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惨めな皇妃*

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 その日から公務が終わると、リュシエンヌは後宮へ連行された。

 ギュスターヴの身体を愛妾たちと共に慰めることを強要されるかと思ったが、そうではなかった。

「おまえの貧相な身体ではとても抱く気にはなれん」

 ギュスターヴは愛妾たちと自分の性交を、妻であるリュシエンヌに見ることを命じた。

「陛下、いい、いいっ」
「あぁ、もっと、もっとくださいましっ」

 そこにはリュシエンヌの全く知らぬ世界が繰り広げられていた。

 雄に群がる無数の雌たちが蛇のように巻きつき、馬に跨った時のように激しく腰を振るい、獣のような声で叫ぶ姿は、ぎょっとさせ、おぞましい気持ちにさせた。

 これ以上見たくない。普通の人間ならば嫌悪感を抱く光景だ。まして夫と他の女の情交など誰が見たいと思うものか。

 しかしギュスターヴはリュシエンヌが目を逸らすことを許さなかった。

「顔を背ければ、他の男におまえを抱かせるぞ」

 リュシエンヌの両腕を侍従たちが掴み、顎を正面に固定させたことで、恐ろしい脅しは決して冗談ではないと理解させられた。

 ギュスターヴはリュシエンヌをいかに不快にさせ、苦痛を与えるかで愉しむことにしたようだ。役立たない凡庸な妻の使い道に、愛妾たちもとことん利用してやろうと見せつけるように痴態を晒した。

 そこに彼女がかつてランスロットと交わした、お互いを慈しみ、穏やかでありながら情熱にあふれた感情は全く存在しなかった。

 行為自体は激しく、獣の交わりそのものだ。

 しかしギュスターヴの眼差しはどこまでも冷めていた。
 多くの女たちを組み敷きながら、冷静に女たちの痴態を眺めていた。

 閨では何もかも晒すことで対等になれるのに、ギュスターヴは常に主導権を握っている。女たちをどこまでも性欲を満たす道具として扱い、自分を満足させることを一番の目的としていた。

 そしてそれを彼女たちも受け入れている。自ら彼のお気に入りになろうと、媚を売った。彼女たちもまた、ギュスターヴへの愛はない気がした。ただ支配者に従順であろうとする姿が愛のように錯覚させるだけではないか。

 ギュスターヴはそんな彼女たちの必死さを嗤い、もっと道化を演じることを求めた。

 暴力的で、むき出しの本能が支配する空間。

 むせ返るような甘い香を焚き、雌雄の汗と激しい性交の臭いに、リュシエンヌの心は次第に疲弊し、頭がぼんやりとしてきた。それだけではない。

(わたし、おかしい……)

 胸がやけにどきどきしていた。呼吸が浅く、いつもは嫌悪感しか湧かなかった女たちの声に下腹部が切なく疼く。この感じには覚えがあった。

(違う……)

「どうした。いつもと違い、物欲しそうな顔をしているではないか」

 顎を掴んで顔を上げさせたギュスターヴの指先が冷たくて気持ちがいい。もっと触れてほしい。嘲るような金色の瞳に射貫かれてぞくぞくする。自分だけを見つめてほしい。女を抱いた男の香りに酩酊した心地になる。

(彼女たちのようにわたしも……)

「抱いてほしいか?」

 初めて聞く優しい声に、ハッと我に返った。

「いやっ!」

 気づけばリュシエンヌはギュスターヴを突き飛ばし、その拍子に床に尻餅をついた。冷たい大理石の床にぶつかって鈍い痛みを覚えるが、おかげで自分が何を思ったのか突きつけられ、一気に頭が冷えた。

「夫を突き飛ばすとは、酷い女だな」
「あ……」

 自分を見下ろす男に、リュシエンヌは声も出ず固まった。

「その辛さを抱えて朝まで過ごす気か? 正気の沙汰ではないな」

 リュシエンヌは首を振って、耳を塞いだ。

(やだ……身体が熱い……苦しい……誰か助けて……)

「おまえがどこまで耐えるか、見ものだな」

 ギュスターヴはそう言うと、また抱いてくれとそばへ寄ってきた女性たちの相手をしようとする。リュシエンヌがどういう状態であるかよくわかっているのに、一切気にかけず背を向ける。

