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聖女の願い
壊れてゆく心
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神殿で暮らすのは何かと不自由であろうと、彼は離宮を与えてくれた。
床は大理石で、窓から差し込む光と天井から吊るされたシャンデリアの光によって、目が眩むほどの輝きを生み出していて、高そうな花瓶に差された花は毎日生け替えられ、有名な画家が描いたという巨大な絵が壁に飾られ、大きな部屋がいくつもあって、白を基調とした猫脚家具があって、大きな寝台はとても寝心地がよさそうで……豪邸みたいな所に、わたしはたった一人で暮らしていいと言われた。
たった一人。
それは全く見知らぬ世界に連れて来られたわたしにとっては耐え難い孤独でもあった。
世話を焼いてくれる使用人はいた。けれど彼らはわたしを仕えるべき主人として敬うよう教育されており、決して気軽に口を利いてはいけないと教え込まれていた。
だから話し相手は、一日一回は必ず様子を見に来てくれる彼のみ。ほんのわずかな時間。彼も暇人ではない。王太子という身分であるのでもっと話がしたいと我儘を言うことは憚られた。
だから同じくらいの年頃の、毎日わたしの世話を焼いてくれる少女に、友人として接して欲しいと思うようになっていくのは、自然な流れだったと思う。
『ねぇ、あなたの名前は何と言うの?』
わたしの世界では、使用人などいなかった。いても家政婦さんぐらいなもので、それも別に世間話をしてはいけないという決まりはなかった。上と下の身分をはっきり示さなければ付け込まれるということも、全く知らなかった。
『聖女さまは良いですよね。何もしていなくても感謝されるし、アーサー殿下が会いに来てくれる。あたし、毎日あなたの世話をしていることが馬鹿らしくなってきますよ』
『ね、聖女さま。聖女さまから王太子殿下に頼んでくれませんか。いえ、王太子殿下ではなくとも構わないんです。とにかく毎日働かなくても済むような素敵な人と知り合いになりたいんです。ね、お願いします。聖女さま。あたしたち、お友達でしょう?』
わたしは彼女のことを友人だと思っていたけれど、彼女からすればわたしはただ自分が幸せになれるかもしれない道具だった。
『彼女はやめさせられました。……聖女さま。どうか使用人と仲良くなさろうとしないで下さい。貴女は貴族と同じ……いえ、それ以上の地位におられるのですから』
無知を晒すなと叱られ、気をつけようと思った。この国の文化を学ぼうと思った。この世界に早く馴染まなければ。認めてもらわなくては……。
『侍女をやめさせたそうね? 可哀想に……泣いていらしたわ。聖女さまって案外我儘なのね』
『キャサリン様はとっても素敵な方なんです。あなたみたいな人よりずっと。あなたがここにいられるのも、彼女と公爵家のお陰なんですよ?』
『聖女さまは――』
微笑まないと。怒ってはだめだ。だって彼らと同じ人間になるには感情を顔に出してはいけないから。無邪気に笑ってもだめ。馬鹿みたいだと裏で嗤われる。感情を殺して、品のいい笑みを浮かべて、そうしないとわたしはこの世界で……。
「ミレイ」
久しぶりに訪れた彼の顔を見ても、わたしは何も言葉を発する気になれなかった。話し方を忘れてしまっていた。
「どうしたんだ。一体何が……」
彼はかつて瘴気に毒されていた森に異変がないかどうか確認するために王宮を離れていた。本来ならば彼の弟がすべきことだったが、国王が渋ったため、彼が出向くことになった。
彼はもちろん残してゆくわたしのことを気にかけ、国王陛下に、彼の信頼する部下に、公爵家に、そして婚約者であるキャサリン嬢に、どうかくれぐれも頼むと伝えて旅立った。
それなのに帰ってきたわたしの顔は能面のように表情を失っていたのだから、驚くのも無理はない。
「ミレイ。どうか教えてくれ。一体何があったんだい」
彼の顔は今にも泣きそうだった。いっそ泣いた方が楽なのに、そうしないのは王族としてどんな時でも心を律するよう躾けられたか、あるいは自分よりわたしの方が辛いと思っているからか。
「すまない。ミレイ。本当に、すまない……」
