上 下
33 / 208
第2章:火の心臓編

032 考えるだけ無駄

しおりを挟む
「ッ……」

 窓の外から聴こえる小鳥のさえずりに、私は重たい瞼をゆっくりと開いた。
 すると、電気の点いていない室内が、窓から差し込む朝陽によって明るく照らされているのが目に入った。
 ……朝、か……。

「んんぅ……」

 すると、腕の中にいるリートが、小さく呻き声を上げながらモゾモゾと軽く身じろぎをした。
 あぁ、そういえば、昨日は結局抱き合ったまま寝ちゃったんだっけ。
 寝起きで働かない頭で、なんとなくそんな風に考える。
 リートは私の体をしっかりと抱きしめ、胸に顔を埋めたままスヤスヤと安らかに眠っている。

 ……これは、起こすべきなのか?
 別に出発の時間を決めたわけでもないし、急いで起きなければならないわけでもない。
 けど、この状態のままでは私は動くことも出来ないし、時間を決めてないと言っても早く出るに越したことはない。
 でもなぁ……無理矢理起こして不評を買ったらどうしよう。
 リートって中々に自己中だし、無理矢理起こして不機嫌にでもなられたら、今日一日物凄くめんどくさい。

「……綺麗な髪……」

 現実逃避のように小さく呟きながら、彼女の黒髪を指で掬う。
 ダンジョンで見た頃から思っていたが、こうして改めて見てみると、本当に綺麗だ。
 あと、三百年間ロクに手入れも出来ていなかったのか、ダンジョンにいた時などは少しボサッとしたような印象もあった。
 けど、昨日この宿で久々に洗えたからか、今はサラサラと綺麗に指の中で擦れていて、本当に綺麗だと思う。
 やっぱり手入れって大事なんだなぁ、としみじみ。

「んぅ……」

 ぼんやりとリートの髪を観察していると、胸の中で彼女がそう小さく声を漏らすのが聴こえた。
 彼女はモゾモゾと身じろぎし、少しして顔を上げた。
 未だに抱きついたままの彼女が顔を上げると、ちょうど息が掛かりそうなくらいの距離にお互いの顔があり、一気に緊張してしまう。
 言葉を失っていると、彼女はシパシパと何度か瞬きをして、まだ眠そうな顔で私の顔を見つめた。

「んぁ……? イノセ……?」
「う、うん……?」

 眠たげな声で名前を呼ばれるので、ひとまず頷いて見せる。
 すると、リートは眠そうな顔のまま、こちらに手を伸ばしてきた。
 彼女の手はまず私の頭を撫で、そこから手を下ろして私の頬を撫でる。
 それから私の耳に手を伸ばし、耳の軟骨の辺りをクニクニと指で揉んだ。
 くすぐったさを覚えていると、彼女は少し手を引っ込め、私の鼻を摘まんだ。
 意図が分からずに呆けたまま、されるがままになっていると、彼女は小さく笑いながら私の鼻をグニグニと少し動かした。

「ふふ……本物のイノセじゃ」
「えっと……どうしたの?」

 なんとなくそう聞いてみると、彼女は少し考えるような表情を浮かべた。
 しかし、しばらくぼんやりと私の顔をマジマジと見つめた後でハッとした表情を浮かべ、すぐに私の顎を下からグイッと押し返してきた。

「ぅぐぇッ」
「ッ……今のは忘れろッ!」

 羞恥心からか、リートは顔を真っ赤にしながら、そう叫んだ。
 それから彼女はベッドから下り、電気を点けに歩いて行ってしまう。
 一体何だったんだ……というか、急に顎を押されて強引に上に向かされたものだから、微妙に首が痛い。
 ひとまず起き上がって首を押さえていると、部屋の電気が明るくなる。
 そこで私は昨夜のことを思い出し、パッと顔を上げた。

「ねぇ、リート?」
「ん? 何じゃ?」
「昨日の夜、さ……急に泣いてたの、何なの?」
「……泣いてた?」

 私の言葉に、リートは訝しむようにそう聞き返す。
 それに頷いてみると、彼女は顎に手を当ててしばし考えてから、首を傾げて続けた。

「それは……何の話じゃ?」
「……へ?」
「お主が何を見たのかは知らんが、妾の記憶には無い。……寝惚けていたのではないか?」
「違っ……」
「さっさと準備をして行こう。少しでも早く、心臓の回収に行きたいからのぉ」

 リートはそう言うと、さっさと洗面所に行ってしまった。
 それに、私は口を開けたままポカンと呆けてしまった。
 ……私が寝ぼけていた?
 いや、あの時はまだ抱きしめられた衝撃が強くて、かなり緊張状態だった。
 意識もハッキリしていたし、寝ぼけていたとは思えない。

 そうなると、考えられるのは……リートが忘れたフリをしている?
 いや、さっきの私への態度を考えると、それもない。
 先程の本物のイノセ発言ですら恥ずかしがる彼女が、昨晩私の胸に顔を埋めて泣きじゃくった出来事を恥じないはずがないのだ。
 演技でそれが隠せるなら、先程もそれで羞恥心を隠せるはず。
 つまり、演技をしているわけでもない。

 あと残っている可能性は……本当に覚えていない、か。
 消去法で考えると、この線が一番濃厚だろう。
 けど、あれだけガッツリ泣いておきながら、覚えていないなんてことあり得るのか?
 仮に本当に覚えていないとすると……寝言とか、寝相みたいな、夢遊病的なものの一種なのだろうか?

