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第7章 東雲理沙編
197 中学校①
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もしも、この世界を支配する神というものが存在するとしたら……それは一体、どのような存在なのだろうか。
この疑問は、人間誰しも生きていれば必ず一度は考えたことがあるのではないかと思う。
私がこの疑問を抱くきっかけになったのは、九歳……小学校三年生半ばでの出来事。
学校で開催された運動会が終わった後、見に来てくれていた両親の車で帰宅していた時のことだった。
車を運転していた父は、私が午後に参加していた二人三脚について、ただ一言聞いてきた。
「一緒に組んでいた子と、仲が良いのか?」と。
私はそれを否定した。今年の春に行った体力テストの結果から、足の速さや体格が近い生徒同士で組まされただけだと。
元々あまり話す方でも無く、二人三脚の練習以外で関わる機会も特に無い子だと。
けど、少しだけ……好感は持っていた。
口数が少なく物静かな子で、常に互いの顔色を窺い機嫌を取って相手に取り入らなければならないこの学校には馴染めておらず、いつも教室の隅の方で一人本を読んでいる子だった。
元々あまり接点の無いただの同級生だったが、一緒に組んで練習する時は変に媚びを売ったりこちらの機嫌を取ろうとしたりせず、あくまで普段通りの自然体で接してくれた。
今まであまり関わったことのないタイプの子だったからだろうか。
二人三脚の練習以外で関わる機会は特に無いが、もし可能であれば、今後も交流を持ちたいとは考えていた。
そんな私の返答に、父は言った。
彼女とは仲良くするな、と。
今回私が二人三脚で一緒に組んでいた女子生徒の父親が働く会社は現在経営不振に陥っており、このままいけば人員整理の為に解雇されるか、会社自体が倒産する可能性が非常に高い。
彼女の父親はその会社の中でも比較的立場のある役職に就いており、そうそうすぐに解雇ということは無いだろうが……このままいけば、三年以内には職を失い、路頭に迷うこととなるのが目に見えている。
そんな家の子供と付き合ったところで、今後の為にはならない。
今も特に交流が無いのであれば、今後わざわざ将来性の無い家の子供と仲良くする必要など無い、お前は自分のレベルに合った友人と付き合いなさい……と。
運転を続けながら、私の方を一切見ること無く淡々とした口調で語る父の言葉に、私は一つ頷いた。
分かった、と。
父が言うのだから間違いないのだろうと、何の疑問も持たずその言葉を受け入れた。
それから私は父に言われた通り、その女子生徒とは深く関わらないようにした。
今まで通り、ただのクラスメイトとして、授業で必要な時以外で接することは無くなった。
学年が上がって別々のクラスになってからは授業で関わることも無くなり、それ以降彼女に意識を向けることも無くなった。
しかし、それから月日が経って小学五年生になった頃に……──彼女は別の学校へと転校した。
学校からは親の仕事の都合だと説明されたが、彼女の父親が働く会社の業績が振るわず売り上げも落ち、倒産して職を失い学費が払えなくなったのだと……風の噂で聞いた。
……父の言った通りだった。
まるで、こうなることがハッキリと分かっていたかのように。
父の言う通り、もし私が彼女の家のことを知らずに仲良くしていたとしても、結局彼女の父親が職を失っていたことに変わりは無い。
そうなれば、彼女もきっと他のクラスメイトのように私の機嫌を取って東雲家の恩恵に授かろうとしただろうし、結局は別の学校に転校して離れ離れになってそれまでの関係となっていただろう。
将来の為になどならない、無駄な交流に終わっていたのだと……頭では、理解している。
けど、ふと……考えた。
もし、私が父に何も言われずに、彼女と仲良くしていたら……どうなっていたのだろうか、と。
父の言う通り、もし私が何も知らずに彼女と友人関係になっていたら、その関係性を利用して東雲家に取り入ろうとしていたのかもしれない。
