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第6章:光の心臓編

185 暗闇の中で

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<猪瀬こころ視点>

 ぽうっ……とルミナの掌に灯った光が、リートの胸に出来た傷を癒していく。
 部屋中に響き渡る程の荒く掠れた呼吸音は次第に治まり、苦痛に歪んでいた顔も穏やかなものへと変わっていく。
 数秒程の時間を置いた後、ルミナは掌に灯らせていた光を消した。

「な……治ったの……?」
「えぇ。これで問題は無いと思いますが……」

 恐る恐る聞いた私の問いにルミナがそう答えた時、リートが「ッぅ……」と小さく呻き声を漏らして、ゆっくりと瞼を開いた。
 と思えば突然ムクリと体を起こすので、私は慌てて彼女の元に駆け寄った。

「り、リート、大丈夫なの!? そんな、急に起き上がって……」
「む? ……うむ。この通り、もうすっかり大丈夫じゃ」

 心配する私の言葉に、リートは平然とした様子で答えながら自分の胸をポンポンと軽く叩いて見せた。
 会話すらままならなかった状態からは見違える程の回復ぶりに、私は今まで張りつめていた緊張の糸が切れたような感覚と共に、「良かったぁ……」と溜息混じりに呟きながらその場にへたり込んだ。

「ふふっ、色々と迷惑を掛けてしまったのぅ。……すまんな、こころ」

 すると、リートは小さく笑ってそんな風に言いつつ、床に座る私の頭をポンポンと軽く撫でてくる。
 突然のことに、私は熱くなった顔を隠すように目を逸らしながら、「べ、別に……」とぎこちなく返すことしか出来なかった。

「うお~! 全然痛くねぇ! すげぇな!」

 すると、背後から嬉しそうなフレアの歓声が聴こえてくる。
 咄嗟に振り向くと、そこではベッドの上に座った彼女が嬉々とした様子で怪我が治った腹部を撫で、両足の裏でペチペチと拍手をしている姿があった。
 ベッドの傍に立つリアスはそれを見て呆れたように溜息をつき、「下品なことしないで」と言いながら彼女の足を軽く叩いた。

「全く……少しは大人しくしたらどうなの? 傷が開いた時にはどうなるかと思ったけど、貴方はむしろアレくらい静かにしてる方が丁度良いわね」
「お~お~何とでも言え。どれだけ文句言ったって、お前が俺の助け無しじゃまともに戦えねぇ雑魚なことに変わりはねぇんだからよ」
「だから、あれは作戦だったって何回も説明したでしょう? それにあの時だって、私一人でも問題無かったのに、貴方が勝手に出しゃばってきたんじゃないのよ。挙句の果てには無理して傷を悪化させて……自分の体調管理すらまともに出来ない人に、どうこう言われる筋合い無いわ」
「だぁから、アレはお前が出て行ったっきり戻ってこねぇから、わざわざ助けに行ってやったんじゃねぇか。あの時だって、お前がさっさとアイツを倒して戻ってきてりゃ、俺が追いかける必要だって無かったんだよ。なのにお前がちんたらしてっから……」
「……仲の良いお二人ですね」

 最早日常風景と化したリアスとフレアの口喧嘩に、二人の元をソッと離れたルミナが、静かな声で呟くようにそう言った。
 彼女の言葉に、私はリートの隣に腰を下ろしながら「どこが?」と聞き返した。
 しかし、まぁ……こうも毎日のように何かしらの理由で喧嘩をしているのを見ていると、最早一周回って仲が良いと言えるのかもしれない。
 呆れたようにそう考えていると、ポフッと左肩に何かが乗ったのを感じた。

「そんなことより、アランとミルノはどこに行ったのじゃ? 光の心臓は、あやつらが取りに行ってくれたのであろう?」
「……」

 私の肩に頭を乗せて凭れ掛かりながら聞いてくるリートの言葉に、突然の接触に驚いた私は答えられず、思わずその場で硬直してしまう。
 いやまぁ、リートが怪我している間は、私の体に凭れてくることはよくあったけども……そういう時は大体一言あるか、苦しそうにしている彼女に私から促す場合がほとんどで、こんな風に突然やってくることは滅多に無かった。
 彼女からのスキンシップには大分慣れたつもりだったが、急にやられると流石に心臓に悪い……。

「アランさんとミルノさんは、確か……リンさんという方を追いかけて行きましたよ」
「リン……? 誰じゃソイツは?」
「私もよく知りませんが……何でも、私のダンジョンで助けて貰った方のようです。この宿屋の前までは一緒に来られていたのですが、突然いなくなってしまいましたね」