 ダメだ……考えれば考える程、上手く思考が纏まらない。
 起きたばかりということもあって、頭も上手く働かない。

「はぁ……」

 小さく溜息をつき、私はベッドから立ち上がる。
 とりあえず顔でも洗って、一度完全に目を覚まそう。
 そう思って立ち上がった時、洗面所からリートが出てきた。
 彼女はまだ先程のことを根に持っているのか、私を一瞥すると、すぐに視線を戻して準備を始めてしまった。
 ……自分の発言のせいなのに、なぜそんな態度を取られないといけないんだ。

「……ったく……」

 聴こえない程度に小さく呟きながら立ち上がり、私は洗面所に向かう。
 その時、グイッとガウンの後ろを軽く引っ張られた。

「……?」
「さっきの言葉には、その……特に、変な意味は無いぞ」

 顔を合わせないまま言うリートに、私はほんの数瞬程固まってしまう。
 しかし、すぐに先程の本物のイノセ発言のことを言っていることに気付き、少しだけ笑ってしまった。

「はいはい、分かりましたよ。……本物のリートさん」
「……」
「……ごめんなさい」

 無言でジロッと睨まれてしまい、私は素直に両手を挙げて降参の意を示しながらそう答えた。
 そんなに怒らなくても良いじゃんか。冗談が通じないなぁ。
 私は彼女の睨みから逃げるように、すぐに洗面所に向かった。

 ただ、これで彼女が、自分の失態をかなり根に持つ性格であることが証明されたわけだ。
 そうなると、昨日の夜のことはあまり言わない方が良いかもしれない。
 あのことを知ったら、彼女はいよいよ口も聞いてくれなくなりそうだし。

 ……ってか、同じ試着室で着替えたりベッドの中で抱きついたりするのは全然オーケイなくせに、あの発言が恥ずかしいのは何なんだ?
 彼女の羞恥の基準が分からない、というか……考えることが分からない。
 あぁ、そうだ。昨日の時点で分かっていたことだ。彼女の思考については、真面目に考えるだけ無駄だということは。

 水で顔を洗うと頭がハッキリして、徐々に頭の中もスッキリしていく。
 そうなると、やはりリートについては考えるだけ無駄だという結論が出るので、これ以上は真面目に考えない方が良い。
 タオルで顔を拭いた私はそう結論付け、洗面所を出た。
 すると、突然服が投げつけられたので、慌ててキャッチした。

「ボサッとするでない。早く着替えろ」

 リートはそう言って、すぐに自分の準備に戻る。
 まだ不機嫌なのか? と一瞬考えるが、この横暴さは割と通常運転だったな、と考え直す。
 仕方なく着替えようとした私は、持っている服を見て、すぐに違和感を抱く。

「ねぇ、リート」
「む? 何じゃ?」
「これ、リートの服じゃない?」

 私はそう言いながら、持っていた服を見せてみる。
 すると、彼女はすぐにバッとこちらに振り向き、すぐに私の手元を見て目を見開く。
 羞恥からか、すぐにカァァッと彼女の顔が真っ赤になった。

 よく見ると、ベッドの上には昨日買った私の服の一式が置いてある。
 なるほど間違えたのか、と考えていると、大股でこちらまで歩いて来たリートが乱暴に私の手から服をひったくった。
 それからすぐにベッドの方に行って服を置き、私の服を持ってこちらに突き出してきた。

「ま、間違えただけじゃ! ……お主のはこっちじゃな」
「あ、うん……ありがとう」

 ひとまず出された服を受け取ると、彼女はまたすぐに自分の着替えに向かってしまった。
 うーん……やっぱり、何を考えているか分からんなぁ。
 未だに赤らんだままの彼女の耳を横目に、どういう意図があったのか考えようとしたが、先程彼女については考える無駄だと結論を出したばかりであることを思い出し、すぐに止めた。
 こうして、今日もまた、一日が始まる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女子高生、女魔王の妻になる

あかべこ
ファンタジー
「君が私の妻になってくれるならこの世界を滅ぼさないであげる」 漆黒の角と翼を持つ謎めいた女性に突如そんな求婚を求められた女子高生・山里恵奈は、家族と世界の平穏のために嫁入りをすることに。 つよつよ美人の魔王と平凡女子高生のファンタジー百合です。

