氷の騎士様は実は太陽の騎士様です。

りつ

文字の大きさ
上 下
34 / 41

34、アナベルのお見舞い

しおりを挟む
 次に目を覚ました時、イリスの目は天井を映していた。

(ここは……)
「ああ、イリス! 目を覚ましたのね!」

 目に涙を浮かべた母がイリスの顔を覗き込む。……母の泣いている顔など初めて見たかもしれない。

「お母さま。わたし……」
「イリス。まだ寝ていなさい」

 起き上がろうとするイリスを止めたのは父であるシェファール侯爵だった。

「劇場で倒れてしまって、医者も呼んで色々確かめたそうだが、特に問題はないようだったからラファエル君が連れて帰ってきてくれたんだ。アナベル嬢も一緒に。覚えているかい?」
「ええ。コルディエ公爵夫人と会って……」

 けれど倒れた後の記憶はなかった。

「言い争う姿に驚いてしまったようだね。ラファエル君が説明してくれたよ」

 ラファエルの名前にイリスはもう一度起き上がった。

「お父さま。わたし、ラファエルやアナベルさんにとても迷惑をかけてしまったわ」

 いくら公爵夫人が怖かったからといって気絶してしまうなんて……イリスは自分の弱さに泣きそうになった。

「大丈夫だよ、イリス。二人とも心配はしていたが、迷惑だなんて思っている様子は少しもなかった。むしろこんなことになってしまって申し訳ないと何度も謝ってくれたんだからね」
「そんな! わたしが勝手に倒れただけなのに!」
「ああ、わかっているとも。だから次に会った時に、助けてくれたお礼をたくさん言ってあげなさい」

 いいかい? と優しい口調で言われ、イリスは何度も頷いた。侯爵は微笑むとイリスの名前を呼んだ。

「倒れたことを気に病む必要はない。今回のことは全くの不慮の事故だ」
「……でも、わたし自分が情けないわ」
「それを言うなら、コルディエ公爵夫人の方がよっぽど情けないだろう。彼女はイリスより大人で、爵位だってずっと上だ。それなのに貴族としてあるまじき醜態を晒した。王太子殿下の友人を疑い、自分の姪にも喚き散らしたそうだからね。おまえがその場で気を失ってしまうのも無理はない」
「そう、かしら……」

 そうだとも、と侯爵は深く頷いた。

「我々は貴族だ。どんな理由があれ、己の怒りや苛立ちを他人に晒してはいけない。傷つけるなど、もってのほかだ」

 父の言葉にイリスは俯いた。厳しく、難しい言葉だと思った。

「とにかく今はゆっくり休みなさい。身体は大丈夫でも、心はまだ落ち着いていないようだからね」

 さぁ、と侯爵はもう一度イリスを寝かせると、そばで何も言えず涙を浮かべている妻へと声をかけた。

「ほら、マリエット。もう泣かないで」

 侯爵に肩を抱かれ、母は部屋を出て行った。途中イリスを振り返って見つめる目はイリス自身よりも傷つき、弱っているようだった。

(お母さま……)

 一日ぐっすり眠れば、イリスの体調はもうすっかり良くなった。もともと気絶しただけだから当然なのだが、両親は心配して部屋で大人しくしているよう言いつけた。使用人たちも気を遣い、イリスをまるで重病者であるかのようにベッドに横たわらせ、世話を焼いてくる。

 イリスは大げさだと思いつつ、両親の気持ちもよくわかったので、逆らわず大人しく本を読んだりして過ごした。そしてその数日後。

「お嬢様。お客様がお見えでございます」

 訪れたのはアナベルであった。彼女は見舞いの品だけ渡して帰ろうとしたそうだが、侯爵の勧めにより部屋へと案内された。

「具合はどう?」
「ええ、もうすっかり。どこも悪くないのに大人しくしているよう言われて……少し困っているの」
「それくらい心配しているんでしょ」

 用意された椅子に座り、アナベルは真面目な顔をして言った。

「あなた、見かけ通り……いえ、見かけ以上に繊細ですもの。ご両親が心配なさるのも無理ないわ」
「でも、あんなことになってしまって……アナベルさんたちにも迷惑をおかけしてごめんなさい」
「別に謝ることではないわよ」
「……お見舞いまで来てくれてありがとう。嬉しいわ」
「別に。きちんと休んでいるか、確かめに来ただけよ」

 ふん、とそっぽを向いて肩にかかった髪を後ろへと払うアナベルにイリスは微笑んだ。

「だいたい謝るべきはコルディエ公爵夫人でしょう? あんな公の場で騒ぎを起こして……いい年して恥ずかしくないのかしら」
「夫人はあの後、どうなったの」
「貴女が倒れた後、当然人が集まってきてね。自分のせいになるんじゃないかって、逃げるように取り巻きの夫人たちと帰って行かれたわ」

