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神々の鉄槌

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「し、死んではないのよね?」

 地面に突っ伏したまま動かなくなったギュスターヴを見て、リュシエンヌが恐る恐る口にする。

「殺してやりたいくらい憎いですけれど、さすがにそれはまずいんで」

 ランスロットがゆっくりと気配を殺して自分に近づいてきているのが途中からわかり、リュシエンヌはギュスターヴの注意を引きつけていたのだ。

「どうしてここがわかったの」
「途中でちょうどジョゼフィーヌ様たちと会って、教えてくれたんです。ここ、迷宮みたいに入り組んでいて、下手すると死んでしまう仕掛けもあるみたいで……正直助かりました」

(ジョゼフィーヌ様……)

 彼女たちは無事に逃げることができただろうか。

「姫様。早く逃げましょう」
「う、うん」

 しかし今はここから立ち去ることが優先だと、リュシエンヌはランスロットに手を引かれて急いで部屋を出ようとしたが、突然彼はハッとしたように自分を抱きしめ、横へ飛び退いた。

「貴様……」

 ギュスターヴは殴られて頭が痛むのか、顔を歪めつつ、腰から剣を引き抜いていた。
 ランスロットが小さく「石頭かよ……」と呟くのが聞こえる。だがすぐにリュシエンヌに木の棒を持たせ、自らも剣を抜くと、リュシエンヌを守るように前へ出た。

「おや。もうお目覚めになられたのですか。俺としては、まだ寝ていてほしかったのですが」
「ふん。おまえを殺してから、じっくりと寝てやろう。大事な姫君と一緒にな」

 ねっとりとした視線をギュスターヴに向けられ、リュシエンヌは犯されたような気持ちになる。

「偉大なる皇帝陛下はそんな品のない言葉をお使いになられるんですね。オッサン臭いですから、おやめになった方がよろしいですよ」

 ランスロットの容赦ない指摘に、内心ギュスターヴは不快さを覚えたかもしれないが、挑発に乗ることはしなかった。

「よくここまで来たな。処分するよう命じていたはずだが」
「ええ。姫様を呼びに行った部屋でいきなり囲まれて剣を向けられたので、ずいぶん手荒な歓迎だと驚きましたよ。けど準備運動にはちょうどよかった」
「ふん。あの女も裏切ったか。つくづく使えん女だったな」

 ギュスターヴにとって、やはりジョゼフィーヌは駒の一つでしかなかったのだ。

「これまで尽くしてきてくれた相手を利用するだけ利用して、そんな捨て台詞を吐くあなたに見切りをつけただけですよ。至極賢明な判断だ」

 先に踏み込んだのは、ギュスターヴであった。

 いつもどっしりと椅子に腰かけているイメージしかない彼からは想像できない機敏な動きであった。重い一撃が、ランスロットの持つ剣身に叩き込まれる。

 彼は歯を食いしばって耐え、笑みを浮かべながら振り払った。
 すぐにまたギュスターヴは剣を振りかざしてくる。叩き合うようにして二人は互いの剣をぶつけ、激しい金属音を鳴り響かせる。

(ランスロット……)

 リュシエンヌにできることは何もなかった。剣すら握ったことのない自分が加勢しようとしても、かえってランスロットの邪魔になるだけだ。

(誰か助けを呼んで……)

「部屋を出るのは勧めない。この神殿は迷宮のように入り組んでおり、盗人が財宝を盗まぬよう、細工がしてある。死人の仲間入りをするだけだ」
「そうそ。姫様は、そこで見ていてくださいよ。すぐにこんなやつ、倒してみせます、からっ!」

 剣戟を繰り広げながら、二人が交互に言い放つ。
 ランスロットの言葉にギュスターヴは嘲笑った。

「そんな満身創痍の姿で、よくも大口が叩ける」

 突然ギュスターヴが後ろへ大きく引いたかと思うと、剣を槍のように持ち、ランスロットの右手を突き刺した。

「っ――」

 ちょうど指の付け根あたりに剣先が突き刺さり、ランスロットは剣を地面へ落としてしまう。突き刺さった刃が肉を抉るように引き抜かれ、顔を刺される前にたたらを踏んでランスロットは後ろへ下がる。

「その手では、もう剣は握れまい」

 ランスロットの右手は震え、ぼたぼたと血を流している。

「これで終わりだ!」
「ランスロット!」

 思わず駆け寄ろうとしたリュシエンヌの耳にガキンと音が響く。

「――ほぉ。まだ戦うか」

 ランスロットの左手には短剣ダガーが握られていた。右腰に差してあったのをとっさに左手で抜き、負傷した右手も添えて、ギュスターヴの剣を受け止めたのだ。

「だが、いつまで持つかな」
「はっ。心配してくださって、どうも!」

 脚も使い、ランスロットは一度ギュスターヴを遠ざけた。そして再び相手に止めを刺さんと剣を向ける。ギュスターヴは面白いとばかりに間合いを詰める。
 意外にも、ランスロットは短剣で互角にギュスターヴを凌いでいた。

