命を助けてもらう代わりにダンジョンのラスボスの奴隷になりました

第４章：土の心臓編

085 上層にて

＜猪瀬こころ視点＞

「うおー！　体が軽ぃー！」

　服を着替えたフレアは、そう歓声を上げた。
　それに、リアスは呆れた様子で「五月蠅いわね」と言った。
　まぁ、フレアがはしゃぐ気持ちも分かる。
　タキシードって結構キッチリしてて体が締め付けられるような感覚があって、動きにくかったし。
　戦闘大好きなフレアには、辛いものがあっただろう。
　そう思いつつ、私は脱いだタキシードを畳んで、リートに渡した。

「まぁ、ダンジョンの中なら嫌でも戦闘三昧じゃ。好きなだけ戦え」

　リートは静かな声で言いながら、私から受け取った服を袋に仕舞う。
　彼女の言葉に、フレアは「よっしゃー！」と歓喜の声を上げながら、両手に持ったヌンチャクを空高く掲げるようにガッツポーズをした。
　それに、リートは呆れたような表情を浮かべていたが、ふと何かを思い出した様子で「そうそう」と口を開いた。

「先にダンジョンに入っているというギリスール王国の奴等は殺すでないぞ？」
「んぁ？　なんで？」

　当然のように聞き返すフレアに、私はヒクッと頬を引きつらせた。
　……殺す気満々かよ……。
　というか、今ここで話すのか……。
　色々と突っ込み所のある状況に呆れていると、リートは続けた。

「そやつらはイノセの知り合いらしい。じゃから、出来れば殺さないで欲しいそうじゃ」
「えッ、そうなのか？」
「……そうなの？」

　リートの説明に、フレアだけでなく、リアスまでが驚いた様子で聞き返した。
　ここまで反応されると思っていなかったので、私は少し驚きつつも、小さく頷いた。

「ごめん、黙ってて。……実は、私が前にいた世界での知り合いで、この世界に一緒に召喚された人達なんだ」
「……そういや、イノセはリートの心臓の破壊の為にこの世界に来た、とか言ってたな」

　フレアの言葉に、リアスは僅かに目を細めて、「ふぅん……？」と小さく呟く。
　何が言いたいんだ……？　と警戒していると、フレアは頭をガリガリと掻きながら「つまり」と続けた。

「このダンジョンで人間っぽい見た目の奴を見たら、とりあえず殺すなってことだろ？」
「え？　……まぁ、ざっくり言えばそうだけど……」
「ンだよ簡単な話じゃねーか。りょーかい」

　軽い口調で言いながらヌンチャクを肩に掛けるフレアに、私は面食らってその場で硬直した。
　なんていうか……拍子抜けだ。
　肩透かしを食らったような感覚に呆けていると、リアスが「ちょっと待って」と口を開いた。

「つまり、そのイノセの知り合いは、リートの心臓の破壊の為にこの世界に来てるってことよね？」
「……まぁ、そうじゃな」
「そんな奴等を野放しにするだなんて……随分と余裕があるのね？」

　嫌味のように言いながら、リアスはユラリとリートに視線を向けた。
　それに、リートは僅かに目を細めて「何が言いたいのじゃ？」と聞き返す。
　リアスはそれにクスッと小さく笑い、続けた。

「わざわざ説明する必要がある？　貴方の心臓を破壊するって、殺害予告と同義のようなものじゃない」
「……だから何じゃ？」
「いずれ確実に自分を殺しに来る相手をどうして生かすの？」

　リアスの疑問に、リートは僅かに眉を潜めた。
　……まぁ、当然の疑問だよな。
　私もそう思ったから、リートに頼むことすら躊躇したのだ。
　あの時は、友子ちゃんに出会った動揺や、彼女が殺されるかもしれないという不安が重なってかなり焦っていた。
　しかし冷静になってみれば、確かに、リアスの疑問はご尤もだった。
　リートはどうして、友子ちゃん達を殺さないと言ってくれたのだろうか。

「……イノセが殺すなと言ったからじゃ」

　すると、あっけらかんとした口調で、リートはそう答えた。
　当然のことのように言うリートに、私はつい面食らった。
　……たった、それだけのこと……？
　それだけの理由で、殺さないと約束したのか？
　驚いていると、リートは僅かに目を伏せながら続けた。

「それに、妾を殺そうとしているからと言って、絶対に殺さないといけないわけでは無いであろう？　殺さずとも、邪魔者を排除することは出来る。……お主等のようにな」

　リートはそう言うと、両手でフレアとリアスをそれぞれ指さした。
　フレアはこの話に興味が無いのかほとんど聞いていなかったようで、突然指をさされてギョッとしていた。
　それを見てリアスは呆れた表情をしていたが、すぐに小さく溜息をついてリートに視線を戻した。

「つまり……イノセの知り合いも、仲間に引き込むってこと？」
「あ、それは無理じゃ。流石に大所帯での移動は色々と無理があるからのう」
「何なのよ！」
「妾が言いたいのは、殺さずともイノセの知り合い共を退ける方法はあるということじゃ」

