途中闇堕ちしますが、愛しの護衛騎士は何度でもわたしを愛します

りつ

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最期

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「宿に押し入ってきたのか」
「はい。ここもすぐに見つかるでしょう」

 ランスロットは短く頷き、未だ事態が呑み込めていないリュシエンヌを抱き上げると、窓を開け放ち、しっかり捕まっているよう彼女に告げると、近くに生い茂っていた木へと飛び移り、怪我しても平気な高さから飛び降りた。

 地面へ着くとフードをしっかりと被せ、リュシエンヌの手を引いて走り出す。

「ランスロット、騎士と侍女が……」
「彼らには足止めしてもらいます」

 宿屋から遠ざかるリュシエンヌの耳に怒号のような大声が届く。怖くなって、縋るようにランスロットの手を握りしめた。彼はすぐにぎゅっと握り返してくれる。

「どうして、帝国兵がここにいるの?」
「帝国から送られてきたのでしょう」

 彼は短くそう答えた。何も言わないリュシエンヌをちらりと見やり、言葉を選ぶようにして続ける。

「メルヴェイユはセレスト国の同盟国です。脅される形で俺たちを探していましたが、本心ではこんなことをしたくないと嫌々探していた。しかしそれに帝国は業を煮やして、自分たちの兵を派遣した。……恐らく、今までより執拗に探し出そうとするでしょう」
「そんな……」

 本当に彼らを置いていっていいのか。今まで自分の身を守ってくれたのに。しかし彼らが危険に巻き込まれているのは自分のせいである。ならば彼らと別れたのは正しかったと言えるのか。けれどもし帝国兵に自分たちの行き先を尋ねるために酷いことをされたら……。

 もはやどんな行動が正解なのか、リュシエンヌにはわからなかった。

「止まって。……人気のない場所はダメだな」

 暗がりの奥、銀色の厳つい甲冑を身に纏った騎士の姿を目にして、ランスロットは裏通りから表に出た。通りは大勢の人間であふれかえっていた。

「帝国兵が攻め入ってきたんだ!」
「家の中を滅茶苦茶に荒らされた!」
「お母さーん! お父さーん! どこにいるの! 置いていかないで!」
「誰か! 私の子を知りませんか! 私の可愛い坊やを!」

 人々は帝国兵が攻めてきたと思い、混乱し、逃げようとしていた。実際兵士たちは、どうしてこんなことをするんだと詰め寄る人間を容赦なく力で捻じ伏せている。

 怒声や泣き声がひっきりなしに飛び交い、押されて、もみくちゃにされて、リュシエンヌは貧血になりそうだった。

 一体自分たちはどこへ向かっているのだろう。この地獄から解放される安全な場所などあるのか。

「あっ」

 自分より背の高い男性の胸に頭が当たり、リュシエンヌの被っていたフードが捲れ、紫がかった白銀の髪が露わになる。その特徴的な髪色にぶつかった男性が息を呑む。

「その髪色……公女様?」

 小さな呟きは不思議と大きく響き、周りも立ち止まって見てくる。

「本当だ。紫色のかかった珍しい髪」
「あの髪は女神さまの血を引いている証って聞いたわ」
「じゃあ本物?」
「でもどうしてこんな所に公女様が?」

(まずい。どんどん注目を集めている……)

 否定しなければならないのに無遠慮にじろじろと見られて、人前に出ることが慣れていないリュシエンヌは頭の中が真っ白になり、喉が詰まって何も言えない。

「あんたたち、この髪色はただ染めているだけだ。公女殿下がこんな所にいるはずがないだろう。さっ、先を急いでいるんだ。どいてくれ」

 ランスロットが素早くフードを被せ、行こうとリュシエンヌの手を引く。

 しかし行く手を阻むようにがしりと肩を掴まれ、彼女はびくりと震えた。

「待てよ。あんたたちのその身なり、どう見ても俺たちとは違う。高貴な人間だろう? ならやっぱり公女としか思えない」
「そうだ。なぁ、どうしてそんなに急いで、やっぱり城から逃げ出したのか?」
「大公様はもう殺されちまったのか? 彼はどんな罪を犯したんだ?」
「この国はどうなっちまうんだ?」
「帝国兵がいるのはアンタたちを捕まえるためか?」

 残酷な問いかけを人々は容赦なくリュシエンヌたちに浴びせてくる。そして最後の質問を合図に、誰かの手が伸びてきた。まるで帝国兵の代わりに、自分たちがリュシエンヌを捕まえようとするように。

(いや、触らないで――っ)

「その方に触れるな!」

 ランスロットがリュシエンヌの伸びてきた手を払い落し、「どけ!」と力で道を切り開いた。そして強引に前へ進んでいく。

「あっ! 逃げたぞ!」

 誰かの声に胸を痛める暇もなく、リュシエンヌはランスロットと共に駆け出す。

「待て!」

 その時爆発音のような音が聞こえた。人々は足を止めて、何が起こったのか確かめようとする。追ってくると思われた人間も、そちらに気を取られたか、人の壁に阻まれて見えなくなった。

「足を止めないでくださいっ」

 人々の流れとは逆行するようにリュシエンヌは前へ進む。

 脚がもつれそうだ。息が苦しい。騒音で頭がガンガンする。煙の匂いが鼻につく。状況が理解できず頭の中がぐちゃぐちゃだ。

(どうして、どうして……こんなことになったの?)