 ――ああ、行ってしまう。

 リュシエンヌは手を伸ばして引き留めようとしていた。だが彼の周りに群がる女たちのゾッとするほど冷たい眼差しに、ぎくりと固まる。

 おまえごときが皇帝陛下の愛をねだるのか。

 リュシエンヌは皇妃だ。当然夫である彼の愛を求める権利がある。

(でも……彼女たちも、今まで彼に尽くしてきた)

 女たちの激しい嫉妬を肌で感じ、迷いが生じる。

 結局見ていることしかできないリュシエンヌをまたギュスターヴが嘲笑った。

「ここで躊躇しているようでは、とても皇妃など務まるはずがない」

 欲しければ奪ってみろ。

 自分を求める女たちの愛をギュスターヴはまた見せつけていく。
 嫌悪感を覚えるのに、同時に身体が熱く、浅ましい欲を高まらせていく。
 
(あの男は悪魔だ……)

 ギュスターヴは自ら女を抱くことは絶対にしない。
 女の方から彼を求め、奉仕することを要求する。

 理性を手放し、浅ましい姿で縋りつく。
 リュシエンヌもそうなることを望み、媚薬を含んだ香を焚いたのだろう。

 否応に本能を刺激し、嫉妬心を煽るやり方に、リュシエンヌの心は折れかけていた。

 もうこのまま、矜持を捨ててギュスターヴに抱いてくれと頼もうか。

 そうすれば彼の溜飲も幾らか下がり、リュシエンヌに優しく接してくれるかもしれない。彼の本当の妻になれて、見下していた貴族たちもリュシエンヌを皇妃と認め、すべて丸く収まる。そうだ。そうすればいい。もう……。

『愛しています。俺の姫様……』

(いやっ……あんな男に抱かれたくない……!)

 ギュスターヴはリュシエンヌに愛など与えない。彼の抱き方に愛など不要だからだ。

 リュシエンヌは本当の愛し方を知っている。

 相手が愛おしくてたまらないからこそ、その延長線上に性交があるのだ。気持ちがないのに身体を繋げるなど、ましてただ悦楽のために互いを貪り合うなど、リュシエンヌは認めたくなかった。

 だから歯を食いしばってギュスターヴの誘惑に抗った。

「そうか。では永遠にずっと、苦しめばいい」

 床に転がされたまま、リュシエンヌは放置され続けた。夜が明けるまで、薬物症状で苦しむ患者のように幻惑に理性を乗っ取られ、悶え苦しむこととなった。

 昼は変わらず、社交や公務を担わされる。ろくに眠る暇も与えられず、体調もよくなかったが、リュシエンヌは決して弱音を吐かなかった。

「――姫様。どうか少しだけ、お休みください」

 見かねた侍女が時間を作り、リュシエンヌを無理矢理休ませた。

 重い頭でうとうとと微睡むが、夜の乱交が頭に浮かび、女たちの獣じみた声が聴こえてくる。耳を塞いで蹲るが、身体が熱を持ち始める。

 たまらない嫌悪感を抱いているのに、汚らわしい欲を振り払えない自分が惨めで、情けなかった。

 このままギュスターヴに頭を下げた方がいいのか。たとえ愛されなくても、愛妾の一人として可愛がってもらえれば、役目を果たしたと言えるのではないか。

 同じことを何度も自問する。流されそうになる自分が一方で、そうじゃないと冷静に声を上げる自分もいた。

(わたしが堕ちても、きっと彼は自分のしたいようにするだけだわ……)