媚びを売られて都合よく利用されて、でも結局は転校してそれまでの関係となっていたのかもしれない。
……そう。結局、全ては『かもしれない』の範疇でしかないのだ。
もしかしたら、彼女は今まで関わってきたクラスメイトと違ったのかもしれない。
家の財力が落ちても東雲家に縋ろうとせず、あくまで友人としての関係が続いていたかもしれない。
案外気の合う友人にでもなっていて、彼女が転校しても手紙や電話でのやり取りで関係が続いていたのかもしれない。
そんな『あったかもしれない』可能性が、父の言葉によって潰されたのだと知った時、私はふと考えたのだ。
もしもこの世界に、神様なんてものがいるとしたら……それは何て傲慢な存在なのだろうか、と。
私の人生は、父親という神様によって全て決められている。
将来の夢も、行く学校も、友人関係も、笑い方も振る舞いも作法も食べる物も着る物も寝る場所も息の仕方も──私という人間の全てが、決められている。
けど、もしこの世界に神様なんてものがいるとしたら、ソイツは私の父と同じことをこの世界に生きる全ての人間に行っている。
私の生き方を決める父ですら、神様の支配のもとでやっているに過ぎないのだ。
もし本当にそんな存在がいるとしたら、そんなの……独り善がりで傲慢な存在だと言わざるを得ないだろう。
だけど、もし本当に、この世界に神様がいたとして……私と林檎の出会いも、神様の意向で決められたものだとしたら。
感謝こそはしないけど、少しだけ……考えを改めても良いんじゃないかと、思ったんだ。
「理沙~!」
背後から聴こえてきたその声に、私は歩みを止めて振り返る。
するとそこでは紺色のセーラー服を身に纏い、スクールバッグを肩に掛けた林檎が満面の笑みでこちらに駆け寄ってきていた。
目が合うと、彼女はその顔をさらに輝かせ、「おっはよ~!」と言いながら私の腕に抱き着いてきた。
「おはよ、林檎。今日も朝から元気だね」
「えへへっ……やっと理沙と一緒に登校出来るんだと思ったら、嬉しくって」
そう言って赤らんだ頬を緩める林檎に、私は釣られて笑みを浮かべた。
……今日は、中学校の入学式の日。
私は彼女とお揃いのセーラー服を身に纏い、スクールバッグを持って同じ学校に向かって歩いていた。
あの日──私が林檎に告白して付き合うことになった後、彼女の勧めでそのまま葛西家に一晩泊まらせて貰うこととなった。
誰かの家で一緒に夕食を食べたり風呂に入ったりするという経験は、初めてのことばかりで慣れない部分も多々あったが、その相手が他でも無い林檎だったこともあってかそれ以上に楽しいと思う気持ちが強かった。
翌朝には彼女の母親にも出会い、流石に交際のことはまだ言えなかったが挨拶すると快く受け入れ、今後も林檎と仲良くして欲しいと言ってくれた。
翌日は週末で学校が休みだったこともあり、中々家に帰る気が起きず林檎と話すなどして時間を潰したりもしたが、長居し過ぎても良くないと思い……──その日の夕方頃、私は東雲家へと帰った。
そしてそれ以来、私は両親と口を利かなくなった。
無断で外泊して帰ってきた私に、家にいた母は今までどこに行っていたのかだとかどうして連絡しなかっただとか色々言ってきたが、私はその全てを無視して部屋にこもった。
夜になって仕事から帰ってきた父も同様に何かをしつこく言ってきたが、私と林檎の関係を断とうとした彼等の言葉など耳を貸す気にもならなかった。
そんな態度を取っていれば私の面倒など見なくなるのではないかとも思っていたのだが、世間からの体裁を気にしているのか、食事などの身の回りのことは今まで通りに世話してくれていた。
学校にも行きたくなかったが、あの家にいるのは居心地が悪かったし、学校の帰りに林檎と会えることを考えるとまだ頑張れたので学校には通い続けた。
最初は父が送り迎えをするだのなんだの言っていたが当然無視し、今まで通り学校に通い、帰りに林檎と会った。
それまでのように家庭教師の時間や両親のことを気にしなくて良くなったので、林檎とは公園で待ち合わせをしてから彼女の家に行って遊んだり、週末には泊まって翌日も一緒にいたりした。
林檎も最初は両親のことを心配していたが、私が自分で何とかするから気にしなくても良いと話すと渋々といった様子で納得し、それからは普段通りに接してくれた。
