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第5章:林の心臓編

111 痛みを隠して

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 暗かった空は、昇ってきた朝日によって照らされる。
 紺色の空が徐々に明るくなるのを見て、私は静かに溜息をついた。
 ……結局、あれから一睡も出来なかった。
 リートとどうなりたいのか、リートの過去を知ってどうしたいのか、そもそもリートの過去を知りたいと思うのは私のエゴではないか。
 一度考え出すと思考は止まらず、見張りの間もずっと一人で考え込んでしまい、結局一睡も出来ないまま夜が明けた。

「……はぁ……」

 少し大きく溜息をつきながら、私は寝袋から脱した。
 すると、見張り中だったアランが私を見て「あっ!」と声を上げた。

「こころちゃんおはよ~! 早いね~!」
「……おはよう、アラン。なんか目が覚めちゃって……」

 そう答えた時、喉に僅かに痛みが走った。
 私はそれに驚き、咄嗟に自分の首に手を当てた。
 試しに唾を飲み込んでみると、ズキリと僅かに痛みが走る。

「ちょっと顔洗ってくるよ。誰か目を覚ましたら言っといて」
「了解~」

 ヒラヒラと手を振りながら言うアランに背を向け、私は森の中に踏み込む。
 草を踏みしめながら少し森の中を進んでいき、木々の隙間を抜けた先に見える小さな池のような場所に出る。
 この池の水は結構綺麗で、洗顔程度ならば問題ないくらいだった。
 何なら飲料水にしても別に問題は無さそうだけど、リアスやリートが水を出せる為、飲料水については彼女達が作った水を使っている。

 私は池の前に膝をついて背中を丸め、両手で水を掬う。
 掌の中にある水は綺麗に澄んでおり、日差しを反射してキラキラと光っていた。
 目を瞑り、パシャパシャと何度か顔に水を当ててぼんやりした頭を覚醒させる。
 多分、まだリートもリアスも起きて来ないだろう。
 それなら、うがいもこちらで済ませてしまおうかな。
 私はそんな風に考えると、両手で水を掬って口に含み、何度か口を濯いで地面に吐き捨てる。
 やはり水はかなり綺麗なもので、体に害になりそうではなかった。
 しかし、何回うがいをしても喉の痛みは一向に消える気配が無い。
 ……これは、まさか……。

「何をしておる?」

 その時、突然隣から声を掛けられ、私は慌てて顔を上げた。
 見ると、そこには隣でしゃがみ込んでこちらを見ているリートの姿があった。

「り、リート……」
「全く、タオルも持たずに整容とは、お主も抜けておるのう」

 リートはそう言いながら、手に持ったタオルを差し出してくる。
 あぁ、タオルなんて考えてもいなかった……と思っていると、湿った前髪からポタポタと雫が滴り落ちる。
 ひとまず、私はタオルを受け取りながら「ありがとう」と礼を言った。
 それからタオルを広げ、濡れた顔を拭う。

「……ちょっと待て」

 顔を拭いていた時、リートがそう言って私の腕を掴んだ。
 突然のことに驚き、私は咄嗟に顔を上げる。
 すると、息がかかりそうな程の至近距離で私の顔を見つめるリートと目が合った。

「リート……!?」
「……隈が出来てるぞ」

 彼女はそう言いながら、私の目の下に触れた。
 それに、私は「へっ……?」と気の抜けた返事をしてしまう。
 すると、彼女は小さく溜息をつき、私の顔から手を離した。

「何じゃ? 眠れなかったのか?」
「えっと……うん……なんか、寝付けなくて……」

 私はそう答えながら、ポリポリと頬を掻く。
 すると、彼女は呆れたように溜息をついた。

「全く……良い宿屋に泊まり過ぎて、今更寝袋では満足出来んか?」
「えっ、いや、そういう訳では……っていうか、なんで私が泊まってた宿屋を知ってるの!?」
「そりゃあ、ずっとお主の後をつけておったからのう。一度同じ宿屋に泊まろうとしたらかなりの金額で断念したくらいじゃ」
「そうだったの!? っていうか、そんなに高い所だったんだ……」
「知らずに泊まっておったのか」
「だってクラインさんがお金出してくれたから……」

 そう言い訳した時、リートの表情が微かに曇ったのが分かった。
 しまった……彼女の前では、あまりノワール関係の話はしない方が良いよな。
 どう言い訳したものかと考えていると、リートは小さく溜息をついた後で「まぁ良い」と言って池の方に体を向けた。

「とりあえず、今日は港まで渡る予定だから、さっさと準備して行くぞ」

 リートはそう言うと池の水を掬い、パシャパシャと顔を洗った。
 それに「う、うん……」と頷くことしか出来ずにいると、彼女は私の手からタオルを取り、自分の顔をゴシゴシと拭いた。
 ……って……。

「ちょっ、それ私の……」
「ほれ、さっさと行くぞ」

 リートは私の言葉を無視して言うと立ち上がり、泊まっている場所に向かってしまった。
 やっぱり、クラインの……ノワールの名前を出したから、怒ってるのかな……。
 私はホント……軽率な行動ばかりだな……。

「……けほっ、けほっ……」

 そこで、喉の痛みが酷くなったような感覚があり、無意識に咳払いをする。
 気のせいかな……何だか、少し暑いような感覚もある。
 とりあえず、私も戻ろう。
 私はすぐに立ち上がり、リートを追いかける形で泊まっていた場所へと向かった。

「よいっしょ!」

 戻った瞬間、そんな掛け声と共に、アランがスタルト車から何かを引っ張る。
 すると、バキッ! と嫌な音を立てて、それは外れた。
 突然の奇行に、私はポカンと口を開けて固まった。

