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第4章:土の心臓編

103 ノワール・ビラント

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<猪瀬こころ視点>

 葉っぱと葉っぱが擦れる音と、枝が折れる乾いた音が混ざり合い、耳障りな騒音となって私達を包み込む。
 もしも恋に落ちる音がこれだと言うのなら、ロマンスもクソも無いな。
 そんな風に考えたのも束の間、地面に背中を強く打ちつけた。

「うぐぅッ……」
「……ふっはは、凄かったのう!」

 小さく呻く私に対し、リートは楽しそうに笑いながらそう言った。
 それに、私は「笑い事じゃないよ」と答えつつ、空を仰いだ。
 リートは体を起こし、私に馬乗りになったまま満足そうに笑っていた。
 彼女の長い黒髪が私の顔をくすぐり、その向こう側に悪戯っぽい笑顔が見え隠れする。
 こんな状況で見せられる憎たらしい笑顔にすら高鳴る鼓動に、私は小さく息をついた。

「ホラ、とりあえずどいて。早く行かないとなんでしょ?」
「おぉ、そうじゃった」

 私の言葉に、リートは思い出したような口調で言いながら、立ち上がる。
 いや……忘れていたのか。
 そんな風に呆れつつ立ち上がろうと体を起こした時、目の前に手が差し出された。

「ほれ、行くぞ。イノセ」

 顔を上げると、リートがそう言ってきた。
 私はそれに一瞬驚くが、すぐに小さく笑いつつ、彼女の手を取って立ち上がった。
 そういえばさっき、私のことをこころと呼んでいた気がしたけど……気のせいか?

「どこに行くのですか?」

 すると、どこからそんな風に声を掛けられた。
 リートは驚いた表情を浮かべ、キョロキョロと声の主を探すように辺りを見渡した。
 私も釣られて、声のした方に視線を向ける。
 すると、そこには……クラインが立っていた。

「……クラインさん……」
「猪瀬さん……その人、心臓の魔女、ですよね? 彼女と、どこに行くつもりですか?」

 クラインはそう言いながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
 それに咄嗟に後ずさろうとするが、リートが私の手を掴んだまま立ち尽くしているので、私は動くことが出来ない。

「ちょっ、ちょっと、リート……」
「……久しいのう」

 すると、突然リートがそんなことを言い出した。
 予想外の言葉に私は驚き、動きを止めた。
 それに対し、クラインは口元に緩い笑みを浮かべながら「はい?」と聞き返した。

「久しい……とは、私と貴方が、ですか? すみませんが、人違いでは……」
「白々しい嘘は止せ。国の連中の目は誤魔化せても、妾の目を誤魔化せるとは思うなよ? クライン……いや、ノワール・ビラント」

 リートの言葉に、クラインはピクリと肩を震わせた。
 誰……? と疑問に思ったのも束の間、クラインは小さく息をつき、フードを外した。

「やれやれ、全く……そんなにあっさり見破られては、変装の意味が無いではありませんか」

 そう言って笑うのは、一つに束ねた茶色の長髪を靡かせる、一人の女だった。
 切れ長の同色の目を細めて笑う女の顔に無機質な男性の声は似合わず、何とも言えない異質さを醸し出していた。
 ノワールと呼ばれた女の言葉に、リートは小さく息をついた。

「たかが顔を隠して声を変えた程度で変装とは……そんなもの、妾でなくても見破れるわ」
「そんなことないですよ~。今まで私の正体どころか、性別の違いに気付いた人ですら極少数なんですよ? 山吹さんに気付かれた時は、流石に驚きましたが……」
「……ヤマブキ?」
「あぁ、いえ、こちらの話です」

 にこやかに話を濁すノワールに、私は少し驚いた。
 山吹さんは、クラインの性別には気付いていたのか。
 そう考えた時、道中の宿屋で山吹さんとクライン……ノワールが、一緒の部屋で寝泊まりしていたことを思い出す。
 アレは二人がデキていたとかではなく、山吹さんが、クラインが自分と同性だってことに気付いていたからなのか……。

「じゃが、性別程度ならよく見れば分かる程度の変装であれば、猶更妾に見破れぬはずが無いであろう? お主の口調や仕草……一度たりとも忘れたことは無いわ」
「フフッ、それもそうですね。だって、私が貴方の父親を……」
火球ファイアボールッ!」

 ノワールの言葉を遮るようにリートは叫び、手から火の球を放った。
 高速で射出された火の球はノワールに直撃する……が、彼女は手を正面に構える形で、平然とその場に立っていた。
 火の球が直撃したであろう掌に僅かに火傷の痕が残っている程度で、目立った外傷はほとんど無い。

