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諦めない男
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グレイが諦めないと言ったからには、諦めない。彼は有言実行の男だった。
「スカーレット。今夜一緒に出掛けないか」
「お断りします」
「お前が観たいと言っていた芝居のチケットがあるんだが」
ひらひらと片手で見せびらかすように持っている紙切れを彼の手から奪い取って確かめてみる。……本当だった。私が密かにずっと観たいと思っていた演劇。しかもなかなかの特等席ではないか。
「どうだ。本物だろう?」
ニヤニヤした笑みでこちらの様子を見ている男を冷たく一瞥する。
「たしかにこれは私が以前から観たいと思っていたものです」
「だろう?」
「ええ。ですが私は、この芝居を観たいとは、あなたには一言も伝えておりません」
いったいどうやって知ったのか。私の胡乱気な目にグレイはそんなことかとあっさり種明かしする。
「お前の両親やメイドたちが教えてくれたんだ」
なるほど、お父様たちか。彼らのグレイに対する信頼は厚い。それこそ幼い頃からの付き合いだから。彼のどこまでも真っ直ぐな気性をお父様たちはひどく気に入っているから。そしてなかなかに整っている容姿はメイドたちの得点までも勝ち取ったらしい。
「それにお前はこういうのが昔から好きだったろう?」
「それはそうですが……」
お前のことならば何でも知っていると言いたげな口調に、どこか素直に認められない自分がいる。だが彼は私の迷いを了承と受け取ったようだ。
「なら決まりだ」
こうして慌ただしくも、今夜私は幼馴染の彼と出かけることとなった。
***
「ああ! あなたのような美しい人を、私は未だ知らぬ!」
眉間に皺を深く刻みながら、時には睡魔と闘いながら、隣の男は目の前の物語に集中していた。私はそれを横目で見ながら、果たして楽しいのだろうかと疑問に思う。だがその疑問もいつしか物語に引き込まれてゆくことによってどうでもよくなってくる。
両思いだった恋人たち。だが互いの両親の企みで、男は別の女の元へ行ってしまう。残された女は悲しみに暮れるも、男がいつか戻ってくると信じて待ち続ける。そして二人の友人たちの活躍によって男は自分の過ちに気づき、恋人だった女の元へ帰ってきた。
「どうか許して欲しい。私が本当に愛していたのはあなただけだった!」
私は恋人たちの会話をまるで自分の出来事と重ねるようにして見入ってしまった。
「――なんであいつらはみな一つの出来事をああも大げさに捉えるんだ? 台詞も一々こっぱずかしいし、背中がムズムズする。かと思うと、まわりくどいというか、観ていて腹が立ってくるんだが」
なんて無粋なことを男はずけずけと言った。盛大な拍手と共に幕が閉じ、こちらは余韻に思う存分酔いしれたいというのに、いきなりこんなことを言われては気分も台無しというものだ。
芸術というものをちっともわかっていない。これだから体ばかり鍛えている男は…… と昔ならそのまま言葉にしていただろうが、彼のこうした言い方にはもう慣れてしまった。
それに彼の方から誘ってもらったのだ。文句を言うのはやはり正しくあるまい。
「あれはああいうものなんです。疑問なんて抱いてはいけません」
「俺には一切理解できん」
ではなぜ芝居など観ようと思ったんですか、とは言えない。おそらく彼なりに私を励まそうとした結果なのだろう。私が詩や演劇といった類を好むと知ったうえで誘ったのだ。
彼自身は少しも理解できないというのに。
そういうところがあるから憎めないのだ。ずるいなと思う。
「最初は慣れなくても、しだいに癖になってくるものですよ」
「お前もそうだったのか」
「……はい」
演じている登場人物たちはみなこれでもかと真っすぐで直情的とも言える。悲しいことがあった時はうんと不幸のどん底にいるように表情を歪ませ、涙を流す。嬉しい時があった時とは、まるで天にも昇る心地で歌を歌い、笑顔を振りまく。そして――
「愛しいと思う気持ちは、どこまでも激しく、熱烈に伝えないといけないんです」
心の中で思うのではなく、言葉として伝える。
『観ている僕たちはそれが時々とても羨ましく思えるんだ。恋をしている人間ほどね』
なんてことを言っていた彼の横顔をふと思い出す。あの時、彼の言葉が痛いほど私の胸には突き刺さった。だって彼に恋をしていたから。
好きだと伝えたい。愛していると言いたい。けれど変な意地やプライドが邪魔してあと一歩がなかなか踏み出せない。その一歩は恋愛においてとても大きいのに。演じている彼らはこんなにも真っ直ぐと自分の気持ちを伝えられる。好きだ。愛している。なんて清々しいのだろうか。
私もいつか彼に伝えよう。恥じらいもなく、彼にこの気持ちを――
「スカーレット」
いつの間にかぼうっとしていた私をグレイが覗き込んでいた。
「何でもないわ。ごめんなさい」
「……帰ろう」
私が何を考えているのかグレイが問うことはなかった。すべてお見通しなのか、あるいは気を遣ってくれたか。きっと両方だ。
