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第7章 東雲理沙編
195 理沙と林檎の話⑨
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「実は……外で、違う学校の子と、会ってるの」
膝の上に置いた拳を強く握りしめ、私は正直にそう答えた。
言い付けを守らなかったことを責められるのか、それとも怒鳴られるのか。
一体何と言われるか想像するだけでも恐ろしかったが、今は父さんの反応を待つしか無く、俯いたままグッと唇を強く噛みしめる。
「……顔を上げなさい。理沙」
私の予想に対して、実際に投げ掛けられたのは、そんな静かな言葉だった。
言われるがままにゆっくりと顔を上げると、そこでは……全ての感情が失せたかのような無表情で、ジッとこちらを見つめる父さんがいた。
こちらに向けられる眼差しは今まで見たことない程に冷たく、私は思わず息を呑んで硬直した。
そんな私に対し、父さんは椅子の背凭れに背中を預けて両手を組みながら続けた。
「今のは一体どういう意味だ? 私に分かるように、もう一度、詳しく話しなさい」
「だ、だから、その……毎日、学校の帰りに……この近くの、小学校に通ってる子と、会って、話してて……それで、帰りが遅くて──」
トン、トン、トン……と。
父さんの指によってリズミカルに奏でられる乾いた叩打音に、私は口を噤む。
私の説明を聞いた父さんはテーブルを叩く手を止め、すぐに呆れたような溜息をついた。
「もしかして……前に平井先生の授業に遅れたのも、ソイツが理由か?」
「ッ……」
冷ややかな声で投げ掛けられたその問いに、私は思わず言葉に詰まる。
すると、父さんはもう一度溜息をつくと椅子の背凭れから体を離し、両手の指を組んで真っ直ぐにこちらを見つめながら口を開いた。
「理沙……私はいつも言ってるよな? 付き合う友達は選ぶべきだ、と。将来のことを考えて、自分のレベルに合った友達と付き合うべきだ、とな」
「えっと……」
「お前のためを思って、この辺りでは一番レベルが高い学校に通わせてやってるというのに……まさか、他所の学校の子供と会っているなんて……」
私はただ、外で友達と会っていただけ。
何も悪いことなんてしてない筈なのに、どうしてそんな、落胆したような眼差しを向けられなければならないんだろうか。
沸々と込み上げる猜疑心からか、父さんの視線を受け止めることが出来ずに思わず目を逸らすと、半開きになった扉の隙間からこちらの様子を窺っている母さんがいた。
目が合うと、母さんは無言で顔を背け、すぐにリビングの扉を閉めた。
「……大丈夫か? 理沙」
閉め切られた扉に言葉を失っていた時、ポンッと肩を軽く叩かれながら、どこか優しい声が投げかけられる。
それに思わず顔を上げると、そこには……いつの間にか席を立ち、私の肩に手を置いて心配そうに覗き込んでくる、父さんの顔があった。
「だ、大丈夫……って……」
「だってお前、その他所の学校の子から、弱みでも握られて脅されてるんだろう?」
……は……?
眉を八の字にして心配そうに問いかけてくる父さんの言葉に、私は思わず絶句する。
林檎が……私の弱みを握って、脅してる……?
一体……何の話をしているんだ……?
「いつの時代も、財力の無い貧しく卑しい奴等はそんなものだ。こちらが金を持っていると知ったら、少しでもその恩恵を授かろうと手段を選ばず擦り寄ってくる。お前もそんな下らん奴等に絡まれて、金をせびられているんだろう?」
私の返答など興味ないと云わんばかりに、父さんは私の肩をポンポンと叩きながらそう続ける。
父さんは、林檎が……この家の金が目的で近付いてきた、卑しい人間だとでも言いたいのか?
……違う、そんな訳が無い。
だって林檎は、私と出会ってから今まで一度たりとも、私に何かを求めてきたことは無かった。
学校の同級生や、父さんや母さんみたいに……自分の利益の為に、私を利用しようとしたことだって無かった。
独り苦しんでいた私を心配して、声を掛けてくれて……どれだけ冷たくあしらっても、何度も歩み寄ってその手を差し伸べてくれた、唯一無二の大切な友達だ。
「……違う、父さん。あの子はッ──」
「大丈夫、安心しなさい。これからは学校の登下校は私が送り迎えをしてやろう。それでもまだしつこくしてくるようなら、その時は私が何とかしてやる。だからお前は安心して、勉強に集中しなさい」
しかし、弁解しようとした私の言葉はあっさりと遮られ、父さんはにこやかな笑みを浮かべながらそう続けた。
違う、違うのに……どうして、私の話を聞いてくれないの……?