「フフッ……少し熱いですね」
「チッ……」

 目を細め、嘲るような微笑を浮かべながら言うノワールに、リートは強く舌打ちをする。
 それに、私は「リート」と小さく名前を呼んだ。

「ねぇ、話が見えてこないんだけど……あの、ノワールって人は何?」
「……あやつは……」
「あぁ、猪瀬さんにこの姿でお会いするのは初めてですね」

 ノワールはそう言うとローブの中に手を突っ込み、首元から何かを取り外した。
 見ると、それは、チョーカーのようなものだった。

「こんばんは、猪瀬さん。私の名前はノワール・ビラント。……そこにいる、リート・ヘルツの心臓を分断し、封印した、三百年前の宮廷魔術師です」

 そう言って微笑むノワールの声は、透き通るように綺麗な女性の声になっていた。
 ……あのチョーカーが声を変えていたのか。
 というか……。

「リートの心臓を封印した、って……」
「……言葉のままの意味じゃ」

 私の言葉に続けるように、リートが言う。
 ……彼女の手に、汗が滲んでいるのを感じる。
 よく見れば、僅かに震えているようだ。
 こんなに緊張したリートを見るのは、初めてなのではないだろうか。
 そんな風に思っていると、彼女が私の腕を握る力が強くなったのが分かった。

「……そもそも、イノセから話を聞いた時から、こんなことじゃろうと思っておったわ」
「ほう……?」
「お主程の魔術師が、老衰如きで死ぬとは到底思えなかったからのう。オマケに、妾の心臓を破壊する術に三百年も費やしたという話も変だと思ったわ。お主ならば、これくらいのこと、五十年もあれば実現出来たであろう?」
「フフッ……何が言いたいのですか?」
「考えるに、お主は妾を殺す術と並行して……いや、むしろそれよりも優先して、別の研究を行っていたのではないか? ……不老不死の研究を」

 リートの言葉に、ノワールはその目を丸くした。
 彼女はすぐにクスクスと笑いながら、パチパチと胸の前で手を叩いた。

「いやぁ、ご名答。流石は同じ三百年という時間を生きてきた魔女ですねぇ」
「貴様……ふざけておるのか?」
「貴方の言う通り、私は貴方を殺す術を研究する傍ら、不老不死となる為の研究を進めてきました」

 苛立った様子のリートに対し、ノワールは自分の胸に手を当てながら、演技がかったような口調で言う。
 リートはノワールの態度に、ギリッと歯ぎしりをした。
 それを見たノワールは小さく笑い、続けた。

「とはいえ、三百年掛けても、未だに魔力や魔道具を使った疑似的な不老不死しか再現出来ていません。……貴方のように、何もせずとも不老不死でいられる恵まれた体では無いのです」
「……恵まれた……じゃと……?」

 ノワールの言葉に、リートは眉間に皺を寄せながら、忌々しそうにそう言った。
 それに、ノワールは冷たい笑みでリートを見ながら続けた。

「えぇ、貴方は恵まれています。不老不死なんて、こうして強く望んでも得られるものではない、崇高なものなのですから」
「貴様ッ! よくもそんなぬけぬけと……!」
「あぁ、でも貴方の不老不死の前には、幾つもの犠牲になった命が……」
岩棘ロックスパイクッ!」

 ノワールの言葉を遮るように、リートが必死な声で叫んだ。
 直後、ノワールの足元から巨大な岩のトゲが出現し、奴を襲う。
 しかし、奴は自分に突き刺さる寸前だったトゲを、事もなげに粉砕した。
 悔しそうに歯ぎしりをするリートに対し、ノワールは小さく息をついて続けた。

「何をそんなに憤っているのですか? 全て事実ではありませんか」
「黙れッ! 貴様のような人間が命について語るなッ!」
「私はあくまで禁忌を犯した人間を処罰したまでの話では無いですか。私なんかより、貴方の父親の方がよっぽど……」
「黙れと言っておるだろうがッ!」
「リートッ!」

 今にもノワールに掴みかかりそうなリートの肩を、私は咄嗟に掴んだ。
 リートの事情も、ノワールとの因縁も何も知らない私には、彼女を止める権利など無いのかもしれない。
 しかし、彼女がノワールに敵うとは思えず、咄嗟に止めてしまった。
 私が止めたことによって少しは冷静になったのか、彼女はノワールを睨んだまま荒い呼吸を繰り返した。
 そんな彼女を見て、ノワールは小さく息をついて口を開いた。

「しかし、本当に……あの頃に比べると、かなり変わりましたね」
「……何……?」
「あの頃の貴方には、私に襲い掛かるどころか、声を荒げることすら出来なかったじゃないですか。それに……何です? その、奇妙な話し方は」
「……貴様には関係無いであろう……?」

 明らかに怒気を孕んだ声で言うリートに、ノワールは静かに肩を竦めた。
 それに、またもやリートが掴みかかろうとするので、私は必死に彼女の肩を掴んで止めさせた。
 ……彼女の軟弱な体のどこに、こんな力があるのだろうか。
 こんなにも激しく感情を露わにしたリートなんて、きっと……初めて見た。

