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王子の願い

追いつめられていく運命

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 ミレイのおかげで国中を覆い尽くそうとしていた瘴気はあっという間に収まった。

「本当にありがとう、ミレイ。貴女のおかげだ」
「……いいえ、この国が救われたのなら、よかったです」

 もう頭を上げて下さいとミレイは困ったように言った。当初は混乱していた彼女も、我が国の実情に胸を痛め、しばらく留まることを承諾してくれたのだ。それはいつか故国へ帰ることが約束されているからこそ、成立した契約でもあった。

 早く、早く彼女を元の世界へ帰さなければ……。そのためには呪いを解く方法を必死に探すしかないのだが、時は過ぎてゆく一方であった。

「もう、いいではありませんか」

 ろくに睡眠もとらず、呪いに関する書を片っ端から読んでいた私に、ある日誰かが言った。

「聖女さまのおかげで我が国は滅びを免れました。彼女にずっとこちらにいてもらえれば、すべて片付くことです」

 私は一瞬何を言われているのか理解できず、疲れた頭でミレイを元の世界へ帰す必要はない――ということを相手が言っているのだとわかって、「何を言っているのだ!」と激昂した。

 彼女には彼女の人生がある。私たちの都合で捻じ曲げていいはずがない。

「ですが他に方法がありません。人一人の命と、我が国の何万もの命、どちらが大切か、王太子殿下もわかるでしょう?」

 私は不愉快だとその者たちを追い出した。怒りが収まらず、机を乱暴にダンっと叩く。

『アーサーさん。無理しないで下さいね』

 彼女は笑っていた。何でもない振りをして、私のことを心配してくれた。彼女の方が辛いはずなのに。それなのに私は何もできない。王太子という身分は何一つ、役に立たない。


「――殿下。これは仕方がないことなのです」

 ミレイが元の世界へ帰る手段は失われた。床には術者の血と死体と、炭となった紙の束が散らばっている。

「……仕方のないことだと?」
「はい。聖女さまには永久にこの国に留まってもらいます」
「名誉なことです。我が国のために、その人生を捧げることができるのですから」

 首謀者である宰相閣下が呆然と立ち尽くす私の肩を慰めるように叩いた。「王太子殿下」と呼びかける声の方を見れば、キャサリン嬢が感極まった様子で私を見つめていた。

 彼女の目に涙が浮かんでいるのはなぜだろう。私のために非道な道を選んでも悔いはないという決意の表れか。

 それとも幼少時代、自分より他者が劣っていることを間違いだと指摘しても、悪くないと思って浮かべた涙と同じ類か。

「貴女が頼んだことか」

 私が思わずそう言えば、彼女は大きな目を見開いた。涙が零れ落ちる。可憐で、見る者の同情を誘う姿であっただろう。かつて幼かった私はその涙に罪悪感を覚えた。今もまた「王太子殿下!」と咎めるような声がいくつも耳に届く。

「殿下。娘は何も悪くありません。すべて殿下のため、この国のために私たちが実行しようと決めたことです」
「そうだぞ、アーサー。キャサリン嬢はおまえのために聖女を引き留めたんだ」

 なぜわからないと友であるエドウィンの言葉も、私には理解できなかった。

『大丈夫です。わたし、みなさんを……アーサーさんを信じていますから』

 ミレイの信頼に応えられなかった。最悪の形で私たちは裏切ってしまったのだ。

 もう二度と元の世界へは帰れない。

 私がミレイに伝えた。その時の彼女の絶望した表情、現実を受け入れきれない取り乱した様子、何度も何度も投げかけられる同じ問い、最後には感情の抜け落ちた顔で涙を流す姿、いっそ刃物でひと思いに刺された方がましだと思った。

「アーサーさん、わたし、これからどうすればいいの……」

 彼女の手が私の腕へ伸ばされる。彼女の方から触れられるのは初めてだった。

「わたし、誰を頼ればいいの……?」

 泣いて赤くなったミレイの目が私をひたと見つめる。その瞬間胸を強く衝かれた。彼女は本当に一人ぼっちになってしまったのだと突き付けられ、彼女が私に助けを求めたこと。

 合せ鏡を見ているような錯覚に陥って、今まで誰にも抱いたことのない感情が私の心の奥底に芽生えた瞬間でもあった。

 それは同情、と言ってしまうにはミレイに対して失礼な気がした。けれど実際彼女は可哀想な少女である。見知らぬ世界へ連れて来られ、聖女としての役目を押しつけられ、故郷までを失う羽目になったのだから。

 それだけではない。呪いを封じ込める聖女が気に入らないのか、ミレイ自身に呪いは降りかかった。

「食欲がわかない?」
「ええ。一日食べなくても、平気なんです」

 おかしいでしょう? とミレイはお道化たように言ったけれど、本当はとても怖かったはずだ。

「もう。そんな真っ青な顔しないで下さいよ。何ともないですから、大丈夫です」

 気丈に振る舞う彼女に、私はすまないと謝ることしかできない。

「聖女さまは食事を残されているようですね。せっかく料理人が作ったというのに」

 貴族も全員出された食事を完食するわけではない。むしろ恥ずかしいことだと考えてわざと残す夫人もいる。キャサリン嬢だって知っているはずなのに、ミレイに対しては贅沢だと小言を述べた。

 彼女だけではない。他の誰もミレイのことを気にかけない。いや、表面上は彼女に対して礼儀を尽くし、感謝を表しているが、心のどこかでは「これだけ丁重にもてなしてやってるのだから……」という上からな目線が存在している。

 私は――私だけは、そうはなりたくなかった。ミレイの不安や恐怖を取り除き、ここで平穏に過ごせる道を探し続けた。

 思えばこの時から私はミレイに惹かれていたのかもしれない。同情や憐れみが混じった庇護欲。非道な仕打ちを招いても、私のことを「アーサーさん」と笑いかけてくれる少女の強さと優しさに。

 彼女を見ていると、私も頑張ろうと思った。まだ、頑張れると。

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