 夢ならどうか覚めてほしい。いや、きっとこれは夢だ。現実ではなく、悪夢を今自分は見ているのだ。

「見つけたぞ!」

 だがそうしたリュシエンヌの現実逃避も、鋭い一声で終わってしまう。

 甲冑を纏い、親の仇を討つかのような憎悪に染まったたくさんの顔が、自分たちを睨みつけている。――ノワール帝国の兵たちだ。

「あれが公女です!」
「あの女のせいで、我々は今こんな状況に陥っているのでしょう?」

 告げたのはセレスト公国の民たち――父が守るべきだと教えてきた存在。

(あぁ……)

 帝国兵たちは剣を抜き、自分たちの方へ駆け寄って来る。殺すのだろうか。だったら逃げなくてはならない。だが、リュシエンヌの心はもう限界に近かった。無理だと思った。このまま殺される運命を受け入れるしかない。

「くそっ」

 ランスロットが顔を歪め、呆然としているリュシエンヌをちらりと一瞥すると、それまで何があっても離さないと固く握りしめていた手を放した。

 リュシエンヌは彼の意図がわからず、どうして、と言うように見上げる。

 その不安に揺れた顔に彼は苦しげな表情を一瞬浮かべたが、覚悟を決めた様子で告げた。

「宿で伝えた場所を覚えていますよね。俺がここで時間を稼ぐので、姫様は先に向かってください。大丈夫。俺もすぐに向かいます」
「な……い、嫌よ! あなたも、一緒に来て!」

 リュシエンヌはランスロットの腕に縋った。いきなり一人で行けと言われて、見放された気になった。また、到底自分一人では成し遂げられないと思った。

「逃げてください!」

 帝国兵はもうすぐそこまで来ていた。冷静になれば、彼が敵を引きつけ、自分を逃がそうとしているのは明白だった。

 だがこの時のリュシエンヌは混乱していた。自分が取るべき行動に踏み出せなかった。

「逃げるんだリュシエンヌ!!」

 怒鳴るようにランスロットはリュシエンヌの身体を押した。その強い命令口調に、自分の意思とは関係なく、身体が彼に背を向け、脚が恐る恐る前を向く。

 金属音のぶつかる音が耳に入る。人々の悲鳴も一緒に重なった。

 リュシエンヌはようやく逃げなくてはと思った。

 しかしそう思った時には、すでに何もかも手遅れだった。

「待て!!」

 鋭い声と共に、フードを掴まれる。髪も一緒に掴まれて、引っ張られ、痛みが走る。振り向くと同時にヘルムを被った兵が見えた。彼は腕を上げていた。剣を握って、頭上高く振りかざしている。背景に赤い炎が揺らめいて、せっかくの星空が真っ黒な煙で濁って見える。

 何もかもすべての景色が止まったように映る。

(あ――)

 斬られる。殺される。最期を悟るための長い一瞬だった。

 リュシエンヌにできることは何もなく、ただ反射的に目を瞑って顔に腕をやって――

「っ――」

 苦しいほどの温もりに包まれ、嗅ぎなれた匂いが肺を満たす。

「ひめ、さま……」

 掠れた声が耳に響く。リュシエンヌがよく知っている声だ。つい先ほど、別れを告げた。逃げろと言った人の声がなぜかとても近くでする。

「ランス、ロット……?」

 目を開くと、ランスロットが眉間に皺を寄せていた。ひどく辛そうだ。

「なに、……え?」

 抱きしめていた身体がずるりと下がり、地面へゆっくりと落ちていく。リュシエンヌに覆い被さるように大きな身体が傾いてくる。彼女は支えた。腰に手を回した。服が破けて、ぬるりとした手触りがする。見ると、赤く、血だった。

「え……、うそ……」

 ランスロットが膝をつく。リュシエンヌの腕を掴んでいるかと思えば、弱々しい力で押してきた。

「はやく、逃げてください……遠くへ……」
「うそ……、ねぇ、ランスロット、ランスロット……!」

 帝国兵が「待て殺すな! 公女は捕縛しろ!」と命じているが、リュシエンヌの耳には何も入ってこなかった。ただ目の前のランスロットの姿だけが、彼女の目には映っていた。

「いや、ランスロット! 目を開けて! ランスロット!」

 帝国兵たちに腕を掴まれる。無理矢理ランスロットから引き剥がそうとするが、リュシエンヌはランスロットを抱きしめ、名前を繰り返した。

「ランスロット!」
「ひめさま……、はや、く……」

 リュシエンヌに逃げろと口の動きだけで伝えながら、ゆっくりとランスロットの瞳から光が消えていく。

(あ――)

 彼の命が尽きた時、リュシエンヌの目はもう一度、すべてが止まったように映った。

(いや……こんなの、いや……)

 周りの人間が自分とランスロットを引き剥がす。ランスロットが奪われる。彼は血を流している。息もしていない。

 もう二度と、会えない。

(いや――――!!)

 心の悲鳴を、口に出して叫んでいたかもしれない。

 喉が壊れそうなほど絶叫して、怒りや苦しみで頭がカッとなり、すべてを破壊したい衝動に駆られ、身体をがむしゃらに突き動かす。

 吐き気がして、そのまま頭が狂って、涙で目が滲んで、視界が歪んだ。黒や赤が混ざり合って、暗くなって、光って、やがて――真っ白になった。

 何が起きたのか。

 きっと自分はノワール帝国の皇帝に処刑される前に、心が死んだのだ。

(わたしの、せいだ……)

 ランスロットが死んだのも、父が身代わりになったのも、母と弟が捕縛されたのも、セレスト公国に帝国軍が攻め入ったのも、民を危険に巻き込んだのも、全部、全部、自分のせいだ。

 大切なすべてが壊されて、失ってしまった。

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