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第6章:光の心臓編

161 オリエンスの町にて後編

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「どうぞこちらへ。あ、段差に注意して下さいね」
「……お邪魔しまス」

 赤髪の女性に促される形で、外套の少女は宿屋の建物に踏み込んだ。
 宿屋の外観は古くてこぢんまりとした印象だったが、中は思っていたよりも清潔で古臭さ等は無く、素朴な温もりを感じる内装だった。
 間取りが工夫されているのか建物の大きさも特に気にならず、全体的に居心地の良い空間となっていた。

「おぉ、おかえりアナ。遅かったじゃないか」

 外套の少女が物珍しそうにロビーを観察していた時、カウンターに立っていた中年の男性がそう声を掛けた。
 それに、アナと呼ばれた赤髪の女性はパッと顔を上げ、「ただいま、お父さん」と挨拶を返しながらカウンターの方に駆け寄った。

「実は、帰る時に少しトラブルに巻き込まれちゃって……そしたら、この人が助けて下さったの」
「おぉ、そうだったのか。……俺はこの宿屋を経営している、アナの父親のヴァスクだ。この度は娘がお世話になりました」

 アナの説明を聞いた男性、ヴァスクは、丁寧な口調で礼を言いながら会釈をした。
 それに、外套の少女も釣られるように会釈をしつつ、カウンターの方に歩み寄った。

「それで、助けて貰ったお礼に、この人の宿泊代を安くしてほしいんだけど……良いかな?」
「おぉ、それは構わんぞ。今日は特に予約も無いし……二階の205の部屋を使うと良い」

 ヴァスクはそう言うと、手慣れた様子で手元の紙に何かを書き記していく。
 しかし、少しして彼の手は止まり、すぐに外套の少女に視線を向けた。

「嬢ちゃん、ここに名前を書いてくれないかい? チェックインの手続きに必要でね」

 ヴァスクはどこか申し訳なさそうに言いながら、チェックインで必要な書類を少女の前に差し出した。
 少女はその言葉に小さく頷くと、左手でペンを持ち、指定された場所に『リン・イースト』と書いて書類を返した。
 ヴァスクはそれを受け取って目を通すと、小さく笑みを浮かべた。

「んじゃあ、リンちゃん、だね。ここには何日くらい泊まっていくんだい?」
「……一日、です」
「了解」

 名前の欄にリンと書いた少女の返答に、ヴァスクは端的に答えると、書類に何かを書き記す。
 それから提示された金額は確かにかなり安くされているようで、今まで彼女が泊まってきた宿屋の中でも群を抜いた安さだった。
 金を払うと、205号室のものと思しき鍵を手渡された。

「あ、後で、さっき話していた防寒具持っていきますねっ」

 鍵を受け取るリンに、アナがすぐにそう言った。
 彼女の言葉に、リンは小さく笑みを浮かべて「ありがとウございマす」と、訛りの強い口調で答える。
 それから彼女は二階に上がると、指定された部屋の鍵を開けて中に入った。

「ふぅ……」

 部屋に一人きりになると、リンはようやくフードを外し、小さく息をついた。
 彼女は外套を脱いで部屋のコート掛けに掛け、部屋の中心に向かってゆっくりと歩いた。

『随分と気分が良さそうだね?』

 すると、背後からそんな声がした。
 その声を聴いた瞬間、リンはすぐさま足を止め、ゆっくりと振り向いた。
 “奴”は続ける。

『あんなに感謝されて、こんなに手厚い歓迎を受けて……調子に乗ってるんじゃないの?』
「<……そんなことない>」
『船を下りたばかりの時も、なんか酔っ払いのオジサンに親切にしてもらってたし……最近ちょっとツイてるからって、勘違いしないでよ?』

 ドスの効いた声で淡々と語りながら、“奴”はゆっくりとリンの元に歩み寄ってくる。
 ズキン……ズキン……ズキン……ッ!
 “奴”が一歩ずつ近づいてくる度に、失った右手の指先が痛むような感覚に苛まれ、リンは僅かに苦痛に顔を顰めながら左手で右肩を押さえる。
 そんな彼女の様子を見た“奴”は、『あははッ』と馬鹿にするように笑い、続けた。

