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優しくて甘い新婚生活
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ランスロットと結婚して、数カ月が過ぎた。
生活が劇的に変わったかといえば、以前とさほど変わらなかった。
ランスロットは相変わらずリュシエンヌの騎士であった。
「姫様。そろそろ昼食にいたしましょう」
「わかったわ」
図書室で本を読み耽っていたリュシエンヌはランスロットと共に食堂へ向かう。
今まではリュシエンヌ一人で食事をしていたが、夫婦になった今はランスロットも共に席に着く。夕食の時よりも互いに触れ合うことのできる距離間だ。
「夕食は大公夫妻とご一緒に、とのことです」
「そう……。ランスロットはいいの?」
「? 別にいいですけれど」
質問の意図がわからず手を止める彼に、「だって……」とリュシエンヌは言い訳するように述べる。
「お父様たちはあなたにとって仕える主で……義理の両親に当たるでしょう? だから緊張したり、気を遣ったりして、疲れると思って……」
結婚したリュシエンヌたちが暮らしているのは、両親が普段生活する宮殿のすぐ近く。広いとは言え、同じ敷地内で生活していることになる。
ランスロットの立場からすれば、窮屈に感じるのではないだろうか。
「つまり姫様は俺のことを心配してくださっているのですね」
「……だってわたし、あなたのご家族と会うだけですごく緊張するもの」
すでに何度か顔を見合わせ、また食事もしているが、リュシエンヌは毎回生きた心地がしない。
礼儀がなっていないと思われたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、何を話せば正しいのか……そんなことをぐるぐる考えてしまい、別れた後はいつもぐったりとくたびれてしまう。
「まぁ、俺のところは父や兄と弟たちで、男ばかりですからね……。姫様が緊張なさるのも無理ありませんよ」
ランスロットは気にする必要はないと明るく言った。
「俺は陛下たちとご一緒することができて楽しいですよ」
「でも……」
「なんたってお二人とも、姫様の小さい頃の話をたくさんしてくれますからね」
リュシエンヌは頬を赤くさせた。
そう。ランスロットの言う通り、二人とも……弟のフェランも時々、リュシエンヌの幼い頃のことをランスロットに語り聞かせるのだ。
「それなりに姫様のことは知っていると自負しておりましたが、やはりまだまだですね。悔しいです」
「もう。お父様もお母様も……」
恥ずかしさからリュシエンヌが怒ると、ランスロットは目を細めた。
「陛下も公妃殿下も、みな貴女のことが可愛くてたまらないんですよ」
ランスロットの手がそっとリュシエンヌの手に触れる。
「もちろん、俺も」
リュシエンヌはしばし彼の自分を見つめる甘い瞳に目を奪われていたが、やがて怒りとは別の感情から頬を染めて俯いた。
護衛していた時には見られなかった表情を事あるごとに向けられ、リュシエンヌはいつも反応に困ってしまう。そんな初々しい反応すら愛おしいとばかりにランスロットはさらに目元を和ませた。そしてこれ以上妻を困らせまいと、ニッと口の端を上げる。
「でも、これからは俺が一番姫様のことを知っていきますよ」
彼女が顔を上げると、悪戯っぽく目を光らせて笑いかける。
「すでに、俺しか知らないことを教えてもらいましたからね」
それが何を指しているか察し、リュシエンヌは無言で彼の手を軽く叩いた。それにランスロットが笑って「どうしました?」と聞いてくる。
「破廉恥だわ」
新婚夫婦らしく、リュシエンヌはランスロットに情熱的に抱かれている。
繋がるまでとても大変で、痛みを覚えた初夜の経験から、正直ずっとこれが続くのかと途方に暮れそうになったリュシエンヌだが、それは杞憂に終わった。
