8 / 18
聖女の願い
変わったこと、変わらないこと
しおりを挟む
アーサーはキャサリン嬢との婚約を解消した。解消と言っても、相手は駄々を捏ねたので一方的と言った方が正しいかもしれない。一筋縄ではいかなかった。
けれどアーサーも今度は徹底的に反抗した。彼にとって誰かに逆らうというのは初めての経験であった。
最終的に未婚の女性としてはあり得ない振る舞いが槍玉に挙げられ、決定打となった。それでもキャサリン嬢は諦めきれず、泣いて彼に縋ったようだけれど……
「私以外にもきみを想う男性はたくさんいるようだから、そちらに慰めてもらえればいいではないか」と笑顔で突き放したそうである。
彼は変わった。
キャサリン嬢の実家である公爵家を僻地へ追いやり、友人を心の底から信用せず、それとなく距離を置くようになった。彼女に懸想していた近衛騎士の任も解いて、別の人間を採用した。甘やかされていた弟に厳しく接するようになり、父に忌憚ない意見を述べるようになった。
「フィリップではこの国をまとめる力はないでしょう」
反発はあったけれど、彼は穏やかな笑みを浮かべながらすべて力でねじ伏せた。ただ優しいだけの王子様はもうおらず、周囲も次第に彼を王として認識するようになっていく。
「父上。父上も十分王としての責務を果たしました。ですがあと一つだけ、役目を残しておられます」
誰の血も流さず、わたしの存在もなしに竜の呪いを解く方法は結局見つからなかった。アーサーは考えた末、見つける必要はないと判断した。呪いを解く術は、もうずっと前からわかっていたのだから。
国王が病で崩御されたと国民に発表された数日後、フィリップ殿下も若くして命を落とした。兄に対する反逆か、他の誰かの恨みを買ってか。わからないけれど、新しい国王は弟の死を精神が錯乱した末の自殺として処理した。
「アーサー。今日の朝食、とても美味しかったわ」
向かいの席に座るアーサーにそう感想を述べれば、彼は完食された皿をちらりと見て、泣きそうな表情を浮かべた。
「ミレイ。よかった……」
二人が非業の死を遂げたおかげで呪いは解けた。わたしの身体は元の世界に居た時のような平凡なものへと戻り、もう聖女として振る舞う必要性はなかった。
それでも彼はわたしを捨てることはしなかった。
「貴女が今までやってきたことは、間違いなくこの国を救うものだった」
「わたしは特に何もしていないわ」
「いいや、ミレイがいてくれたから、私は……」
彼は変わったけれど、変わらない所もある。弱い者を思いやる心も失われてはいない。彼はわたしのおかげだと言うけれど、わたしも同じだろう。彼のおかげで、完全に心を壊さずに済んだ。
一方で怖くもある。わたしの中で、彼はいつしか途方もなく大きな存在へと変わっていたのだから。
「貴女のことを愛している。どうか私と結婚して欲しい」
「……責任を感じているなら、」
「ミレイが好きなんだ」
だめだろうか……と犬の耳がしゅんと垂れたように落ち込むのはずるい。
「……わたし、王妃として相応しくないわ」
「相応しいよ。街を一緒に回った時、みんなが貴女のことを歓迎していて、感謝していただろう?」
「貴族とか、そういうやり取り、怖い……」
「あれはキャサリン嬢の取り巻きだったから敵対的だったんだ。あなたの功績もいまいち伝わっていなかった。けれど今は違う。ミレイの功績を国中に伝えた。貴女に好意的な人間も必ずいる」
確かに国王となった彼に表立って逆らう者はいないだろう。でも、王妃として相応しいかはまた別の問題だ。
わたしは一時でも彼と気持ちが通じ合えただけで満足していた。それ以上は望んでいなかった。でも……
「ミレイ。お願いだ……」
戻る術はもうない。わたしはこの世界で生きていかなければならない。平民として働いていくことは、わたしの想像よりずっと大変なことだろう。貴族の妻として生きていくこととどちらがましだろうか。
結婚する場合、夫となる男はわたしのことを愛してくれるだろうか。
無理矢理異世界に連れて来られて、帰ることもできなくなって、たくさんの孤独を味わって、もうどうでもいいやと思ったけれど、今はそれほど悲嘆には暮れていなくて、アーサーが前よりずっと明るい表情を浮かべるようになって、わたしの名前を呼んでくれるたびに、わたしの中である感情が芽生えていった。十分だと思っていた気持ちはさらに欲深くなってゆく。ああ、わたしはこんなにも彼のことを――
「……式典とか、大切な行事の時は出席するから、それ以外はずっと屋敷に閉じ籠っていていい?」
「ああ、いいよ。でも時々私と一緒に庭を散歩して欲しいな」
「……あなたが一緒なら」
「ありがとう、ミレイ」
わたしは彼との結婚を受け入れた。惚れた弱みである。
