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王子の願い
王子様の過去
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「アーサーさん!」
私の顔を見ると、ミレイは嬉しそうに顔を綻ばせた。王族や貴族は感情をあまり顔に出してはいけないと教育されているので、ミレイの態度は新鮮で、少し戸惑う部分もあったけれど、今は心から自分を歓迎しているのだとわかって嬉しく思う。
「すまない。来るのが遅くなってしまって」
「いいえ、いいんです。アーサーさん、王子様なんでしょう? 本当はわたしに会いに来る暇もないほど忙しい身分の方なんだって神官さまがおっしゃっていました」
無理しなくていいんですよ、と彼女は困ったように眉を下げたので、私はそんなことないと首を振る。
「でも、」
「私がミレイといろいろ話をしたいと思っているから神殿へ来ているんだ。だから貴女は気に病まないでくれ」
彼女は聖女として、数カ月前に我が国に召喚された。突然見知らぬ世界に連れて来られてひどく混乱していただろうに、事情を聴いた彼女は国を救うためならばと、最後には葛藤や怒りを抑えて了承してくれた。
私はそんな彼女の勇気と優しさに深く感銘を受け、滞在の間少しでも苦痛がないよう過ごしてもらうことに心を砕いていた。それが彼女へのせめてもの償いだと思って。
「アーサーさんは優しいですね」
くすりと彼女は笑みを零すと、どうぞ座って下さいと着席を促した。
「神殿での暮らしに不便はないだろうか」
「はい。特にありません」
「……本当に?」
あまりにもあっさりと頷かれ、不安になる。
「遠慮せず、何でも言ってくれ」
私がそう言ってもミレイは朗らかに笑ってはいと頷くだけだった。彼女は物わかりがよく、だからこそ我慢しているのではないかと逆に不安に駆られる。
「あの、本当にわたしは大丈夫ですから。アーサーさんの方こそ、無理しないで下さいね」
「……ミレイは優しいね。けれど大丈夫。無理はしていないから」
最近気づいたことだが、彼女と世間話をするのは、私にとっても息抜きのできる唯一の時間であった。
「アーサーさん。きちんと眠っていらっしゃいますか?」
「ああ、眠っているよ」
彼女はじぃっと私を見つめる。居心地が悪くなり、ふいと目を逸らせば、「うそ」と彼女は呟いた。
「目の下にクマができています。寝不足の証拠です」
「……ミレイには敵わないな」
確かにここのところ魔物に侵された土地の後始末で次から次へと仕事が舞い込んできていた。なるべく早く片付けなくては民も安心できまいと、睡眠時間を削って業務に没頭していたのだ。
「だめですよ。身体を壊しては元も子もないです」
「そうだね……わかった。これからはきちんと休もう」
彼女に心配させてはいけないと、しっかり頷く。それでも彼女はまだ私が信用できないのか、疑わしそうな、真面目な顔で私に言った。
「本当に、そうして下さいね。あなたの代わりは誰もいないんですから」
「……そうだろうか」
「そうです。……わたしとこうして話してくれるのも、あなたくらいですから」
「ミレイ……」
ふと暗くなった口調から一転、彼女はにこっと笑った。
「アーサーさんとお話するの、わたしの毎日の楽しみなんです。その唯一の楽しみを、奪わないで下さいね?」
そんなことを言ってくれるのは、ミレイが初めてであった。
私はこの国の王太子として生を受けた。父は偉大な王だった。当然、私もそうなることを期待された。物心ついた時から、礼儀作法がなっていないとお叱りを受け、正しい振る舞いへと矯正されていった。家庭教師は何人もおり、私の理解が乏しくないとわかると彼らの教え方が咎められ、容赦なく解雇されていく。
私は自分の理解力のなさで彼らが辞めさせられるのが申し訳なく、本に書かれた文字を無理矢理頭の中に叩き込んでいった。剣術や馬術も怪我をするのではないかと毎回怖かったが、必要なことだからと我慢して身体に覚えさせていった。
毎日、毎日、繰り返される勉強と稽古の日々に、途中何度か挫けそうになり、やめてしまいたい――それが叶わないのならば、少し休みたいと弱音を吐いたことがあった。
しかし父はそんな私の甘えを決して許さなかった。
「お前はいずれ王になるのだから、これくらいのこと、できて当然だ」
私もまた、父の言い分が正しいと自身の軟弱さを恥じ、謝った。
父のようになるために。父に認めてもらうために。よくやったと、父に自慢の息子だと思ってもらうために。
私はただ、努力し続けた。そうしないと――
「フィリップ。走り回っていては危ない。父の膝の上へおいで」
当たり前だと思っていた。努力しないと、何か秀でたものがないと、愛されないことが。
「ちちうえ!」
でも、違ったのだ。三つ下のフィリップは、何もできない脆弱な子どもなのに、父に微笑みかけられ、腕の中に抱きしめられている。私は一度も、父の抱擁を受けたことがないというのに。
「アーサー。フィリップのために、良き兄として振る舞うのだぞ」
優しさは甘えだと、父は私を突き放した。けれどフィリップには優しさを与えろと命じられる。他者を気遣うことは、か弱き者を守ることは高貴なるものの責任。だから父の言葉は正しい。