戦場で経験を重ねて一人前の騎士になっていくように、ランスロットは実に辛抱強く……慣れれば手際よくリュシエンヌの身体を解し、じっくりと快楽を覚えさせていった。おかげで今はもうすっかり痛みは感じず、代わりに言葉にできないほどの快感に悶える日々だ。
「姫様も、もう俺のすべてをご存知でしょう?」
低く囁かれる声にリュシエンヌは昨晩のランスロットの表情と身体を思い出した。
大人の色気を滲ませた、少し怖くも思える飢えた表情は自分を一心に求めているのが伝わってきて、腹筋は綺麗に割れて、触れると熱くて……。
「姫様、何を思い出しているんです?」
「な、何も思い出していないわ!」
「本当ですか? 俺は昨夜の姫様を思い出してしまいました。俺に縋りついて、む――」
ランスロットの口を塞ぎ、リュシエンヌは涙目で懇願した。
「お願い。それ以上言わないで……」
ランスロットはしばし涙目のリュシエンヌをじっと見つめていたが、やがて塞がれた手の甲をそっと外し、口づけを落とした。
「申し訳ありません。姫様が可愛らしくて、つい調子に乗ってしまいました」
「……あなた、結婚してすごく意地悪になった」
「はい、そうですね」
「認めないで」
「姫様が可愛すぎるからいけないのです」
「何よ、それ……」
可愛い、と言われるのも結婚してから増えた。愛している、という言葉も。
(あなたにそう言われるたび、わたしはどうにかなってしまいそうになるのに……)
一体自分をどうしたいのだと、理不尽にも思える怒りで黙り込んでいると、ランスロットがリュシエンヌの指先を撫でてくる。
「姫様。姫様はもう、俺のものですよ」
突然何を言い出すのだとリュシエンヌが顔を上げれば、ランスロットは甘い眼差しで自分を見つめていた。
「そして俺の心も身体も、姫様のものです」
「……」
リュシエンヌはもう何も言えず、また俯いてしまう。
そんな妻をやはりランスロットは愛おしげに見つめ、新婚夫婦の甘い昼食の時間が過ぎていった。
◇
「リュシエンヌ。ランスロットとは上手くやれているかい?」
「もう、お父様。何度も同じことを訊かないで」
顔を合わせる度、挨拶のように尋ねられる質問にリュシエンヌはややうんざりしていた。
「そうかそうか。その調子だと上手くやれているようだな」
「あなた。心配は無用ですよ。だって相手はランスロットですもの」
母が微笑んで口添えすれば、父は朗らかに「そうだな」と笑った。
……このやり取りも毎回同じで、リュシエンヌはいい加減にしてほしいと思う。
「父上、母上。姉上が困っていますよ」
見かねた弟のフェランが助け舟を出してくれる。
「ああ、すまない。ランスロットを揶揄っても、いつも上手に返されるからな。つい、というやつだ」
「……用事がないならば、わたしはもう帰ります」
ランスロットは同席させずに伝えたい用件があるとのことで、何か重要なことを言い渡されると思っていたが、ただ娘を揶揄って遊ぶだけならばこれ以上ここにいる意味はない。
「いやいや。用事はあるのだ。おまえたち、新婚旅行がまだだろう?」
「……行く予定は特にありませんわ」
リュシー、と母が少し真面目な口調で娘を呼ぶ。
「旅行と言うのは表向きで、あなたたちが結婚したことを知らせるのに意味があるのですよ」
「見世物になれってこと?」
「そうではない。公女が愛する人と一緒になれて幸せそうな姿を民が見れば、彼らもまたこの国のことを誇らしく思うのだ」
「そういうものかしら……」
リュシエンヌにはよくわからなかった。公女と言っても、身分があるだけで、中身はどこにでもいる人間と変わらない。誇りを持つことに繋がるとは、あまりぴんとこなかった。
「姉上。パフォーマンスの一種ですよ」
自分よりも年下のフェランが諭すように説得するので、リュシエンヌはますます素直に認める気にはなれない。
