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第5章:林の心臓編

120 病み上がりの朝

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<猪瀬こころ視点>

 あれから二日程休み、私の風邪は完治した。
 本当は倒れた日の翌日には大分熱も下がり動ける状態だったのだが、完治するまでは動くなと念を押され、結局計三日間も安静にさせられた。
 皆……特に、ずっと付きっきりで看病してくれたリートには、感謝してもし切れない。
 迷惑を掛けてしまったことに関して罪悪感はあったが、リートは気にしなくて良いと言ってくれたので、たまにはその言葉に甘えることにする。

 ただ、一つだけ気掛かりはある。
 それは、私が熱で倒れており、三人が物資の買い出しに行っている間にリートが付きっきりで看病してくれていた時の記憶が無いことだ。
 酷い熱だったし、私としては仕方がないことだと割り切れるのだが、その話をした時にリートがかなり不機嫌そうな反応をしていたことが気に掛かる。

 ……何だ? まさか、寝惚けている間に何か粗相でもしてしまったのだろうか?
 しかし、その時に他の三人は外出していた為に知る由も無く、リートはリートでそのことについて聞いてみても答えてくれなかった。
 結局少ししたら機嫌を取り戻してくれていたし、あまり気にする必要も無いのかもしれないが……少しだけ気に掛かる。

「スタルト車返してきてもらったわよ」

 宿屋を出ると、丁度建物の前に私達の使っているスタルト車が差し掛かっており、操縦をしていたリアスがそう言いつつスタルトを止めた。
 リートがチェックアウトをしている間に、フレア達三人が車庫に預けていたスタルト車を取りに行っていたのだ。
 私達の前でスタルト車が停止すると車の扉が開き、何やら不満そうな表情を浮かべたフレアが出てきた。

「……フレア? どうかしたの?」

 なんとなく気になり、私はそんな風に聞いてみた。
 すると、彼女はすぐにリアスを指さし、口を開いた。

「聞いてくれよこころ! 俺が宿屋の前までスタルト車操縦するって言ったのに、コイツ、少なくとも俺には十年早いとか言いやがってよぉ!」
「当然じゃない。フレアにスタルト車の操縦なんてさせたら、死人が出るわ」
「はぁっ!? こころどう思う!?」

 フレアとリアスのやり取りに、私の脳裏に、ギリスール王国の城でフレアの操縦するスタルト車が突っ込んできた時の光景が過る。
 ……うん。あれは確かに死人が出るな。

「私はリアスに賛成かな」
「何ッ……!?」
「何を下らん言い争いをしておる。さっさと車に乗れ」

 私達のやり取りに、リートが呆れた様子でそう言ってきた。
 まぁ、彼女の言うことは尤もだな……なんて考えていた時、突然腕に誰かが抱きついてきた。

「んぐッ……!?」
「こころちゃん! 隣座ろ?」

 そんな風に言われたので視線を向けると、そこでは私の腕を抱きしめたアランが、キラキラと目を輝かせながらこちらを見上げていた。
 ま、眩しい……というか、急に何だ……?
 困惑していた時、反対側の腕を誰かに掴まれた。

「何言ってんだ! こころは俺と座るんだよ!」
「……えぇっ!?」
「あら、こころが貴方なんかと一緒に座ったら馬鹿が移るわ」

 怒鳴るように言いつつ私の腕を掴むフレアに驚く間も無く、リアスがそう言いながら私の腕を離させようとフレアの腕を掴みつつ、反対の手を私の二の腕辺りに絡めた。
 その際に彼女の胸に腕が当たり、服越しに伝わってくる柔らかい感触に動揺してしまう。
 咄嗟に答えられない私を見て、リアスはクスッと小さく笑みを浮かべ、耳元に口が寄せてきた。

「ねぇ、こころ。二人よりも私と座りましょう? その方が絶対良いわ」
「り、リアス……胸、当たって……」
「フフッ、当ててるのよ」

 耳元で囁かれた言葉に、私は言葉を詰まらせた。
 急に三人共どうしたんだ? 新手のドッキリか何かか?
 完治したとはいえ一応病み上がりなんだから、せめてもう少し万全の状態の時にして欲しい……。
 心の中でそう抗議していた時、リートが私の胸元の服を掴んだ。

「何をしておる。お主は妾と来い」

 そんな言葉と共に、私の体は引っ張られる。
 強引に引っ張られるような形で前に踏み出し、その中で両手が離される。
 助かった……なんて思った瞬間、片手が掴まれて体がガクンッと停止した。

「おいおい、何勝手にこころを連れて行こうとしてんだよ? ……大体お前、運転手だろ?」

 私の腕を掴んだフレアは、犬歯を見せて小さく笑みを浮かべながら、リートにそう言った。
 それに、リートは小さく溜息をついて口を開く。

「じゃから、こころを妾の隣に座らせるだけの話じゃ。ギリスール王国の城から出る時もそう座っていたであろう?」
「こころは病み上がりだし、あまり風に当たらない場所の方が良いんじゃない? リートもこころが隣にいたら集中できないんじゃないの?」
「そうだよ! こころちゃんを独占するなんてズルい!」