 ノワールがリートを封印した宮廷魔術師であり、魔力を使って不老不死になっており……リートが、彼女のことを深く憎んでいるということは分かった。
 何も知らない私には、それ以上のことはハッキリとは分からない。
 ……リートの怒りの理由も分からないし、それを宥める方法も分からない。
 そこまで考えて、私は内心で自嘲した。
 何が、全部をひっくるめてリートが好き、だ。
 全部どころか……そもそも、私はリートのことを何も知らないじゃないか。

「えぇ、確かに……貴方の事情など、私には関係の無いことです」

 すると、ノワールはそんなことを言い出した。
 急に何だと思い顔を上げると、彼女は首にチョーカーを巻き、フードを被った。

「とはいえ、貴方が禁忌を犯し世界に害を成す存在であることは事実です」
「……何を……」
「宮廷魔術師として、見逃すことは出来ませんね」

 ノワールは笑顔でそう言うと、手をこちらに向けてきた。
 直後、奴の手に何やら光が集まっていくのが見えた。
 私は咄嗟にリートの体を引き寄せ、彼女を背中に隠す形でノワールの前に立った。
 それに、リートは「イノセッ!?」と声を上げる。
 しかし、私はそれを無視して、剣を抜いてノワールに刃を向けた。

「……どういうつもりですか?」

 すると、ノワールがそんな風に聞いてきた。
 それに、私は剣の柄を握る力を強くしながら、口を開いた。

「私は……リートの、奴隷だから……!」
「イノセ! 馬鹿! やめろ!」
「ほう……? どうやら、二人での心中をお望みのようで」

 ノワールはそう言うと、さらに指先の光を強くしていく。
 それに、私は歯を食いしばり、震える手で剣の柄を握り締めた。
 まさにその光が撃ち出されようとしたその時……木々を薙ぎ倒し、轟音を鳴り響かせながら、鉄の塊が私達の間に乗り込んできた。

「なッ……!?」
「イノセッ……」

 か細い声で私の名前を呼んでくるリートに、私は咄嗟に剣を持っていない方の手で彼女の体を抱き締め、巨大な鉄の塊から守るようにノワールに背中を向けた。

「リートッ! イノセッ! 乗れッ!」

 すると、そんな声が聴こえてきた。
 顔を上げると、鉄の塊だと思っていた物は、スタルト車だった。
 馬の操縦をしているのはフレアのようで、彼女は手綱を握ったまま運転席のような場所から立ち上がり、こちらを見つめていた。

「フレア!? なんで……」
「だから私が操縦すべきだったじゃない!」

 スタルト車の窓から顔を出したリアスが、頭を押さえながらフレアに抗議した。
 すると、車内から「あははははっ!」と楽しそうに笑う声がした。

「私はこのままで良いよ~! フレアちゃんの運転楽しい~!」
「あ、アランまで……!?」
「……さっさと行くぞ、イノセ」

 すると、リートがそう言って私の手を引いた。
 私はそれに驚いたが、すぐに頷き、彼女に付いて行く。
 車に乗るのかと思ったが、リートは迷わずに運転席の方に上り、フレアから手綱を奪い取った。

「妾が操縦するから、お主は車の中にでも戻っておれ」
「なッ……お前、俺より上手く操縦出来んのかよ!?」
「少なくともお主よりは上手いわッ! 良いから、さっさと行け!」

 リートはそう言いながら、シッシッとフレアを運転席から追いやる。
 それに、フレアは何やら不平不満を口にしながらも、仕方ないと言った様子で車の中に乗り込んだ。
 私はその様子をぼんやりと眺めていたが、ふとノワールの動向が気になり、視線を向けた。

「全く……調子が狂いましたね。興が削がれました」

 すると、彼女は退屈そうな口調でそう呟いた。
 その間にリートは運転席らしきベンチのような椅子に腰かけ、ノワールに視線を向けた。
 目が合うと、ノワールはニヤリと小さく笑い、続けた。

「良いでしょう、今回は見逃してあげます。……が、次は容赦しませんよ」
「ッ……」

 ノワールの言葉に、リートは小さく舌打ちをすると、手綱を使ってスタルト車を発進させる。
 私はずっと呆けていた為に、そのままリートの隣に腰を下ろす形になった。
 しかし、リートはそれを気にすること無く、城を出るべくスタルト車を迂回させた。

「あぁ、そうそう猪瀬さん。一つだけ忠告をしてあげます」

 すると、ノワールがそんな風に声を掛けてくる。
 見ると、彼女はフードの影越しにこちらを見て怪しい笑みを浮かべながら、続けた。

「その女と一緒にいると、貴方はいつか……不幸になりますよ」
「ッ……」
「……あやつの言うことなど、気にするな」

 ノワールの言葉に声を詰まらせてしまった私に、リートは静かな声でそう言ってきた。
 その間にスタルト車は迂回し、城の外に向かって走り出した。
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