　リートの言葉に、リアスはグッと口を噤んだ。
　しかし、すぐに口を開いた。

「じゃあ、その方法っていうのは……？」
「それは知らん。これから見つける」
「そんな、投げやりなこと言って……！」
「なぁ、もう話は終わったか？」

　二人の口論を遮るように、フレアが口を開いた。
　それに、二人はそれぞれ驚いた様子で彼女を見た。
　すると、フレアはヌンチャクを肩に掛けながら、続けた。

「難しい話はよく分かんねーけどよ、とりあえずイノセの知り合いは殺さねぇってことで良いんだな？」
「ちょっ、何を……」
「俺達の邪魔をする奴は倒す。イノセの知り合いとかゆー奴等は殺さない程度に倒す。それで良いんだろ？　つーかもーさっさと行こうぜ？　そもそも、イノセの知り合いとやらが先に心臓破壊しちまったらどーしよーもねぇし」

　言いながらダンジョンの方に歩き出すフレアに、リアスが「ちょっと……！」と窘めるように言いながら、フレアの後を追う。
　……私のワガママのせいで、何だかややこしいことになってしまった。
　でも、友子ちゃん達に死んでほしくないのも事実だ。
　本当はリートでは無く、私が二人に説明しなければならなかったのかもしれない。
　リアスを説得できる自信は無いし、論破される自信しかないけど……。

「しゃんとせい」

　すると、そんな言葉と共に、背中をポンッと軽く叩かれた。
　突然のことに驚きつつ視線を向けると、そこではリートが隣に立って、私の顔を見つめていた。

「また難しい顔しておるのう。……何じゃ？　他に言いたいことがあるか？」
「いや、えっと……なんか、面倒事を全部リートに押し付けちゃったみたいで、申し訳ないと思って……」
「何じゃ、そんなこと。お主が気にする必要無いわ。奴隷の面倒事は主が負うものじゃ」
「……違うと思うけど……」

　そんな話をしつつフレア達を追って歩いていた時、ふと、先程の会話を思い出す。
　……結局、リートが友子ちゃん達を殺さないと言ってくれたのは、なんでなんだろう。
　私が頼んだから、ってだけではないと思う。

「……リートは、さ」
「うん？」
「本当に……私が殺さないでって言ったから、私のクラスメイトを殺さないの？」
「……？」

　私の言葉に、リートはキョトンとした表情を浮かべた。
　何も言わない彼女の様子に、私は少し戸惑う。
　しかし、彼女はすぐに小さく息をついて、口を開いた。

「まぁ、お主が頼んだからというだけで殺さない、と言えば嘘になるのう」
「……じゃあ、なんで……」
「そやつらを殺したら……お主も死んでしまいそうじゃったからな」

　ポツリと呟くように放たれたその言葉に、ドキッと心臓が不整脈を起こした。
　……図星だった。
　リートを止められずに友子ちゃんを見殺しにしていたら、私は罪悪感のあまり死を選んでいたと思う。
　そんなことまで見透かされていたなんて……と驚いていると、リートはそんな私の背中をポンポンと叩いた。

「ほれ、この話は一旦終わりじゃ。早くあの二人を追うぞ」
「あっ、うん……！」

　リートの言葉に従い、私はすぐにフレア達が歩いて行った方に向かった。
　あの二人が先に友子ちゃん達に会ったら、どうなるか分からない。
　そんな焦りから急いでいた私の足は、しばらく進んだ所で止まった。

「……えっ……」
「ンだよこれ！　魔物全然いねぇじゃん！」

　辺り一帯に散らばる魔物の死体を前に、フレアは苛立った様子でそう言った。
　……魔物がいない、というか……この辺りにいた魔物は全滅しているんじゃないか……？
　一体誰がこんなことを……って、考えるまでもないか。

「……いつの間に、こんなに強く……」
「まぁ、魔物がいないなら、その分進むのは楽になるわね」
「ンだよ～。久々に戦いてぇのによ～」

　ヌンチャクを軽く振り回しながら言うフレアに、私は苦笑する。
　しかし、上層とはいえ、こんな風に魔物を蹴散らせる程に強くなっているのか……。
　私の場合、レベル３０からいきなりレベル９０まで強くなったから分からないが、実はレベル５０辺りでもかなり強いのではないか？
　リート達が圧勝するという私の中での前提が、静かに崩れていくのを感じる。
　もしかして結構ヤバい？　と考えつつ歩いていた時、前方からガコンッと鈍い音がした。

「……？」

　何の音だ？　と、私は顏を上げた。
　すると、私より前方を歩いていたフレアが、訝しむように自分の足元を見つめていた。
　何をしているんだろうと眺めていた時、後ろの方から何かがゴロゴロと転がって来る音がした。

「……何じゃ……？」

　私の隣を歩いていたリートは、そう言いながら後ろを振り向く。
　釣られて振り向くと、何か巨大な岩のようなものが、ゴロゴロとこちらに転がって来るのが見えた。

「えッ……！？」
「任せろッ！」

　驚いていた時、フレアが私を押しのけて岩の前に立った。
　何をするのかと思えば、彼女はヌンチャクを思い切り振るって、こちらに転がってきていた岩を粉砕した。
　バゴォッ！　と乾いた音を立てながら砕け散る岩に、私はポカンと口を開けて固まった。
　すると、飛んできた岩の内の小さな破片が一つ口の中に入ってきたので、私は慌てて吐き出した。

「ゲホッ、ゲホッ！　うえッ……」
「……ッだぁぁぁ！　やっぱこんなのぶっ壊しても満足出来ねぇぇぇ！」

　噎せる私を無視して、フレアはガリガリと頭を掻きながらそう声を上げた。
　……随分とフラストレーションが溜まっているらしい。
　この状態で友子ちゃん達に会ったら、先程の約束など忘れて殺してしまうのではないか……？
　そんな風に危惧しつつも、今すぐどうこうすることは出来ないので、仕方なく先に進むことにした。