌを気遣う言葉を淡々と、けれど優しさを込めて贈った。それに感激したかどうかはわからないが、少女の目が一瞬サッと潤んだ。

「身体が弱い母に代わって、叔母にはよく面倒を見てもらっていたのですが、まさかこんなことになるなんて……本当にごめんなさい」

 十二歳という年齢を考えれば、コリンヌはずいぶんとしっかりした少女である。

「もういいのよ、コリンヌ。あれはあなたの責任ではないのだし、不幸なことが重なってしまっただけ……それより今日はあなたと話がしたくて、招待したの。どうか暗い顔をなさらないで、楽しんで行って」

 イリスが心からそう述べると、コリンヌはようやく胸のつかえがとれたのか、軽く息を吐き、少女らしい無邪気な笑みで「はい」と答えた。

 彼女は付き添いの夫人と一緒に中へ進んでいき、アナベルの姿に気づくと、そちらへ近づいて行った。彼女もまた、イリスと同じことを述べるだろう。

「イリスが今回茶会を開いたのは、あの子のためか」
「ええ。王女殿下から気にしていると聞いたから……」

 コルディエ公爵夫人の目を気にして、あちらから謝罪することも難しいだろうと思われた。謝れば、叔母のせいだと認めることにもなるから。けれどあの少女の様子から、放っておけばますます胸を痛めるだろうと思った。

 だからあえて、イリスの方からコリンヌを茶会に招待したのだ。

「仲良くなれば、また似たようなことが起きた時、力になってあげられるかもしれないわ」

 イリスがそう言うと、ラファエルはまじまじと顔を見つめてきた。そしてふっと表情を崩した。

「……イリスも変わったな」
「そう?」
「ああ。昔はずっと怖い怖いって、俺の後ろに隠れていたのにな」

 揶揄いつつも、どこか寂しさも感じられる言い方だった。

「そんなことないわ。今だって、本当は怖いのよ」
「今も?」
「そう。コルディエ公爵夫人が我が家に怒鳴り込んでくるんじゃないかって」
「夫人が?」

 ラファエルは予想もしなかったというように目を丸くして、やがて可笑しそうに「確かに」と同意した。

「あの夫人ならあり得るな。一体何を企んでいるのよ、って」
「でしょう? だから今もすごく緊張しているの」

 でもね、とイリスはラファエルの方を見る。

「ラファエルのこと考えていたら、わたしも頑張ってみようって思えたの」
「俺のこと?」
「そう。あなたはわたしのこと、いつも守ってきてくれた。だから怖い目に合っても、落ち込んでも、また立ち直れるって思ったの」

 その怖いことは物語のような敵から命を狙われるものではない。噂や嘲笑、将来への不安、面と向かっての悪口。取るに足らないことでも、イリスにとってはとても恐ろしく、いつまでも引きずってしまいそうな危険があった。

 ラファエルの言葉や態度は、そんな危険からイリスを守ってくれる。

「太陽の騎士、みたいに?」
「えっ」

 どうしてそれを、とイリスが驚く。彼は悪戯っぽい目をして「さぁな」と答えた。

「ただ最近、俺は氷の騎士ではなく、太陽の騎士だと訂正されているらしい。見知らぬ誰かによって」

 ……きっとベルティーユだ。そしてたぶん、サミュエルも。

「彼らからすると、騎士を誰よりも愛する女性がそう言うのだから間違いないらしいぞ」

 ラファエルが揶揄うようにイリスの目を覗き込んでくるので、彼女は恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。

「そ、そうなの。誰だろうね」

 答えなんてたった一人に決まっている。けれどイリスは本人を目の前にして名乗り出る勇気はなかった。必死で目を合わせまいとするイリスを、ラファエルは愛おしげに見つめていたけれど、彼女がそれに気づくこともなかった。気づいていたら、さらに顔を真っ赤にさせたことだろう。

「イリス、ラファエル君。お客様もほぼ全員集まったようだから、そろそろホールに来なさい」
「はい。お父さま」

 行こう、とイリスはラファエルの手を引いた。二人が来客用の広い室内に現れると、思い思いに話をしていた人々が一斉に視線をこちらへと向けた。シェファール侯爵が主催の挨拶を軽く述べ、最後にふと思い出したように続けた。

