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第2章:火の心臓編

030 一日の終わり

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 あれから今後の方針を話し合ったり、服に魔力を込めて防具化したりしている間に、夜になっていた。
 一通りの作業を終えると特にやることも無かったので、宿屋の食堂で食事をとって風呂に入ってしまうと、あとはもう寝るだけだった。

「……はぁぁ……」

 ようやく一日が終わるという自覚に、つい大きな溜息が零れた。
 なんていうか、リートと出会ってからの一日はかなり濃厚で、もう何ヶ月も経ったような気分だ。
 私が目覚めた時間とか、ダンジョン内に滞在していた時間とかまでは分からないが、それでもせいぜい一日半程度しか経っていないだろう。
 こんな日がこれからしばらく続くと思うと、すでに先が思いやられる。

 けど、あんなに自由奔放で利己的な彼女だからこそ、初対面の瀕死の人間を奴隷にするとかいうトチ狂ったことを言い出せたのだと思う。
 今こうして私が生きていられるのも、本をただせば、彼女が奴隷になる代わりに救ってくれたことにあるのだし。
 だから、こうして無事一日を終えられる事実に、私は彼女に感謝をしなければならないのかもしれないが……。

「……感謝したくねぇぇぇ……」

 洗面所の外に聴こえない程度の小声で呟きながら、私はがっくりと項垂れる。
 自分の命を救って貰っておきながら、こうもここまで感謝という感情が一切込み上げて来ない人間っているのだろうか。
 って、あぁ、彼女は人間ではないか。いや、だからと言ってここまで感謝出来ないのは如何なものか。
 ……尚更、前途多難だ……。

 考えれば考える程、思考は後ろ向きになっていく気がする。
 もう何度目かになる溜息をつき、私は備え付けの髪を乾かす為の魔道具を置いた。
 そういえば、こうして整容などをして、全般的に整容道具が足りないことに気付いた。
 私もリートも化粧などをする方ではないから、一般的な女子に比べれば少なく済むかもしれない。
 しかし、それでも櫛とか歯ブラシだとか、最低限の物は揃えておいた方が良いだろう。
 とりあえず今日は部屋に置いてあった物で何とかしたが、やはり自分の物を持っておきたい。

 あと、寝る時の服も最低一着は欲しい。
 今日は部屋に置いてあった薄手のガウンのようなものを着ることで何とかなっているが、全ての宿屋にこういうものが置いてあるとも限らないし。
 ……まだまだ足りないものだらけだ。

「おっ、遅かったのぉ」

 洗面所から出てきた私を見て、ベッドに腰かけたリートはそう言って小さく笑う。
 彼女の言葉に私は「そう?」と聞きつつ、適当に近くにあった椅子に腰掛けようとした。
 しかし、彼女がそれを見て自分の隣をポフポフと叩くので、ひとまずそれに従って隣に腰かけ──

「それっ」
「んなぁッ!?」

 ──た瞬間、リートにガウンを引っ張られ、後ろに倒れる。
 バフッと鈍い音がして、背中にベッドの感触が伝わって来る。
 突然のことに呆然としていると、隣で同じように仰向けになった彼女がケラケラと楽しそうに笑い始めた。

「ふっははは! 何じゃ、さっきの声! 面白い声が出ていたぞ!」
「ちょっ、リート?」
「ん? 何じゃ?」

 驚きながらもなんとなく声を掛けてみると、彼女は笑うのを止め、こちらに顔を向けた。
 すると、その動作でフワッと良い香りがした。
 それになぜか動揺してしまい、私は視線を逸らしつつ、口を開いた。

「いや……こんな風に倒れて、どうしたいのかと思って」
「どうしたいも何も、もう後は寝るだけじゃろう?」
「それはそうだけど……枕はあっちだよ?」

 私はそう言いながら、枕がある方を指差して見せる。
 すると、リートは一度そちらに視線を向け、すぐにこちらに視線を戻してくる。
 まさかまたこちらを見るなんて思っていなかったので、少し驚きつつも「それに」と続けた。

「電気も点いたままだし……寝る体勢では無いんじゃない?」
「……」

 私の言葉に、リートの表情が不機嫌そうになっていくのが分かった。
 かと思っていた時、突然彼女は私の頬を強く摘まんであだだだだだいだだだだだ。

「それくらい分かっておるわ。そんな真面目に返すでない」

 不満げに言うと、リートは私の頬から手を離し、ベッドから下りて電気を消しに行ってしまう。
 いや……いったぁ……。
 私は摘ままれた頬を擦りつつ、心の中で愚痴を零す。
 というか、一応ステータス上では私の方が防御力はあるはずじゃないのか……?
 リートの攻撃力がそれを上回っているとも思えないし……と悶々としていた時、部屋が暗くなった。
 突然のことに驚くが、窓から差し込む月光のおかげで、完全な真っ暗闇ではなかった。
 ひとまず私は起き上がり、手探りで枕を探し、そこに頭を置くように寝転がった。
 それからぼんやりと窓の外に見える月に視線を向けた時、誰かのシルエットがそれに重なった。
 私がそれを認識するとほぼ同時に、そのシルエットがこちらに向かって覆い被さってきた。