『あのオジサンやアナちゃんが優しくしてくれたのも、片腕が無いお前を憐れんだだけ。許された訳じゃないんだよ』
「<……分かってる……>」
『お前がどれだけの人を助けて、どれだけの人に感謝されても……お前の罪は消えないんだよ。人殺し』
「<分かってるからッ!>」

 コンコンッ。

 “奴”の言葉にリンが声を荒げた時、部屋の扉をノックする音がした。
 それに、リンはすぐに「はいっ!」と返事をしながら“奴”の横を通り過ぎ、部屋の扉を開けた。
 するとそこには、何やら分厚い布のようなものを抱えたアナが立っていた。

「あぁ、リンさん。先程譲ると話していた防寒着を持ってきたんですけど……なんか、顔色悪くないですか? 大丈夫ですか?」

 部屋から出てきたリンに、アナは心配そうに声を掛けながら顔を覗き込む。
 それに、リンは咄嗟に後ずさる形で距離を取りながら「だイじょうぶでスよ」と答えた。

「私はすコし、長イ旅行をしていまス。だから、疲れただケです」
「それなら良いんですけど……これ、さっき話していた防寒具です。良かったら使って下さい」

 相変わらずの不格好な口調で答えるリンに、アナはどこか不服そうにしながらも納得し、持っていた防寒着を差し出す。
 リンはそれを左手のみで何とか受け取り、片手で広げて全体を見ようとした。
 すると、その様子を見かねたアナが防寒着を受け取り、両手で広げてリンの体に合わせてくれる。
 前に客が忘れていったというソレは、リンの体より一回りほど大きいサイズで、着る分には問題無さそうだった。

『お前みたいな人殺しにも優しくしてくれるなんて……ホント、親切な人だね』

 すると、背後に立った“奴”が嘲るように笑いながら言った。
 その言葉に、リンはピクッと微かに肩を震わせ、体を強張らせた。
 ──……やっぱり、ここまでしてもらう資格なんて……私には……──。

「少し大きいですけど、何とか着れそうですね」
「……あの、私……」
「ところで、さっき話し声のようなものが聴こえましたけど……他に誰かいるんですか?」

 防寒着を断るべく口を開いたリンの言葉は、背伸びをしながら部屋の中を軽く見渡すアナの声によって遮られる。
 その言葉に、リンは微かに目を見開きながら、左手でキュッと服の裾を握り締めた。
 彼女はしばし間を置いた後、口元に笑みを浮かべて続けた。

「あぁ……さっキ、“独り言”を少し話しテいたので、そのせイだと思いマす」
「あぁ、そうなんですか……」
「あと、やっぱリこれ、返却シます。……申し訳ナいですから」

 リンはそう言いながら、アナの持つ防寒着を拒絶するように手を出した。
 すると、アナは「そんな、気にしないでくださいよ!」と言いながらリンの手を振り払い、ズイッと力強く防寒着を突き出した。

「元々、半年以上前に泊まったお客さんの忘れ物なので近々処分する予定でしたし、気にする必要なんて無いですよ!」
「でモ……わタしは……」
「それに、私は少しでもリンさんのお役に立ちたいのです。だから……受け取って下さい」

 アナはそう言って朗らかに笑みを浮かべると、両手に持った防寒着を優しく差し出してきた。
 彼女の言葉に、リンは片手で防寒着を受け取りながら、「ありガとうございまス」と搔き消えそうな声で答えた。

「それじゃあ、私はもう行きますけど……何か困ったことがあれば、遠慮なく呼んで下さいね」
「……分かりマした。何かラ何まで、あリがとウございます」

 礼を言うリンに、アナは柔和な笑みを返すと踵を返して去って行く。
 リンはその後ろ姿をある程度まで見送ると、小さく息をついて部屋の扉を閉め、室内へと戻っていく。

『……本当に分かってるの……?』

 すると、部屋の隅に立っている“奴”が恨めしそうにリンを睨みながら、そう呟いた。
 その言葉に、リンは何も答えないまま防寒着をベッドの上に置き、その横に腰を下ろす。
 “奴”は続ける。