「左手も使えるのか」
「それ、正直に教えると思いますか」

 ランスロットは相手の懐に果敢に飛び込んでいく。

 恐らくギュスターヴに剣を振るわせないためだ。彼の方が剣身が長い分、構えに距離が必要となる。その隙を生じさせまいとランスロットは距離を縮めているのだ。

 左手を使えるとはいえ、消耗戦に持ち込まれれば、彼が勝つ見込みは極めて低い。短時間で勝負を決めるのが勝利への道だが――

「利き手以外で剣を扱えるようになったのは大したことだが、ここまでだ」

 ランスロットの僅かな遅れを逆手に取り、ギュスターヴは下から剣を振り上げた。ランスロットの手から短剣が弾き飛ばされる。

 一瞬の躊躇が生死を分ける。ランスロットは剣を失ったことに絶望するより早く、振り上げた衝動で動きが固定されたギュスターヴの手を――剣を握っている手を掴むと、抵抗に抗いながら剣を壁へ勢いよく突き刺した。

 ちょうど壁の近くで戦闘を繰り広げていたのは、そしてその壁が崩れて、見事剣身を挟む隙間に滑り込ませることができたのは、実に幸運であった。

 さらにランスロットは、ギュスターヴが柄から手を放す前に、血塗れの拳を勢いよく相手の頬へめり込ませた。ギュスターヴは後ろへよろけ、足を踏ん張って耐える。唾を地面へ吐き、憎々しげにランスロットを睨みつけた。

「ここからは格闘戦だ」

 ランスロットが挑発するように笑みを贈れば、今度は誘いに乗るようにギュスターヴが襲いかかって来る。頬や腹に、両人とも重い拳を打ちこみ、血や汗が飛び散った。

(あっ)

 拳同士で争っていたかと思えば、不意にギュスターヴがランスロットの足を払って地面へ転倒させた。すかさずランスロットも相手を転ばし、二人は回転しながら相手の息の根を止めようとする。

 だがここでランスロットの方が限界に近づこうとしていた。息が上がり、ギュスターヴに馬乗りになられて首に手をかけられる。

「これで終わりだ」
「くっ……」

 完全に息の根を止めるまで、時間がある。リュシエンヌはもう邪魔になるなど考えていられず、走り出していた。手にした木の棒でギュスターヴの頭を思いきり殴りつけるのだ。それで殺してしまっても、後悔はしない。

 時間との勝負。息苦しさで朦朧とし始めただろうと思われる中、ランスロットの手は頭の横へ投げ出され、何かに当たった。右手であったらきっと怪我で上手く掴めなかっただろう。だが放り出されていた短剣の柄は彼の左手にあった。彼は掴んで、標的を確認せぬまま、ただ振り上げ、思いきり突き刺した。

「ぐぁっ」

 ギュスターヴの腕に短剣がぶすりと突き刺さる。首を絞めていた手が離れ、ランスロットは力を振り絞って腹を蹴飛ばし、立ち上がりながら言い放った。

「アンタには陰湿捻くれストーカー野郎とか、言いたいことは山ほどあるぜ。でも、絶対にこれだけは言っておきたい。守るものが何一つないアンタと比べれば、俺の姫様は何倍も立派で、ものすごく強い、ってな!」
「貴様っ!」

 ギュスターヴは怒りと屈辱で我を忘れたように、肉が抉れるのも構わず短剣を引き抜き、ランスロットの腹部に突き刺した。

「ランスロット!」

 リュシエンヌの悲鳴と、ギュスターヴの笑みが重なった時、突如地面が大きく揺れ出した。

「なんだ?」

 地面だけではなく神殿内部が揺れている。地を震わすほどの激しい揺れに、十二体の神々の巨像が震え始める。巨体が揺さぶられ、彼らが手にしていた剣や斧が腕の部分から折れ、落ちてくる。

「危ない!」

 ランスロットは顔を歪めながらもギュスターヴの身体を押しやり、リュシエンヌはランスロットの身体を落ちてくる像から引き離そうと、抱き着くようにして飛び退く。

 ギュスターヴが剣や槍で串刺しにされるのを見ないようランスロットに抱きしめられる直前、リュシエンヌは確かに見た。

 ギュスターヴを取り囲む、神々の姿を。

 それはまるで、私心のために今まで多くの人間を傷つけ、殺してきたギュスターヴを断罪する裁きのようだった。

 いや、きっとそうだ。ギュスターヴの断末魔の叫び声に、浮上する彼の透明な身体――イザークの魂が神々によって引き裂かれたのだから。

(なんて、憐れな……)

 土埃と揺れが収まると、ランスロットが抱擁を緩める。リュシエンヌは自分の手が赤く染まっていることに気づき、ランスロットの顔を見た。

「姫、様。早く、ここから出ましょう」
「だめよ! ランスロットはここにいて。わたしが誰か呼んで……」
「大丈夫、です。それにここにいた方が、危険ですから」

 リュシエンヌは泣きそうになった。助けを呼びに行くと言っても、結局道順がわからないのでランスロットに頼るしかない。

「貴女を早く、安全な場所へ連れていきたい、から……」
「わかった。もう話さないで。わたしに掴まって、出ましょう」

 リュシエンヌはランスロットに肩を貸して、神殿内部を出て行く。

 階段を上がる直前、誰かに呼ばれたような気がして振り向けば、自分によく似た女性――女神アリアーヌが申し訳なさそうな顔で何かを呟く姿があったが、すぐに前を向いて足を踏み出したので、本当に見たかどうか、後から振り返っても自信がなかった。
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