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王子の願い

茶番

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「殿下。また来たんですか」

 冷たい眼差し、というより感情のない目が私を捉え、同じ言葉を繰り返す。彼女はもう以前のように私のことを「アーサーさん」とは呼ばない。そんな呼び方をする者はこの国には誰もいないと気づいたからだ。

「ああ。ミレイと少しでも話したくて」
「わたしは話すことは特にありません」

 話したくもない、と俯く姿は語っていた。
 私は構わない、と答えて彼女の前に座る。

「私がミレイと話したいから会いに来たんだ」

 私は何気ない話をした。庭園の花が綺麗で見かける度につい立ち止まってしまうこと、猫が王宮の厨房に入り込んで魚を狙って大変な騒ぎになったこと、取るに足らない日常の話、彼女の世界でもあったかもしれない日々のことを口にした。

「そう。それは、大変でしたね」

 ミレイの感想はそっけない。それでも返事をしてくれる当たり、彼女の非情になりきれていない面を物語っている。

 本当は彼女の故郷のことをたずねたかった。どんな所に住んで、どんな生活をして、何を毎日夢見て彼女は生きていたのか。

 けれどもうミレイは帰ることができない。だから聞いてしまっては彼女に辛い思いをさせるだけだからと私は決して聞かなかった。

「また明日、会いに来るよ」
「……殿下はいつまでこんなこと続けるんですか」

 振り返れば、ミレイはじっと見透かすように私の目を見た。

「ずっと続けるよ」

 特に考えることなく、するりと口にしていた。
 そうだ。私はずっと、ミレイに会いに来ると思う。

「私にできることは、これくらいしかないから」

 憎しみをぶつけてくれても、口汚い言葉で罵ってくれても構わなかった。いっそそうしてくれた方がずっと楽だったと思う。けれど彼女は私を静観するように、ただじっと息をひそめ、淡々と日々を過ごしていた。

「アーサー。私ももう長くない」
「父上……」

 ミレイを召喚してからもう二年の月日が過ぎていた。

「王位を……王位をフィリップに譲ろうと思っている」
「陛下。それは……」

 私ではなく、キャサリン嬢の父君である宰相閣下が声を上げる。

 むろん私も声が出ぬほど驚いていたし、なぜ、と頭の中が真っ白になった。――けれど心のどこかで、冷静なもう一人の自分が「やっぱり」と納得していた。

 父は私を認めてくれなかった。愛していなかった。

「……父上。フィリップではこの国をまとめ上げるには難しいものがあるでしょう」
「ならばお前がそばで支え続ければよいではないか。これまでのように、ずっと」

 私は父の言葉に納得できないと、とりあえずの反論を繰り返した。しかし父の意思は変わらず、最初納得のいかなそうな顔をしていた宰相閣下も終盤何かを考える素振りをしていたので、もしかすると私ではなく弟でも構わぬと考えを改めているかもしれない。

 どこか遠い意識のまま、私はその場を後にした。

「殿下!」

 執務室へ戻る途中、キャサリン嬢が息を切らしながら私を呼び止めた。

「殿下。王位をフィリップに譲るかもしれないというのは本当ですか」
「まだわからない。けれど父が決めたことなら、私は従うつもりだ」
「そんな!」

 キャサリン嬢は真っ青な顔で私に縋りつく。

「それではわたくしはどうなるのですか!? これまで必死に王妃になるべく努力してきましたのに! 貴女を支えてきましたのに! すべて水の泡になるということですの!?」

 王妃になれないことを、彼女は悲しんでいた。

「……貴女には、申し訳ないことをしたと思っている」
「殿下!」

 ならばどうにかして!

 このままでは嫌だと珍しく感情を乱すキャサリン嬢を私は慰める気になれず、疲れているからと執務室に逃げ込んだ。エドヴィンや護衛の騎士が彼女に駆け寄っていたので、もういいだろうと思った。私の後を追いかける者はおらず、けれどすぐに次の客人が現れる。

「兄上」
「なんだ」

 王位を譲るという父からの言葉に、私は弟が辞退すると思っていた。してくれると思っていた。けれど――

「僕はキャシー……キャサリンのことを愛しています。兄上には悪いと思っています。けれど彼女と一緒になれるなら、そして父上も認めてくれるなら、僕がこの国の王になりたい」

 私は何と答えただろう。覚えていなかった。

 その後エドヴィンが来て、キャサリン嬢がどうのと話していた気がするが、私がろくに返せないと気づくと、諦めた様子でまた来ると告げた。

 入れ替わり立ち替わり臣下たちが部屋を訪れ、口をぱくぱくさせながら必死に私に何かを伝えようとして……ようやく一人になると、なにやら無性に可笑しさが込み上げてきて、けれど笑えなくて、顔を覆って何時間も椅子に座り続け――ふとミレイに会いに行かなくてはと思った。

 ミレイの前ではいつも通りの自分を演じなくてはならない。演じることができる。

 私は彼女と会うことで心の均衡を保とうとしていたのだと思う。しかし彼女は聡かった。いつもと違う私の様子に気づき、鋭い指摘で呆気なく私が動揺するよう導いた。

 ミレイの言葉は怖かった。私の人生を見抜いていた。私が必死に隠そうとしていた恥ずかしく、哀れな面を容赦なく暴き、引きずり出した。

「かわいそうな人」

 ……そうだ。私は可哀想な人間だった。父に愛されず、婚約者にないがしろにされ、弟には尊敬されず、友には友情より女の心配をされた。

 私は一体何のために努力してきたのだろう。一体誰のために我慢を重ね、耐えてきたというのだろう。

「ねぇ、どうして?」

 どうして。

 ミレイの視線は私を捉えていなかった。彼女もまた、報われない努力に生きる虚しさを覚えていた。無邪気に笑う彼女はもういない。作り物の笑みを浮かべ、それでも周りに受け入れてもらえず、少しずつ心を壊してゆく彼女の姿を、私はずっと見てきた。

 ミレイはもう一人の私だった。彼女が耐えていることで、私もまた顧みられない自分の状況から目を背けることができたのだ。

「そっか。おんなじなんだね、わたしたち」

 泣きそうな、困ったような顔で彼女は私に言った。笑おうとしてできなかった表情に、私は涙が零れた。今まで人前で泣いたことはなく、一人になってからも泣くことはできなかったのに。

 なぜ泣いてしまったのか。明確な理由を述べるのは難しい。ずっと耐えてきたものが抑えきれなくなってしまったからか。同情しているつもりが、実はされていて、情けなかったからか。それとも同じだったという彼女の言葉が悲しかったのか、嬉しかったのか。

 わからない。けれど――

「アーサー。わたしね、この国が滅びればいいと思っていたけれど、あなたのことは嫌いになれないから、特別に許してあげる」

 救われたと思った。

 果てのない道を私はこれからもずっと歩き続けなければならない。共に歩んでくれるキャサリン嬢も、私をそばで支えてくれる友も、血の繋がった弟も、私にこの道を歩めと命じた父も、道の脇にいるだけで私を見ることはない。

 けれどミレイだけは、道の先で私を待っていてくれた。誰もいない道に、彼女だけは迎えに来てくれた。一緒に歩こうと手を差し伸べてくれたのだ。


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