 静かな声で言うリアスに、アランが両手に拳を作りながら不満そうに言った。
 ……いや、最後のはよく分からないけど……彼女達なりに、風邪を引いた私を心配してくれていたのか?
 そんな風に考えていた時、リートは空いている方の私の手を掴み、グイッと強く引っ張った。

「うわっ!?」

 突然腕を引っ張られ、私は小さく声を漏らしながらも前に踏み出す。
 その際にフレアに手を離されてしまいバランスを崩し、数歩程よろめいた後で何とか踏みとどまる。
 一息ついた時、リートは私の腕に自分の腕を絡めた。

「こころは妾の奴隷じゃ。余計なことするな」

 リートはそう言うと、私の腕を引っ張って歩きだす。
 なんかよく分からないけど……リートと座れることになって、ラッキー……ってことで良いのかな?
 そんな風に考えている間に、私達はスタルト車の運転席の方に上っており、リートはスタルトの手綱を握っていた。

「あ、ありがとう、リート。正直、ちょっと困ってたから……凄く助かった」
「別に良い。妾がこころと座りたかっただけだからな」
「ッ……」

 サラッと言い放つリートに、私は動揺のあまり言葉を詰まらせた。
 って、いやいや……どうせリートのことだから、特に深い意味は無いはずだ。
 なんて、頭では必死に自分に言い聞かせてみるも、心臓はバクバクとうるさいくらいに高鳴っていた。

 ……純粋に、凄く嬉しい。
 彼女がどういう考えからあんなことを言ったのかは定かではないが、嫌味を言うような性格では無いし、ほぼ言葉のままの意味で捉えても良いだろう。
 そう考えると、何だか余計に嬉しく感じてしまう。
 口元が緩んでにやけそうになるのを必死に押し殺しつつ、私はソッと横目でリートを見た。
 すると、丁度彼女もこちらを見ており、バッチリ目が合ってしまった。

「……ッ? 何……?」
「……いや。相変わらず綺麗な顔じゃと思ってな」

 小さく笑みを浮かべながらサラッと言い放つリートに、私は心臓が何かに撃ち抜かれたような錯覚がした。
 な、何だ……? 今日のリートはやけにグイグイ来るな……?
 フレア達と言い、リートと言い、今日は一体どうしたんだろう……?
 色々なことが起き過ぎて思考が追い付かず、何かもう訳が分からなくなってきた。
 一人動揺していると、リートは手綱を使ってスタルトを走らせた。
 景色が後ろに流れていくのをぼんやりと眺めつつ、私はゆっくりと口を開いた。

「あ、あぁ……うん。ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」
「うん? お世辞では無いぞ? 妾は心からそう思って……」
「リートも綺麗な顔してるよねッ!?」

 恥ずかしげも無く褒めてくるリートを遮るように、私は咄嗟にそう返した。
 すると、彼女はキョトンと目を丸くしていたが、すぐにフッと不敵な笑みを浮かべた。

「知っておる」

 ……さいですか……。
 動揺する私が可笑しいのか、リートは何やら楽しそうに笑っている。
 クッソ、完全に私の反応を楽しんでいるだけだ、これ。
 悔しいとは思うが憎めないのは、惚れた弱みというやつだろうか。
 楽しそうに笑う顔に高鳴る鼓動を誤魔化すように目を逸らしつつ、私は小さく溜息をついて口を開いた。

「それにしても、三人共急にあんなことして、どうしたのかな……変な物でも食べたとか……」
「さぁのう……まぁ、ずっとお主が風邪で安静だったから、ようやく元気になってテンションが上がっておるのではないか?」
「……? なんで私が元気になったら三人のテンションが上がるの?」
「お主は本当に鈍感じゃな~」

 呆れた様子で言うリートに、私は首を傾げた。
 すると、彼女は私の顔を見て溜息をつき、「まぁしょうがないわ」と呟いた。

「お主が鈍いのは今更だし、こればかりは変えようが無いからのう」

 リートはそう言いながら私の顔に手を伸ばし、ソッと私の頬に触れた。
 驚いて咄嗟に顔を背けそうになったが、頬に添えられた手によって固定され、目を逸らすことすら出来ない。
 間近で私の目を真っ直ぐ見つめながら、彼女はいつものように不敵な笑みを浮かべ、続けた。

「だから、嫌でも気付かせてやるわ。妾の気持ちに」
「……えっ……と……?」

 困惑する私を他所に、リートはパッと私の頬から手を離し、スタルト車の操縦に意識を戻してしまった。
 放置された私は、先程触れられた頬に手を当て、ポカンと固まってしまった。
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