「そうだ。みなさんに一つお知らせしておかなくてはなりませんでした」

 侯爵はそう言うと、イリスとラファエルを前へと誘う。

「こちらは私の娘、イリス・シェファールとデュラン伯爵の息子でもあり、サミュエル殿下の護衛騎士でもあるラファエル・デュランです。彼らはお互いに婚約者でもあります」

 まぁ、という声を客人はあげた。

 イリスとラファエルは侯爵の紹介に驚いた。彼がこうして誰かの前で正式に婚約者だと告げるのは初めてのことだったからだ。

「近々一緒になる若き恋人たちをどうか皆さまに祝福して頂けると、父親として、私も非常に嬉しく思います」

 侯爵の言葉に応じるように歓声が上がった。イリスは呆然と父の顔を見つめた。ラファエルもまた信じられない様子である。

「お父さま。いいの?」
「ああ。マリエットとも話し合ってね」

 いつの間にか母が父の隣に佇んでいた。

「あなたたちの熱意には負けたわ」
「お母さま……」
「ラファエル君。イリスのこと、これからもよろしく頼むよ」

 ラファエルは放心した様子だったが、しっかりと頷いた。

「さ。湿っぽい話はまた後にしましょう。今は大切なお客様をもてなすことが先だもの」

 そう言って母は夫人たちの方へと行ってしまった。父も後は二人でどうぞとばかりにマリエットの背を追いかけて立ち去る。残されたイリスとラファエルは、ゆっくりと互いの顔を見合わせた。

「……なんだか、夢みたい」
「ああ。許される時は、意外とあっさりなんだな」

 たしかに。

「でも、やっと叶ったね」

 約束の一つ。結婚すること。

「まだまだたくさんあるけどな」
「うん。でも、嬉しい」

 ふふ、とイリスは微笑んだ。

 そんなイリスの顔を見ていたラファエルがふいに顔を近づけた。彼の青い瞳がイリスの視界いっぱいに映る。触れるだけの感触。一瞬の出来事で、周りもおそらく気づいていない。

「――イリス」

 ラファエルが耳元でそっと呟いた言葉に、イリスはまた大きく目を見開いた。顔を赤くして、目を逸らして、――けれどやがて嬉しそうに、好きな人の目を見つめ返して「わたしも」と彼だけに聞こえるようそっと囁いたのだった。


 おわり

しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。 ※感想欄では読者様がせっかく気を遣ってネタバレ抑えてくれているのに、作者がネタバレ返信しているので閲覧注意でお願いします…

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 だが夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

隠れ蓑婚約者 ~了解です。貴方が王女殿下に相応しい地位を得るまで、ご協力申し上げます~

夏笆(なつは)
恋愛
 ロブレス侯爵家のフィロメナの婚約者は、魔法騎士としてその名を馳せる公爵家の三男ベルトラン・カルビノ。  ふたりの婚約が整ってすぐ、フィロメナは王女マリルーより、自身とベルトランは昔からの恋仲だと打ち明けられる。 『ベルトランはね、あたくしに相応しい爵位を得ようと必死なのよ。でも時間がかかるでしょう?だからその間、隠れ蓑としての婚約者、よろしくね』  可愛い見た目に反するフィロメナを貶める言葉に衝撃を受けるも、フィロメナはベルトランにも確認をしようとして、機先を制するように『マリルー王女の警護があるので、君と夜会に行くことは出来ない。今後についても、マリルー王女の警護を優先する』と言われてしまう。  更に『俺が同行できない夜会には、出席しないでくれ』と言われ、その後に王女マリルーより『ベルトランがごめんなさいね。夜会で貴女と遭遇してしまったら、あたくしの気持ちが落ち着かないだろうって配慮なの』と聞かされ、自由にしようと決意する。 『俺が同行出来ない夜会には、出席しないでくれと言った』 『そんなのいつもじゃない!そんなことしていたら、若さが逃げちゃうわ!』  夜会の出席を巡ってベルトランと口論になるも、フィロメナにはどうしても夜会に行きたい理由があった。  それは、ベルトランと婚約破棄をしてもひとりで生きていけるよう、靴の事業を広めること。  そんな折、フィロメナは、ベルトランから、魔法騎士の特別訓練を受けることになったと聞かされる。  期間は一年。  厳しくはあるが、訓練を修了すればベルトランは伯爵位を得ることが出来、王女との婚姻も可能となる。  つまり、その時に婚約破棄されると理解したフィロメナは、会うことも出来ないと言われた訓練中の一年で、何とか自立しようと努力していくのだが、そもそもすべてがすれ違っていた・・・・・。  この物語は、互いにひと目で恋に落ちた筈のふたりが、言葉足らずや誤解、曲解を繰り返すうちに、とんでもないすれ違いを引き起こす、魔法騎士や魔獣も出て来るファンタジーです。  あらすじの内容と実際のお話では、順序が一致しない場合があります。    小説家になろうでも、掲載しています。 Hotランキング1位、ありがとうございます。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

【完結済】ご令嬢たちの憧れの的の侯爵令息様が、なぜかめちゃくちゃどもりながら真っ赤な顔で私に話しかけてきます

鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
貧しい男爵家の長女シャーリーンは、ある日の週末、婚約者のスチュアートから突然婚約破棄を言い渡されてしまう。 呆然としたまま翌週学園に登校したシャーリーンに話しかけてきたのは、これまで自分とは縁もゆかりも無かった一人の男子生徒だった。 ※10000文字くらいの短編です。そのうち短編集に入れ込むかもしれません。

処理中です...