 リュシエンヌがそう思うのは、愛妾たちの存在があるからだ。彼女たちの出自は容姿を見初められた平民出身の者もいるが、ほとんどが貴族の出だ。

 ジョゼフィーヌも公爵家の令嬢だという。本来は一人の男に尽くす、貞淑な女性であったと思わせる雰囲気が今も垣間見られる。

 しかし一度夜になれば、彼女も含め、みなギュスターヴに平伏する。そんなことまで……と思うようなギュスターヴの命にも喜々として従う。

 最初は家の命で仕方なく従順な振りをしているだけだと思っていた。身体を犠牲にしてまで、与えられた役目を全うしようとする誇り高い女性なのだと。しかし――

「わたくしは陛下を愛しております。あれが、陛下の愛なのでございます」

 ジョゼフィーヌは心からギュスターヴへの愛を語ってみせた。身体だけでなく、すでに心までギュスターヴに渡してしまっていた。

「あなたが嫁いでくる前からずっと、わたくしは陛下のお身体を慰めていたのです。わたくしこそが、陛下の隣に相応しい」

 同情するべきではないと思いつつ、リュシエンヌの目にはその姿が痛々しく、盲目的な愛として歪に映った。

 ギュスターヴはきっと、彼女を……愛妾たちの誰も愛していない。

 自分の意に沿わぬことをした者は容赦なく切り捨てる。

 愛妾の一人が彼にしつこく愛を迫り、子どもが欲しいとねだった時、彼は何の躊躇も見せず彼女を後宮から追放した。彼女の実家である一族も宮廷から姿を消した。

 ギュスターヴを知れば知るほど、リュシエンヌは彼が恐ろしく、セレスト公国の者たちの命が全て握られている気がした。

(わたしは、どうするのが一番正しいの……?)

 答えを誰かに教えてほしい。この地獄のような状況を助けてほしい。

(ランスロット……)

 いつの間にかリュシエンヌは太股を擦り合わせ、ドレスの裾から、内股へと手を伸ばしていた。秘められた場所を押したり撫でているうちに我慢できず、つぷりと指を花弁に挟み、ぐちゅりと音を立てて奥へ沈めた。

(あぁ……)

 声を殺して快感に打ち震える。満たされず、ただ日に日に蓄積される熱をリュシエンヌはとうとう自分で慰めてしまった。二回目の人生ではまだ誰にも捧げていない身体を自分自身で……。

(まだ、足りない……。もっと、欲しい……)

「ふっ……ん、んっ……」

『姫様、気持いいですか』

 最低だ。前の記憶に縋って、ランスロットに抱かれた時のことを思い出しながら自慰に耽るなど……。

(ごめんなさい、ランスロット……)

 罪悪感に襲われ、涙が浮かぶ。しかし蜜壺をかき回し、花芽を捏ねる動きは止まらない。控え目に奏でられる淫靡な水音に興奮が増し、もっと気持ちよくなりたいと蜜壁を擦り、自分で限界へと追いつめていく。

「はぁ、はぁ……んっ……ふ、ぁ、ぁっ――」

 目を瞑り、ぶるぶると果てた快感に酔いしれる。一瞬、全ての苦しみから解放される。かつての記憶も、ギュスターヴの仕打ちも忘れて忘我の境に身を委ねた。

 しかしやがて波が引くと、残酷な現実を思い知らされ、またゆっくりと熱が身体を支配する。

 ずっと我慢していた反動のせいか、リュシエンヌは涙を零しながらまた高みを目指す。

(ランスロット……)

 彼の声が聴きたい。
 彼に会いたい。
 助けてほしい。

(でも彼がここにいたら、きっとギュスターヴの反感を買っていた……)

 セレスト公国からついてきたリュシエンヌの侍女が危機感を抱き、祖国へ手紙を出したが、届く前に内容がギュスターヴに知られてしまい、夜伽に加わることを命じた。リュシエンヌがどうかそれだけは許してほしいと床に膝をついて謝れば、ギュスターヴは意外にもわかったと頷いてくれた。

 安堵した次の日、侍女は殺されていた。

 血を吐いて――恐らく毒を飲んで事切れた姿に、ランスロットの死に様が重なった。

 これは警告に過ぎない。次は何の躊躇いもなく、あるいはもっと残酷にギュスターヴはリュシエンヌの大切な人を奪うだろう。

 彼女はそう思い、仕えてくれる侍女にもう何もしないよう言い含め、一切の反抗心を殺して皇妃として過ごし続けた。

 侍女たちも主人の置かれた現状を歯痒く思うものの、自分の命が危ぶまれると知れば、何も対処することはできなかった。

 ――もしランスロットがいたら、ギュスターヴの報復など恐れずにリュシエンヌのために怒るだろう。たとえそれで自分の身が傷つけられても、彼はリュシエンヌの幸せを優先した。

『俺はやられっぱなしというのは性に合いませんからね。姫様のことなら余計に』

 いつか笑ってそう言ってくれた顔が浮かび、リュシエンヌは口元を綻ばせた。

(やっぱり、彼がついて来なくてよかった……)

 自分の選択は正しかった。

 一生今の状況が続いたとしても、リュシエンヌは胸を張ってそう言える。

 大切な人を守れていると思っていた。
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