矛盾を感じることは、私の間違いであった。
私の顔を見ると、ミレイは嬉しそうに顔を綻ばせた。王族や貴族は感情をあまり顔に出してはいけないと教育されているので、ミレイの態度は新鮮で、少し戸惑う部分もあったけれど、今は心から自分を歓迎しているのだとわかって嬉しく思う。
「すまない。来るのが遅くなってしまって」
「いいえ、いいんです。アーサーさん、王子様なんでしょう? 本当はわたしに会いに来る暇もないほど忙しい身分の方なんだって神官さまがおっしゃっていました」
無理しなくていいんですよ、と彼女は困ったように眉を下げたので、私はそんなことないと首を振る。
「でも、」
「私がミレイといろいろ話をしたいと思っているから神殿へ来ているんだ。だから貴女は気に病まないでくれ」
彼女は聖女として、数カ月前に我が国に召喚された。突然見知らぬ世界に連れて来られてひどく混乱していただろうに、事情を聴いた彼女は国を救うためならばと、最後には葛藤や怒りを抑えて了承してくれた。
私はそんな彼女の勇気と優しさに深く感銘を受け、滞在の間少しでも苦痛がないよう過ごしてもらうことに心を砕いていた。それが彼女へのせめてもの償いだと思って。
「アーサーさんは優しいですね」
くすりと彼女は笑みを零すと、どうぞ座って下さいと着席を促した。
「神殿での暮らしに不便はないだろうか」
「はい。特にありません」
「……本当に?」
あまりにもあっさりと頷かれ、不安になる。
「遠慮せず、何でも言ってくれ」
私がそう言ってもミレイは朗らかに笑ってはいと頷くだけだった。彼女は物わかりがよく、だからこそ我慢しているのではないかと逆に不安に駆られる。
「あの、本当にわたしは大丈夫ですから。アーサーさんの方こそ、無理しないで下さいね」
「……ミレイは優しいね。けれど大丈夫。無理はしていないから」
最近気づいたことだが、彼女と世間話をするのは、私にとっても息抜きのできる唯一の時間であった。
「アーサーさん。きちんと眠っていらっしゃいますか?」
「ああ、眠っているよ」
彼女はじぃっと私を見つめる。居心地が悪くなり、ふいと目を逸らせば、「うそ」と彼女は呟いた。
「目の下にクマができています。寝不足の証拠です」
「……ミレイには敵わないな」
確かにここのところ魔物に侵された土地の後始末で次から次へと仕事が舞い込んできていた。なるべく早く片付けなくては民も安心できまいと、睡眠時間を削って業務に没頭していたのだ。
「だめですよ。身体を壊しては元も子もないです」
「そうだね……わかった。これからはきちんと休もう」
彼女に心配させてはいけないと、しっかり頷く。それでも彼女はまだ私が信用できないのか、疑わしそうな、真面目な顔で私に言った。
「本当に、そうして下さいね。あなたの代わりは誰もいないんですから」
「……そうだろうか」
「そうです。……わたしとこうして話してくれるのも、あなたくらいですから」
「ミレイ……」
ふと暗くなった口調から一転、彼女はにこっと笑った。
「アーサーさんとお話するの、わたしの毎日の楽しみなんです。その唯一の楽しみを、奪わないで下さいね?」
そんなことを言ってくれるのは、ミレイが初めてであった。
私はこの国の王太子として生を受けた。父は偉大な王だった。当然、私もそうなることを期待された。物心ついた時から、礼儀作法がなっていないとお叱りを受け、正しい振る舞いへと矯正されていった。家庭教師は何人もおり、私の理解が乏しくないとわかると彼らの教え方が咎められ、容赦なく解雇されていく。
私は自分の理解力のなさで彼らが辞めさせられるのが申し訳なく、本に書かれた文字を無理矢理頭の中に叩き込んでいった。剣術や馬術も怪我をするのではないかと毎回怖かったが、必要なことだからと我慢して身体に覚えさせていった。
毎日、毎日、繰り返される勉強と稽古の日々に、途中何度か挫けそうになり、やめてしまいたい――それが叶わないのならば、少し休みたいと弱音を吐いたことがあった。
しかし父はそんな私の甘えを決して許さなかった。
「お前はいずれ王になるのだから、これくらいのこと、できて当然だ」
私もまた、父の言い分が正しいと自身の軟弱さを恥じ、謝った。
父のようになるために。父に認めてもらうために。よくやったと、父に自慢の息子だと思ってもらうために。
私はただ、努力し続けた。そうしないと――
「フィリップ。走り回っていては危ない。父の膝の上へおいで」
当たり前だと思っていた。努力しないと、何か秀でたものがないと、愛されないことが。
「ちちうえ!」
でも、違ったのだ。三つ下のフィリップは、何もできない脆弱な子どもなのに、父に微笑みかけられ、腕の中に抱きしめられている。私は一度も、父の抱擁を受けたことがないというのに。
「アーサー。フィリップのために、良き兄として振る舞うのだぞ」
優しさは甘えだと、父は私を突き放した。けれどフィリップには優しさを与えろと命じられる。他者を気遣うことは、か弱き者を守ることは高貴なるものの責任。だから父の言葉は正しい。
矛盾を感じることは、私の間違いであった。
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