彼の謝罪はわたしの心にはもはや響かなかった。気にしないでと慰める気にもなれなかった。彼一人がわたしのために身を尽くした所で、わたしがこの世界で幸せになれるわけではないと知ってしまったから。
床は大理石で、窓から差し込む光と天井から吊るされたシャンデリアの光によって、目が眩むほどの輝きを生み出していて、高そうな花瓶に差された花は毎日生け替えられ、有名な画家が描いたという巨大な絵が壁に飾られ、大きな部屋がいくつもあって、白を基調とした猫脚家具があって、大きな寝台はとても寝心地がよさそうで……豪邸みたいな所に、わたしはたった一人で暮らしていいと言われた。
たった一人。
それは全く見知らぬ世界に連れて来られたわたしにとっては耐え難い孤独でもあった。
世話を焼いてくれる使用人はいた。けれど彼らはわたしを仕えるべき主人として敬うよう教育されており、決して気軽に口を利いてはいけないと教え込まれていた。
だから話し相手は、一日一回は必ず様子を見に来てくれる彼のみ。ほんのわずかな時間。彼も暇人ではない。王太子という身分であるのでもっと話がしたいと我儘を言うことは憚られた。
だから同じくらいの年頃の、毎日わたしの世話を焼いてくれる少女に、友人として接して欲しいと思うようになっていくのは、自然な流れだったと思う。
『ねぇ、あなたの名前は何と言うの?』
わたしの世界では、使用人などいなかった。いても家政婦さんぐらいなもので、それも別に世間話をしてはいけないという決まりはなかった。上と下の身分をはっきり示さなければ付け込まれるということも、全く知らなかった。
『聖女さまは良いですよね。何もしていなくても感謝されるし、アーサー殿下が会いに来てくれる。あたし、毎日あなたの世話をしていることが馬鹿らしくなってきますよ』
『ね、聖女さま。聖女さまから王太子殿下に頼んでくれませんか。いえ、王太子殿下ではなくとも構わないんです。とにかく毎日働かなくても済むような素敵な人と知り合いになりたいんです。ね、お願いします。聖女さま。あたしたち、お友達でしょう?』
わたしは彼女のことを友人だと思っていたけれど、彼女からすればわたしはただ自分が幸せになれるかもしれない道具だった。
『彼女はやめさせられました。……聖女さま。どうか使用人と仲良くなさろうとしないで下さい。貴女は貴族と同じ……いえ、それ以上の地位におられるのですから』
無知を晒すなと叱られ、気をつけようと思った。この国の文化を学ぼうと思った。この世界に早く馴染まなければ。認めてもらわなくては……。
『侍女をやめさせたそうね? 可哀想に……泣いていらしたわ。聖女さまって案外我儘なのね』
『キャサリン様はとっても素敵な方なんです。あなたみたいな人よりずっと。あなたがここにいられるのも、彼女と公爵家のお陰なんですよ?』
『聖女さまは――』
微笑まないと。怒ってはだめだ。だって彼らと同じ人間になるには感情を顔に出してはいけないから。無邪気に笑ってもだめ。馬鹿みたいだと裏で嗤われる。感情を殺して、品のいい笑みを浮かべて、そうしないとわたしはこの世界で……。
「ミレイ」
久しぶりに訪れた彼の顔を見ても、わたしは何も言葉を発する気になれなかった。話し方を忘れてしまっていた。
「どうしたんだ。一体何が……」
彼はかつて瘴気に毒されていた森に異変がないかどうか確認するために王宮を離れていた。本来ならば彼の弟がすべきことだったが、国王が渋ったため、彼が出向くことになった。
彼はもちろん残してゆくわたしのことを気にかけ、国王陛下に、彼の信頼する部下に、公爵家に、そして婚約者であるキャサリン嬢に、どうかくれぐれも頼むと伝えて旅立った。
それなのに帰ってきたわたしの顔は能面のように表情を失っていたのだから、驚くのも無理はない。
「ミレイ。どうか教えてくれ。一体何があったんだい」
彼の顔は今にも泣きそうだった。いっそ泣いた方が楽なのに、そうしないのは王族としてどんな時でも心を律するよう躾けられたか、あるいは自分よりわたしの方が辛いと思っているからか。
「すまない。ミレイ。本当に、すまない……」
彼の謝罪はわたしの心にはもはや響かなかった。気にしないでと慰める気にもなれなかった。彼一人がわたしのために身を尽くした所で、わたしがこの世界で幸せになれるわけではないと知ってしまったから。
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