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別れ

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 リュシエンヌはランスロットを護衛騎士から外し、輿入れの日を迎えた。

 式は帝国で挙げるので、リュシエンヌは長い旅路に適したドレスを着ていた。ノワール帝国まで、数週間は要する。

「リュシエンヌ。もし、辛くなったらいつでも帰ってきなさい」

 見送る父の言葉にリュシエンヌは苦笑いした。

「お父様。そこは何があっても帰ってきてはいけないと諭すところでしょう」
「おまえは我慢しがちなところがあるからね。前もって釘を刺しておこうと思ったんだ」

 その言葉にハッとする。
 父は後悔に駆られたような、気弱な顔をしていた。

「おまえは昔から聞き分けが良く、我儘を言わない大人びた子だった。本当は、とても寂しがり屋で、甘えた子どもだったというのに……」

 父は少し後ろに控えている母とフェランをちらりと見て続けた。

「王太子であるフェランばかりを優先して、寂しい思いをさせてしまった。すまなかった」

 どうか許しておくれ、と父は泣きそうな顔で謝ってきた。

 旅立ちの日になって、娘ともう会えるかわからない時が来て、ようやく気づいたことがあったのかもしれない。

「……いいの、お父様。お父様たちがわたしを愛していること、よくわかっているわ」
「リュシエンヌ……」

 リュシエンヌに責める気持ちはなかった。

「確かに寂しい時もあったけれど……ランスロットがいてくれたもの」

 流行病でちょうどフェランと共に罹った時、両親はどちらかというとフェランの方を気にかけていた。それが幼いリュシエンヌには辛くてたまらなかった。そんな時に、ランスロットがずっとそばで手を握って看病してくれた。

 ずっと、彼の優しさに守られながら、リュシエンヌは今まで生きてきた。

「だから、いいの。わたし、すごく幸せだったわ」
「……そうか。ランスロットには、感謝しても感謝しきれないな」
「ええ……」

 少しそこで会話が途切れたが、母が後ろから呼びかけて自分も別れの言葉を述べようとしたので、それ以上ランスロットのことが話題に出ることはなかった。

「リュシー、寂しくなるわ……」

 母はすでに涙ぐんでおり、身体には十分気をつけるよう言い含め、父と同じ言葉を口にして娘を抱擁した。そんな母娘を見ながら、フェランが「姉上」と寂しそうな顔で声をかけてくる。でも何を告げるべきか、言葉が出てこない様子だったので、リュシエンヌが代わりに口を開く。

「フェラン。お母様たちのこと、セレスト公国のこと、頼みましたよ」
「……はい。姉上も、どうかお元気で」
「ええ」

(フェランと、もっと話しておけばよかった……)

 姉弟であるのに、どこか引け目を感じていた。壁を作って、本音で語り合うことを避けていた。

 そのことが急に、口惜しく思われた。

「……手紙、書くから、よかったら返事してね」

 リュシエンヌがそう言うと、フェランは目を丸くした後、俯きながら「はい」と承諾した。その仕草が何だか自分と似ている気がして、リュシエンヌは小さく微笑んだ。

「それでは、行って参ります」

 屋根付きの四輪馬車へ乗り込み、侍従が扉を閉める。
 ゆっくりと車輪が回り、馬車が動き出した。

 リュシエンヌは自分を見つめる家族が見えなくなっても、しばらくの間ずっと、同じ方向を見続けていた。

 ランスロットはいなかった。

 護衛の任を解いたことで、もうリュシエンヌの近くにいる必要はないのだから、ある意味当然だ。あの中庭で約束した日から、彼はリュシエンヌの前に姿を見せることはしなかった。

 リュシエンヌはこれでよかったのだと思った。会っても、辛いだけだから……。

 城下町を下り、今まで住んでいた城がずいぶんと高く見えるなと目をやっていたリュシエンヌはふと何かに気づき、目を瞠った。

(あれは……)

 一人馬に乗り、颯爽と駆け出す騎士の姿があった。

 遠目からでもわかる。見間違えるはずがない。

(ランスロット……)

 あの場にいなかった彼が、人が引いた状態になって馬を駆けさせているのはなぜか。

 大勢の目がある場所では、お別れできないと思ったからか。
 一番目を引くやり方で、自分を覚えていてほしいと思ったからか。

 それとも、リュシエンヌが待つことを期待しているのか。

 輿入れに備えてたくさんの荷馬車を従えているため速度はゆっくりだ。ランスロットが追いつく可能性は十分あった。彼はそれを狙って追いかけているのか。

 ……答えはわからない。正解を確かめることもしなかった。

「姫様……」

 一緒に同乗していた侍女が気遣う視線を向けてくるが、リュシエンヌは無視してカーテンを引き、俯いた。浅い息を繰り返し、やがて膝の上で硬く握りしめた拳に滴がぽとぽとと落ちてゆく。肩を震わせ、顔を手で覆ったが、次々と溢れて止まらない。

「っ……」

『姫様』

 遠く離れている距離なのに、ランスロットの呼ぶ声が聴こえる。今まで自分に向けてくれた笑顔がたくさん思い浮かんでくる。

(ランスロット!)

 もう一度声が聴きたい。顔が見たい。

(帝国なんて行きたくない! 結婚なんてしたくない!)

 ランスロットのそばにずっといたい。

 彼が好きで、愛しているから。代わりなど誰にも務まらない。

 その事実をこの瞬間最も強く突きつけられ、リュシエンヌは胸が張り裂けそうになった。

『俺の妻として、貴女を守り、愛を捧げることを誓います。俺が夫となることを許してくれますか?』
『姫様はもう、俺のものですよ。――そして俺の心も身体も、姫様のものです』
『愛しています。俺の姫様……』

(もう二度と、あの幸せな日々は送れない!)

 彼の隣には、自分ではない別の女性が並ぶのだ。

 そう思うと、言葉にできないほどの苦しみに襲われて、辛くてたまらなかった。

 ランスロットに大切にされ、愛を囁かれる女性が憎い。一緒の未来を歩めることが心底羨ましい。彼の愛はすべて自分のものだったのに。奪われてしまう。返してと叫びたくなる。

 ――今からでも遅くない。引き返せばいい。きっと彼は受け入れてくれる。

 内なる悪魔がそうリュシエンヌを誘惑する。

 もう一度あの幸せな人生を味わいたくないのか。彼を自分だけのものにしてしまえ。

 リュシエンヌは甘美な囁き声に身を委ねてしまいたくなる。だが――

『ひめさま……、はや、く……』

(彼を失いたくは、ないっ……)

 あんな地獄を味わうくらいならば、彼を死なせる運命を辿るくらいならば、リュシエンヌはランスロットとの幸せを手放す道を選ぶ。

 彼が幸せになるのならば――この苦しみにも耐えられる。耐えなければならないのだ。

(さようなら、ランスロット……)

 一度でも、自分は彼と結婚することができた。愛を交わすことができた。それで十分ではないか。

 だがすでに知っているからこそ、手にできる幸せを手放すことが身を切るほど辛かった。こんな思いをするくらいなら、いっそ知らなければよかったのか。リュシエンヌにはわからなかった。

 ただせめて今だけは――ノワール帝国へ着くまでは、彼のことを想っていたいと涙を流し続けた。

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