『お前がどれだけ良いことをしようと、どれだけ感謝されようと……人を殺したっていう事実は消えないんだよ?』
「……」
『何その目……だって、事実でしょう?』

 暗い瞳で見つめてくるリンに、“奴”は冷淡な口調でそう語りながら、ゆっくりとベッドの方に歩み寄る。
 ベッドの上に乗り上げながら、“奴”は続けた。

『お前がどれだけたくさんの人を救ったところで、お前のせいで死んだ人間は生き返らない。……お前に殺された“私”は、生き返らないんだよ』

 右腕を失うだけじゃ分からなかったの? と続けながら、“彼女”はリンの体を背中から抱き締め、腕の無い右肩をゆっくりと擦る。
 まるで傷口に塩を塗り込むように昔は腕があった肩口を擦られているリンは、何も答えないまま腰に提げた袋に手を突っ込む。

 彼女はそこから徐に小さな紙の箱と赤い石のようなものを取り出すと、箱の中から細く小さな筒状の物体を取り出し、口に咥える。
 それから魔法陣のようなものが刻まれた赤い石を持つと、口に咥えた筒状の物体の先端に近付け、石に魔力を込める。
 すると、筒状の物体に小さく火が灯り、細く白い煙が立ち昇った。

 それは、俗に言う煙草というやつだった。
 リンは石をテーブルの上に置くと、その手で煙草を指で摘まみ、ゆっくりと息を吸う。
 すると、煙草の先端の火が強くなり、肺の中が煙で満たされていく。
 彼女は口から煙草を離し、胸の中を渦巻く鬱屈した感情を吐き出すように、静かに白い煙を吐き出した。

***

 ヒーレアン国の北部にある小さな町、ルリジオ。
 しんしんと白い雪が降り積もる中、人々は町の中心にある、洞窟のようなものの前に集まっていた。
 洞窟の出入り口は重厚な扉によって塞がれており、軽く押した程度ではピクリとも動かない。
 その扉の前に集まった人々は出来る限り密集し、降りしきる雪による寒さを凌ぐ。
 やがて時間になると、ギィィィィ……と鈍い音を立てながら洞窟の重厚な扉がゆっくりと開き、奴が現れた。

「女神様……!」

 奴が出てくるなり、幼い少女を抱いた女性が密集した人々の中から飛び出した。
 彼女は縋るように奴の足元まで駆け寄ると、必死の形相で続けた。

「お助け下さい、女神様ッ! 実は、娘が高熱を出してしまって……! このままでは、娘の命が……!」
「落ち着いて下さい。……事情は、大体把握しました」

 必死に訴える女性を奴は静かに制すると、彼女の抱いている幼い娘に視線を向けた。
 奴は彼女の額に掌を掲げると、その手に白い暖かな光が灯り、瞬く間に熱を治していく。
 熱に魘されていた娘の顔が穏やかに緩んでいく様子に、女性は表情を綻ばせながら「良かった……」と掠れた声で呟いた。

「あ、ありがとうございます、女神様……! 本当に……ありがとうございます……!」
「いえ、私はそこまで感謝される程のことはしていませんよ。それに、私は女神ではありません。皆様が感謝し崇めるべきなのは、私にこの力を授けて下さった、この世界の神様なのですから」

 涙ながらに感謝する女性を宥めつつ、奴は落ち着いた口調で高らかに宣言すると、集まった人々に顔を向けた。

「皆さんの中に、他に治療が必要な方はいませんか? 些細な症状でも構いません。遠慮なさらず仰って下さい。皆様は神の元に産まれし、平等なる存在なのですから。私は神様から授かったこの力で、どのような方でも、同様に治療致します」

 奴の言葉に、応える人々はいない。
 遠慮している訳では無く、本当に治療を必要とする者がいないのだ。
 その様子を見た奴は小さく笑みを浮かべると、自分の胸の前で両手を組み、続けた。

「それでは皆さん、今日も我々の母なる神様に、祈りと感謝を捧げましょう。本日も皆様に、平等の幸福が訪れんことを」

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