私が通っていた私立小学校は大学まで附属しており、小学校を卒業するとほとんどエスカレーター方式で附属の中学への内部進学することになっている。
一応進学時にそれぞれ試験のようなものはあり、その点数と成績によって附属中学への内部進学の可否が決まるのだが、よっぽど酷い成績を出さない限り落とされることは無い。
……そう。つまり、酷い成績を取れば、この学校から脱出できるのだ。
正直、最初は林檎との関係を続けながら、大学を卒業するまでこの学校に通っていても良いのではないかとも考えた。
しかし、この居心地の悪いコミュニティにこれから何年もの間在籍し続けるのは嫌だったし、何より……この学校に居続けること自体が父の意思に従っているような感覚がして、あまり気分が良いものではなかったのだ。
けど、一番私の選択を決定付けたのは……ある時、林檎の家に泊まった日の夜のことだった。
その時の私は今の学校から出るという選択について悩んでおり、一緒に眠る布団の中で、なんとなく林檎に中学校に関する話題を振ってみたのだ。
と言っても、こんな話を林檎にするのは荷が重いと思ったので、話の内容は大分ぼかした方だと思う。
内部進学のことは隠し、小学校を卒業したら今通っている学校の附属校か、林檎が通うことになる近くの公立中学かのどちらかに通うことになるであろう……と言った内容を軽く伝えてみた。
しかし、彼女はまだ小学校を卒業してからのことをイメージするのは少し難しかったようで、私の話の内容を理解するのにも中々の時間が掛かった。
その様子を見て、この話を彼女にすること自体に罪悪感が沸き上がり、自分が話したことを撤回しようかとも悩み始めた頃。
ようやく私の話を理解した林檎が、一緒の布団で横になっていた私の手に自分の頬を軽く擦り付けながら、どこか眠たげな声で呟くように言ったのだ。
「よく分かんないけど……理沙と一緒の学校に通えたら、嬉しいな」……と。
彼女にとっては深い意味など無かったのかもしれないが、私の迷いを断ち切って選択を決定づけるのには、十分過ぎる一言だった。
そんな出来事もあり、私は今の学校を出て林檎と同じ中学に通う選択を決めた。
中学への内部進学から落ちるのは至って簡単なことで、小学六年生時での定期試験は全て白紙で提出し、宿題や授業の課題についても一切提出しなかった。
内部進学の試験も同様の手段を取り、私はエスカレーター方式の私立校から抜け出して林檎と同じ中学に通うこととなった。
今までのことをなんとなく思い出していた時、隣を歩く林檎の頭に桜の花びらが一枚乗っていることに気付いたので、私はソッと手を伸ばして軽く払いつつ口を開いた。
「そういえば、林檎。中学の制服似合ってるね、可愛いよ」
「ほんとっ? やったぁ」
私の言葉に、林檎は照れ臭そうにはにかんで嬉しそうな声を漏らす。
かと思えば、彼女は私の手に自分の指を絡めて強く握った。
「理沙もすっごく似合ってる! 前のも良かったけど……お揃いだし、こっちの方が好きっ!」
「ちょっ……! 外ではダメだってッ」
手を繋いだまま明るい声で言う林檎に、私は辺りを見渡しながら小声でたしなめる。
まだ学校から離れているとは言え、それでも同じ制服を着た生徒は周りにはちらほらといるし、これから学校に近付けばその人数は増えていくだろう。
流石にこんな公共の場でこういうことをするのは……と戸惑っていると、林檎は「大丈夫だって」と言いながら更に体を密着させてくる。
「女の子同士ならこれくらい普通だよ? 別に何とも思われないって」
「だからって、急にこんな……ッ」
「それに……やっと理沙と同じ学校に行けるの、嬉しいんだもん」
一年以上待ったんだから、と。
林檎は狼狽する私の腕を抱いたまま、呟くようにそう言って僅かに目を伏せた。
そんな彼女の態度に私は思わず言葉に詰まってしまい、しばらくの間硬直した後、小さく息をついて彼女の手を握り返した。
「……学校では秘密だからね」
「っ……! うんっ! 理沙大好き!」
林檎は私の返答に嬉しそうにそう答えると、こちらに体重を掛けるようにして体をくっつけてきた。