「……? ……んぐぁッ!?」
「ッ!? イノセ!?」

 声を上げる私に、リートが驚いたような声を上げた。
 どうやら、私に襲い掛かってきたのは彼女らしい。
 ……いや、まぁ、この部屋には私と彼女しかいないのだから、当然ではあるが。
 リートはすぐに飛び退くように私から離れ、隣に寝転がった。
 月光によって照らされた彼女の表情は、なんだか恥ずかしそうなものだった。
 けど、どこかムスッとしたような顔で、彼女は口を開いた。

「なんでお主がそっちで寝ておるのじゃ」
「別に理由なんて無いけど」
「……」

 私の言葉に、リートは少し頬を膨らませ、シートをキュッと強く握り締める。
 しかし、すぐにフッとその表情を緩め、私の肩を掴んだ。

「……?」
「もう良いわ。どっちでも変わらん」

 そう言いながら、彼女は私の体を引き寄せ、そのまま抱きしめてきた。
 突然の急接近に、一気に私の意識が覚醒する。
 心臓の音がけたたましく鳴り出して、体が強張るのを感じた。

「り、リ、リート!?」
「ふふ……こうしていると、何だか落ち着くな」

 動揺する私に対し、リートはどこか安心したような口調で言った。
 それに、私は彼女の体を押し返そうとしていた腕を止める。
 すると、リートは私の胸に顔を埋め、小さく笑った。

「何じゃ、お主……妾に抱かれて興奮しておるのか?」
「……言い方」

 誰かに聞かれたら語弊を招きそうな言葉に、私は小さく呟く。
 すると、リートは私の胸の中でクスクスと笑い、抱きしめる力を強くした。

「冗談じゃ。……じゃが、心臓の音がやけに早く感じるのぉ」
「……ビックリしてるだけ」

 言いながら、私はリートの細い体に腕を回し、抱きしめ返した。
 そう。これは、ビックリしただけだ。

「……誰かに抱きしめられたこととか……無かったから……」

 呟くように言いながら、私は彼女の体をさらに強く抱きしめる。
 そう、たったそれだけのことだ。
 今まで、誰かとまともに触れ合ったことなど、ロクに無かったから。
 人の温もりをこんなに直に感じたことなど、無かったから。
 だから、こんなに鼓動が早くなっているんだ。

「……では、初めては妾のものじゃな」

 私の言葉に、リートはどこか嬉しそうな口調で言う。
 それに、私は「そうだね」と言いながら、小さく笑う。
 未だに心臓は鳴り止まないが、なんだか少し、落ち着いて来たような感覚がする。
 薄手のガウン越しに感じる体温が、まるで包み込んでくれているような感じがして、とても心地良い。

「……すー……すー……」

 その時、何やら規則的な呼吸の音がした。
 視線を下ろすと、いつの間にかリートは眠っており、私に抱きついたまま安らかな寝顔を浮かべていた。
 ……ホント、自由だなぁ。
 私は小さく溜息をつき、改めて彼女の体を抱きしめて、背中を優しく叩いてやる。
 相変わらず、マイペースで自由奔放で横暴な性格のくせに……子供みたいな、あどけない寝顔しやがって。

 一瞬、彼女の子供時代はどんな感じだったのだろうかと考えたが、考える間でも無いかとその思考を止めた。
 どうせ今の性格のまま、自由で自分勝手な、ガキ大将のような子供だったのだろう。
 初対面の人間をいきなり奴隷にするような人だ。下手したら、大人しい子を奴隷とか言って、苛めてたりして。
 なんて、流石に偏見だけでそう決めつけるのも良くな──。

「……さん……」

 その時、胸元の辺りから声がした。
 視線を下ろそうとした時、私の体を抱きしめる力が強くなるのが分かった。

「おとう……さん……おかぁ……さん……」

 かき消えそうな声で呟きながら、リートは私の体を抱きしめる。
 何が起こっているのか理解出来ずにいると、彼女の肩が小刻みに震えているのが分かった。
 ……泣いてる……?

「リー……ト……?」
「グスッ……ッ……」

 私の言葉に、リートは答えない。
 ただ、何も言わずに私の体を抱きしめて、嗚咽を漏らしている。
 急にどうしたんだ? 一体、何が……?

「……大丈夫」

 考えるより先に、口と手が勝手に動いた。
 私は彼女の体を強く抱きしめ、その綺麗な黒髪を優しく撫でた。

「大丈夫、大丈夫……大丈夫だよ……」

 小さく呟くように言いながら、私はリートの頭を撫で続けた。
 どうすることが正解かなど、分からない。
 分かってあげるには、彼女と一緒にいた時間が短すぎる。
 今の私には、こんな薄っぺらい言葉を投げ掛けることしか出来なかった。

「……」

 けど、私の言葉に落ち着いたのか、徐々に彼女の呼吸が安定していくのが分かった。
 嗚咽も徐々に収まっていき、やがて、また規則的な呼吸に戻る。
 ……一体何だったんだ……?
 理解出来ないまま、私は、彼女の背中を優しく叩いた。
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