「リュシーだって、ランスロットといろんなところへ行ってみたいと思うでしょう?」
「わたしは……今の生活でも、十分満足しています」
正直、見知らぬ場所へ出かけるのは気疲れするだろうし、あまり気が進まない。
好奇心よりも、不安や恐怖の方が大きかった。
娘の不満げな顔に、両親は困ったように顔を見合わせる。フェランだけが、真っ直ぐこちらを見て再度説得を試みる。
「姉上はそれでいいのかもしれませんが、ランスロットは出かけたいんじゃないでしょうか」
「それは……」
「たまには、ランスロットの気持ちを叶えてもいいと思います」
まるでいつも自分の我儘で彼を我慢させているような含みのある言葉に、リュシエンヌは小さく眉根を寄せた。だが心のどこかでは、フェランの言う通りだとも思った。
(ランスロットは身体を動かすのも好きだし、好奇心も強い……。旅行だって、喜んで行くはずだわ……)
昔諸国を巡って経験を積んできた騎士がセレスト公国へ立ち寄った際、ランスロットがいつになく興奮した面持ちで彼の冒険譚を聞き、リュシエンヌに教えてくれたことがあった。
きっと行くと決まればたいそう喜ぶはずだ。
「……わかったわ」
「まぁ、本当?」
「ええ……」
リュシエンヌの了承に、家族はほっとした表情を晒した。
「よかったわ」
「姉上。メルヴェイユ国へ行ったらどう?」
「ああ、そうだな。長年我が国とも付き合いがあるし、ちょうどおまえと同い年くらいの王女がいたはずだ」
「そうね。お話して、フェランの結婚相手にどうか、見てきてもらえると助かるわ」
両親はついでとばかりに言い添えるが、リュシエンヌにはこちらの方が本題な気がして、すっかり気持ちが冷めてしまった。
「――なるほど。それで機嫌があまりよろしくないんですね」
夜。ランスロットと二人きりになり、昼間のことを聞かせると、彼は納得がいったと言うように目尻を下げた。リュシエンヌは夫の膝の上に座らされた状態で、頬を彼の胸へと押し当てていた。
いつもは恥ずかしいからとこんな格好はしないのだが、今日はなんだか慰められたいような、甘えたい気持ちになって、大人しく身を委ねていた。
そんなリュシエンヌの気持ちを理解し、慰めるようにランスロットが優しく抱きしめ、うっすらと紫がかった白銀の髪を撫でてくる。
「旅行はまたの機会にいたしましょう」
「……でも、お父様たちは納得しないわ」
この旅行で、父たちはリュシエンヌにメルヴェイユ国との縁を深める外交の役割を果たしてほしいのだ。リュシエンヌも、それは大事なことだとわかる。……でも、自分には荷が重く、自信がなかった。
そういうことを小さな声で説明すれば、「なるほど」とランスロットは相槌を打った。
「姫様。人と仲良くなる方法はいろいろあります」
「例えば?」
「そうですねぇ……。姫様は字がとても綺麗なので、文通で人の心を掴めるかもしれません」
……確かに話すよりも書く方が、自分の気持ちを上手く伝えられる気がする。
「でも、わたしからいきなり手紙が送られてきたら迷惑じゃないかしら?」
「そんなことありませんよ。姫様のような方から仲良くなりたいと手紙をもらえたら、俺だったら飛び上がるほど嬉しいです」
それはランスロットの感想である。リュシエンヌはいまいち自分に自信が持てなかったので、手紙を出すこともどこか気が進まなかった。
そんなリュシエンヌに業を煮やすことなく、ランスロットは心のこもった口調で続けた。
「一番大事なのは、仲良くなりたいという気持ちだと思いますよ。姫様なりのやり方で、少しずつ距離を縮めていけばいいんです。陛下にも、俺からそう説得します」
ランスロットがそう言い終わると、二人の間にはしばらく沈黙が落ちた。
「俺では、不安ですか?」
違う、と緩く首を振る。ランスロットの言葉なら、両親も最後には納得してくれるだろう。
「……あなたは、行きたいでしょう」