「……何してるの……?」
「こころちゃん見てみて~!」

 立ち尽くす私に、アランが満面の笑みを浮かべながらスタルト車から外した何かを見せてくる。
 見ると、それは何かの紋様のようなものだった。

「……これは……?」
「この国の紋章のようなものじゃな。このスタルト車がギリスール王国のものだと主張する為のものであろう」

 疑問を呟く私に、リートはそう言ってその紋章というものが飾ってあった場所を見上げた。
 そこには拉げたような穴が空いており、少し間抜けだった。

「……でも、なんで急に……?」
「リートちゃんがこころちゃん迎えに行く前に外しておけって言ってきてさ~。大変だったよ~」
「国章が付いたままでは目立つし、色々と面倒事もあるからのう。アランが暇そうじゃったから、取ってもらったのじゃ」

 当然のことのように言うリートに、私は苦笑した。
 相変わらず人遣いが荒いことで……最早奴隷とか関係無しだな……。
 内心でそんな風に呆れつつ、私はスタルト車に空いた穴を指さした。

「それで……あそこはどうするの?」
「ふむ……今、フレアとリアスが朝食の調達に行ってるから、戻ってきたらフレアに頼んで溶かして埋めて貰おう」
「なんであの二人を行かせたのッ!?」

 咄嗟に声を荒げてツッコミを入れた時、喉に激しい痛みが走った。
 私は堪えきれず、つい咳き込んでしまう。
 リートはそれを見て目を見開いた。

「何じゃ? 大丈夫か?」
「え゛……? だ、大丈夫だよ。ちょっと噎せただけ」

 珍しく心配してくるリートに、私はそう返しつつ軽く手を振った。
 とは言え、先程声を荒げたり咳き込んでしまったからか、痛みが激しくなっているような気がする。
 オマケに、朝からリートとアランの滅茶苦茶な行動を見せられたからか、何だか頭が痛い。
 ズキズキと痛む頭を押さえつつ小さく呻いていた時、リートが私の首にソッと触れた。

「ッ……」
「本当か? 何だか熱っぽいような気もするが……」
「本当に大丈夫! それより、二人はまだかな……」
「だぁから俺の方が多いって!」

 私が話を逸らそうとしていた時、どこからか聞き覚えのある声がした。
 振り向くとそこには、両手に何やら果物のようなものをたくさん抱えたフレアとリアスがいた。
 何やら不満そうにブーブーと文句を垂れるフレアに、リアスは呆れたように溜息をついて続けた。

「もうどっちでも良いわよ。というか、朝から大きな声出さないでよ。頭に響くから」
「んぁ? 別にいつも通りじゃねぇか。っつーか、ンなことよりも果物の量ッ! どっちが多いか数えるぞ!」
「だからどっちでも良いって言ってるじゃない。どうせ全部食べるんだから」

 リアスはそう言いながら、フレアの抱える果物の上に自分の持っていた果物を乗せる。
 それに、フレアは「んなぁッ!?」と声を荒げながらも、倍に増えた果物を必死に抱える。

「何すんだお前ッ! 数分かんなくなっちまったじゃねぇか!」
「はいはい、もう貴方の勝ちで良いわよ」
「おいッ!」

 怒鳴るフレアをあしらいつつ、リアスはスタスタとこちらに歩いてくる。
 ぼんやりとそれを見ていると、彼女は私の顔を見て僅かに目を丸くし、早歩きで近付いてきた。
 何事かと驚いていた時、彼女は私の体を引き寄せ、額に自分の額を当てた。
 突然の接近に、私は声を詰まらせる。

「り、リアス……!?」
「こころ……貴方、熱あるんじゃない?」
「へ……?」
「顔も赤いし、額が熱いわよ? 声も少し嗄れてる感じがするし」

 言いながら、リアスは私の額から顔を離し、自分と私の額に手を当てる。
 それに、私は彼女の手を振り払いながら「そんなことないよ!」と答えた。
 すると、突然声を荒げたせいか喉に痛みが走り、つい咳き込んでしまう。
 荒い咳を繰り返す私に、離れた場所に果物を下ろしていたフレアが、心配そうな表情でこちらに駆け寄ってきた。

「おい、本当に大丈夫か? 風邪じゃねぇの?」
「ゲホッ、ゲホッ! ほ、本当に平気だから……た、確かにちょっと風邪っぽいけど……放っとけばすぐに治るから……」
「無理したらダメだよ~! 風邪引いてる時は休まないとダメなんだよ?」

 否定する私に、ひょっこりと間に入ってきたアランがそんな風に言ってくる。
 彼女の言葉に答えようとするも、何だか頭が火照ったような感覚になって、上手く思考が纏まらない。
 あぁ、ダメだ……。
 熱があると言われれば言われる程、本当にそうなっていくような感覚がする……。
 額が熱くなって、喉だけでなく頭にも内側からジクジクと疼くような痛みが走る。
 とにかく一旦腰を下ろしたくて、私は頭を押さえながらフラフラと後ずさる。
 すると、背中に何かが当たった。

「……?」
「どうした? 何の話をしておる」

 そんな声がして視線を向けると、そこにはキョトンとした表情を浮かべるリートが立っていた。
 彼女の顔を見た瞬間、一気に頭に血が昇ったような感覚がして、思考が遠のく。

「ぁ……りーと……」

 何とかそう口にした時には、視界がグワリと大きく歪んだ。
 体勢を整えようとするも間に合わず、気付けば私はリートの体を巻き込み、地面に倒れ込んでいた。

「こッ、こころ!? どうしたッ!?」

 そんな声が耳元で聴こえるが、最早それに応える余裕も残ってはいなかった。
 私は荒い呼吸を繰り返しながら、体中が火照ったような熱気に身を委ねた。
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