「……そういえば、平井先生が最近理沙の成績が伸び悩んでいると言っていたが……もしかして、そのことが気掛かりで勉強に集中出来なかったんじゃないか? お前も来年には中学受験だし、これからは平井先生の授業も増やして貰おう」
言葉を失う私に対し、父さんは淡々とした口調でそう語る。
……否、騙る。
何も言えずに俯く私に対し、父さんは私の両肩に手を置いて何度か叩くとその顔を覗き込み、今まで見たことないくらい優しい笑みを浮かべた。
「安心しろ、理沙。お前は東雲家の大切な一人娘だ。例え何があっても、私達はお前の味方だ。だから、お前はそんなくだらん奴等に時間を割いていないで、将来の為にこれからも心置きなく勉強に集中しなさい」
父さんはそう言ってもう一度私の肩を叩くと、ゆっくりと私の横を通り過ぎて、リビングを出て行った。
椅子に座ったままリビングに取り残された私は、ずっと強く握りしめていた拳を緩めながら、呆然とテーブルの一点を見つめていた。
……どうして、友達と会っていただけで……あんな風に、落胆されなければいけないんだろう。
どうして、林檎に会ったことも無い癖に、金銭目当てで近付いてきたと決めつけられなければならないんだろう。
どうして、林檎との時間を、価値の無いくだらない物として決めつけられないといけないんだろう。
どうして、私の大切な人のことを、あそこまで否定されなければならないんだろう。
どうして、どうして……どうして、私は。
ここまで言われても──それでも、尚。
林檎に会いたいと、思ってしまうのだろう。
「……理沙……?」
頭上から投げ掛けられた声に、私はゆっくりと顔を上げる。
そこには……片手にレジ袋を持ち、心配そうな顔でこちらを見つめる林檎がいた。
「……林檎……?」
「えっ……こんな所で、何してるの? 家に帰ったんじゃ……?」
掠れた声で名前を呼ぶ私に対し、林檎はそんな風に問い掛けながらこちらに向かって歩み寄ってくる。
彼女の言葉に辺りを見渡してみると、気付けば私は、いつも二人で会っている公園のベンチに座っていた。
一体、今は何時なのだろうか。すでに日は沈んでおり、普段は子供達で賑わっている公園には一切の人気が無かった。
「……って、顔色悪くない!?」
いつの間にこんな所に……と、驚いていたのも束の間。
林檎は突然血相を変えながらそう言うと、持っていたレジ袋を放り捨てて一気に私の目の前まで駆け寄り、慌てた様子で私の額と自分の額に手を当てた。
「林檎、どうして……」
「し、静かに……! ね、熱は無いみたいだけど、えっと……こ、こういう時は、とりあえず安静? それとも水とか飲む? あっ、じゃあ私、そこの自販機で何か買って──」
目の前でオロオロと慌てる林檎の姿に、私は息を吐くように笑みを零しつつ……──この場から離れようとする彼女の手を掴み、軽く引っ張った。
本当に、君は……いつもそうだ。
辛くて、苦しくて、仕方が無くて……もうどうしようも無くなって、どこでも良いから、とにかくどこかに逃げ出したくなった時。
君はいつも、見計らったように、私の前に現れる。
そうして、いつも……その小さな手を、差し伸べてくれるんだ。
「理沙……?」
「ありがとう、林檎。大丈夫だから……──」
不思議そうに名前を呼ぶ林檎に対し、私は呟くようにそう答えながら、握った彼女の手を軽く引き寄せて自分の頬に当てさせた。
……初めてだった。
自分の利益など一切考えず、ただ純粋に親しみを持って歩み寄ってくれた人も。
楽に呼吸が出来て、安心出来る居場所が出来たのも。
私の痛みを取り除こうと、差し伸べられた手の温もりも。
「──もう少しだけ……私と、一緒にいてくれないかな……?」
だから、今は……その温もりに、甘えさせて欲しいと、思ったんだ。
膝の上に置いた拳を強く握りしめ、私は正直にそう答えた。
言い付けを守らなかったことを責められるのか、それとも怒鳴られるのか。
一体何と言われるか想像するだけでも恐ろしかったが、今は父さんの反応を待つしか無く、俯いたままグッと唇を強く噛みしめる。