けれどアーサーも今度は徹底的に反抗した。彼にとって誰かに逆らうというのは初めての経験であった。
最終的に未婚の女性としてはあり得ない振る舞いが槍玉に挙げられ、決定打となった。それでもキャサリン嬢は諦めきれず、泣いて彼に縋ったようだけれど……
「私以外にもきみを想う男性はたくさんいるようだから、そちらに慰めてもらえればいいではないか」と笑顔で突き放したそうである。
彼は変わった。
キャサリン嬢の実家である公爵家を僻地へ追いやり、友人を心の底から信用せず、それとなく距離を置くようになった。彼女に懸想していた近衛騎士の任も解いて、別の人間を採用した。甘やかされていた弟に厳しく接するようになり、父に忌憚ない意見を述べるようになった。
「フィリップではこの国をまとめる力はないでしょう」
反発はあったけれど、彼は穏やかな笑みを浮かべながらすべて力でねじ伏せた。ただ優しいだけの王子様はもうおらず、周囲も次第に彼を王として認識するようになっていく。
「父上。父上も十分王としての責務を果たしました。ですがあと一つだけ、役目を残しておられます」
誰の血も流さず、わたしの存在もなしに竜の呪いを解く方法は結局見つからなかった。アーサーは考えた末、見つける必要はないと判断した。呪いを解く術は、もうずっと前からわかっていたのだから。
国王が病で崩御されたと国民に発表された数日後、フィリップ殿下も若くして命を落とした。兄に対する反逆か、他の誰かの恨みを買ってか。わからないけれど、新しい国王は弟の死を精神が錯乱した末の自殺として処理した。
「アーサー。今日の朝食、とても美味しかったわ」
向かいの席に座るアーサーにそう感想を述べれば、彼は完食された皿をちらりと見て、泣きそうな表情を浮かべた。
「ミレイ。よかった……」
二人が非業の死を遂げたおかげで呪いは解けた。わたしの身体は元の世界に居た時のような平凡なものへと戻り、もう聖女として振る舞う必要性はなかった。
それでも彼はわたしを捨てることはしなかった。
「貴女が今までやってきたことは、間違いなくこの国を救うものだった」
「わたしは特に何もしていないわ」
「いいや、ミレイがいてくれたから、私は……」
彼は変わったけれど、変わらない所もある。弱い者を思いやる心も失われてはいない。彼はわたしのおかげだと言うけれど、わたしも同じだろう。彼のおかげで、完全に心を壊さずに済んだ。
一方で怖くもある。わたしの中で、彼はいつしか途方もなく大きな存在へと変わっていたのだから。
「貴女のことを愛している。どうか私と結婚して欲しい」
「……責任を感じているなら、」
「ミレイが好きなんだ」
だめだろうか……と犬の耳がしゅんと垂れたように落ち込むのはずるい。
「……わたし、王妃として相応しくないわ」
「相応しいよ。街を一緒に回った時、みんなが貴女のことを歓迎していて、感謝していただろう?」
「貴族とか、そういうやり取り、怖い……」
「あれはキャサリン嬢の取り巻きだったから敵対的だったんだ。あなたの功績もいまいち伝わっていなかった。けれど今は違う。ミレイの功績を国中に伝えた。貴女に好意的な人間も必ずいる」
確かに国王となった彼に表立って逆らう者はいないだろう。でも、王妃として相応しいかはまた別の問題だ。
わたしは一時でも彼と気持ちが通じ合えただけで満足していた。それ以上は望んでいなかった。でも……
「ミレイ。お願いだ……」
戻る術はもうない。わたしはこの世界で生きていかなければならない。平民として働いていくことは、わたしの想像よりずっと大変なことだろう。貴族の妻として生きていくこととどちらがましだろうか。
結婚する場合、夫となる男はわたしのことを愛してくれるだろうか。
無理矢理異世界に連れて来られて、帰ることもできなくなって、たくさんの孤独を味わって、もうどうでもいいやと思ったけれど、今はそれほど悲嘆には暮れていなくて、アーサーが前よりずっと明るい表情を浮かべるようになって、わたしの名前を呼んでくれるたびに、わたしの中である感情が芽生えていった。十分だと思っていた気持ちはさらに欲深くなってゆく。ああ、わたしはこんなにも彼のことを――
「……式典とか、大切な行事の時は出席するから、それ以外はずっと屋敷に閉じ籠っていていい?」
「ああ、いいよ。でも時々私と一緒に庭を散歩して欲しいな」
「……あなたが一緒なら」
「ありがとう、ミレイ」
わたしは彼との結婚を受け入れた。惚れた弱みである。
113
お気に入りに追加
405
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!
暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい!