「今度はお前が言ってくれたことを頭に入れて、観てみようと思う」
私はそう、と答えた。
「スカーレット。今夜一緒に出掛けないか」
「お断りします」
「お前が観たいと言っていた芝居のチケットがあるんだが」
ひらひらと片手で見せびらかすように持っている紙切れを彼の手から奪い取って確かめてみる。……本当だった。私が密かにずっと観たいと思っていた演劇。しかもなかなかの特等席ではないか。
「どうだ。本物だろう?」
ニヤニヤした笑みでこちらの様子を見ている男を冷たく一瞥する。
「たしかにこれは私が以前から観たいと思っていたものです」
「だろう?」
「ええ。ですが私は、この芝居を観たいとは、あなたには一言も伝えておりません」
いったいどうやって知ったのか。私の胡乱気な目にグレイはそんなことかとあっさり種明かしする。
「お前の両親やメイドたちが教えてくれたんだ」
なるほど、お父様たちか。彼らのグレイに対する信頼は厚い。それこそ幼い頃からの付き合いだから。彼のどこまでも真っ直ぐな気性をお父様たちはひどく気に入っているから。そしてなかなかに整っている容姿はメイドたちの得点までも勝ち取ったらしい。
「それにお前はこういうのが昔から好きだったろう?」
「それはそうですが……」
お前のことならば何でも知っていると言いたげな口調に、どこか素直に認められない自分がいる。だが彼は私の迷いを了承と受け取ったようだ。
「なら決まりだ」
こうして慌ただしくも、今夜私は幼馴染の彼と出かけることとなった。
***
「ああ! あなたのような美しい人を、私は未だ知らぬ!」
眉間に皺を深く刻みながら、時には睡魔と闘いながら、隣の男は目の前の物語に集中していた。私はそれを横目で見ながら、果たして楽しいのだろうかと疑問に思う。だがその疑問もいつしか物語に引き込まれてゆくことによってどうでもよくなってくる。
両思いだった恋人たち。だが互いの両親の企みで、男は別の女の元へ行ってしまう。残された女は悲しみに暮れるも、男がいつか戻ってくると信じて待ち続ける。そして二人の友人たちの活躍によって男は自分の過ちに気づき、恋人だった女の元へ帰ってきた。
「どうか許して欲しい。私が本当に愛していたのはあなただけだった!」
私は恋人たちの会話をまるで自分の出来事と重ねるようにして見入ってしまった。
「――なんであいつらはみな一つの出来事をああも大げさに捉えるんだ? 台詞も一々こっぱずかしいし、背中がムズムズする。かと思うと、まわりくどいというか、観ていて腹が立ってくるんだが」
なんて無粋なことを男はずけずけと言った。盛大な拍手と共に幕が閉じ、こちらは余韻に思う存分酔いしれたいというのに、いきなりこんなことを言われては気分も台無しというものだ。
芸術というものをちっともわかっていない。これだから体ばかり鍛えている男は…… と昔ならそのまま言葉にしていただろうが、彼のこうした言い方にはもう慣れてしまった。
それに彼の方から誘ってもらったのだ。文句を言うのはやはり正しくあるまい。
「あれはああいうものなんです。疑問なんて抱いてはいけません」
「俺には一切理解できん」
ではなぜ芝居など観ようと思ったんですか、とは言えない。おそらく彼なりに私を励まそうとした結果なのだろう。私が詩や演劇といった類を好むと知ったうえで誘ったのだ。
彼自身は少しも理解できないというのに。
そういうところがあるから憎めないのだ。ずるいなと思う。
「最初は慣れなくても、しだいに癖になってくるものですよ」
「お前もそうだったのか」
「……はい」
演じている登場人物たちはみなこれでもかと真っすぐで直情的とも言える。悲しいことがあった時はうんと不幸のどん底にいるように表情を歪ませ、涙を流す。嬉しい時があった時とは、まるで天にも昇る心地で歌を歌い、笑顔を振りまく。そして――
「愛しいと思う気持ちは、どこまでも激しく、熱烈に伝えないといけないんです」
心の中で思うのではなく、言葉として伝える。
『観ている僕たちはそれが時々とても羨ましく思えるんだ。恋をしている人間ほどね』
なんてことを言っていた彼の横顔をふと思い出す。あの時、彼の言葉が痛いほど私の胸には突き刺さった。だって彼に恋をしていたから。
好きだと伝えたい。愛していると言いたい。けれど変な意地やプライドが邪魔してあと一歩がなかなか踏み出せない。その一歩は恋愛においてとても大きいのに。演じている彼らはこんなにも真っ直ぐと自分の気持ちを伝えられる。好きだ。愛している。なんて清々しいのだろうか。
私もいつか彼に伝えよう。恥じらいもなく、彼にこの気持ちを――
「スカーレット」
いつの間にかぼうっとしていた私をグレイが覗き込んでいた。
「何でもないわ。ごめんなさい」
「……帰ろう」
私が何を考えているのかグレイが問うことはなかった。すべてお見通しなのか、あるいは気を遣ってくれたか。きっと両方だ。
「今度はお前が言ってくれたことを頭に入れて、観てみようと思う」
私はそう、と答えた。
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