 私がフリーズして色々と思考を巡らせている間に、リートとルミナがそんなやり取りをしていた。
 リン……東雲の、ことか……。
 少し前に再会した彼女の顔を思い出すと、日本にいた頃やこの世界でのことが同時に脳裏を過ぎり、胸の中が曇っていくような感覚がする。

「……こころ……?」

 すると、未だに私の肩に凭れ掛かったままのリートが、こちらを見上げて小さく名前を呼んでくる。
 至近距離からの呼びかけに、私はビクッと僅かに肩を震わせて驚きながらも、彼女に顔を向けて口を開いた。

「な、何? 何か用?」
「いや……特に用、という訳では無いが……」
「……あぁ、そういえば、こころさんはそのリンさんと知り合いなんでしたっけ?」

 リートが珍しく歯切れの悪い様子で口ごもっていた時、ルミナがふと思い出したようにそう言ってきた。
 ……覚えていたのか……。
 彼女の言葉に、私は内心少し驚きながらも、すぐに小さく息をついた。
 しかしまぁ、誤魔化せる物でも無いし……誤魔化す必要も無いか。

「……うん、そうだね」
「と言うと、ニホンにいた頃の知り合いかしら?」

 ルミナの言葉に肯定して見せると、いつの間にかフレアとの口論を終えていたリアスが、そんな風に聞き返してきた。
 彼女の言葉に、私は小さく頷きつつ両手の指を軽く絡め、床の一点を見つめながら口を開いた。

「リンは……アランとミルノが助けて貰ったって言う恩人は、私が日本にいた頃のクラスメイトで……この世界に来てからは、グループを組んで、しばらく一緒に戦っていたんだ」
「……おい。それって……」

 私の説明から、リートは私が言おうとしていることを察したようで、すぐに体を起こして口を開いた。
 彼女の言葉に、私は一度頷いてから少し間を置いて、続けた。

「うん。……リートのダンジョンで、私を裏切って、殺そうとしてきた女だよ」
「なッ……!?」
「ッ……!」

 私の言葉に、フレアは驚いた様子で声を上げながら身を乗り出し、リアスもベッドに座ったままその目を大きく見開いていた。
 そう。東雲は……リートのダンジョンで、私を殺そうとした。
 結果としてリートの奴隷になり、今もこうして生き延びることは出来たが……それも、あくまで結果論でしかない。
 あの時、リートと出会っていなければ、私は間違いなく死んでいた。
 東雲が私を殺そうとしたというのは、紛れもない事実だ。

「だから、彼女がアランとミルノを助けたなんて、正直信じられない。……きっと、あの二人は騙されてるんだと思う。だから、もし二人が彼女を連れてきたとしても、絶対に──」
「私は、そうは思いませんよ」

 絶対に信用しないで欲しい。
 そう念を押そうとした私の言葉を遮るように、ルミナが静かな声で言ってくる。
 彼女の言葉に、私は「え……?」と聞き返しながら顔を上げた。
 すると、彼女は瞼を閉じたままの両目で私の顔を一瞥し、静かに続けた。

「こころさんの知っているリンさんが、どのような方なのかは存じ上げませんが……私が初めてお会いした時、彼女は瀕死の重傷を負っていました」
「……えっ……?」
「アランさんとミルノさんを殺そうとしていた敵の足止めをしていたようです。頼まれたので回復しましたが……もし、私が駆け付けるのがあと少しでも遅ければ、きっと彼女は死んでいたでしょう」

 何を……言ってるんだ……?
 東雲が、命懸けで……瀕死の重傷を負ってまで、アランとミルノを守ろうとした……?
 私や寺島を囮にしてでも、自分だけは絶対に生き延びようとしていた彼女が……出会って間もない、赤の他人同然の二人を、守る為に……?