彼女の言葉に、私は息を吐くように笑って「はいはい」と答えつつ、目線より少し低い位置にある彼女の頭部に軽く自分の頬を触れさせるのだった。
この疑問は、人間誰しも生きていれば必ず一度は考えたことがあるのではないかと思う。
私がこの疑問を抱くきっかけになったのは、九歳……小学校三年生半ばでの出来事。
学校で開催された運動会が終わった後、見に来てくれていた両親の車で帰宅していた時のことだった。
車を運転していた父は、私が午後に参加していた二人三脚について、ただ一言聞いてきた。
「一緒に組んでいた子と、仲が良いのか?」と。
私はそれを否定した。今年の春に行った体力テストの結果から、足の速さや体格が近い生徒同士で組まされただけだと。
元々あまり話す方でも無く、二人三脚の練習以外で関わる機会も特に無い子だと。
けど、少しだけ……好感は持っていた。
口数が少なく物静かな子で、常に互いの顔色を窺い機嫌を取って相手に取り入らなければならないこの学校には馴染めておらず、いつも教室の隅の方で一人本を読んでいる子だった。
元々あまり接点の無いただの同級生だったが、一緒に組んで練習する時は変に媚びを売ったりこちらの機嫌を取ろうとしたりせず、あくまで普段通りの自然体で接してくれた。
今まであまり関わったことのないタイプの子だったからだろうか。
二人三脚の練習以外で関わる機会は特に無いが、もし可能であれば、今後も交流を持ちたいとは考えていた。
そんな私の返答に、父は言った。
彼女とは仲良くするな、と。
今回私が二人三脚で一緒に組んでいた女子生徒の父親が働く会社は現在経営不振に陥っており、このままいけば人員整理の為に解雇されるか、会社自体が倒産する可能性が非常に高い。
彼女の父親はその会社の中でも比較的立場のある役職に就いており、そうそうすぐに解雇ということは無いだろうが……このままいけば、三年以内には職を失い、路頭に迷うこととなるのが目に見えている。
そんな家の子供と付き合ったところで、今後の為にはならない。
今も特に交流が無いのであれば、今後わざわざ将来性の無い家の子供と仲良くする必要など無い、お前は自分のレベルに合った友人と付き合いなさい……と。
運転を続けながら、私の方を一切見ること無く淡々とした口調で語る父の言葉に、私は一つ頷いた。
分かった、と。
父が言うのだから間違いないのだろうと、何の疑問も持たずその言葉を受け入れた。
それから私は父に言われた通り、その女子生徒とは深く関わらないようにした。
今まで通り、ただのクラスメイトとして、授業で必要な時以外で接することは無くなった。
学年が上がって別々のクラスになってからは授業で関わることも無くなり、それ以降彼女に意識を向けることも無くなった。
しかし、それから月日が経って小学五年生になった頃に……──彼女は別の学校へと転校した。
学校からは親の仕事の都合だと説明されたが、彼女の父親が働く会社の業績が振るわず売り上げも落ち、倒産して職を失い学費が払えなくなったのだと……風の噂で聞いた。
……父の言った通りだった。
まるで、こうなることがハッキリと分かっていたかのように。
父の言う通り、もし私が彼女の家のことを知らずに仲良くしていたとしても、結局彼女の父親が職を失っていたことに変わりは無い。
そうなれば、彼女もきっと他のクラスメイトのように私の機嫌を取って東雲家の恩恵に授かろうとしただろうし、結局は別の学校に転校して離れ離れになってそれまでの関係となっていただろう。
将来の為になどならない、無駄な交流に終わっていたのだと……頭では、理解している。
けど、ふと……考えた。
もし、私が父に何も言われずに、彼女と仲良くしていたら……どうなっていたのだろうか、と。
父の言う通り、もし私が何も知らずに彼女と友人関係になっていたら、その関係性を利用して東雲家に取り入ろうとしていたのかもしれない。
媚びを売られて都合よく利用されて、でも結局は転校してそれまでの関係となっていたのかもしれない。
……そう。結局、全ては『かもしれない』の範疇でしかないのだ。
もしかしたら、彼女は今まで関わってきたクラスメイトと違ったのかもしれない。