拗ねたような聞き方は、自分でも嫌な感じで、心底面倒だと思った。
(ランスロットだって困っているじゃない)
だが黙っているということは、やはり彼も出かけたいのだ。両親と同じ考えなのだと不貞腐れた気持ちでいると――
「リュシエンヌ」
突然耳元で名前を呼ばれ、肩を揺らした。
「俺は貴女と一緒なら、どこだっていい。――どこにも行かなくていいんだ」
いつにも増して優しく、甘い声だった。
胸が温かくなると同時に苦しくなり、泣きそうな心地になって、思わず彼の首に腕を回して抱き着いた。
「ごめんなさい……」
「どうして謝るんですか。まさか俺の言葉を疑っているんですか?」
ふるふると首筋に顔を埋めたまま否定する。彼は本当にそう思ってくれている。
ただいつまでも子どもじみている自分が情けなく、嫌でたまらないのだ。
「姫様……リュシエンヌ……リュシー。顔を上げて」
彼の呼びかける声に逆らえず、恐る恐る顔を上げれば、やっと自分を見てくれたと緑の瞳を細めた。
「泣かないでくださいよ。可愛い顔が台無しだ」
「可愛く、ないもの」
「可愛いですよ」
大きな掌で零れた髪を払いのけ、愛おしげに濡れた目元を撫でてくる。
「セレスト公国一番……、いえ、ノワール帝国……大陸……世界で一番、俺には貴女が愛らしく思える」
「なに、それ……」
そんなこと言えるのは、ランスロットくらいだ。
おかしくて笑ったリュシエンヌに、ランスロットも釣られて笑みを深める。
「姫様。もし出かけるなら、俺は誰もいない、静かな場所がいいです。貴女と二人きりになれる場所で、貴女と愛を語り合う……。どうです?」
「……悪くないと思う」
すごく、素敵だ。最高の提案だ。
ランスロットも「でしょう?」というようにリュシエンヌをぎゅっと抱きしめ、柔らかな髪や額に口づけした。彼女が顔を上げて、もっとしてほしいと視線で乞えば、ランスロットは望み通りに唇を塞いできた。
「愛しています……俺の姫様……」
何度も囁かれる愛の言葉に、わたしも、とリュシエンヌは彼を抱きしめ返した。
生活が劇的に変わったかといえば、以前とさほど変わらなかった。
ランスロットは相変わらずリュシエンヌの騎士であった。
「姫様。そろそろ昼食にいたしましょう」
「わかったわ」
図書室で本を読み耽っていたリュシエンヌはランスロットと共に食堂へ向かう。
今まではリュシエンヌ一人で食事をしていたが、夫婦になった今はランスロットも共に席に着く。夕食の時よりも互いに触れ合うことのできる距離間だ。
「夕食は大公夫妻とご一緒に、とのことです」
「そう……。ランスロットはいいの?」
「? 別にいいですけれど」
質問の意図がわからず手を止める彼に、「だって……」とリュシエンヌは言い訳するように述べる。
「お父様たちはあなたにとって仕える主で……義理の両親に当たるでしょう? だから緊張したり、気を遣ったりして、疲れると思って……」
結婚したリュシエンヌたちが暮らしているのは、両親が普段生活する宮殿のすぐ近く。広いとは言え、同じ敷地内で生活していることになる。
ランスロットの立場からすれば、窮屈に感じるのではないだろうか。
「つまり姫様は俺のことを心配してくださっているのですね」
「……だってわたし、あなたのご家族と会うだけですごく緊張するもの」
すでに何度か顔を見合わせ、また食事もしているが、リュシエンヌは毎回生きた心地がしない。
礼儀がなっていないと思われたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、何を話せば正しいのか……そんなことをぐるぐる考えてしまい、別れた後はいつもぐったりとくたびれてしまう。
「まぁ、俺のところは父や兄と弟たちで、男ばかりですからね……。姫様が緊張なさるのも無理ありませんよ」
ランスロットは気にする必要はないと明るく言った。