 信じられないわよね、とアナベルは軽蔑したように言った。

「コリンヌ嬢は大丈夫かしら……」

 叔母である夫人に問い詰められていて、彼女は真っ青になっていた。イリスと同じか、それ以上に怖い思いをしたはずだ。

「本人は貴女のことを気にかけて残りたかったみたいだけど、夫人に引きずられるようにして帰って行ったわ。あの感じだと、帰る途中も色々言われてそうね」
「そんな……」

 イリスは心配だと顔を曇らせた。

「お父様に聞いた話だけど、夫人は姪のコリンヌ嬢を王太子殿下の妃にしようと画策しているみたいなの」
「そうなの? でもあの子、ずいぶんと幼く見えたわ」
「ええ。十二歳ですって」
「まぁ……」

 まだ子どもとも言っていい年齢にイリスはますますコリンヌが可哀想に思えた。

『わたしはそんなもの、望んでおりません』

 コリンヌの言葉が本当なら、夫人は無理矢理姪を嫁がせようとしているわけだ。

「そこまでして殿下の妃にさせたいのかしら……」
「噂じゃ、夫人が王太子殿下への想いをコリンヌ嬢で果たそうとしているって話よ」
「ええ?」

 どういうことだと目を瞬くイリスに、アナベルは声を潜めて教えてくれた。

「コルディエ公爵夫人はサミュエル殿下のことを慕っているけれど、もう結婚しているから愛人にはなれても妃にはなれないでしょ? 年も離れているし、すでに公爵の妻でもある夫人のプライド的にも、そんな地位は許せない。だから代わりに同じ血筋のコリンヌ嬢が殿下と結婚してくれれば、自分の想いも叶ったように思うわけ」

「そういう、ものなのかしら……」

 イリスにはよくわからなかった。コリンヌがサミュエルと一緒になれたとしても、それは結局夫人本人ではないから意味がないのではないか。

「素性のわからない女よりは自分がよく知っている……劣っている女の方がマシってことなんじゃないかしら」
「そんなのコリンヌ嬢に対して失礼だわ」
「ええ。全くだわ。失礼な女性よ」

 その通りだとアナベルは深く頷いた。

「あの方はわたくしの身分の低さを嘲笑なさったけれど、わたくしからすればあの方の振る舞いこそ人として恥ずかしいと思うわ」
「……わたしも酷いと思うわ。アナベルさんのご両親のこともあんなふうにおっしゃって」

 イリスがそう言えば、アナベルは「あら」というように目を丸くした。

「イリスさんがそんなことをおっしゃるなんて」
「だって、アナベルさんのご両親は互いに深く愛し合っているのでしょう? お二人の事情も知らず決めつけた物言いをなさるなんてよくないわ」

 怒った口調でイリスが文句を言えば、なぜかアナベルはクスリと笑う。

「アナベルさん?」
「いいえ、ごめんなさい。あの時倒れた貴女と今の貴女が本当に同じ人物なのかと思って」
「うっ……だって本当に怖かったんですもの」

 でも今こうして冷静に振り返ってみると、コルディエ公爵夫人に対する腹立たしさが湧き上がってくる。

(ラファエルやアナベルさんにも手を上げようとしたこと、絶対に許せないわ……)

「そういえば貴女の婚約者様もお見舞いに来ているの?」

 アナベルの質問にイリスは顔を上げる。

「いいえ。ラファエルは来ていないの」
「うそ。あの方が?」

 アナベルは信じられないと目を大きく見開いた。

「どんなに忙しそうでも絶対毎日寄りそうなのに……」
「ええ。毎日寄ってくれるわ」

 ただイリスに会うことは禁じられていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「いなくても困らない」と言われたから、他国の皇帝妃になってやりました

ネコ
恋愛
「お前はいなくても困らない」。そう告げられた瞬間、私の心は凍りついた。王国一の高貴な婚約者を得たはずなのに、彼の裏切りはあまりにも身勝手だった。かくなる上は、誰もが恐れ多いと敬う帝国の皇帝のもとへ嫁ぐまで。失意の底で誓った決意が、私の運命を大きく変えていく。

結婚しましたが、愛されていません

うみか
恋愛
愛する人との結婚は最悪な結末を迎えた。 彼は私を毎日のように侮辱し、挙句の果てには不倫をして離婚を叫ぶ。 為す術なく離婚に応じた私だが、その後国王に呼び出され……

月が隠れるとき

いちい千冬
恋愛
ヒュイス王国のお城で、夜会が始まります。 その最中にどうやら王子様が婚約破棄を宣言するようです。悪役に仕立て上げられると分かっているので帰りますね。 という感じで始まる、婚約破棄話とその顛末。全8話。⇒9話になりました。 小説家になろう様で上げていた「月が隠れるとき」シリーズの短編を加筆修正し、連載っぽく仕立て直したものです。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

処理中です...