家の財力が落ちても東雲家に縋ろうとせず、あくまで友人としての関係が続いていたかもしれない。
案外気の合う友人にでもなっていて、彼女が転校しても手紙や電話でのやり取りで関係が続いていたのかもしれない。
そんな『あったかもしれない』可能性が、父の言葉によって潰されたのだと知った時、私はふと考えたのだ。
もしもこの世界に、神様なんてものがいるとしたら……それは何て傲慢な存在なのだろうか、と。
私の人生は、父親という神様によって全て決められている。
将来の夢も、行く学校も、友人関係も、笑い方も振る舞いも作法も食べる物も着る物も寝る場所も息の仕方も──私という人間の全てが、決められている。
けど、もしこの世界に神様なんてものがいるとしたら、ソイツは私の父と同じことをこの世界に生きる全ての人間に行っている。
私の生き方を決める父ですら、神様の支配のもとでやっているに過ぎないのだ。
もし本当にそんな存在がいるとしたら、そんなの……独り善がりで傲慢な存在だと言わざるを得ないだろう。
だけど、もし本当に、この世界に神様がいたとして……私と林檎の出会いも、神様の意向で決められたものだとしたら。
感謝こそはしないけど、少しだけ……考えを改めても良いんじゃないかと、思ったんだ。
「理沙~!」
背後から聴こえてきたその声に、私は歩みを止めて振り返る。
するとそこでは紺色のセーラー服を身に纏い、スクールバッグを肩に掛けた林檎が満面の笑みでこちらに駆け寄ってきていた。
目が合うと、彼女はその顔をさらに輝かせ、「おっはよ~!」と言いながら私の腕に抱き着いてきた。
「おはよ、林檎。今日も朝から元気だね」
「えへへっ……やっと理沙と一緒に登校出来るんだと思ったら、嬉しくって」
そう言って赤らんだ頬を緩める林檎に、私は釣られて笑みを浮かべた。
……今日は、中学校の入学式の日。
私は彼女とお揃いのセーラー服を身に纏い、スクールバッグを持って同じ学校に向かって歩いていた。
あの日──私が林檎に告白して付き合うことになった後、彼女の勧めでそのまま葛西家に一晩泊まらせて貰うこととなった。
誰かの家で一緒に夕食を食べたり風呂に入ったりするという経験は、初めてのことばかりで慣れない部分も多々あったが、その相手が他でも無い林檎だったこともあってかそれ以上に楽しいと思う気持ちが強かった。
翌朝には彼女の母親にも出会い、流石に交際のことはまだ言えなかったが挨拶すると快く受け入れ、今後も林檎と仲良くして欲しいと言ってくれた。
翌日は週末で学校が休みだったこともあり、中々家に帰る気が起きず林檎と話すなどして時間を潰したりもしたが、長居し過ぎても良くないと思い……──その日の夕方頃、私は東雲家へと帰った。
そしてそれ以来、私は両親と口を利かなくなった。
無断で外泊して帰ってきた私に、家にいた母は今までどこに行っていたのかだとかどうして連絡しなかっただとか色々言ってきたが、私はその全てを無視して部屋にこもった。
夜になって仕事から帰ってきた父も同様に何かをしつこく言ってきたが、私と林檎の関係を断とうとした彼等の言葉など耳を貸す気にもならなかった。
そんな態度を取っていれば私の面倒など見なくなるのではないかとも思っていたのだが、世間からの体裁を気にしているのか、食事などの身の回りのことは今まで通りに世話してくれていた。
学校にも行きたくなかったが、あの家にいるのは居心地が悪かったし、学校の帰りに林檎と会えることを考えるとまだ頑張れたので学校には通い続けた。
最初は父が送り迎えをするだのなんだの言っていたが当然無視し、今まで通り学校に通い、帰りに林檎と会った。
それまでのように家庭教師の時間や両親のことを気にしなくて良くなったので、林檎とは公園で待ち合わせをしてから彼女の家に行って遊んだり、週末には泊まって翌日も一緒にいたりした。
林檎も最初は両親のことを心配していたが、私が自分で何とかするから気にしなくても良いと話すと渋々といった様子で納得し、それからは普段通りに接してくれた。
私が通っていた私立小学校は大学まで附属しており、小学校を卒業するとほとんどエスカレーター方式で附属の中学への内部進学することになっている。