「俺は陛下たちとご一緒することができて楽しいですよ」
「でも……」
「なんたってお二人とも、姫様の小さい頃の話をたくさんしてくれますからね」
リュシエンヌは頬を赤くさせた。
そう。ランスロットの言う通り、二人とも……弟のフェランも時々、リュシエンヌの幼い頃のことをランスロットに語り聞かせるのだ。
「それなりに姫様のことは知っていると自負しておりましたが、やはりまだまだですね。悔しいです」
「もう。お父様もお母様も……」
恥ずかしさからリュシエンヌが怒ると、ランスロットは目を細めた。
「陛下も公妃殿下も、みな貴女のことが可愛くてたまらないんですよ」
ランスロットの手がそっとリュシエンヌの手に触れる。
「もちろん、俺も」
リュシエンヌはしばし彼の自分を見つめる甘い瞳に目を奪われていたが、やがて怒りとは別の感情から頬を染めて俯いた。
護衛していた時には見られなかった表情を事あるごとに向けられ、リュシエンヌはいつも反応に困ってしまう。そんな初々しい反応すら愛おしいとばかりにランスロットはさらに目元を和ませた。そしてこれ以上妻を困らせまいと、ニッと口の端を上げる。
「でも、これからは俺が一番姫様のことを知っていきますよ」
彼女が顔を上げると、悪戯っぽく目を光らせて笑いかける。
「すでに、俺しか知らないことを教えてもらいましたからね」
それが何を指しているか察し、リュシエンヌは無言で彼の手を軽く叩いた。それにランスロットが笑って「どうしました?」と聞いてくる。
「破廉恥だわ」
新婚夫婦らしく、リュシエンヌはランスロットに情熱的に抱かれている。
繋がるまでとても大変で、痛みを覚えた初夜の経験から、正直ずっとこれが続くのかと途方に暮れそうになったリュシエンヌだが、それは杞憂に終わった。
戦場で経験を重ねて一人前の騎士になっていくように、ランスロットは実に辛抱強く……慣れれば手際よくリュシエンヌの身体を解し、じっくりと快楽を覚えさせていった。おかげで今はもうすっかり痛みは感じず、代わりに言葉にできないほどの快感に悶える日々だ。
「姫様も、もう俺のすべてをご存知でしょう?」
低く囁かれる声にリュシエンヌは昨晩のランスロットの表情と身体を思い出した。
大人の色気を滲ませた、少し怖くも思える飢えた表情は自分を一心に求めているのが伝わってきて、腹筋は綺麗に割れて、触れると熱くて……。
「姫様、何を思い出しているんです?」
「な、何も思い出していないわ!」
「本当ですか? 俺は昨夜の姫様を思い出してしまいました。俺に縋りついて、む――」
ランスロットの口を塞ぎ、リュシエンヌは涙目で懇願した。
「お願い。それ以上言わないで……」
ランスロットはしばし涙目のリュシエンヌをじっと見つめていたが、やがて塞がれた手の甲をそっと外し、口づけを落とした。
「申し訳ありません。姫様が可愛らしくて、つい調子に乗ってしまいました」
「……あなた、結婚してすごく意地悪になった」
「はい、そうですね」
「認めないで」
「姫様が可愛すぎるからいけないのです」
「何よ、それ……」
可愛い、と言われるのも結婚してから増えた。愛している、という言葉も。
(あなたにそう言われるたび、わたしはどうにかなってしまいそうになるのに……)
一体自分をどうしたいのだと、理不尽にも思える怒りで黙り込んでいると、ランスロットがリュシエンヌの指先を撫でてくる。
「姫様。姫様はもう、俺のものですよ」
突然何を言い出すのだとリュシエンヌが顔を上げれば、ランスロットは甘い眼差しで自分を見つめていた。
「そして俺の心も身体も、姫様のものです」
「……」
リュシエンヌはもう何も言えず、また俯いてしまう。
そんな妻をやはりランスロットは愛おしげに見つめ、新婚夫婦の甘い昼食の時間が過ぎていった。
◇
「リュシエンヌ。ランスロットとは上手くやれているかい?」
「もう、お父様。何度も同じことを訊かないで」