「そ……そんなのッ……」
「えぇ。こころさんの言うことも、恐らくは本当なのでしょう。……ですが、身を挺してでもお二人を守ろうとしたリンさんの姿もまた、嘘偽り無い本物なのです。なので、そう真っ向から否定するのは、あまりよろしくないかと」
「ッ……」

 冷静に諭すように言うルミナの言葉に、私は自分の唇を軽く噛みしめながら俯いた。
 急にそんなこと言われたって……そんなの、今すぐ信じろというのが無理な話だ。
 日本にいた頃は友子ちゃんを執拗に苛め、この世界では私を裏切って殺そうとした彼女が、命懸けでアランとミルノを守ろうとしただなんて……想像も出来ない。

「じゃあよ、そのリンとやらと直接話してみりゃ良いんじゃねぇか?」

 その時、フレアがぶっきらぼうな口調でそんなことを言ってきた。
 突拍子の無いその言葉に、私は「えっ……?」と聞き返しながら顔を上げる。
 壁を背凭れにするようにしてベッドの上でふんぞり返っている彼女は、そんな私の反応に、自分の頭をガリガリと搔きながら続けた。

「なんかよく分かんねぇけどよ。つまり、こころの知ってる時と今じゃまるで別人ってことだろ? だったらこんな所でウジウジ考えたって答えが出る訳じゃねぇんだし、直接話してみなきゃ分かんねぇだろ」
「……珍しく、気が合うわね」

 フレアの言葉に、リアスがそんな風に同調する。
 彼女は長い髪を耳に掛けながら続けた。

「何にせよ、そのリンって子の一件について何かしらの区切りを付けないと、少なくともアランはこの町から動かないと思うし……リンと色々あったこころが話をしてみないと、解決しない部分もあるんじゃないかしら?」
「……でも……」

 静かな声で続けたリアスの言葉に、私は何と答えれば良いのか分からず、逃げるように俯いてしまう。
 ……確かに、二人が言っていることは、正しいのかもしれない。
 今の東雲が、私の知っている姿とは別人と言う話が本当なのであれば、ここで一人考え込んだところで答えは出ない。
 しかし、だからと言って、急に彼女と話してみろと言われても……日本にいた頃も、この世界に来てからも、まともな接点などほとんど無かったというのに……今更彼女と話すことなんて、何があるんだろう。
 そんな風に考え込んでいると、ポフッと左肩に重みが加わったのが分かった。

「まぁ、今すぐ答えを出す必要も無いのではないか?」

 私の肩に頭を乗せながら、リートはそんなことを口にした。
 二度目の接触に驚いていると、彼女は私の体に体重を預けるようにしなだれかかりながら続ける。

「アラン達が、そのリンとやらを追いかけているのであろう? であれば、あやつらが戻ってくるまでは猶予があるのだし、ゆっくり考えれば良い」
「でも……私は……」
「最悪、あやつらをこの町に置いて次の町に向かうという選択肢もあるのだし、お主が無理をする必要もあるまい?」

 どこか悪戯っぽく笑いながら言うリートの言葉に、私は肩の荷がストンと落ちたような感覚がした。
 本当に……彼女には、敵わないな。
 自分一人では、友達からの好意を拒絶することすら出来ないような、優柔不断な私には……彼女の言葉はまるで、暗闇の中で正しい道を示してくれる一筋の光のようで、縋りそうになってしまう。
 縋って……彼女の人生までも、狂わせてしまう。

「まっ、それもそうか。っつーか、そろそろ飯にしねぇ? 腹減った」
「……まぁ、そうね。そろそろ良い時間帯になるし」

 リートへの情愛と罪悪感に苛まれて会話を続けられずにいると、自分の腹部を擦りながら空腹を訴えるフレアに、リアスがそんな風に答えながらベッドから立ち上がった。
 彼女の言葉に、ふと顔を上げて窓の方に視線を向けてみると、日も大分西に傾き空が茜色に染まっていた。
 いつの間にそんな時間に、と一瞬驚きそうになったが、雪が降ってるような北部の町だし日が沈むのも早いのかもしれない。
 そんな風に考えていると、リートが私の左腕に両手を回して体を寄せてきた。

「怪我してる間はまともに飯も食えんかったし……こころとの食事も久しぶりだから、楽しみじゃな」

 声色からも分かるくらい上機嫌な様子で言ってくる彼女の言葉に、私は胸中を埋め尽くす後ろめたさをひた隠しながら、小さく頷いた。

「……そうだね。私もだよ」

 口元に笑みを携えながらそう答えてみせると、彼女はどこか満足そうな笑みを浮かべて、私の腕を強く抱き締める。
 ……良かった。
 私は考えていることが顔に出やすいみたいなので、もし今の心中を知られたら、色々と心配を掛けてしまうと危惧していたが……どうやら、上手く隠し通せたみたいだ。
 けど、まぁ……当たり前か。
 彼女と一緒にいられる時間が楽しいという言葉は、本心なのだから。
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