「……顔を上げなさい。理沙」
私の予想に対して、実際に投げ掛けられたのは、そんな静かな言葉だった。
言われるがままにゆっくりと顔を上げると、そこでは……全ての感情が失せたかのような無表情で、ジッとこちらを見つめる父さんがいた。
こちらに向けられる眼差しは今まで見たことない程に冷たく、私は思わず息を呑んで硬直した。
そんな私に対し、父さんは椅子の背凭れに背中を預けて両手を組みながら続けた。
「今のは一体どういう意味だ? 私に分かるように、もう一度、詳しく話しなさい」
「だ、だから、その……毎日、学校の帰りに……この近くの、小学校に通ってる子と、会って、話してて……それで、帰りが遅くて──」
トン、トン、トン……と。
父さんの指によってリズミカルに奏でられる乾いた叩打音に、私は口を噤む。
私の説明を聞いた父さんはテーブルを叩く手を止め、すぐに呆れたような溜息をついた。
「もしかして……前に平井先生の授業に遅れたのも、ソイツが理由か?」
「ッ……」
冷ややかな声で投げ掛けられたその問いに、私は思わず言葉に詰まる。
すると、父さんはもう一度溜息をつくと椅子の背凭れから体を離し、両手の指を組んで真っ直ぐにこちらを見つめながら口を開いた。
「理沙……私はいつも言ってるよな? 付き合う友達は選ぶべきだ、と。将来のことを考えて、自分のレベルに合った友達と付き合うべきだ、とな」
「えっと……」
「お前のためを思って、この辺りでは一番レベルが高い学校に通わせてやってるというのに……まさか、他所の学校の子供と会っているなんて……」
私はただ、外で友達と会っていただけ。
何も悪いことなんてしてない筈なのに、どうしてそんな、落胆したような眼差しを向けられなければならないんだろうか。
沸々と込み上げる猜疑心からか、父さんの視線を受け止めることが出来ずに思わず目を逸らすと、半開きになった扉の隙間からこちらの様子を窺っている母さんがいた。
目が合うと、母さんは無言で顔を背け、すぐにリビングの扉を閉めた。
「……大丈夫か? 理沙」
閉め切られた扉に言葉を失っていた時、ポンッと肩を軽く叩かれながら、どこか優しい声が投げかけられる。
それに思わず顔を上げると、そこには……いつの間にか席を立ち、私の肩に手を置いて心配そうに覗き込んでくる、父さんの顔があった。
「だ、大丈夫……って……」
「だってお前、その他所の学校の子から、弱みでも握られて脅されてるんだろう?」
……は……?
眉を八の字にして心配そうに問いかけてくる父さんの言葉に、私は思わず絶句する。
林檎が……私の弱みを握って、脅してる……?
一体……何の話をしているんだ……?
「いつの時代も、財力の無い貧しく卑しい奴等はそんなものだ。こちらが金を持っていると知ったら、少しでもその恩恵を授かろうと手段を選ばず擦り寄ってくる。お前もそんな下らん奴等に絡まれて、金をせびられているんだろう?」
私の返答など興味ないと云わんばかりに、父さんは私の肩をポンポンと叩きながらそう続ける。
父さんは、林檎が……この家の金が目的で近付いてきた、卑しい人間だとでも言いたいのか?
……違う、そんな訳が無い。
だって林檎は、私と出会ってから今まで一度たりとも、私に何かを求めてきたことは無かった。
学校の同級生や、父さんや母さんみたいに……自分の利益の為に、私を利用しようとしたことだって無かった。
独り苦しんでいた私を心配して、声を掛けてくれて……どれだけ冷たくあしらっても、何度も歩み寄ってその手を差し伸べてくれた、唯一無二の大切な友達だ。
「……違う、父さん。あの子はッ──」
「大丈夫、安心しなさい。これからは学校の登下校は私が送り迎えをしてやろう。それでもまだしつこくしてくるようなら、その時は私が何とかしてやる。だからお前は安心して、勉強に集中しなさい」
しかし、弁解しようとした私の言葉はあっさりと遮られ、父さんはにこやかな笑みを浮かべながらそう続けた。
違う、違うのに……どうして、私の話を聞いてくれないの……?
「……そういえば、平井先生が最近理沙の成績が伸び悩んでいると言っていたが……もしかして、そのことが気掛かりで勉強に集中出来なかったんじゃないか? お前も来年には中学受験だし、これからは平井先生の授業も増やして貰おう」
言葉を失う私に対し、父さんは淡々とした口調でそう語る。
……否、騙る。
何も言えずに俯く私に対し、父さんは私の両肩に手を置いて何度か叩くとその顔を覗き込み、今まで見たことないくらい優しい笑みを浮かべた。
「安心しろ、理沙。お前は東雲家の大切な一人娘だ。例え何があっても、私達はお前の味方だ。だから、お前はそんなくだらん奴等に時間を割いていないで、将来の為にこれからも心置きなく勉強に集中しなさい」
父さんはそう言ってもう一度私の肩を叩くと、ゆっくりと私の横を通り過ぎて、リビングを出て行った。
椅子に座ったままリビングに取り残された私は、ずっと強く握りしめていた拳を緩めながら、呆然とテーブルの一点を見つめていた。
……どうして、友達と会っていただけで……あんな風に、落胆されなければいけないんだろう。
どうして、林檎に会ったことも無い癖に、金銭目当てで近付いてきたと決めつけられなければならないんだろう。
どうして、林檎との時間を、価値の無いくだらない物として決めつけられないといけないんだろう。
どうして、私の大切な人のことを、あそこまで否定されなければならないんだろう。
どうして、どうして……どうして、私は。
ここまで言われても──それでも、尚。
林檎に会いたいと、思ってしまうのだろう。
「……理沙……?」
頭上から投げ掛けられた声に、私はゆっくりと顔を上げる。
そこには……片手にレジ袋を持ち、心配そうな顔でこちらを見つめる林檎がいた。
「……林檎……?」
「えっ……こんな所で、何してるの? 家に帰ったんじゃ……?」
掠れた声で名前を呼ぶ私に対し、林檎はそんな風に問い掛けながらこちらに向かって歩み寄ってくる。
彼女の言葉に辺りを見渡してみると、気付けば私は、いつも二人で会っている公園のベンチに座っていた。
一体、今は何時なのだろうか。すでに日は沈んでおり、普段は子供達で賑わっている公園には一切の人気が無かった。
「……って、顔色悪くない!?」
いつの間にこんな所に……と、驚いていたのも束の間。
林檎は突然血相を変えながらそう言うと、持っていたレジ袋を放り捨てて一気に私の目の前まで駆け寄り、慌てた様子で私の額と自分の額に手を当てた。
「林檎、どうして……」
「し、静かに……! ね、熱は無いみたいだけど、えっと……こ、こういう時は、とりあえず安静? それとも水とか飲む? あっ、じゃあ私、そこの自販機で何か買って──」
目の前でオロオロと慌てる林檎の姿に、私は息を吐くように笑みを零しつつ……──この場から離れようとする彼女の手を掴み、軽く引っ張った。
本当に、君は……いつもそうだ。
辛くて、苦しくて、仕方が無くて……もうどうしようも無くなって、どこでも良いから、とにかくどこかに逃げ出したくなった時。
君はいつも、見計らったように、私の前に現れる。
そうして、いつも……その小さな手を、差し伸べてくれるんだ。
「理沙……?」
「ありがとう、林檎。大丈夫だから……──」
不思議そうに名前を呼ぶ林檎に対し、私は呟くようにそう答えながら、握った彼女の手を軽く引き寄せて自分の頬に当てさせた。
……初めてだった。
自分の利益など一切考えず、ただ純粋に親しみを持って歩み寄ってくれた人も。
楽に呼吸が出来て、安心出来る居場所が出来たのも。
私の痛みを取り除こうと、差し伸べられた手の温もりも。
「──もう少しだけ……私と、一緒にいてくれないかな……?」
だから、今は……その温もりに、甘えさせて欲しいと、思ったんだ。
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