一応進学時にそれぞれ試験のようなものはあり、その点数と成績によって附属中学への内部進学の可否が決まるのだが、よっぽど酷い成績を出さない限り落とされることは無い。
……そう。つまり、酷い成績を取れば、この学校から脱出できるのだ。
正直、最初は林檎との関係を続けながら、大学を卒業するまでこの学校に通っていても良いのではないかとも考えた。
しかし、この居心地の悪いコミュニティにこれから何年もの間在籍し続けるのは嫌だったし、何より……この学校に居続けること自体が父の意思に従っているような感覚がして、あまり気分が良いものではなかったのだ。
けど、一番私の選択を決定付けたのは……ある時、林檎の家に泊まった日の夜のことだった。
その時の私は今の学校から出るという選択について悩んでおり、一緒に眠る布団の中で、なんとなく林檎に中学校に関する話題を振ってみたのだ。
と言っても、こんな話を林檎にするのは荷が重いと思ったので、話の内容は大分ぼかした方だと思う。
内部進学のことは隠し、小学校を卒業したら今通っている学校の附属校か、林檎が通うことになる近くの公立中学かのどちらかに通うことになるであろう……と言った内容を軽く伝えてみた。
しかし、彼女はまだ小学校を卒業してからのことをイメージするのは少し難しかったようで、私の話の内容を理解するのにも中々の時間が掛かった。
その様子を見て、この話を彼女にすること自体に罪悪感が沸き上がり、自分が話したことを撤回しようかとも悩み始めた頃。
ようやく私の話を理解した林檎が、一緒の布団で横になっていた私の手に自分の頬を軽く擦り付けながら、どこか眠たげな声で呟くように言ったのだ。
「よく分かんないけど……理沙と一緒の学校に通えたら、嬉しいな」……と。
彼女にとっては深い意味など無かったのかもしれないが、私の迷いを断ち切って選択を決定づけるのには、十分過ぎる一言だった。
そんな出来事もあり、私は今の学校を出て林檎と同じ中学に通う選択を決めた。
中学への内部進学から落ちるのは至って簡単なことで、小学六年生時での定期試験は全て白紙で提出し、宿題や授業の課題についても一切提出しなかった。
内部進学の試験も同様の手段を取り、私はエスカレーター方式の私立校から抜け出して林檎と同じ中学に通うこととなった。
今までのことをなんとなく思い出していた時、隣を歩く林檎の頭に桜の花びらが一枚乗っていることに気付いたので、私はソッと手を伸ばして軽く払いつつ口を開いた。
「そういえば、林檎。中学の制服似合ってるね、可愛いよ」
「ほんとっ? やったぁ」
私の言葉に、林檎は照れ臭そうにはにかんで嬉しそうな声を漏らす。
かと思えば、彼女は私の手に自分の指を絡めて強く握った。
「理沙もすっごく似合ってる! 前のも良かったけど……お揃いだし、こっちの方が好きっ!」
「ちょっ……! 外ではダメだってッ」
手を繋いだまま明るい声で言う林檎に、私は辺りを見渡しながら小声でたしなめる。
まだ学校から離れているとは言え、それでも同じ制服を着た生徒は周りにはちらほらといるし、これから学校に近付けばその人数は増えていくだろう。
流石にこんな公共の場でこういうことをするのは……と戸惑っていると、林檎は「大丈夫だって」と言いながら更に体を密着させてくる。
「女の子同士ならこれくらい普通だよ? 別に何とも思われないって」
「だからって、急にこんな……ッ」
「それに……やっと理沙と同じ学校に行けるの、嬉しいんだもん」
一年以上待ったんだから、と。
林檎は狼狽する私の腕を抱いたまま、呟くようにそう言って僅かに目を伏せた。
そんな彼女の態度に私は思わず言葉に詰まってしまい、しばらくの間硬直した後、小さく息をついて彼女の手を握り返した。
「……学校では秘密だからね」
「っ……! うんっ! 理沙大好き!」
林檎は私の返答に嬉しそうにそう答えると、こちらに体重を掛けるようにして体をくっつけてきた。
彼女の言葉に、私は息を吐くように笑って「はいはい」と答えつつ、目線より少し低い位置にある彼女の頭部に軽く自分の頬を触れさせるのだった。
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