顔を合わせる度、挨拶のように尋ねられる質問にリュシエンヌはややうんざりしていた。
「そうかそうか。その調子だと上手くやれているようだな」
「あなた。心配は無用ですよ。だって相手はランスロットですもの」
母が微笑んで口添えすれば、父は朗らかに「そうだな」と笑った。
……このやり取りも毎回同じで、リュシエンヌはいい加減にしてほしいと思う。
「父上、母上。姉上が困っていますよ」
見かねた弟のフェランが助け舟を出してくれる。
「ああ、すまない。ランスロットを揶揄っても、いつも上手に返されるからな。つい、というやつだ」
「……用事がないならば、わたしはもう帰ります」
ランスロットは同席させずに伝えたい用件があるとのことで、何か重要なことを言い渡されると思っていたが、ただ娘を揶揄って遊ぶだけならばこれ以上ここにいる意味はない。
「いやいや。用事はあるのだ。おまえたち、新婚旅行がまだだろう?」
「……行く予定は特にありませんわ」
リュシー、と母が少し真面目な口調で娘を呼ぶ。
「旅行と言うのは表向きで、あなたたちが結婚したことを知らせるのに意味があるのですよ」
「見世物になれってこと?」
「そうではない。公女が愛する人と一緒になれて幸せそうな姿を民が見れば、彼らもまたこの国のことを誇らしく思うのだ」
「そういうものかしら……」
リュシエンヌにはよくわからなかった。公女と言っても、身分があるだけで、中身はどこにでもいる人間と変わらない。誇りを持つことに繋がるとは、あまりぴんとこなかった。
「姉上。パフォーマンスの一種ですよ」
自分よりも年下のフェランが諭すように説得するので、リュシエンヌはますます素直に認める気にはなれない。
「リュシーだって、ランスロットといろんなところへ行ってみたいと思うでしょう?」
「わたしは……今の生活でも、十分満足しています」
正直、見知らぬ場所へ出かけるのは気疲れするだろうし、あまり気が進まない。
好奇心よりも、不安や恐怖の方が大きかった。
娘の不満げな顔に、両親は困ったように顔を見合わせる。フェランだけが、真っ直ぐこちらを見て再度説得を試みる。
「姉上はそれでいいのかもしれませんが、ランスロットは出かけたいんじゃないでしょうか」
「それは……」
「たまには、ランスロットの気持ちを叶えてもいいと思います」
まるでいつも自分の我儘で彼を我慢させているような含みのある言葉に、リュシエンヌは小さく眉根を寄せた。だが心のどこかでは、フェランの言う通りだとも思った。
(ランスロットは身体を動かすのも好きだし、好奇心も強い……。旅行だって、喜んで行くはずだわ……)
昔諸国を巡って経験を積んできた騎士がセレスト公国へ立ち寄った際、ランスロットがいつになく興奮した面持ちで彼の冒険譚を聞き、リュシエンヌに教えてくれたことがあった。
きっと行くと決まればたいそう喜ぶはずだ。
「……わかったわ」
「まぁ、本当?」
「ええ……」
リュシエンヌの了承に、家族はほっとした表情を晒した。
「よかったわ」
「姉上。メルヴェイユ国へ行ったらどう?」
「ああ、そうだな。長年我が国とも付き合いがあるし、ちょうどおまえと同い年くらいの王女がいたはずだ」
「そうね。お話して、フェランの結婚相手にどうか、見てきてもらえると助かるわ」
両親はついでとばかりに言い添えるが、リュシエンヌにはこちらの方が本題な気がして、すっかり気持ちが冷めてしまった。
「――なるほど。それで機嫌があまりよろしくないんですね」
夜。ランスロットと二人きりになり、昼間のことを聞かせると、彼は納得がいったと言うように目尻を下げた。リュシエンヌは夫の膝の上に座らされた状態で、頬を彼の胸へと押し当てていた。
いつもは恥ずかしいからとこんな格好はしないのだが、今日はなんだか慰められたいような、甘えたい気持ちになって、大人しく身を委ねていた。
そんなリュシエンヌの気持ちを理解し、慰めるようにランスロットが優しく抱きしめ、うっすらと紫がかった白銀の髪を撫でてくる。
「旅行はまたの機会にいたしましょう」
「……でも、お父様たちは納得しないわ」
この旅行で、父たちはリュシエンヌにメルヴェイユ国との縁を深める外交の役割を果たしてほしいのだ。リュシエンヌも、それは大事なことだとわかる。……でも、自分には荷が重く、自信がなかった。
そういうことを小さな声で説明すれば、「なるほど」とランスロットは相槌を打った。
「姫様。人と仲良くなる方法はいろいろあります」
「例えば?」
「そうですねぇ……。姫様は字がとても綺麗なので、文通で人の心を掴めるかもしれません」
……確かに話すよりも書く方が、自分の気持ちを上手く伝えられる気がする。
「でも、わたしからいきなり手紙が送られてきたら迷惑じゃないかしら?」
「そんなことありませんよ。姫様のような方から仲良くなりたいと手紙をもらえたら、俺だったら飛び上がるほど嬉しいです」
それはランスロットの感想である。リュシエンヌはいまいち自分に自信が持てなかったので、手紙を出すこともどこか気が進まなかった。
そんなリュシエンヌに業を煮やすことなく、ランスロットは心のこもった口調で続けた。
「一番大事なのは、仲良くなりたいという気持ちだと思いますよ。姫様なりのやり方で、少しずつ距離を縮めていけばいいんです。陛下にも、俺からそう説得します」
ランスロットがそう言い終わると、二人の間にはしばらく沈黙が落ちた。
「俺では、不安ですか?」
違う、と緩く首を振る。ランスロットの言葉なら、両親も最後には納得してくれるだろう。
「……あなたは、行きたいでしょう」
拗ねたような聞き方は、自分でも嫌な感じで、心底面倒だと思った。
(ランスロットだって困っているじゃない)
だが黙っているということは、やはり彼も出かけたいのだ。両親と同じ考えなのだと不貞腐れた気持ちでいると――
「リュシエンヌ」
突然耳元で名前を呼ばれ、肩を揺らした。
「俺は貴女と一緒なら、どこだっていい。――どこにも行かなくていいんだ」
いつにも増して優しく、甘い声だった。
胸が温かくなると同時に苦しくなり、泣きそうな心地になって、思わず彼の首に腕を回して抱き着いた。
「ごめんなさい……」
「どうして謝るんですか。まさか俺の言葉を疑っているんですか?」
ふるふると首筋に顔を埋めたまま否定する。彼は本当にそう思ってくれている。
ただいつまでも子どもじみている自分が情けなく、嫌でたまらないのだ。
「姫様……リュシエンヌ……リュシー。顔を上げて」
彼の呼びかける声に逆らえず、恐る恐る顔を上げれば、やっと自分を見てくれたと緑の瞳を細めた。
「泣かないでくださいよ。可愛い顔が台無しだ」
「可愛く、ないもの」
「可愛いですよ」
大きな掌で零れた髪を払いのけ、愛おしげに濡れた目元を撫でてくる。
「セレスト公国一番……、いえ、ノワール帝国……大陸……世界で一番、俺には貴女が愛らしく思える」
「なに、それ……」
そんなこと言えるのは、ランスロットくらいだ。
おかしくて笑ったリュシエンヌに、ランスロットも釣られて笑みを深める。
「姫様。もし出かけるなら、俺は誰もいない、静かな場所がいいです。貴女と二人きりになれる場所で、貴女と愛を語り合う……。どうです?」
「……悪くないと思う」
すごく、素敵だ。最高の提案だ。
ランスロットも「でしょう?」というようにリュシエンヌをぎゅっと抱きしめ、柔らかな髪や額に口づけした。彼女が顔を上げて、もっとしてほしいと視線で乞えば、ランスロットは望み通りに唇を塞いできた。
「愛しています……俺の姫様……」
何度も囁かれる愛の言葉に、わたしも、とリュシエンヌは彼を抱きしめ返した。
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