政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
辺境伯聖女は城から追い出される~もう王子もこの国もどうでもいいわ~
サイコちゃん
恋愛
聖女エイリスは結界しか張れないため、辺境伯として国境沿いの城に住んでいた。しかし突如王子がやってきて、ある少女と勝負をしろという。その少女はエイリスとは違い、聖女の資質全てを備えていた。もし負けたら聖女の立場と爵位を剥奪すると言うが……あることが切欠で全力を発揮できるようになっていたエイリスはわざと負けることする。そして国は真の聖女を失う――
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】中継ぎ聖女だとぞんざいに扱われているのですが、守護騎士様の呪いを解いたら聖女ですらなくなりました。
氷雨そら
恋愛
聖女召喚されたのに、100年後まで魔人襲来はないらしい。
聖女として異世界に召喚された私は、中継ぎ聖女としてぞんざいに扱われていた。そんな私をいつも守ってくれる、守護騎士様。
でも、なぜか予言が大幅にずれて、私たちの目の前に、魔人が現れる。私を庇った守護騎士様が、魔神から受けた呪いを解いたら、私は聖女ですらなくなってしまって……。
「婚約してほしい」
「いえ、責任を取らせるわけには」
守護騎士様の誘いを断り、誰にも迷惑をかけないよう、王都から逃げ出した私は、辺境に引きこもる。けれど、私を探し当てた、聖女様と呼んで、私と一定の距離を置いていたはずの守護騎士様の様子は、どこか以前と違っているのだった。
元守護騎士と元聖女の溺愛のち少しヤンデレ物語。
小説家になろう様にも、投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
義姉でも妻になれますか? 第一王子の婚約者として育てられたのに、候補から外されました
甘い秋空
恋愛
第一王子の婚約者として育てられ、同級生の第二王子のお義姉様だったのに、候補から外されました! え? 私、今度は第二王子の義妹ちゃんになったのですか! ひと風呂浴びてスッキリしたら…… (全4巻で完結します。サービスショットがあるため、R15にさせていただきました。)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ゲームと現実の区別が出来ないヒドインがざまぁされるのはお約束である(仮)
白雪の雫
恋愛
「このエピソードが、あたしが妖魔の王達に溺愛される全ての始まりなのよね~」
ゲームの画面を目にしているピンク色の髪の少女が呟く。
少女の名前は篠原 真莉愛(16)
【ローズマリア~妖魔の王は月の下で愛を請う~】という乙女ゲームのヒロインだ。
そのゲームのヒロインとして転生した、前世はゲームに課金していた元社会人な女は狂喜乱舞した。
何故ならトリップした異世界でチートを得た真莉愛は聖女と呼ばれ、神かかったイケメンの妖魔の王達に溺愛されるからだ。
「複雑な家庭環境と育児放棄が原因で、ファザコンとマザコンを拗らせたアーデルヴェルトもいいけどさ、あたしの推しは隠しキャラにして彼の父親であるグレンヴァルトなのよね~。けどさ~、アラブのシークっぽい感じなラクシャーサ族の王であるブラッドフォードに、何かポセイドンっぽい感じな水妖族の王であるヴェルナーも捨て難いし~・・・」
そうよ!
だったら逆ハーをすればいいじゃない!
逆ハーは達成が難しい。だが遣り甲斐と達成感は半端ない。
その後にあるのは彼等による溺愛ルートだからだ。
これは乙女ゲームに似た現実の異世界にトリップしてしまった一人の女がゲームと現実の区別がつかない事で痛い目に遭う話である。
思い付きで書いたのでガバガバ設定+設定に矛盾がある+ご都合主義です。
いいタイトルが浮かばなかったので(仮)をつけています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【R15】婚約破棄イベントを無事終えたのに「婚約破棄はなかったことにしてくれ」と言われました
あんころもちです
恋愛
やり直しした人生で無事破滅フラグを回避し婚約破棄を終えた元悪役令嬢
しかし婚約破棄後、元婚約者が部屋を尋ねに来た。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
不憫なままではいられない、聖女候補になったのでとりあえずがんばります!
吉野屋
恋愛
母が亡くなり、伯父に厄介者扱いされた挙句、従兄弟のせいで池に落ちて死にかけたが、
潜在していた加護の力が目覚め、神殿の池に引き寄せられた。
美貌の大神官に池から救われ、聖女候補として生活する事になる。
母の天然加減を引き継いだ主人公の新しい人生の物語。
(完結済み。皆様、いつも読んでいただいてありがとうございます。とても励みになります)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
大好きな第一王子様、私の正体を知りたいですか? 本当に知りたいんですか?
サイコちゃん
恋愛
第一王子クライドは聖女アレクサンドラに婚約破棄を言い渡す。すると彼女はお腹にあなたの子がいると訴えた。しかしクライドは彼女と寝た覚えはない。狂言だと断じて、妹のカサンドラとの婚約を告げた。ショックを受けたアレクサンドラは消えてしまい、そのまま行方知れずとなる。その頃、クライドは我が儘なカサンドラを重たく感じていた。やがて新しい聖女レイラと恋に落ちた彼はカサンドラと別れることにする。その時、カサンドラが言った。「私……あなたに隠していたことがあるの……! 実は私の正体は……――」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる