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第7章 東雲理沙編

189 理沙と林檎の話③

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「……嘘でしょ……?」

 翌日の放課後。
 学校からの帰り道にて、なんとなく昨日立ち寄った公園を覗いた私は、思わず心に浮かんだ感想をそのまま口にしていた。
 なぜなら、公園の遊具で小さい子達が遊んでいる中で、昨日私にリンゴの飴を押し付けてきた少女が一人でブランコに乗っている姿を目撃してしまったからだ。

 どういう偶然だ? てっきり、彼女と会うことはもう二度と無いものだとばかりに思っていたのに。
 よくこの公園に来るのか? いや……私はいつもこの道を使って家に帰っているが、彼女の顔に見覚えは無い。
 それなりに特徴のある見た目をしているのだし、日頃からこの時間にいるのであれば、多少なりとも認知していても良い筈だ。
 しかし、残念ながら昨日より以前に彼女を見た覚えは無い。

 思いもしなかった再会に、思わず公園の前で立ち止まってグルグルと思考を巡らせていると、ずっとブランコに乗っていた彼女が私を見てパッと表情を明るくした。
 しまった、と思ったのも束の間。
 彼女は勢いよくブランコを下り、近くの地面に置いていたランドセルを持ってこちらに駆け寄ってきた。

「わ~! 昨日ぶりだね!」
「あぁ、うん。その……ここで、何してんの?」

 明るく挨拶をしてくる少女に、私はそれを軽く流しながらも単刀直入に疑問を投げ掛ける。
 すると、彼女は少しキョトンとした表情を浮かべたが、やがて何かに気付いたような表情で「あぁ~」と声を上げた。

「そっか、やっぱり聞こえてなかったかぁ……返事無かったから、もしかしたらとは思ってたけど……そっかぁ……」
「え、ごめん。何の話?」

 一人で納得したようにブツブツと何かを呟く彼女の言葉に、私は話が見えずに思わず聞き返す。
 彼女はそれに私の顔を見て軽く首を傾げた後、すぐに自分の顔の前で両手をブンブンと忙しなく振って見せた。

「ごめんごめん! えっと……昨日、凄く元気無さそうだったから、心配で……貴方が帰ろうとした時に、明日もここで待ってるね~って声掛けたんだけど……気付いてた?」
「えっ……ごめん。全然」

 軽く首を傾げながら聞き返された言葉に、私はほぼ反射的に謝る。
 いや、本当に微塵も記憶に無い。
 というか……覚えていたら、多分、今日ここには来てなかっただろう。
 そんな風に考えていると、彼女は「謝んなくて良いよ!」と答えた。

「こっちに背中向けてたし、返事も無かったから、聴こえてないのかな~とは思ってたし……というか、もしかしたら耳が聴こえてないのかもって思ってたんだけど、それは大丈夫そう?」
「えっ……まぁ……」
「そっか~! 一応念のため、んっと……ヒツダン? の準備もしてきたんだけど、いらなかったみたいだね」

 ニコニコと満面の笑みを浮かべながら言う彼女の言葉に、私は思わず面食らう。
 何だ、この子は? 一体何が目的だ?
 昨日は東雲家の財力が目的なのかと思っていたが、なんというか……同じような目的で擦り寄ってくるクラスの子達とは、少し違うように感じる。
 上手く言えないのだが……少なくとも、教室にいる時のような不快感や息苦しさは、あまり感じない。

 どちらかというと……──と思考を巡らせていた時、気付けばすぐ目の前に彼女の顔があることに気付き、私は「うわッ」と小さく声を上げながら肩を震わせた。
 すると、彼女は「わ、ごめんごめん」と謝りながら数歩後ずさる形で距離を取り、すぐに心配そうな表情で首を傾げた。

「えと……今日も、昨日程では無いけど、なんか……まだ、元気無さそうだね? ……私で良かったら、話とか、聞くけど……?」

 オズオズと自信無さげな口調で言う彼女の言葉に、私はピクリと一瞬肩を震わせて体を強張らせる。
 ……もしも今、私が抱えている悩みを話したら……少しは、気持ちが楽になったりするのだろうか?
 彼女なら……これからどうすれば良いのか、教えてくれるのか……?

『将来のことを考えて、自分のレベルに合った友達と付き合うんだぞ?』

「ッ……」

 じわじわと込み上げてきた感情に突き動かされるように開きかけた私の口は、脳裏によぎった父の言葉に閉ざされる。
 ……公立校に通ってる子と会ってるなんて知られたら、両親に怒られてしまう。
 昨日も今日も、偶然会っただけ。ただそれだけの関係。
 これ以上、彼女と関わるべきではない。

「……貴方には関係ない」

 私は吐き捨てるようにそれだけ言うと、踵を返して帰路につく。
 そう。これで良い。
 将来のことを考えれば、これが、私の取れる最善の──。

「……待ってるからッ!」

 背後から聴こえたその声に、私は咄嗟に足を止めて振り返る。
 そこでは、背負ったランドセルの肩紐を握りしめた状態でこちらを見つめる、少女の姿があった。

「明日も明後日も、この公園で待ってるから……ッ!」

 必死な様子で声を張り上げる彼女の動きに合わせて、『葛西林檎』と書かれた胸元の名札が揺れる。
 葛西……林檎……? それが……この子の、名前……?

「だから……辛くなったら、また来なよ!」

 彼女の言葉に、私は唇を軽く噛み締める。
 ……明日からは、この公園の前を通らないようにしよう。
 これ以上、彼女と関わるべきではない。
 私は彼女の視線から逃げるように顔を背け、家に向かって歩き出す。
 なんとなく、後ろ髪を引かれているような違和感を抱きながら。

~~~~~~~~~~

「あら。理沙、おかえりなさい」

 身につけたエプロンを脱ぎながら台所から出てきた母さんは、帰宅した私を見ると、柔和な笑みを浮かべて挨拶をしてくる。
 彼女の言葉に、私は「ただいま。お母さん」と笑みを返しつつ自室に向かって歩みを進めるが、「理沙?」と名前を呼ばれてすぐに足を止めた。

「昨日程では無いけど……今日も、いつもより帰りが遅かったわね」
「えっ……そう、かな……? いつもと同じくらいだと思うけど……」

 静かな声で言う母の言葉に、私はそんな風に答えながら壁に掛かった時計に視線を向けた。
 現在、時計の針は夕方の四時十分に差し掛かろうとしている。
 確かに、学校の授業はHR等も含めて三時半には終わる為、四時までには帰宅している普段と比べれば遅い方ではあるのかもしれないが……しかし……。

「今日は家庭教師の日じゃないから別に良いけど……もしかして、帰りにどこかで寄り道でもしてたの?」
「や、その……」
「それとも……学校の友達と、遊んだりでもしてた?」

 声のトーンを僅かに落として問い掛ける母さんの言葉に、私は静かに息を呑む。
 ──寄り道に付き合わせて、帰りの時間を遅らせるような人間と付き合ってるのではないか。
 言葉の裏に、私の交流関係に探りを入れようとする意図があることを察してしまったから。
 同時に……さっき話したばかりの、林檎の顔が脳裏に過ぎったから。

「……違うよ」

 気付けば、ほぼ反射的にそう言い返していた。
 私はすぐに笑みを浮かべて続ける。

「実は……帰りに、ちょっとだけ、本屋さんに寄っていたの」
「本屋さんに?」
「うん。あの、学校からの帰り道にあるお店。今日、学校の友達に良い参考書を教えて貰ったから、見に行ってたの。今日は平井先生が来る日じゃないから、大丈夫かと思って……遅くなって、ごめんなさい」

 自分でも驚く程に、私の口は饒舌に嘘を吐く。
 そんな私の言葉に、母さんはどこか訝しむような表情でこちらを見つめていたが、すぐに「あら、そうだったの」と優しい笑みを浮かべた。

「それならそうと早く言ってくれれば良かったのに。でも、参考書なら平井先生に教えて貰った物があるんだし、わざわざ見に行く必要無かったんじゃないの?」
「そうだけど、凄く良いって勧められたから気になってさ。……でも、本屋さんに行って中を見てみたんだけど、私には先生に教えて貰った奴の方が合ってるみたいだった」

 私はそう答えながら鞄を肩に掛け直し、「じゃあ、もう部屋に行くね」と会話を切り上げて自室へと向かう。
 ……どうして、正直に話さなかったんだろう?
 もう金輪際あの子に会うつもりは無いんだし、今後あの公園の近くを通らないよう遠回りをして帰ることを考えると、正直に話した方が良いに決まってるのに……。
 それなのに、彼女の顔が脳裏を過ぎった瞬間、無意識のうちに嘘をついていた。
 母さんや父さんに心配掛けたくないから? また付き合う友達がどうとか言われたくないから?
 それとも何か、他にもっと、別の理由が……?

「……。……?」

 考え事をしながら自室の扉に手を掛けた時、いつの間にか自分の口をモゴモゴと動かしていることに気付いた。
 何だ? なんというか……どことなく、口寂しいような感覚がする……?
 不思議に思いながらも、私は自室に入って勉強机に歩み寄り、持っていた通学鞄を机の上に置く。
 そこで、昨日食べた飴の袋が机の上に乗ったままになっていることに気付いた。

「……りんご……か……」

 ポロッと口から零れ落ちるように出てきたその言葉に、私は驚きながらも咄嗟に自分の口に手を当てる。
 いや……飴の袋に描いてあるイラストを見て、そういえばリンゴ味の飴だったなと思って呟いただけなのだから、別に動揺する必要なんて無いじゃないか。
 ……さっきから、調子が狂うというか……自分の行動が全く理解出来ない。

「……全部、あの子のせいだ……」

 公園で出会った少女の顔を思い出しながら、私はそう呟いて自分の頭をガリガリと強く掻いた。
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