君は今日から美少女だ

恋愛
高校一年生の恵也は友人たちと過ごす時間がずっと続くと思っていた。しかし日常は一瞬にして恵也の考えもしない形で変わることになった。女性になってしまった恵也は戸惑いながらもそのまま過ごすと覚悟を決める。しかしその覚悟の裏で友人たちの今までにない側面が見えてきて……

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが集団お漏らしする話

赤髪命
大衆娯楽
※この作品は「校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話」のifバージョンとして、もっと渋滞がひどくトイレ休憩云々の前に高速道路上でバスが立ち往生していた場合を描く公式2次創作です。 前作との文体、文章量の違いはありますがその分キャラクターを濃く描いていくのでお楽しみ下さい。(評判が良ければ彼女たちの日常編もいずれ連載するかもです)

声楽学園日記~女体化魔法少女の僕が劣等生男子の才能を開花させ、成り上がらせたら素敵な旦那様に!~

卯月らいな
ファンタジー
魔法が歌声によって操られる世界で、男性の声は攻撃や祭事、狩猟に、女性の声は補助や回復、農業に用いられる。男女が合唱することで魔法はより強力となるため、魔法学園では入学時にペアを組む風習がある。 この物語は、エリック、エリーゼ、アキラの三人の主人公の群像劇である。 エリーゼは、新聞記者だった父が、議員のスキャンダルを暴く過程で不当に命を落とす。父の死後、エリーゼは母と共に貧困に苦しみ、社会の底辺での生活を余儀なくされる。この経験から彼女は運命を変え、父の死に関わった者への復讐を誓う。だが、直接復讐を果たす力は彼女にはない。そこで、魔法の力を最大限に引き出し、社会の頂点へと上り詰めるため、魔法学園での地位を確立する計画を立てる。 魔法学園にはエリックという才能あふれる生徒がおり、彼は入学から一週間後、同級生エリーゼの禁じられた魔法によって彼女と体が入れ替わる。この予期せぬ出来事をきっかけに、元々女声魔法の英才教育を受けていたエリックは女性として女声の魔法をマスターし、新たな男声パートナー、アキラと共に高みを目指すことを誓う。 アキラは日本から来た異世界転生者で、彼の世界には存在しなかった歌声の魔法に最初は馴染めなかったが、エリックとの多くの試練を経て、隠された音楽の才能を開花させる。

さくらと遥香

youmery
恋愛
国民的な人気を誇る女性アイドルグループの4期生として活動する、さくらと遥香(=かっきー)。 さくら視点で描かれる、かっきーとの百合恋愛ストーリーです。 ◆あらすじ さくらと遥香は、同じアイドルグループで活動する同期の2人。 さくらは"さくちゃん"、 遥香は名字にちなんで"かっきー"の愛称でメンバーやファンから愛されている。 同期の中で、加入当時から選抜メンバーに選ばれ続けているのはさくらと遥香だけ。 ときに"4期生のダブルエース"とも呼ばれる2人は、お互いに支え合いながら数々の試練を乗り越えてきた。 同期、仲間、戦友、コンビ。 2人の関係を表すにはどんな言葉がふさわしいか。それは2人にしか分からない。 そんな2人の関係に大きな変化が訪れたのは2022年2月、46時間の生配信番組の最中。 イラストを描くのが得意な遥香は、生配信中にメンバー全員の似顔絵を描き上げる企画に挑戦していた。 配信スタジオの一角を使って、休む間も惜しんで似顔絵を描き続ける遥香。 さくらは、眠そうな顔で頑張る遥香の姿を心配そうに見つめていた。 2日目の配信が終わった夜、さくらが遥香の様子を見に行くと誰もいないスタジオで2人きりに。 遥香の力になりたいさくらは、 「私に出来ることがあればなんでも言ってほしい」 と申し出る。 そこで、遥香から目をつむるように言われて待っていると、さくらは唇に柔らかい感触を感じて… ◆章構成と主な展開 ・46時間TV編[完結] (初キス、告白、両想い) ・付き合い始めた2人編[完結] (交際スタート、グループ内での距離感の変化) ・かっきー1st写真集編[完結] (少し大人なキス、肌と肌の触れ合い) ・お泊まり温泉旅行編[完結] (お風呂、もう少し大人な関係へ) ・かっきー2回目のセンター編[完結] (かっきーの誕生日お祝い) ・飛鳥さん卒コン編[完結] (大好きな先輩に2人の関係を伝える) ・さくら1st写真集編[完結] (お風呂で♡♡) ・Wセンター編[不定期更新中] ※女の子同士のキスやハグといった百合要素があります。抵抗のない方だけお楽しみください。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

達也の女体化事件

愛莉
ファンタジー
21歳実家暮らしのf蘭大学生達也は、朝起きると、股間だけが女性化していて、、!子宮まで形成されていた!?

処理中です...