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第5章:林の心臓編

128 濃霧と少年

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 大分日が西に傾き始めた頃、私達はベスティアに向かって歩を進めた。
 リート達の考えた作戦はこうだ。
 まず、一度ティナが先にベスティアに帰還し、森の中に人族がいるとして私達のことを獣人族に知らせる。
 その後、獣人族の村に侵入しようとした人族ということで、私達は一度獣人族の捕虜となる。
 獣人族は村に侵入しようとした人族を捕虜として捕らえておき、後に粛清として拷問を与えるという風習があるらしい。

 つまり、捕虜として一度、村の中まで怪しまれず入ることが出来るわけだ。
 今からベスティアに向かってこの作戦を実行すれば、捕獲されるのは恐らく夜になるだろう。
 そうなれば拷問は翌朝へと持ち越しとなり、夜の間は捕虜として捕獲されておくことが出来る。
 夜ならば村民も寝静まり、林の心臓の警備も日中に比べれば甘くなっているはずだ。
 後は牢屋を脱出し、甘くなった警備の隙を突き、必要に応じてティナに隙を作ってもらったりしてダンジョンに潜入するという話だ。

「……これはまた、人族と獣人族の溝が余計に深まりそうな……」
「流石にこればかりは仕方あるまい。人族への不評が高まるのは致し方無いが……それでも、まぁ……最小限には抑えられるよう努力はするつもりじゃ」
「……不安だなぁ」

 どこか歯切れ悪く言葉を濁すリートに、私はそう呟いた。
 すると、彼女はムッとした表情を浮かべつつ続けた。

「仕方ないであろう。ベスティアで何が起こるかは妾にも分からん。……とはいえ、少なくとも、林の心臓の回収後の農業については問題無いであろう」
「……? 何を根拠に……?」
「ティナはずっと、人族の農業を観察していたのであろう? であれば、見様見真似で少しずつでも、農業を覚えていけば良い。心臓の魔力の影響もすぐに消える訳ではないし」

 リートの言葉に、私は「なるほど」と呟いた。
 まぁ、中々上手くいくことでも無いかもしれないが、それでも少しずつ覚えていけば良い。
 種を植えたら農作物が出来るということを理解しているのなら、そこから少しずつ足りないものを補っていけば良いのだ。

「……だから、ウチにはお前らが思っている程の権力は無いニャン」

 私達の話を聞いていたのか、前の方を歩いていたティナがそんな風に呟いたのが聴こえた。
 彼女の言葉に、リートは「構わん」と答えた。

「それは前にも聞いたし、別にお主の村の中での立場には期待はしておらん。現に、今回の作戦だって、あくまでお主で無くとも普通の村人ならば誰でも出来るような作戦であろう? 農業についても、お主が先導するような形で無くとも、村人達と共に助け合いながらやっていけば良い」

 諭すように言うリートに、ティナはグッと口を噤んだ。
 ぐうの音も出ないとはこのことか、と……どこか他人事のように考える。
 そんなやり取りをしつつベスティアがある林に踏み込んでいくと、話に聞いていた通り、辺りを濃厚な霧が包み始めた。

「大分霧が濃いな……」
「……普段は、この霧で迷っている人間を嗅覚で索敵して捕獲して、村に捕虜として連れていくニャ。村の近くまではウチが案内するから、はぐれないようにするニャ」

 ティナがそう言い終わるのとほぼ同時に、誰かが私の手を掴んだのが分かった。
 見ると、それはリートだった。

「お主は妾達と違って心臓の場所が分からんからのぅ。離れんように、しっかりと握っておれ」
「う、うん……ありがとう」

 私はそう答えつつ、リートの手を握り返した。
 リートの言う通り、私には心臓がどこにあるか分かる力など無いので、下手したらすぐにはぐれてしまう。
 実際、この霧のせいで、手を繋いでいるリートの顔すらまともに見えない。
 こんな中で一人になったら確実に遭難してしまうと考えると、無意識にリートの手を握る力が強くなってしまう。
 早くベスティアに到着しないかな……なんて考えた時、何やら張り詰めたような空気が肌を刺した。

「っ……?」

 うなじの辺りに何かがチクチクと刺されているかのような感覚がして、私は顔を上げて軽く辺りを見渡す。
 しかし、辺り一面塗りつぶしたかのような白色に包まれており、何も見えなかった。
 何だ……? 何か……嫌な感覚がする……。
 しかし、その正体が何なのかと言われると、分からな──。

「ッ……!?」

 突然、目の前に高速でこちら向かってくる矢が現れた。
 私はそれに驚きつつも、咄嗟にその場にしゃがみ込む形でそれを躱した。
 その拍子に手を繋いでいたリートが共に倒れてしまうので、私はすぐに彼女の体を抱き留めた。

「な、何じゃ……!? 一体何が……!」
「分からない! でも、誰かが矢を放って……──」

 驚いた様子のリートにそこまで言った時、何かが風を切るような音がした。
 私は咄嗟にリートの体を抱きしめつつ自分の体を捻り、視界の外から放たれた二本の矢を躱す。
 体勢を立て直す暇も無く、すぐさま別の方向から矢が飛んできた。

「おいッ! 何だよこれ! 何が起こってる!?」

 とにかく矢を躱していると、フレアが驚いたような声を上げたのが聴こえた。
 それに、すぐさまリアスが「知らないわよ!」と怒鳴るように叫んだ。

「ただ、敵襲を受けていることには変わらないわね。……でも、一体誰が……──ッ!」

 リアスの言葉はそこで途絶える。
 次いで、キィンッ! と、何か金属同士がぶつかり合うような音がした。
 弾いたのか? と一瞬考える間も無く、すぐさま別方向から矢が飛んできた。
 私は何とか矢を躱しつつ、すぐさまリートに視線を向けた。

「リート! どうする!?」
「ッ……こころは妾から離れるなッ! 他は一旦散らばって敵襲の相手を……!」

 彼女がそこまで言った時、足元でプツッと何かが切れるような音がした。
 それに驚く間も無く、足元から地面がせりあがってくるような感覚がして、私はバランスを崩す。
 リートを巻き込んで転びそうになったが、私の体はギシッと鈍い音を立てて空中で止まった。

「なッ……!?」

 突然のことに驚き、私は咄嗟に体を起こそうとする。
 しかし、手をついた先には踏ん張る為の地面が無く、すぐにバランスを崩して近くにいたリートに覆いかぶさるような体勢になる。
 息が掛かりそうな程の密着につい動揺してしまうが、今はそんなことをしている場合では無いと、すぐに辺りを見渡した。
 見ると、目の前には植物の蔦を縫い合わせて作ったような網があった。

「何これ……」

 小さく呟きながら、私は網を掴む。
 すると、ギシッと鈍い音を立てた。
 周りが濃厚な霧に包まれている為、状況を把握することは難しいが……どうやら、私達はこの網に捕まって吊り下げられているようだ。
 霧のせいで全容を把握することは出来ないが、恐らくこれは、狩猟用の罠か何かだろう。
 日本にいた頃に、アニメとかで見たことがある。
 地面に網のような罠が張ってあって、獲物が仕掛けに引っ掛かって発動するものだ。
 こんな視界の効かない状況では、足元なんて注視する間も無い。
 上手い組み合わせだな、と敵ながら感心した。

「うおッ!?」
「きゃッ!?」
「わぁッ!?」

 少し離れた場所から、聞き覚えのある声と共にバサッと先程聴いたような音がした。
 フレア達も罠にかかったのか……!? と咄嗟に視線を向けるが、濃霧のせいで視界が効かない。
 クソッ……とにかく、この罠をどうにかするしかないか……!
 私はギリッと歯ぎしりをすると、すぐさま剣の柄に手を添えた。

「とにかく、この網切るから……リートは危ないから動かないで……」
「いや、待て」

 剣を抜いて網を切ろうとした私を、リートはそう言って止めた。
 彼女の言葉に、私は「えっ?」と聞き返した。
 その時、どこからかこちらに近付いてくる足音が聴こえてきた。

「ふむ……計五人、か。遭難者にしては人数が多いニャン。……侵入者ニャ?」

 そう呟きながら濃霧の中から姿を現したのは、一人の少年だった。
 いや……少年……なのか……?
 背格好から咄嗟に十代前半くらいの少年だと判断したが、霧の奥から現れたその姿を見た瞬間、その予想に少し自信が持てなくなった。

 全身を白い体毛に包み込み、白目の部分が青い猫目が真っ直ぐこちらを見つめる。
 彼の頭の上では三角の猫耳がピコピコと可愛らしく揺れ、腰の辺りから生えた白い尻尾は毛を逆立てて大きく膨らんでいる。
 逆三角形の桃色の鼻が、こちらを探るようにヒクヒクと動く。
 そう……そこにいたのは、人間のような出で立ちで佇む、白猫のような見た目をした生き物だったのだ。

「に、兄ちゃん……そ、そいつ等は悪い奴じゃ……」
「黙れ。お前の言うことなど信じられるか」

 少年は自身の後を追うようにして現れたティナの言葉を一蹴し、ギロリと警戒するようにこちらを睨んだ。
 彼は仁王立ちするようにして私達に向き直ると、堂々とした態度で口を開いた。

「俺は獣人族族長家の長男、ティノス・ブルーストだ。これから、お前達を獣人族の村に侵入した罰として捕縛する」
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